88 騎士と皇女の再会
アンジェロ大公がカプリアナ皇女の行方を捜しているという噂が流れていた。メイドもそれを聞き、はじめは先の皇帝家を断滅させるためだと思いカプリアナ皇女を差し出そうと考えた。だが、すぐにやめた。
皇太子の体を丁重に埋葬、葬儀を執り行い、残された親戚貴族を処刑せず生活費も補償するという寛大な処置を施したのを聞いた。
きっと保護するに決まっている。
カプリアナ皇女はもっと苦しませてやるべきなのだ。
メイドは何とかカプリアナ皇女を隠し通そうとした。
大公家の騎士が訪問する日、メイドは皇女を納屋に閉じ込めて、そこで編み物や裁縫の下働きをさせていた。
「ようこそいらっしゃいました」
メイドは恭しくガヴァス卿を迎え入れた。
「ここへ来たのはあなたに当時の宮殿の状況、皇女の行方について確認したいからです」
「当時の状況であればお話できます。皇女様については残念ですが……私は」
はらりとメイドは嘘泣きをした。
「失礼します。どうぞ、おかけになってください」
庶民の家なので、玄関へ入るとテーブルと椅子の並ぶ台所だった。
メイドはお茶を淹れて騎士たちに振る舞う。
「それでは当時の状況を話してもらいたい」
ガヴァス卿のお願いに元メイドはこくりと頷いた。
「暴徒化した民衆は宮殿のあちこちを荒し回りました。歴代皇帝の肖像画を燃やし、目についた貴族を捕えて処刑へと引きずり出し……私自身庶民だから助かったのですが、いつ自分が暴力の対象になるかと恐ろしかった。今も忘れられませんわ。彼らが口荒んでいた怨嗟の声を……ですが、今思えば仕方ないこと。彼らの生活を思えば、怒りも当然でしょう」
「皇太子のことはご存じで」
「はい。可哀そうでしたわ。幼い皇太子を乱暴に外の処刑台へ連れて行くのをただ見るだけ……皇帝家に仕える者として助けるべきだったのでしょう。でも、いざとなると怖くて動けなくて」
実際は別であった。
憎いアリアンヌ皇后の子が処刑される様子をみて心から歓喜した。
あの皇太子もアリアンヌ皇后に似てろくでもなく、少年ながらも暴君の一面をみせていた。皇太子に足蹴にされ、意味もなく鞭をむけられ怪我を負う者もいた。
メイド自身アリアンヌ皇后が嘲笑する中、幼い皇太子に鞭を打たれ額に消えない傷を負わされた。
「失礼ですが、調べによるとあなたは皇后に酷い目に遭わされたと」
大公家が帝都を鎮圧し、宮殿の補修を行っている最中に皇后の悪事について調べていた。皇后に虐待されていたメイドは多く、目の前にいる女性も被害に遭っていたと確認がとれていた。
「はい……ですが、幼い皇太子はあそこまでの目に遭うべきじゃなかったでしょう。御いたわしい」
メイドはうぅと涙をこぼした。
「今回、あなたの被害を照らし合わせて補償金が出ます。少ないでしょうが、今後の役に立ててください」
「ああ、何と。大公閣下と新しい皇帝陛下に感謝を」
メイドは補償金の金額を確認して微笑んだ。
「それで、皇女の行方について……本当にご存じないでしょうか」
「ええ、あの暴徒の中、皇女様の行方は忽然といなくなり。病弱な方でしたので、既に処刑に上がる前に命を落としてしまったのかもしれない」
メイドの言葉にガヴァス卿は首を横に振った。
「散乱された死体を検証しましたが、皇女の姿はありませんでした」
「では、どこかで……でも、あの病弱な方ではとても」
「皇女様をご存じですか?」
「はい、短期間でしたがお仕えしていた時期がありました。とても部屋から出られる程の体力はない方でした」
メイドの言葉を聞きながらガヴァス卿は首を傾げた。
「ところで庭には綺麗な花が咲いているようですね」
「はい。戦争も落ち着いた頃で、バンジーを植えて少しでも心安らごうと」
