49 オルランド卿の提案
オルランド卿の報告を聞きながらジャンルイジ大公はため息をついた。
「皇帝もここまでのことをするとは」
以前より皇帝家がアンジェロ大公家に対して敵対心を抱いていたのは察していた。それでもジャンルイジ大公は歴代大公に倣い、忠誠を誓い防壁になることを務めていたが、皇帝はそれに満足できなかったようだ。
アリアンヌを先だって送り込んだのも皇帝の狙いだったのかもしれない。
彼女の言霊魔法はジャンルイジ大公の精神を蝕み、このような事態となってしまった。
「アンの魔法はどういうタイプだったか確認したい」
既にルフィーノが解析しているだろう。
結果を求めるとオルランド卿は困った表情を浮かべた。
「微弱ながらも言霊魔法を持っていました。アリアンヌ程強力ではありませんが、幼いビアンカ公女を少しずつ洗脳するのには有効だったかもしれません。何事もなくアンがビアンカ公女付きのメイドであったら大変なことになっていたかもしれません」
ジャンルイジ大公はぞっとした。
もし、自分の身に何かあればビアンカ公女はどうなっていただろうか。
一人残されたアンジェロ大公家の公女は破滅へと向かっていたかもしれない。
「でも、不思議ですよね」
オルランド卿は首を傾げた。
「何故アンはあのような行動に出たのでしょうか」
ビアンカ公女暗殺未遂事件について振り返る。
あのままビアンカ公女が亡き者になっても良いという躊躇のなさであった。
「言霊魔法を持っていれば、公女様をそのまま洗脳して自由にできたというのに彼女を捨ててでも大公妃を排除しようとして……謎ですね」
結果的にアンは自分の尻尾を掴ませてしまった。
ジャンルイジ大公は無言になり考え込んだ。
確かにオルランド卿の言う通りである。
「計画外のことが起きた。ビアンカを殺してでもルドヴィカを排除したい程のものが……」
こんこん。
ノック音がして、ジャンルイジ大公とオルランド卿は互いの目を合わせた。
こんな時間に誰が訪れて来たのか。
ジャンルイジ大公はオルランド卿以外の者を呼んだ覚えはなかった。
ジャンルイジ大公は扉付近に待機していたパルドンに目配せをして、パルドンは扉を開く。外に出て、何かしら会話を繰り返していた。
訪問者の声は若い女のものであった。
ルドヴィカ付のメイドのルルだった。
ジャンルイジ大公は彼女の顔を見たことはないが、ルドヴィカが訪れた時の外の会話で何となく声を判別できた。
ルルは、オリンドを伴って大公の寝室へと入った。
「夜分遅くに申し訳ありません」
ルルは困ったように俯いた。少し落ち着かない様子であった。
夜分とはいえ、大公家主人の寝室へ訪れる行為はメイドとして憚れた。
少年従僕のオリンドを伴っているとはいえ、後ろめたい気持ちが出てしまう。
「こんな夜遅くにどうした?」
「その、大公妃様のことで相談があります」
ルルはぎゅっと両手を握りしめ縋るように願った。
切迫した様子に何事かとジャンルイジ大公はこぶしを握り締めた。
彼女に何か重大なことが起きたのか。
それとも何かとんでもないことをやらかしたのか。
驚いて呆れる方がましなので、後者であってほしい。いや、内容にもよる。
「大公妃様が最近お疲れの様子で……休みを取らせたいのですがなかなか休んでいただけないのです!」
ルルの告発にジャンルイジ大公は少しばかり身を崩した。
一瞬安心してしまったが、ルルの話を聞くと安心が消えてしまった。
ルドヴィカの仕事は大公家の女主人として大公城の管理、使用人たちの管理、城内の設備、庭の整備が含まれている。予算案についても定期的に使用人たちの意見を取り入れて試行錯誤を続けており、彼らの待遇は以前より良くなっていた。
それ以外にも治療院や孤児院、障害者や老人の為の施設への視察、援助内容の見直しも適宜行っている。
