61 神聖魔法
食堂に残ったルドヴィカはルルに淹れてもらったお茶を飲んだ。
目の前で朝食を食べる聖女の姿を眺めていた。
先ほど彼女が言っていたことは、どう解釈すればいいのか。
「久々の大公城のごはん。パンが美味しいわ。温かいスープが身に染みるわ。スグリ山の教会は冷めたスープしか出さなくて、肌寒い時期だからきつかったわ」
スープを堪能したあとは焼きたてパンにたっぷりバターをのせてフランチェスカは頬張っていた。心から美味しそうにしている。
自室へ戻る機会を逸したビアンカ公女はお茶を飲みながら呆れながらつぶやいた。
「全く。大公城に到着したのならまずは大公であるお兄様に謁見すべきじゃないの?」
普段より険を含んだ口調である。
「あら、ビアンカ公女。相変わらず年齢不相応の可愛らしくな方ですね」
フランチェスカは一向に気にしない、むしろ先ほどの友好すぎる態度とは違う毒のある言葉をさらっと吐いた。
「お許しください。ヒポポを休ませず魔力提供をしながら走らせたので私もヒポポもへとへとなんですよ」
「ヒポポ?」
「この女が契約している聖獣よ。ヒポグリフ、という非常に希少な生命体、宗教学で学んだでしょう」
確かに宗教学の教材に載っている伝説の霊獣である。古代の聖人の乗り物として登場している。
鷲の上半身と翼をもち、馬の下半身を特徴に持つ。
かつてアンジェロ大公領にはグリフォンが生息し、同時に馬の名産地として有名であった。その為、大公家の家紋にはグリフォンが存在している。
グリフォンはヒポグリフと同じ鷲の上半身と翼をもつが、下半身は獅子のものであった。本来は肉食で、馬を食すがどういう経緯か不明であるがグリフォンの仔を孕む馬がいた。
土地出身の聖人はヒポグリフと呼び、乗り物としてアンジェロの土地を飛び回り、人々に知恵を与え発展させた。
その伝説のヒポグリフが実在していたというのも驚きであるが、フランチェスカが乗り回しているというのも驚きであった。
普段は大公領の大自然の中で放し飼いされているようだ。
フランチェスカの巡礼は徒歩と馬車での移動が基本だったが、彼女の招聘魔法で有事の際は呼び寄せることが可能である。
今回、久方ぶりにヒポグリフに乗り急遽帰還した。
「ヒポグリフだからヒポポだって。単純でセンスもないと思わない?」
ビアンカ公女の言葉にルドヴィカは曖昧に笑った。
「今、そのヒポグリフはどこにいるのですか?」
役割を終えて森へ帰ったのだろうか。
「馬房でご飯を食べているわ」
馬房と聞いてルドヴィカは頬をひきつらせた。
ヒポグリフは母親が雌馬だとしても基本グリフォンの性質を持つ。比較的温厚な性格であるものの、グリフォンと同じ食事を好物としていた。
グリフォンの好物は馬や牛の肉である。ヒポグリフも馬の肉を好んで食べると聞いた。
大公城の馬が、ジャンルイジ大公の馬がヒポグリフの腹の中へ入っていくのを想像した。
「ヒポポの好物はお母さんと同じニンジンです! 今は馬房で馬と一緒に人参をもりもりと食べていることでしょう」
フランチェスカからの補足説明は思った以上に平和なようでルドヴィカは安心した。
大公の馬は無事なようである。
「大公妃はおとぎ話を真に受けているのですね? かわいらしい」
フランチェスカは呑気に笑った。笑う姿も美しい。
よく考えてみるとルフィーノも美男子であった。
ルフィーノ、フランチェスカという美麗な幼馴染がいてジャンルイジ大公の美的感覚のレベルを一瞬考えてしまった。
「そのフランチェスカ嬢」
「何でしょう」
「先ほどあなたが言っていた私に運命を委ねたというのは何でしょうか?」
いつ質問すればいいのか悩み、ようやくルドヴィカはずっと気になっていたことを口にした。
「それは、長くなることだけど」
フランチェスカはちらりと扉の方へ視線を向けた。
扉が開かれ、トヴィア卿が訪室してきた。
「ご歓談中申し訳ありません。聖女候補様、大公殿下がお呼びです」
「待って。このパンを食べ終わってから行くから」
フランチェスカは慌てる様子もなく、パンを頬張り続けルルの淹れたお茶を堪能しのんびりとしていた。
ビアンカ公女がとんとんと指でテーブルを叩いているのが聞こえてくる。
あまりに対照的な性格の二人の間に挟まれて、ルドヴィカはただお茶をすすり無に徹した。
◆◆◆
フランチェスカが来たと同時にジャンルイジ大公は神妙な顔で幼馴染の顔をみた。
気になって同席したルドヴィカはお邪魔だったかなと心配になった。
「お前は、私に言うことがあるだろう。例えば、馬房襲撃」
