42 布探し
ルドヴィカがビアンカ公女を救出した翌日に、ジャンルイジ大公が送り込んだ救出隊が到着した。
オルランド卿は彼らにビアンカ公女、アンはじめ誘拐犯らを引き渡した。
大公城に到着すればビアンカ公女は治療を受けることになる。
アンは牢獄に入り、取り調べを受けることになる。果たして彼女がどれだけの情報を話すかは疑問であるが、大人しいのは不安であった。
ルドヴィカも救出部隊と共に大公城に戻るように指示を出されていたが、ルドヴィカは1日遅れで戻ることとした。
理由はベルベイ港町の市場を見て回ることである。
従騎士の恰好は思ったよりも違和感がないようで誰もルドヴィカを大公妃だと気づかずに素通りしてくれている。
つきそいのオリンドは目を輝かせてあたりを見渡していた。
「大公妃、一体何をお求めなのですか?」
護衛として残ったオルランド卿はルドヴィカの後を追いかけた。
ルドヴィカはすたすたと傭兵の手引きで市場を歩きまわっていた。
「必要なものがあれば後日届けてもらうことだって可能です」
オルランド卿の言葉にルドヴィカは首を横に振った。
「そうなんだけど。実際役立てそうなものかは直に確認しておきたいのよ」
ルドヴィカは全く譲る気配もない。目当てのものを直接見るまでは帰る様子はなかった。
「ですが、何かあれば」
「まぁ、俺もいるんだから何もおきないさ」
傭兵の男はがははと笑った。ガットという名の傭兵はオルランド卿の知り合いであった。
戦争時代、作戦で共闘することもあった。
無精ひげが特徴的な男であるが、目鼻立ちは整っており髭を剃ると印象が変わりそうだなと感じた。
「しかし、大公妃殿下が変わりものだとは思わなかった。候補者がとんでもない女だというのは聞いていたが」
オルランド卿は「不敬だ」とガットを責めるがルドヴィカは止めた。
今は個人的な用向きで、従騎士に扮しているのである。ガットが恭しく接せられると折角のお忍びが台無しである。
市場を通り過ぎ、町の端の方までやってきた。これだけ歩くのであれば馬車を用意すればよかったとオルランド卿は悔やんだが、ルドヴィカとしては市場の様子も見られて満足であった。
「ここね」
到着した先は船の工場であった。船大工人たちが作業をしている。
そのひとつの小屋の中へと入った。
ここは帆用の布が保管されていた。既に傭兵に話を伺っていたようで技術者が布生地をずらっと並べていた。
ルドヴィカはひとつひとつ触りながら、うーんと悩んでいた。
時々布と布ですり合わせをしてみる。
「一体何を探しているのです?」
「スライディングシート用の生地を探しているの」
ルドヴィカはぽつりとつぶやいた。
スライディングシートとは何だろうかとオルランド卿は首を傾げた。
小屋にいた技術者にも視線を向けるが彼らも首を傾げていた。
「えーっと、布と布の滑り具合を利用して重いものを運びやすくするの」
ルドヴィカはどんな感じかイメージしやすいように一枚の布地をみせた。
布を筒状に塗って、これを運びたいものの下に置いておく。それで少しずつ動かしていくというものだ。
「どうしてそれが必要なのですか?」
「万が一殿下がお倒れになったときに使えないかなと。運んだり、休まれている体位を変えたりしやすいようにしたかったの」
屈強な騎士の助けがあれば問題ないだろうが、体位変換などでは使用人たちだけでもできるようにしておきたい。
「まるで殿下に何か起きるような言い方ですね」
「え、……いえ、何もないことが一番だけどね」
ルドヴィカは慌てて誤魔化した。
前世の記憶でジャンルイジ大公が急病による突然死を遂げたのは知っているが、この世界ではまだ起こっていないことだ。
まるでそうなることを望んでいるように思われたかもしれない。
折角ビアンカ公女暗殺未遂事件の容疑から外れられたのに。
「最近の殿下は自力で体位変換もできますし車いすにだって自力に移動できるようになっているから必要ないかもしれないけど」
「他の者にも使用できませんかね」
ルドヴィカの取り繕いに対してオルランド卿は質問してきた。
「動くことができない傷病兵の看病とか」
傷病者用施設はあるが、そこの管理者はじめケアを行うスタッフは力仕事に強くない者が多い。
意識のない体格の良い騎士や兵士らはとにかく重いのだ。
体位変換だけでも一苦労。ベッドのシーツ交換でも労作業である。
腰痛に悩むスタッフが後を絶たないといわれていた。
「ええ、使えるわ。うまくできれば施設にも寄付を考えましょう」
とはいえ、提示された布地はいささか不安であった。
丈夫なものを選びたいが、そうなると滑りが弱い気もする。滑りがいいものを選ぼうとすると成人男性の体重に対する耐久性が不安であった。
「それなら内側は滑りやすい布を使えばいいんじゃないか?」
傍で聞いていたオリンドは意見を出す。
「そうね。それも考えてみましょう」
ルドヴィカは技術者に希望の布を購入した。
「しかし、大公妃は変なことを考えますね」
「変?」
「いえ、たいへん興味深いという意味です。一体どうしたらそんな発想に至るのでしょうか」
ルドヴィカは困った表情を浮かべた。
「うーん、遠い国でそういった道具があったという話を聞いて」
しもろどもろな発言であった。
以前からルドヴィカの発想の元を聞いてみると彼女は歯切れの悪い回答をする。
説明についても既に存在していたもののように語るので、見たものか聞くとこれもまた微妙な反応だった。
ルドヴィカはオルランド卿の質問から逃れるように新しく運ばれた旗用の布にも飛びついた。
(説明しづらいわ)
スライディングシートは朱美の世界に存在していた道具である。
それほど難しい道具でもない。
欧米では規格外の肥満体の人間が多くおり、病院は彼らの治療を行っていた。看護や介護は非常に苦労するため、腰痛を訴えるスタッフが後を絶たなかった。
この状況の中、ノーリフティングポリシーという考えが生まれた。
器具を利用し、スタッフの負担を減らすというものだ。
本当は体を持ち上げる機械とかいろいろあるのだが、この世界でそれを作るのは難しい。しかし、スライディングシートであれば簡単にできそうだ。
元はパラシュートの生地をみて作られたもので、朱美の世界では化学繊維がメインである。
この世界にはまだ化学繊維は夢のまた夢。
ある布で対応していければと思った。
意識を失ったジャンルイジ大公の体を動かせられるように準備させておきたい。
そうならないことが一番であるが。
ルドヴィカは馬車に揺られながら目の前に並ぶ布を眺めて物思いに耽った。
大公城へ帰った後、ジャンルイジ大公に呼び出されて怒られるとは知らずに。




