85 桜の中溶ける
ルドヴィカの様子が気になったが、それでも仕事は減ることがない。
少しでも仕事を送らせてしまえば、新たな公国の今後に影響してしまう。
ただでさえ帝国から押し寄せた難民によって治安が影響してしまっているのだ。
大公領民、いや公国の民の生活に不便がないように、難民の保護と今後の方針も積極的に決めなければならない。
1日の業務を終えたジャンルイジ大公はひといきついた。
ストレスが強く気づけば何かを口に放り込んでしまいたい衝動にかられる。
そうなれば数年前の自分に逆戻りなので、パルドンが用意した野菜スティックで何とか難を逃れていた。
秘書官や文官を増やしていなければもっと大変であっただろう。
食事と睡眠時間を確保できるだけでなく休息も得られるのは数年前では考えられなかった。
寝室へと入り、共用の寝室の方をみる。
大公城へ戻ってから使用される機会が減った。
最後に使用したのは帝都へ遠征に出てからだろう。
お互い忙しくなり、別々に寝るよう戻ってしまった。
「ルカ、起きているか」
共用寝室の反対側の扉にノックをしてみる。
中から反応はみられなかった。
反応はなく眠りについたのだろう。
ジャンルイジ大公はおもむろに取手に手をかけてみる。
内側から鍵はかけられておらず、スムーズに扉は開かれた。
別に何かしようという気はない。
ルドヴィカの眠っている姿をみたら自分の寝台へと戻るつもりであった。
寝台にはルドヴィカの姿はなかった。
「一体どこへ」
ジャンルイジ大公はメイドを呼び行き先を確認しようと思ったが、窓の外からちらりと白いナイトドレスが見えた。
よく見ればルドヴィカである。
こんな肌寒い中上着も着ず外に出るなどとジャンルイジ大公は適当なガウンを手に取り部屋を飛び出した。
先ほどルドヴィカがいた場所にはおらず、ジャンルイジ大公は彼女の行方を探した。
彼女がいそうな場所を思い出してみる。
さすがに池の方にはいないだろう。
水の影響で大公城の中で一番寒い場所になっていた。
思い当たる場所をひととおり探してみてもおらず、残ったのは東の庭園であった。
彼女のために植えた桜がある場所である。
だが、まだ咲き頃ではないはずだ。
春になれば一緒に花見をしようと語っていた彼女の言葉を思い出す。
庭へとたどり着くと薄いピンクとも白ともとれる小さな花びらが飛んで来た。
思わず花びらを掴み取ると例の桜の花びらである。
おそるおそる樹の方へと近づくと、満開の美しい桜が華やいでいた。
その前をぼんやりと見知らぬ女性が眺めていた。
白い上着を着た短く切りそろえた黒髪の女性。
医務室の治癒魔法使いか、それとも魔法棟の研究者か。
「ジジ?」
振り返った黒髪の女性は首を傾げてジャンルイジ大公を見た。その声を聞き、目の前の女性が誰かジャンルイジ大公はすぐにわかった。
遠征前の夜、ルドヴィカが語ったことを思い出した。
彼女は転生者である。
一度はルドヴィカとしての生を終わらせ、別世界の女性に転生した。そこで彼女は女医だったという。
進んだ道は内科、専門は肥満代謝だった。
何故その道を選んだかというとジャンルイジ大公の姿を思い出したから。
何もできないままアンジェロ大公家が滅ぶのをただ見るしかできなかった彼女はもし自分ができるものがあったならばと学びたかった分野だった。
気づけば嫁ぐ前のルドヴィカに戻っていて、きっとこれは自分に与えられた試練だとルドヴィカは考えた。
きっとジャンルイジ大公を救いだし、アンジェロ大公家の滅亡を阻止すること。
それが自分に与えられた試練なのだ。
そしてルドヴィカは多くの協力を得て、ルドヴィカはジャンルイジ大公の問題を解決していった。
与えられた試練が成功された今、彼女はどうなるのだろうか。
