52 西の庭園
西の庭園にたどり着くと、一面の花壇にダリアが植えられ美しかった。
大輪のダリアだけでも数種類の色が存在している。クリームイエロー、淡いピンクにホワイトのものとひとつひとつじっくりと見てしまう。
こぶりな赤や白、オレンジのダリアの花壇もあり、可愛らしい。
一度に何種類ものダリアを見るだけで時間が過ぎ去っていった。
「素敵だわ。殿下が見たくなる気持ちがわかりました」
ルドヴィカは楽し気に笑った。
その声を聞いてジャンルイジ大公は安心した。
今日は心配になることがいくつもあった。
ひとつが無事に西の庭園にたどり着けるかどうか。
もうひとつはルドヴィカに楽しんでもらえるかどうか。
メインの2つがクリアできたので肩の荷がだいぶ軽くなったのを感じた。
「そろそろ休憩しましょう」
昼食の時間が過ぎた頃で空腹感を感じた。
ジャンルイジ大公は四阿へ行くように指示する。
そこにはお茶会を開けるようにテーブルと椅子が配置されていた。
「階段がありますね」
2段であるが、テーブルまで行くには階段をあがる必要がある。
ジャンルイジ大公はトヴィア卿を呼び、彼に肩を掴んで支えてもらう。ゆっくりとした足取りで階段をのぼっていった。
「階段、登れたのですね」
まだ練習はしていなかった。
「数段だけな。この1週間、1段だけだが練習をしておいた」
後は数段の練習を繰り返すだけである。
まだ支えもいるし、何段も上り下りするのはたいへんで膝の負担が大きい為エレベーターは必要になるが、自主的にここまでクリアするとは思わなかった。
ジャンルイジ大公の成長ぶりをみてルドヴィカは感激してしまった。
「もう私のすることはありませんね」
「まだお前には見てもらいたいことがある。私をここまで急き立てたのだから、途中脱落は許さないぞ」
減量治療チームから脱落するかもしれないと思ったジャンルイジ大公は釘をさすように言った。
できれば彼女をエスコートしたいが騎士に支えられながらは様にならないのでガヴァス卿に譲ることにした。とすんと椅子に腰をかける。
「まさか、最後までお供させていただきますよ」
ルドヴィカはガヴァス卿の手をとり階段へあがり、椅子へと腰をかけた。
「それでは、殿下。私たちは近くを見回りをしてきます。何かあれば、この鈴を鳴らし呼んでください」
トヴィア卿は大公の前に鈴を置いた。使用人を呼ぶのとは別のタイプの音が出るそうだ。
「え、護衛は?」
ガヴァス卿はこのままルドヴィカの傍で待機する気だったようだが、トヴィア卿が首根っこ掴んでガセボから立ち去った。
その表情は無であったが背中は「空気を読め」と語っているようであった。
少し遅れた時間にルルが昼食を届けにきた。バスケットに詰め込まれているのはハムとチーズのサンドイッチに果物類、ワインであった。
「ピクニックみたいですね」
ルドヴィカは中身をみて頬を緩ませた。
本当はこのメニューのままで十分だが、パルドンが盛りつけられたサラダを運んできてくれた。
「野菜から食べるルールがあるからな」
「休日でも律儀に守ってくれて嬉しいです」
野菜サラダがない場合は、甘い総菜ものではなく野菜の入ったサンドイッチなどを選ぶようにと指導していたことを思い出した。
ジャンルイジ大公ははじめの頃のルドヴィカの提言を律儀に守ろうと示してくれる。その姿勢を喜ぶとジャンルイジ大公は唇を結び頬を染めた。
「それにしても素敵な庭園ですね」
「ああ、母上のお気に入りの場所だったからな」
ジャンルイジ大公の亡き母、先代大公妃の名はダリアだった。先代大公は母の為に西の庭園を増築したといわれる。
先代大公妃はよくこのガセボで読書をし、お茶を楽しんでいたそうだ。
ジャンルイジ大公も幼少期に母と一緒に過ごしていた。
母亡きあとも大事に庭園は維持され、使用人たちも自由に楽しめるようにしてある。
