76 ロヴェリア公爵家
ルドヴィカは帝都にいたときから窮屈さを覚えていた。
父からは特に期待されず、せめて恥を晒すなと言い含まれていた。
まだ声をかけられる分ましだったかもしれない。
逆に母からは放置されることが多かった。アリアンヌ優先に動き、ルドヴィカの身の回りに関しては放置されていた。
それでも一応本家令嬢、当時皇太子の婚約者ということもあり使用人たちからの世話は受けられていた。時折感じる視線や小言があったが、ルドヴィカは相手にしなかった。仕事はきちんとこなしていれば、一線を越えなければと気に留めないようにしていた。
下手に騒いで父から呆れられるのを嫌がったというのもあるのだがお妃教育で余裕がなかったというのもある。
皇帝家より妃教育を受けている間のみルドヴィカは実感を持てた。
勉強の成果をみることができたためだろう。
求められる見目を持たなかったのもあり、せめて皇帝の助けになれるだけの存在になれればと奮起していた。
「レディはとても頑張っておりますね」
教師の夫人の言葉にルドヴィカは胸が熱くなるのを感じた。
裏表のないルドヴィカの努力を認める言葉であった。
はじめて大人に褒められたように思えた。
ルドヴィカはふぅっとため息をついた。
馬車で到着したロヴェリア公爵家の建物をじっと眺める。
幼い頃から過ごした屋敷であるが、今はもう他所の家のように感じる。
迎え入れた使用人たちの視線がちくちくと痛む。
「お父さま、お母さま。お元気でしたか?」
ルドヴィカは父母に再会の挨拶を交わした。
「よく来てくれた。とにかく座りなさい」
「大公殿下、遠路はるばるようこそいらっしゃいました」
父母の視線はルドヴィカの隣にいるジャンルイジ大公であった。
大公は一瞬無表情にみえたがすぐに表情を柔らかくした。
「ええ。お招きいただきありがとうございます。ロヴェリア公爵夫妻」
挨拶を交わしてルドヴィカの肩に手をかけて一緒にソファへ腰をかけた。
「大公殿下が来られるとは思いもしませんでした。病がちだと聞いていたので」
「ええ、妻の献身によりここまで回復しました」
父の言葉に対してジャンルイジ大公は隣のルドヴィカの存在を強く主張した。
「はは、色々あったがうまくやれているようで安心しました。実は不安だったのですよ。娘が何かと殿下の足を引っ張っていないかと」
「妻は優秀です。私のことを大事にし、私を支えてくれる掛けがえもない伴侶です」
「ええ、でも、大変でしょう。周りの噂とか」
母親はちらりとルドヴィカの方へ視線を向ける。ルドヴィカ自身というより彼女の髪の方を眺めていた。
「夫人は何の噂のことを言っているのです?」
「例えば、髪の色とか……苦労されるでしょう」
かしゃんと音をたててジャンルイジ大公はティーカップをソーサーの上へと置いた。
思ったよりも大きな音でびくりと震えたロヴェリア夫人にジャンルイジ大公は続けて言った。
「そのことはご心配なく。我が大公領では髪の色で差別するような愚か者はおりません」
「ま」
夫人は顔を赤くした。ジャンルイジ大公の言葉では、彼女の方を愚か者と言っているように感じられたようだ。
「そこまで言わなくても良いじゃないですか」
「私の妻の髪について言及したのは夫人の方ですよ」
顔を真っ赤にした公爵夫人はすぐに開き直った。
「帝都では鼠色の髪は不吉の色として言われております。あなたもご存じでしょう。昔の疫病の原因が」
「あれは汚染された水が原因です。現に水路の清掃、整備をしていって疫病の件数が劇的に減ったでしょう」
「そんな話、聞いたことがないわ」
ルフィーノから聞くまで、ルドヴィカも知らなかった内容であった。
公爵夫人が知るはずもない。
「公爵閣下の方はご存じのようですが」
ジャンルイジ大公はちらりとロヴェリア公爵の方をみた。
こほんと彼は咳払いした。
「確かに原因はそれであったでしょうが、教会の功績が大きい。彼らの治癒魔法がなければ多くの命が失っていたでしょう」
「だから鼠色の髪への差別は放置しても良かったとお考えですか」
「そうではありません。しかし、民衆は簡単には納得しません。下手すれば暴動が起きかねず、已む得ず」
ルドヴィカは内心呆れた。
水路の管理を政府が怠っていたことが原因であったと言えなかったからと言っているようなものだ。
そのつけを差別という形で鼠色の髪の人たちは請け負わされていた。
鼠色の髪を持つ娘が世間で何といわれていたか、放置してきたのか。
「お父さまもご存じだったのですね」
思わず声に漏らしたルドヴィカに対して、公爵夫人が険しい表情で睨みつけた。
「口を慎みなさい」
「何故です?」
ルドヴィカは首を傾げた。
あまりに堂々とした振る舞いに公爵夫人は萎縮した。
過去のルドヴィカであれば、母親が一言いうだけで引き下がることが多かった。アリアンヌの教育については表情を曇らせながらもなかなか引き下がらなかったが、何度も叱れば黙るようになった。
「公爵である父親と大公殿下の会話に介入するのははしたなく」
「私の髪の話題から出た会話です」
「ルドヴィカ!」
