71 ある女の回顧(4)
騎士とメイドを伴っていたルドヴィカは庭師の元を訪れていた。
焼き菓子類を庭師たちに届けて、お礼にと好きな花を摘んでもらった。
「綺麗な花束にしていただいて、嬉しいわ」
「大公妃様に喜んでいただけて何よりです。もう少ししたら桜を植えようと思っているのですよ」
「桜?」
懐かしい花の名にルドヴィカは思わず胸を躍らせた。
前世の朱美時代に好きだった花なのだ。ただ何をするわけでもなく桜を眺めているだけで良かった。友人からはばば臭いと言われたが。
「来年の春には是非見に来てください」
「ええ、きっとよ」
庭を訪れる楽しみが増えルドヴィカは喜んだ。
手にいっぱいの花束は後で部屋に届けてくれるという。
「ありがとう。でも、いいの」
まだ焼き菓子を配る先は残っているのだが、丁度近くに池があった。
最近、整備され始めた庭である。
そこには命を落とした者がたくさんいたと聞かされた。
彼らの手向けにと花を持っていきたかった。
ビアンカ公女溺水事件後に池の整備は進んでいた。
あの濁った水は綺麗に浄化されていた。
池の端の方にひっそりと石碑が建てられていた。
例の亡くなられた人々の魂を慰める為に建てられたものである。
ルドヴィカは先ほどもらった花束を石碑の前に置いた。
「どうか、安らかに」
祈りを捧げて、石碑に語り掛ける。これで彼らの魂が安らぐとは思っていないが、それでも考えてしまう。
前世では誰にも気づかれないままこの池の底に沈み続けていた者たちの魂のことを。
「殿下!」
兵士がルドヴィカの元へと走りよる。ガヴァス卿がルドヴィカの前へと出た。
「大変です。幽閉されていた公女様殺害未遂の犯人が逃げてしまいました……」
兵士の報告を聞いてルドヴィカはさぁっと青ざめた。
ビアンカ公女に長い間仕えていたアン、実際はスパイと入れ替わっていた名前を知らない彼女が逃亡した。
「大公妃殿下、自室へ戻りましょう」
城の出入口はすでに封鎖されているという。
ルフィーノの魔法道具により魔法を封じられていたはずだ。
魔法を使えば強い副反応がでて苦しむ。
それをおしてまで魔法を使い逃亡をはかり、出入り口を封鎖されている。
かなり追い詰められた状態のはずだ。
彼女が何をしでかすかわからない。
逃亡の件は一部の騎士の間だけにしか知られていないが、突然の城の出入り口封鎖によりメイドたちも何か起きたのだと察した。
建物内物々しい雰囲気の中ルドヴィカは自室へと戻ろうとした。
「……、そこのあなた」
ルドヴィカは一人のメイドに声をかけた。
「ええ、あなたよ。後で私の部屋へアップルティーを届けてくれない?」
「かしこまりました」
メイドは恭しく頭を下げて厨房の方へと向かった。
「殿下、私が後でお届けします」
自分ではなく別のメイドに声をかけたことに不服気なルルに対してルドヴィカは笑った。
「うん、でもあなたはずっと城中歩き回ったから疲れたでしょう。もう休んでいいわ」
「ですが」
こんな時に主人を守りたいとルルが言うがルドヴィカは優しく声をかけて焼き菓子の一部をルルに手渡した。
「大丈夫よ。私には騎士がいるし、いざとなればスクロールもあるわ。隣は大公殿下のお部屋だし、まず間違いなく安全よ」
ジャンルイジ大公の部屋へ行き今の状況を確認して、ルドヴィカは自室にこもることにした。
「1日仕事を忘れて自由に過ごせといったのに部屋に引きこもらせて悪い」
「いいえ、折角だしフランチェスカ嬢とお茶を飲んで過ごします」
「フランと……いや、その方が安全かもしれない」
ジャンルイジ大公は眉間に皺をよせながらも仕方ないと頷いた。
ルドヴィカは自室へと戻った。その時にルルは下がらせて、部屋の外には騎士たちが守りを固めている。
この状況であればさすがのルルもルドヴィカの元へたどり着けないだろう。
ビアンカ公女の部屋も同様の警戒態勢だという。
フランチェスカが訪問するまでルドヴィカは本を読んで過ごしていた。
「失礼いたします」
メイドはおどおどしながらルドヴィカの部屋へと入ってきた。
外の騎士たちに蹴落とされたのであろう。
「ごめんなさいね。物々しい場所へ招き入れちゃって」
「いいえ、殿下のお茶を淹れられるなんて光栄です」
使用人たちの間ではルドヴィカの人気は上昇中であった。
初期の頃に大公妃のメイドに立候補する者はいなかったのが嘘のようである。今はルルが羨望の的になっているという。
「ありがとう。ソフィア」
がちゃんと茶器が落ちる音がした。床にポットが落ちて、湯がメイドのスカートにかぶったが彼女は熱そうにせず固まっていた。
じっとルドヴィカを凝視する。
「間違っていたかしら。私の記憶違いだったらごめんなさい」
「どうして、その名前をご存じで」
ようやくメイドは口を出した。
「だって、あなたはアリアンヌのメイドだったじゃない。大公家への連れ込みメイドとして雇った。やっぱりアンはあなただったのね」
ルドヴィカは昔のことを思い出した。
宮殿と公爵邸を行き来する日々を送っていた。
宮殿で受ける勉強はたいへんでいつもへとへとになりながらも悩みはつきない。
本当にこのまま自分は皇后としてやっていけるかどうかという不安がある。
そして、妹のことも気がかりであった。
妹が大公家へ嫁ぐのはうまくやっていけるのだろうか。
大公家へ輿入れする前に教育を受けるべきなのに、彼女はいつも遊び回っていた。家庭教師からルドヴィカに相談が来るほどである。両親に苦言を呈したが全くとりあってもらえない。
「大公家で花嫁修業をするのだから問題ない。アリアンヌは優秀だから心配するな」
そればかりであった。
花嫁修業の時に基本的な知識が身についていなければ何といわれるか。
同時にルドヴィカは胸が苦しくなった。
何をしても愛されるアリアンヌとはやはり違うのかと自己嫌悪に陥りそうになった。
「お姉様! 見てください。新しいドレスですよ」
疲労を隠せないルドヴィカにアリアンヌは気に留めず自慢をしてきた。
「今の流行なのですよ。人気デザイナーの蝶の刺繍がお気に入りなの。お姉様、どうかしら」
「ええ、とても似合っているわ」
とても相手にする気分にはなれないが、ここであしらうと後で母に泣きつかれ母に怒られてしまう。
ルドヴィカは最低限彼女の相手をした。
できれば授業を受けて欲しいと言いたいが、これも同様である。
「もう! つまらない世辞ね。いいわよ。お父様にみせてくるから」
頬を膨らませたアリアンヌはメイドを連れて去っていった。
その時のメイドのことが気になり、ルドヴィカは別のメイドに彼女のことを聞いた。
「ソフィア・タッソといいます。大公家輿入れに同行するために雇い入れたとか」
ルドヴィカは改めて彼女の立ち居振る舞いを思い出した。
落ち着いた雰囲気で、アリアンヌに対しても物怖じしない。
彼女が一緒ならある程度フォローをしてもらえるかもしれない。