「最近では使用人同士の逢引の場所に利用されがちだが、今日は貸し切りだ。まぁ、……もぐもぐ」
ジャンルイジ大公は思わず口にしそうになったことをサンドイッチを頬張り口の奥へと押し込んだ。
ここはアリアンヌのお気に入りの逢引場で、情事を行う場であった。
アリアンヌの利用方法に比べれば使用人のデートコースの利用くらいは許せる。キスまでは許容しよう。
それを言いかけたが、ルドヴィカにまた気を遣わせてしまうと黙り込んだ。
「殿下、慌てて食べてはいけませんよ」
ルドヴィカは早食いになっているジャンルイジ大公に声をかけた。
「そ、そうだったな。ほら、私の食事はまだまだ注意する点があるだろう」
ごくんと飲み込んだジャンルイジ大公の発言にルドヴィカはくすりと笑った。
困った人ねと言わんばかりの笑顔だが、優しいぬくもりあるものでジャンルイジ大公は思わず目を細めた。
「そのな……前々から考えていたのだが」
ジャンルイジ大公は話題を変えた。
「私たちは夫婦になってどれくらい経つかな」
「7カ月程です。私が殿下の元へ参ったのは3月、春が訪れる頃……」
今は丁度10月であった。もう少しすると肌寒い季節である。
「そうだ。その、夫婦としてはあまりによそよそしい生活で、私がこれを放置していたというのもあるのだが、そろそろ……」
「寝室を一緒にしますか?」
ごぼっとジャンルイジ大公はむせこんだ。ルドヴィカは立ちあがり、ジャンルイジ大公の肩を叩き、ルルに水をつがせた。
差し出された水をごくごくと飲む干したジャンルイジ大公はほぉっとため息をついた。
「何を言うかと……わ、私と一緒に夜を共にするなど。何というか」
「別に夫婦なのだから良いのではないですか?」
ルドヴィカは首を傾げた。確かに今更と思うと気恥しいものだが、ルドヴィカは前世の記憶も持っているので実質年齢〇十歳である。
精神的にそこまで成熟してはいないのだが、それでも外見十代だが三十前後の精神を持っていると自負している。
残念なことにその経験がないのだが、それでも夫婦になったのであればそういうことも考えた方がいい。
「お前は、いやではないか、こんなふといっ」
「殿下」
ルドヴィカはじっとジャンルイジ大公を見つめた。
「殿下は素敵な殿方です。嫌ではありません」
改めて言うルドヴィカの言葉に嘘はない。
ルドヴィカの前世では、全てが手遅れの頃に彼の優しさに気づいた。
彼がどれだけルドヴィカのことを考え、気を遣ってくれていたか。
気づいたのは彼の崩御後、生活の支援や唯一の贈り物の内容を知ってからだった。
気づくのはあまりに遅すぎた。
気づいていれば、ルドヴィカは別の人生を送れていただろうに。
あの愚かな皇帝から婚約破棄され、捨てられ、長い間の努力を無にされてしまったことから自暴自棄になってジャンルイジ大公を見ようとしなかった自分が許せなかった。
だから、今回は絶対に目を背けたくない。
彼が、自分を心から拒絶しない限りは。
ルドヴィカの視線にジャンルイジ大公は顔を赤くした。
口調がしどろもどろであった。
「だ、だが……その同衾はまだ……」
彼は女性経験がほとんどなかったようだ。今も前世もその話は確認できていない。
戦争時代に情婦を作っても不思議ではないが、それもなくもくもくと仕事に明け暮れていたようだ。
「意地悪言いましたね。別に同衾はしなくてもいいじゃないですか」
「いや、すまない。お前に魅力がないとかそんなのでは……まだ私は」
自分に自信が持てないのだというジャンルイジ大公にルドヴィカは困った。
アリアンヌが植え付けた言葉は今も彼の奥底に強く影響していた。
どうすれば彼は立ち直れるのだろう。自分ではやはり無理なのか。
無力感を感じながらも、ルドヴィカは笑った。
「こうして一緒に食事をとって会話をするだけでも十分夫婦らしくなっていると思いますよ」
ようやく落ち着いたジャンルイジ大公の様子をみて、ルドヴィカは席へと戻った。




