69 ある女の回顧(2)
ある日、女はロヴェリア公爵家に呼ばれた。
次女がアンジェロ大公家へ輿入れするため同席するようにと命じられたのだ。
はじめて出会った母方の親類、特に実感は持たなかった。
「どうやら父親に似たようで安心した」
女の姿をみてロヴェリア公爵から出た言葉はそれであった。
母の鼠色の髪を引き継がなくて良かったと言われたのだ。
女は心を無にしてロヴェリア公爵の話を聞いた。
彼から聞かされた内容に女は困惑した。これは皇帝からの命令でもあるとも付け加えられ、断ればただでは済まされないと脅しをかけられた。
要求はアンジェロ大公家へ行くアリアンヌと共に同行すること。
大公城へ潜り込み、別のスパイの手引きをするように。
必要に応じて皇帝家に都合よいように調整するようにと。
ようはアンジェロ大公家でのスパイ活動であった。
アンジェロ大公家は皇帝家にとって邪魔な存在となった。
少し前までは異国からの襲撃の壁になってくれたが、戦争は終わり脅威はさり存在価値が薄れていった。
土地の権利を全て皇帝家のものにするために、邪魔な大公家を潰すために動くようにと命令をくだされたのだ。
「これがうまくいけば望みを叶えてやろう」
望みと言われて女は考えた。
ようやく出た望みは母の待遇改善であった。
もう死んでしまった母は、ロヴェリア公爵家からとうに絶縁され、神への冒涜ともとれる自殺をした女であった。
母の自殺を許して立場を復活させてほしい。ロヴェリア公爵家から除籍された籍を復活させてほしい。
「なるほど、そうすればお前もロヴェリア公爵家の一員になるな」
皇帝の言葉を聞き女は命令を引き受けた。
当然ロヴェリア公爵も女の要求を呑んだ。
皇帝も公爵家も女の望みは高位貴族の仲間入りだと思い込んでいたが、女にとってそんなものは重要ではなかった。
暗い闇の奥へと押し込まれた母の名誉が少しでも回復されることを望んだ。
「それではよろしくね。■■■■」
正式にアリアンヌとの顔合わせだ。
女は表向きはアリアンヌの侍女という立場となった。
実際、スパイを潜り込ませる件はアリアンヌ一人でも十分と思われたが、このアリアンヌ一人では心許なかった。
いささか自由奔放すぎて皇帝の望みの通りに動かない可能性がある。
皇帝はそのままアリアンヌを使う予定だったが、ロヴェリア公爵家は万が一の為に女の採用を打診した。
出立前の1週間、侍女らしい振る舞いを身に着ける為に女はロヴェリア公爵家に滞在した。
主にアリアンヌの身の回りのお世話である。
アリアンヌは気分屋で、折角用意したドレスや装飾品を直前になって嫌がり出し直しを命じる面倒さがあった。
それでも侍女たちからのアリアンヌの評判は悪くない。
確かに魅力的な容姿を持ち、彼女が選び直したドレスの方がその日の彼女の魅力をさらに引き立てていた。
同時に、魅了魔法と言霊魔法を使えることも相乗効果があったようだ。
女も言霊魔法を使えるが、それは意識して使う必要があった。
アリアンヌの恐ろしいところは息を吸うように自然のままに魔法を発動している。
たいそうな術者でも彼女の魔法に気づかないまま翻弄されるであろう。
事前に聞かされていなければ女も知らずのうちにアリアンヌの魅力に落ちていただろう。
「お嬢様、聞いてもよろしいですか?」
アリアンヌはなぁにと首を傾げた。新しいドレスを着て気分がよさそうである。
「お嬢様は大公家での密命をご存じだと……」
「あ、あれね。そうよ。私一人でも十分なのにみんな心配性なんだから」
アリアンヌが聞かされた内容はただアンジェロ大公家で自由に振る舞えばいいとのことだった。
いずれはアンジェロ大公家は滅ぼされる。それまで彼らの足を引っ張り引っ掻き回せばよいと。
「うまくいけば私は皇后にしてくれるって陛下はおっしゃってくれたのよ」
アリアンヌは頬を朱に染めて嬉しそうに呟いた。
「皇后はルドヴィカお嬢様がなられるって」
「お姉様はダメよ。何てったて、醜い鼠色の髪なんだもの」
悪気のないアリアンヌはくすくすと笑った。
「あなたも母親のことで知っていたでしょう。鼠色の髪はどういう扱いを受けるか。帝都ではそんな皇后は認められないわ」
アリアンヌは女の出自を知っているのか知らないのか特に気に留めずべらべらと語りだした。
それとも今まで不満に感じていたことをここぞと吐き出したいのかもしれない。
「本当は私がなるべきだったの。でも先皇がお姉様が生まれた時に宣言しちゃって後に引けず……だから、私が皇帝陛下のお役にたってその功労で皇后に選び直すのよ。大した役に立てないお姉様は追い出してね」
姉に対する声だけは妙な苛立ちが感じ取れた。
気に喰わない、何としてでも引きずりおろしてやりたい。
そんな負の感情が嫌でも伝わってくる。
「まぁ、でも先皇の顔立てもあったからお姉様がとりあえず皇后になる予定なんだけど、先皇も馬鹿よね。髪の色を確認すればこんな手間しなくてもすむのに」
アリアンヌの語りを聞いて女は思い出した。
屋敷で時折見かける令嬢を。
母と同じ鼠色の髪をした令嬢であった。
「どうして、ルドヴィカお嬢様はあの髪をそのままにしているのでしょう。染め物を使えない理由があるのでしょうか」
女のとりとめのない疑問が出てくる。
それを聞いたアリアンヌは目をきらきらとさせて楽し気に応えてくれた。
「あ、あれね。お姉様が皇帝家への初披露の時の話だけど、本当はお姉様は髪を染めて登場する予定だったのよ」
でも、とアリアンヌはにたぁっと笑った。
「私が言ったの。お姉様はそのままでも綺麗なのだから、皇帝陛下になられる方は人を外見で判断されない聡明な方だからきっと大丈夫だって。お姉様ったらまじになっちゃってそのまま染めないで出て行って滑稽だったわ」
噂で流れるルドヴィカへの中傷は聞いていて楽しかった。
それからルドヴィカは焦燥感に晒され、勉強に励んで認めてもらおうと必死であった。
「どんなに頑張ってもあの陛下が認めてくれるわけないのに。陛下はこの私の髪を美しいと褒めてくださった。私こそ皇后に相応しいって……」
アリアンヌは目をうっとりとさせていた。
若い皇帝はアリアンヌの方に心を寄せているようだった。
隠れて会って想いを重ねているのを女は何度もみさせられた。主に監視という役割で。
どうやら皇帝がアリアンヌを皇后に望むのは本当のようである。
アンジェロ大公家へ訪問した後は、皇帝から直に大公とアリアンヌが密接な関係にならないように気を配るようにと密命を下された。
同時に頃合いになれば、大公城から抜け出せるように手はずを整えるようにと。
それを聞いた女は帰った後大笑いした。
滑稽な舞台の上に立たされた気分であった。
あまりに酷い話すぎて、笑うことしかできなかった。
とはいえ、皇帝とロヴェリア公爵の影の話を聞いた以上女は引き下がれない。望みの通り駒として動くしかない。
皇帝家の喜劇、大公家の悲劇の演者になりきるのである。