「ヒポポが馬房を壊しました。緊急事態だったし、ヒポポも反省しているので大目にみてあげてください」
あまりに軽い報告と謝罪であった。
口調は丁寧で所作も淑女として完璧なものであるが、彼女の背中から見えていないはずの舌をぺろりとだしている姿が見えてしまう。
馬房は何棟かあり、ヒポポが襲撃した馬房はヒポポの母馬がいた場所、実家であった。
ヒポポが誕生した馬房なだけあり、そこに棲んでいる馬はヒポポの影響で多少のことに動揺していないのが幸いであった。
普通の馬であれば精神的なショックを受けてしばらくケアが必要になっていただろう。
「ヒポポを使役していたお前の責任なので、馬房の修理代はお前に請求しよう」
「えー」
「嫌なら次からヒポポで大公城へ登城しないことだな。全くこっちは病み上がりなのに、新しい仕事を引き起こさないでくれよ」
だいぶ快復してきたとはいえ、ジャンルイジ大公の体力はまだ急病前日の状態まで戻っていなかった。
「仕方なかったのです。普通に帰ろうとしても時間がかかるし、暗殺されかけたし、ヒポポでばびゅんと逃げるのが一番だったのです」
さらっととんでもない発言が出た。
「暗殺って、何をやらかしたんだ」
ジャンルイジ大公は眉間に皺を寄せて、だいたいの発端はフランチェスカ前提で質問してきた。
「少しは幼馴染を心配してくれてもいいでしょう。宿泊部屋が魔封じの部屋で、そこでならず者に殺されそうになったのです」
「犯人は……」
「帝都の教会の連中でしょう」
フランチェスカはうんざりした表情で犯人のめぼしを立てた。
それを聞きルドヴィカはぎゅっと裾を握った。
前世でフランチェスカに出会ったことがなかった。
思い出せば、前世で聖女候補が亡くなられたという噂を聞いた気がする。
ビアンカ公女に大公城を追い出された後のこと、自分には関係のない、遠い存在の出来事と思っていた。
あれはフランチェスカのことだったのか。
青ざめたルドヴィカをみてジャンルイジ大公はこほんと咳払いした。
「詳しい話は後で聞くとして、……お前からみて私の状態はどう思う」
「よく生き残れましたね。私も九死に一生を経験した直後ですが、あなたの場合は個人の努力じゃどうにもならない状態だと思いました」
急性膵炎の情報はすでにフランチェスカの耳にも届いていた。
正直に言えば、ジャンルイジ大公の最期は間に合わないと思っていた。
「ああ、私一人の努力ではどうにもならなかった」
改めてルドヴィカと、ルフィーノ、治療魔法使いたちの功績をたたえたい。
「言霊魔法については」
ジャンルイジ大公は改めて問いただした。
元々フランチェスカを旅立たせたのはジャンルイジ大公にかけられた言霊の解除であった。
フランチェスカはじぃっとジャンルイジ大公の体をみた。
失礼しますという一言とともに彼の額に触れる。
「これなら解除できます」
期待していた言葉にルドヴィカは胸を締め付けられる気持ちがした。
これでジャンルイジ大公を苦しめていたものはなくなっていくのか。
前世とは違う道のりを改めて実感できた。
ジャンルイジ大公とフランチェスカの周りの空気の流れが変わった。
フランチェスカの魔法が発動したのだとわかる。
「これが、神聖魔法……」
なんと暖かく穏やかな魔法なのだろうか。
ほんの少しだけその空気に触れられて自身も癒やされている心地がした。
「天にまします神よ。ここにいる一人の苦しむ男を救い給え……」
フランチェスカはジャンルイジ大公の額に触れ続けて、神への祈りを呟き続けた。神聖魔法は基本的には神や精霊からの恩寵を感謝し、これからも仕え続けることを誓い奇跡を引き起こす。
帝都の教会でもこれだけの強い神聖魔法は使えない。
数年前の戦争の傷病者を救ったというのは誇張ではないと感じられた。
フランチェスカが聖女候補と呼ばれるのは納得できる。そもそも聖女ではないことに驚きが隠せなかった。
「解除!」
大きな光がうねりあたりを包み込んだ。
ほんの数秒のことであったが、ルドヴィカは優しく抱きしめられている心地がした。
空気が元に戻り、少し疲れながらも達成感の笑顔を浮かべるフランチェスカの姿があった。
ジャンルイジ大公は自分の体がどうなったか確認した。
「言霊の解除は成功しました」
長い祈りの末、フランチェスカはようやくジャンルイジ大公を苦しめてきた言霊の解除に成功した。
その一言に、ルドヴィカは胸が大きく高鳴った。自分でもそうなのだから、周りにいる大公もパルドンも騎士たちも、喜びはたいそうなものであろう。