「実は私の主君は花が好きで……少し覗いてもいいですか」
メイドは少し困った。
庭の納屋にはカプリアナ皇女を幽閉してある。
もしばれたらと思い、取り繕った。
「そんな……庶民の庭など大公家に比べるのも」
「主君はむしろ小さな庭園を好んでいるのですよ。私自身も庭栽培には興味があって、今後の参考に見せてください」
英雄に頭を下げられてメイドは困惑しながらも、少し待ってほしいと立ち上がった。
納屋の方へと近づき、中へ声をかける。
「鼠! 大事な客がくるから音を出したらまた鞭をくらわすわよ」
そう強く脅しかけて、ガヴァス卿を庭へと案内した。
「どうぞ、散らかっているのを急いで片付けました」
「別に構わないのだけど」
ガヴァス卿はバンジーの花を眺め、花の感想を述べた。
栽培方法についてメイドに質問する。
特に問題はなさそうだとメイドは安心してガヴァス卿の質問に答えていった。
その時、納屋の方から音がたった。
ガヴァス卿の声を懐かしく感じたカプリアナ皇女が身を乗り出して出た音であった。
「っち」
メイドは舌打ちをした。
「鼠です。最近悪戯が酷くて」
メイドは取り繕い、その場を脱しようとした。しばらく話を終えて、ガヴァス卿が去った後にメイドはカプリアナ皇女の方へと戻った。手には鞭が握られている。
「何て奴だ! 私を困らせて、そんな楽しいかい」
「ごめんなさい。知っている人かもと思って」
「はっ、あんたみたいな存在が曖昧な鼠皇女に知り合いなんているわけないだろう! さぁ、手をお出し!」
メイドの持つ手にカプリアナ皇女は青ざめた。
「何をしているんだい。愚図鼠!」
早く終わらせなければもっと数が増やされるかもしれない。カプリアナ皇女はおそるおそる両手を差し出した。
いらだったメイドは強く腕を振り上げたが、それがカプリアナ皇女の元へと落とされることはなかった。
「あ、あなたは」
メイドは青ざめた。
ガヴァス卿の部下の従騎士がメイドの手を握り皇女への暴力を阻止したのである。
「ガヴァス卿、この方ですか?」
後ろへ声をかけると先ほど見送ったはずの騎士の姿がある。
「ガヴァス卿……」
カプリアナ皇女は記憶の中にある騎士の名を呟いた。
「あ、これは……その」
何とか取り繕うとするメイドを無視してガヴァス卿はカプリアナ皇女の方へと向かった。
膝をつき、優しく声をかけた。
「あなたを探しておりました。皇女様」
皇女の手をとり、彼女の手を額につける。温かい手のぬくもりにカプリアナ皇女は涙をこぼした。
あの夢のような良いひとときを過ごした騎士が自分を探してくれるなど思いもしなかった。
「私を、おぼえてくれて」
「忘れる訳ないでしょう」
誰もかれもカプリアナ皇女の存在を曖昧なものとして扱った。
誰も気にとめない。誰も覚えていない。
幼い頃から母から言われ続け、宮殿から抜けた後もメイドから言われ続けていたカプリアナ皇女にとってこれ以上にないほどの言葉だった。
まだ肌寒い頃合いであり、ガヴァス卿はカプリアナ皇女の肩に自身のマントをかけた。彼女を抱き上げて、続けて言う。
「一緒に大公家へ帰りましょう」
「待って……」
メイドは叫んだ。
「これは何かの間違いで……その、皇女様が酷い目に遭わない為に隠す必要があったのです」
震えながらも何とかその場を取り繕おうと必死であった。
メイドが強い視線を向けるとカプリアナ皇女は青ざめて俯いた。
「この件は後日主家に確認して沙汰を届けます。それまで補償金は大事に使っておいてください」
今は自分の判断でメイドをどうする気はない。それはおいおいアンジェロ大公に確認すればいいだけのことだ。
とにかく皇女の身を最優先にしなければならない。
メイドの必死な弁明を後目にガヴァス卿は皇女と共に馬に乗った。




