43 ルドヴィカの帰還
大公城へ帰宅後、ルドヴィカはパルドンに引きずられる形でジャンルイジ大公の部屋へと連行された。
部屋に入るとジャンルイジ大公が険しい表情でルドヴィカを迎えた。
今までこれだけ怖い表情をした大公をみたことがあったか。
ジャンルイジ大公は出会い頭の不平不満を言う時もあれど、ルドヴィカに対して特に怖い表情を向けたことはなかった。
恰幅もいいので迫力ある。
ルドヴィカは促されるままソファに腰をかけた。
大公から向けられる視線がちくちくとしてとっても痛い。
「まず言うべきことがあるだろう」
憮然とした声で求められるものにルドヴィカは考えてみた。
「ただいま戻りました」
「そして」
先を促されるのでルドヴィカは優先順序で報告をした。
「ビアンカ公女様の救出し、生還いたしました」
「そして」
さらに先は何だっけと頭の中をぐるぐるとする。
後ろに控えていたオルランド卿がぼそっと口添えした。
「ご心配おかけして申し訳ありません」
「そうだ!」
ジャンルイジ大公はどんと車いすのひじ掛けにどんと拳を叩いた。
力も随分と回復していたので、車いすが揺れた。
「幽閉塔から脱獄、誘拐犯を追って大公城を飛び出すなど、どこにそんな大公妃がいる」
ここにいる。
というとさらに睨まれそうなので、黙っている。
「ですが、誘拐犯は私が来るのを求めておりました。さもなければ公女様を殺すとまで脅されて」
「お前を陥れた犯人がお前を呼び寄せるなど、ろくでもないことを考えていたに決まっている。せめてオルランド卿の配下の騎士たちも伴って行くべきだった」
幽閉塔を脱獄したルドヴィカがあのまま大公城で待機していれば、また幽閉される可能性もあった。
少しでも遅れればビアンカ公女が殺されると思いかなり焦っていた。
「しかも、帰りは救出隊と共に帰還せず、港町で買い物してゆっくり帰ってきたとは……私がどれだけお前を待っていたと思っているんだ」
ルドヴィカはジャンルイジ大公の言葉を聞き何も答えられなかった。
「心配、したんだぞ」
ようやく口に出したと言わんばかりのジャンルイジ大公の目のあたりをみると隈ができている。
彼はルドヴィカがいつ戻るかと待ち続けていたのだ。
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
他にも何か言うべきことがあるかもしれない。
だが、今のルドヴィカはそれだけしか言えなかった。
「これからは、危険なことには手を出さないでほしい。何かあれば私に声をかけて……それが無理なら騎士を呼びなさい」
パルドンが運んで来た箱があった。ルフィーノの制作した魔法道具だという。
「効果は危険を察知したとき、自分の騎士が駆けつけてくれるようになっている」
「自分の騎士て」
「お前に騎士の誓約を捧げた騎士だ」
ルドヴィカは道具を受け取りながら困ったように眉を寄せた。
自分には騎士はいない。ここにいる騎士たちはジャンルイジ大公・ビアンカ公女に忠誠を誓っておりルドヴィカ個人の騎士はいなかった。
オルランド卿も、トヴィア卿もガヴァス卿もジャンルイジ大公の騎士である。
「私の騎士といっても」
「できれば私がそれであればいいが」
ジャンルイジ大公はこほんと咳払いした。
「ガヴァス卿が、名乗りをあげている」
「そこには私も名乗りをあげても宜しいでしょうか?」
後ろに控えていたオルランド卿の声にジャンルイジ大公はじぃっと睨んだ。
「お前は大公妃を危険な目に遭わせただろう」
「一応、止めましたが」
「結果的には危険な目に遭わせた。それに大公妃のその髪は……何故止められなかった」
ジャンルイジ大公は不機嫌そうにルドヴィカの髪を指さした。
腰まであったルドヴィカの鼠色の髪は、今は随分と短くなってしまった。
貴婦人としてありえない髪型だった。
「殿下、これは私の意志でしました。ビアンカ公女を救いに城を脱出した件も私の意志で、オルランド卿を無理に巻き込みました。彼には責任はありません」
「それを言って収まる問題ではない」
ジャンルイジ大公は厳しくルドヴィカを睨んだ。また厳しい視線を向けられてルドヴィカは肩を揺らした。
「お前は大公妃であり、彼は大公家の騎士である。お前にもお前の責任はある。そして騎士に彼の責任を負わせたのはお前だ」