公爵夫人の言葉に耳を貸しても話は進まない。ルドヴィカは公爵の方へ視線を戻した。
「お父さまもご存じのことで、それなのに私が髪で色々言われているのを黙っていたのですね」
周りに言われることは仕方ない。それでも、ルドヴィカの自尊心が傷つかないように配慮することはできただろう。
「仕方ないことだったのだ」
父の言葉にルドヴィカの中でぷつりと途切れる音がした。
たったそれだけで済ませてしまうのか。
気づけば左手にぬくもりを感じた。ジャンルイジ大公がルドヴィカの手を大事に握ってきたのだ。
「そういえば、公爵家の領地ではコニウスがよく咲く地域があると伺っております」
ジャンルイジ大公の話題の変更に、公爵夫人は笑みをこぼした。
ルドヴィカはそこまで大事にされていないと感じて喜んでいるようにみえる。
逆に公爵は表情をこわばらせた。
「ああ、それがどうしました?」
「実は数年前に我が妻に毒を盛ろうとした下手人がおり」
そういえば、ソフィアがルドヴィカに淹れたアップルティーの中を確認すると毒が混入していた。それがコニウスであったのを今思い出した。
ここでゆすりをかけるとは思わなかった。
「それが何の関係があるのです」
「仮に毒が盛られた時の治療法を研究する為、融通を利かせてもらえないかと思いまして」
ようやく公爵は落ち着いた様子で返答した。
ルドヴィカの身を案じる仕草すらみせようとしないことにルドヴィカはようやく父へのわずかな期待すら失った。
「すぐにはお答えできませんね。毒薬なので、色々手続きが必要で」
「もちろん心得ています。必要なものはできる限り揃えましょう」
ジャンルイジ大公は強くお願いした。
「アンジェロ大公領では医学、科学への発展が目覚ましいと以前より聞いています。他に確か……」
「貿易ですね。海に面していませんが、大きな大河があり、そこに港を作っております。おかげで大河流域の各国との物流が盛んで。そういえば、最近は北のアルノ王国では銀を欲していました。そのあたりはロヴェリア公爵の方がお詳しいでしょう」
最近どこの国で需要があるとかそんな話題であった。
話したい内容を終えたジャンルイジ大公はそろそろお暇しようとルドヴィカに視線を向けた。ルドヴィカはこくりと頷いた。
「それでは、公爵閣下、公爵夫人。楽しい時間を過ごさせていただきました。御機嫌よう」
ルドヴィカはドレスのスカートの裾をつまんで礼をとった。
先ほどまで父母と呼んでいた存在に対して、他人行儀な挨拶をする。
「お体に気をつけてください」
両親は久々に再会した娘に対して特に気にかけるような言葉をかけることもない。
思えば前世でも彼ら二人はルドヴィカの身を案じる様子はなかった。
「嫌な想いをさせてしまった」
馬車の中でジャンルイジ大公は謝った。
「ジジが謝ることではありません」
アンジェロ大公家の主としてロヴェリア公爵家の内面を捜査するのは当然のことである。
「私……決めました。何があろうと私はあなたの味方です。敵が親であろうと」
ルドヴィカは改めて口にした。
ロヴェリア公爵が皇帝と共謀し、アンジェロ大公家を陥れようとしているのであれば容赦はしない。
今後何があろうとルドヴィカは二人と関わらないと心に誓った。
ホテルへ帰宅後、ガヴァス卿が報告書を持参してきた。
その内容をみてルドヴィカの表情は雲った。
「どうした?」
心配そうに覗き込むジャンルイジ大公にルドヴィカは首を横に振った。
「私の恩師が亡くなられたと報せがあって」
帝都に来た時ルドヴィカは他に会いたい人がいた。
ロヴェリア公爵家に雇われた家庭教師のコジェット夫人である。
コジェット辺境伯領の先代領主の妻で、夫亡きあとロヴェリア公爵家令嬢の家庭教師として呼ばれていた。
辺境で長く過ごしていた影響か、彼女自身鼠色の髪への差別心は和らいでおりルドヴィカの努力を誉めてくれた。
逆に勉強をさぼろうとするアリアンヌには手を焼いていた様子だった。
「レディーはとても筋が良いです。きっと良き淑女になるでしょう」
ルドヴィカを唯一褒めてくれた存在であった。
アリアンヌの駄々により解雇となってしまった。あの後は別の令嬢の教育に専念していたと思う。
デビュタントの時は色々痛い目に遭い心がくじけそうになったが、ルドヴィカに手紙を送ってくれた。そこから彼女の助言を頼りにルドヴィカは何とか社交界で形をとることができた。
かけがえのない恩人である。
ルドヴィカが大公家へ嫁がされた後、ルドヴィカの悪評を聞くやいつも彼女のことを案じ、彼女を庇う発言が目立っていたという。次第に社交界から孤立していき、辺境伯領へ帰る予定だったそうだ。
その前に強盗に出会い、酷い殺され方をされたという。
身はぼろぼろになったが、現代のコジェット辺境伯が母の身柄を引き取り今は辺境の地で眠っている。
できれば、墓参りに行きたいがすぐには厳しい。
遅ればせならがルドヴィカは彼女の死を悼む手紙を送った。
可能であれば彼女の墓に備えて欲しいと辺境伯に頼む内容である。
ぶしつけなことかもしれないが、彼女の為にできることが今はそれしか浮かばなかった。




