挿話 女大公の最期
※前世のビアンカの最期です。処刑される場面なので苦手な方は注意してください。
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苦しい。苦しい。
ビアンカは裸足で歩かされた。観衆の中引きずられるように。
人々はひどく疲れた様子で、ビアンカを冷めた目で見ていた。
周りにはビアンカを優しく見守るメイドも執事もいない。
彼らはどこへ行ったのだろうか。
あれだけ最期まで女大公の傍にいると誓っていた者たちは。
わからないまま、会場の中央へと放り出された。
目の前にいるのは自分と同じ金色の髪をした壮年の男、美しい顔立ちであるが氷のように冷たい紫色の瞳を持っていた。傍らには同じ髪色と紫色の瞳を持つ美しい女がいる。
彼女が誰か考えずともすぐにわかる。ビアンカの人生をめちゃくちゃにした元凶だった。
男は淡々とビアンカに向かい発した。
「ビアンカ・アンジェロ。先祖より受け継いだ大公領の領民を巻き込み、帝国に背き、戦争を起こした大罪は許されることではない」
そのときビアンカは目の前の男に強い怒りを覚えた。
憎悪に近い感情に支配され男をにらみつけた。
自分を大罪人というのであれば目の前の女は罪ではないのか。
そう言いたくてもビアンカは声を発せられなかった。
捕らわれ尋問を受けている間にのどを焼かれ声を出せずにいた。
今の自分は罵倒することすらも許されない。
「まぁ、恐ろしい」
女は震えて男に寄り添った。
男は女を慰めて、最も近くに列をなしていた文官へ目配せした。
文官は心得たようにうなずき、前へ出てビアンカの罪状を述べた。
「本来であれば皇帝に背いた罪、八つ裂きの刑が妥当である。だが、歴代大公の功績を考え陛下が情けをかけてくださった」
淡々と述べるビアンカへの罰、強くゆっくりと会場に響き渡る。
「斬首刑に処す」
ビアンカはぎりっと唇をかんだ。
◆◆◆
再び街中を歩かされる。
人々は女大公であったビアンカを罵り、「皇帝陛下万歳!」と復唱し続けた。
父から、兄から譲り受けた大公家をめちゃくちゃにした女の夫を褒めたたえるなど耐え難い屈辱である。
冷たいギロチンの載せられた台へとビアンカはたどり着いた。その上へと歩かされると思った時、聴衆の中から粗末なドレスを着た鼠色の髪の女が現れた。あの長かった髪は首元まで短く切りそろえられていた。
「……」
どうしてあんたがこんなところへ。
声にしたくてももう声に出すことはできない。
兄の嫁でありながら、義務を放棄した女だ。ビアンカが追い出した女である。
自分を嘲りに来たのだろうか。
姉妹そろっていやな人ね。
「まぁ、お姉様じゃない!」
むかつく女の明るい声である。
「皇帝陛下、皇后陛下に拝謁願います」
先代大公妃のルドヴィカであった。
「どうしたの? ああ、何て粗末なドレス。女大公にいじめられたのね。かわいそう」
アリアンヌの楽し気な声が響きわたり耳にきんきんときて煩わしい。
「私は私の罪を罰する為にここへ来ました。この姿は私自身罪人であるという意志表示と思ってください」
ルドヴィカはアリアンヌと一緒に会場に現れた男の前に膝をつき希った。
「陛下、どうか私の罪の告白を受け入れてください」
「皇后の姉だ。許そう」
ルドヴィカは感謝を述べ、告白した。
「女大公殿下に罪はございません。罪はこのルドヴィカにあります。私が両陛下への憎しみを押さえられず彼女をそそのかしたのです。純心な女大公殿下は私の声を聞いて願い通り叛意を示されました」
ビアンカは知っている。
それは嘘の告白である。
叛意を示し軍をあげたのは紛れもなくビアンカの判断であった。
ビアンカ自身、アリアンヌへの憎しみはぬぐい切れず、大公家を侮辱し続ける皇帝家を許せなかった。
これ以上彼らに忠誠を誓うのは我慢できなかった。
周囲の臣下の言葉に刺激され、そのまま騎士たちを集め独立を宣言した。
「どうか女大公殿下をお許しください。断頭台にあがるべきはこの私です」
ルドヴィカは泥で足とドレスが汚れるのもいとわず願った。
「それでも叛逆したのは彼女よ。罪は罪よ」
「女大公殿下には地位を全て剥奪し、領地を返上、その上で修道院に幽閉を……どうか、両陛下のご慈悲を」
「どうします? 陛下」
アリアンヌは甘えるようにカリスト皇帝に声をかけた。
「ビアンカ・アンジェロを予定通り斬首しろ。ルドヴィカは皇后の姉であり、死刑まではせず修道院への追放としよう」
「良かったわね。お姉様!」
ルドヴィカが願う逆のことであった。
「陛下! どうか、女大公殿下へのご慈悲を。代わりに私の首をお刎ね下さい」
「黙れ。お前に何の価値がある」
カリスト皇帝は冷たくルドヴィカに言い放った。
「薄汚い鼠色の髪のみすぼらしい首が、この大公領でどれだけの価値がある」
面と向かって言われた言葉にルドヴィカは声を失った。
どちらにせよカリスト皇帝の望みはビアンカの首なのだ。
アンジェロ大公家の最後の血を持つ女。
彼女がいなくなれば、アンジェロ大公家の血は途絶える。
それを大公領の領民らに知らしめることがカリスト皇帝の狙いだった。
「私です! 私が大公領をこんな風にしたのです。処刑されるべきは私です!」
ルドヴィカは甲高い声で叫んだ。
皇帝の決定を覆すのは難しいが、せめて自分の声で領民たちの憎しみを自分へ向けさせよう。
処刑されるべきはビアンカではなくルドヴィカだと思わせよう。
「おい。あの狂った女をつまみ出せ! いや、そのまま■■修道院へ送ってしまえ」
皇帝の命令に騎士たちはルドヴィカを押さえつけ、彼女を処刑場から追い出した。
再び処刑は続けられる。
周囲をみると残された臣民らがビアンカの後に処刑される運命であった。
その中にビアンカを支えていたアンの姿はない。うまく逃げられたのだろう。
ルドヴィカの甲高い声が今も耳の残っている。
今更何を言い出すと思えば、ビアンカの命乞いなど。
どうして今更行動に出たのだ。しょうもない女だ。
大人しく屋敷に引きこもっていればいいのに。
ああ、でも。この場で身の危険を顧みずビアンカの命乞いをしたのはあの女だけだった。
あれだけの行動力があればもっと早く外に出ていれば良かったのに。
そうすればお兄様の想いをもっと早く知れただろうに。
遅すぎる女だ。
馬鹿な女だ。
(うん、でも馬鹿は私もだったわ)
ビアンカはそう考えながら、ギロチンの刃が落ちるのを待った。
思いのほか痛みはそれほどなかった。一瞬ひやりとしたものを感じたが、あとは何も感じずビアンカは生涯を閉ざした。
8歳で女大公の地位につき、14歳で皇帝家に叛意を示し挙兵し、15歳で命を散らした少女の最期であった。