ルドヴィカは最終的に全部自分が責任を負えばすむことだと思っていた。
ジャンルイジ大公はそれを察しているが故にルドヴィカを責め、オルランド卿に罰を与える。大公妃である自分が周りにどれだけ影響を与えるかを教えていた。
ジャンルイジ大公の言い分は間違っていない。
ルドヴィカの目論見が甘かったのは確かであった。朱美の頃の感覚が強く残っていて、この世界独自の身分制度とそれに伴う責任についてあやふやにしていた部分があった。
「オルランド卿、お前への罰は後日言い渡す。そして大公妃の騎士になることは認められない」
ジャンルイジ大公の断言にオルランド卿は苦笑いした。
「多分ガヴァス卿は私以上に大公妃殿下と同調していたと思いますよ」
「それでもだ」
ジャンルイジ大公はオルランド卿の自己推薦を却下した。
そこまで否定しなくてもいいのにとルドヴィカは他人事のように思った。
後日ルドヴィカはガヴァス卿から騎士の誓約を執り行うことになる。
「それでベルベイで何の布が欲しかったのだ? 必要であれば大公城へ商人を呼び寄せたというのに」
怒りがようやく解かれたジャンルイジ大公はルドヴィカに尋ねて来た。
「えーっと、帆の布を実際触って見たくて」
「変わったものに興味を持つのだな。私の治療に関することか?」
「はい、殿下の動く能力はだいぶ向上しており必要なくなると思いますが……」
スライディングシートの概念について軽く説明すると、ジャンルイジ大公は考え込んだ。
「確かに以前の私には必要だったかもしれないものだな」
騎士が介助に回るまでは力のない使用人たちで最低限のケアだけ行っていた。
寝返りは自力で行えず、使用人で行うのも限界があり、背中側が痛むことが多かった。
「必要なければ、障害を抱えた傷病人の施設に分け与えたいと考えています」
「それがいいだろう。私程とはいえないが、傷病兵のケアはなかなか重労働だからな」
ルドヴィカは内心困った。
ジャンルイジ大公に必要になる時があるかもしれないとまだ思っている。
彼は遅かれ早かれ病気で命の危険に晒される。
何の病気だったかわからない。
今世では助けられるかもしれないが、それでもどこまで彼の障害が残るかわからない。
寝返りが打てなくなるほどの状況に戻ってしまうかもしれない。
その時の為にスライディングシートを作ろうと思った。
それは言わないでおきたい。
ジャンルイジ大公は今少しずつできることが増えてやる気に満ちている。
変に落ち込ませたくはなかった。
「そういえば、公女様は大丈夫ですか?」
救出劇の後、かなり怯えていたが今はすっかりとよくなったようだ。
「とはいえ、公女様にはショックが大きかったでしょう」
犯人のアンはビアンカの赤ん坊の頃から仕えていたメイドである。彼女に裏切られたというのは辛く悲しいものだ。
「ビアンカ公女のことを頼みたい」
ジャンルイジ大公の頼みにルドヴィカは首を傾げた。
「明日から朝食は食堂で一緒に摂って欲しい」
ジャンルイジ大公の提案にルドヴィカは難色を示した。
今まで何度かそれを試みたが、ビアンカ公女から締め出されて食堂で食事を摂ったことがなかった。
「次からはお前を追い出さないと言っている。ようやくお前を認めたようだ」
誘拐事件の時、それほど話をしていなかったが、ビアンカ公女は彼女なりに考えていたようだ。
毒入りクッキーは濡れ衣であったこと。
溺水事件の時、危険を顧みず自分を助けようとしてくれたこと。
誘拐事件の時、率先して自分を救い出したこと。
それらを聞きビアンカ公女は謝罪と感謝を伝えたいという。
随分と一気に信頼を得てしまったようだ。
「あの子を頼む。私はまだあの子に会えない……」
金髪の女をみるとジャンルイジ大公はアリアンヌを思い出して苦しんでしまう。その為妹のビアンカ公女にも会うことができなくなっていた。
この数年彼女にどれだけ寂しい想いをさせてきたかとジャンルイジ大公は自分を責めていた。
それでもまだ彼女に会えないことが歯がゆい。
ルドヴィカであれば、少しは彼女の寂しさを紛らわせることができるかもしれない。
「わかりました。明日から朝食は公女様と過ごします」
ルドヴィカはそう伝え笑った。それを聞きジャンルイジ大公は少しだけ安心した様子だった。