ルドヴィカとしての一生を終えて今度こそ別世界の見知らぬ者として生きてしまうのか。
「ダメだ」
震える声でジャンルイジ大公は呟いた。
生死をさまよった時にみたあの修道女ルドヴィカ。あれは間違いなくルドヴィカだった。
彼女の前世、一回目のルドヴィカの生が終わる瞬間であった。別人になる直前の彼女。ジャンルイジ大公が名を呼び、手をのばそうとしても届かない場所へ行ってしまったルドヴィカ。
それが今重なってしまう。
「行くな。いかないでくれ」
ジャンルイジ大公は彼女に近づいた。
手を伸ばして彼女の肩を掴む。今度はきちんと触れられる。
「ルカ、行かないでくれ。私の傍にいてくれ……」
夢中で彼女を抱きよせて必死にいう。
「お前がいたから私は立ち直れたのだ。お前がいなくなったら私はどうにかなってしまいそうだ」
「ジジ……」
「私は、お前を愛しているんだ。だから、いなくならないでくれ」
思えばはじめて口にするジャンルイジ大公の言葉であった。
女性はジャンルイジ大公の背中に手を回した。
強い風が吹いた。
その瞬間、満開の桜は盛大に散り、二人の元へと落ちていく。
気づけば白衣を着た女性の姿はなく、ジャンルイジ大公の腕の中にいるのはナイトドレス姿のルドヴィカであった。
ふわふわの美しい鼠色の髪が月の光に照らされる。
「ジジ、どうしたの? 疲れている?」
ルドヴィカは首を傾げてジャンルイジ大公の頬に触れた。
ふと周りをみると桜の花びらはなくなっていた。桜の木にも花はなく、蕾の状態であった。
「こんなところまで来て何かあったの?」
「お前がいなくなったから、心配で」
ようやく会話になりルドヴィカは「ああ」と頷いた。
「なかなか眠れなくて散歩をしていたのよ」
「なら、供をつけてしっかりと着こんでくれ」
思い出したようにジャンルイジ大公はガウンを探した。地面に落ちていたのを拾い、つちぼこりを払う。
それをルドヴィカに着せた。
「まだ暖炉が必要な寒い時期だろう」
「そういえば、寒いわ。うん、ありがとう」
思い出したようにルドヴィカはぶるぶると震えだした。
「な、何だ」
「その、先ほどの言葉……愛しているって」
思い出してジャンルイジ大公は顔を真っ赤にさせた。
「はじめてかも。あんなにはっきりと言ってくれたの」
「そ、そうだったか」
ジャンルイジ大公は記憶を掘り起こす。
そういえば、言ったことはなかったように思える。
「私のこと愛しているって」
「当たり前だろう。お前は私の妻で……大事な伴侶で」
ごにょごにょと呟くジャンルイジ大公にルドヴィカは笑った。
「そういうお前は私のことどう思っているのだ」
同時に思い出せば彼女がジャンルイジ大公をどう思っているか聞いたことがなかった。
「私、私は……」
ルドヴィカの言葉をジャンルイジ大公は待っていた。
その先が紡がれる瞬間、大きな音が発生し驚いた騎士たちが一斉にその方へと集まる音がした。
「ああ」
ジャンルイジ大公はがくりと肩を落とした。
ずっと来るのを待ち望んでいたが、こんなタイミングで来るとは思わなかった。
「相変わらずですね、フラン」
苦笑いしたルドヴィカは騒ぎの方へと向かった。
「お迎えすべきですね」
ルドヴィカが歩くのを止め、ジャンルイジ大公は彼女を抱き上げた。
「え、ジジ」
「そんな足で歩かせるわけにはいかない。お前は自室へ戻す」
ルドヴィカは靴を履いていない、裸足の状態であった。
泥がついている。自室に戻ればルルに湯を用意してもらおう。
フランチェスカの応対はその後でも良いだろう。
パルドンが適当にしてくれると思うし。
「ジジ、重たいでしょう」
「それは嫌みになるから言わないでくれ」
今のルドヴィカは随分と痩せていて軽い方であった。
ルドヴィカはしばらくして観念したようにジャンルイジ大公の首に腕を回した。