施設スタッフたちのメンタルケアに関しても考慮しており計画案を作成している。
チャリティーパーティーを中心に貴族たちの会にも参加しており、彼らの意見を聞き大公領内の地方の動向にも目を通していた。
その上で、ジャンルイジ大公の減量計画である。必要な道具を作成する技術者、治療に必要な知識を持つ魔法棟の魔法使いや科学者の元にも足を運んでおり、意見交換をしている。
その上で、教会への礼拝を週末に欠かさず行っている。帝都にいた頃より礼拝は続けていたが、魔法棟との均衡を保つ為に行っている。魔法棟と交流を深めているルドヴィカに対して神官がちくちくと小言を繰り返しており、ルドヴィカにとって礼拝日はストレスの日となりつつあった。
疲れが癒えないまま彼女は週明けを迎えている。
「せめて、礼拝前日はお休みいただければいいのですが視察で他の執務が滞るからと早めに先の書類に手をつけてしまう有様……」
ルドヴィカが来る前はジャンルイジ大公が女主人の仕事もこなしていたとはいえ、現地へ行くことは代理人を立てていた。
だいぶ自分の仕事に余裕が出てきたが、ルドヴィカの仕事の負担が知らずうちに大きくなっていたことに気づかなかったとは。
ジャンルイジ大公は何度目かになるため息をついた。
「殿下から大公妃様を休ませるように促していただけないでしょうか」
ルルは膝をつき、ジャンルイジ大公に頭を下げた。
「よく言ってくれた。あやうく見落とすところだった」
ジャンルイジ大公はパルドンに声をかけた。
「大公妃の仕事の支援をする女官を厳選してくれ」
もっと早くに手配すべきであった。
ルドヴィカがあまりに毎日元気な表情で訪れて来るから気づかなかった。
あれは一体どこで培ったものなのか。
「しかし、休みか……休み」
何か気晴らしになるようなものがないものか。
「殿下」
ずっと黙っていたオルランド卿が手をあげた。
「ここは夫婦で休暇をとるのはいかがですか?」
思いもよらない発言にジャンルイジ大公は困った。
「何もおかしいことではないでしょう。あなたたちは夫婦なのです。一緒に仕事を忘れてゆったり過ごす日を数日設けるのですよ」
「さすがに数日は……それに休日といって一緒にどう過ごすのだ」
ジャンルイジ大公は寝室から出ることができない。
結局ルドヴィカはジャンルイジ大公の減量計画に意欲的に参加して自分の休みをとれなくなるのではないか。
「だから一緒にでかけるのですよ。今の時期では、西の庭園のダリアが見ごろでしょう」
大公城内の旬のものをオルランド卿は思い出した。
「私が、外に出る?」
こぶしをぎゅっと握った。二度挑戦したが、それは叶わなかった。
動悸が酷く苦しんで結局室内へと戻ったのを思い出した。
ビアンカ公女が誘拐され、ルドヴィカが大公城を脱出したあの時ですら叶わなかったのだ。
「もうあれから何日も経過しております。だいぶ殿下の加減もよいですし、もう一度挑戦してみてはいい頃だと思いますよ。大公妃も殿下から誘われれば断らないと思いますし、きっと一緒に庭園散策できれば大公妃もお喜びになります」
オルランド卿の提案をジャンルイジ大公は恨めしく感じた。
場合によってはまた動悸で苦しんで、ルドヴィカを心配させてしまうではないか。
「私はできると思います」
どこからそんな自信がくるのだとジャンルイジ大公は口にしたかった。
しかし、同時に考えてしまう。
もしルドヴィカと一緒にでかけられれば、どんなにいいだろうと。
「少し考えさせてくれ」
ジャンルイジ大公の言葉にルルは必死に願った。
「お願いします。きっと殿下と一緒に外出できれば、大公妃にとって良い1日になります!」
前回の失敗を知らないから言えるのだろうとジャンルイジ大公は内心呆れた。それでも、自分の中で少しずつ期待する心が芽生えてしまった。




