39 ベルベイ港町
セレネ河は大陸で上位5に入る大河であった。流れも比較的なだらかで航海船が河を通り、内陸部までやってこれる。
ベルベイ港は大河の重要拠点であり、多くの商船がやってくる。
大公領は豊かな土地だけでなく、豊かな物流の拠点を持っていたのである。
宿屋の窓から豊かな港町の様子をみてルドヴィカは眉をひそめた。
オルランド卿が心配して声をかけてきた。
「ごめんなさい。ちょっと面白くない思い出があって」
豊かな土地である為、異国の民はこの大公領を狙って戦争をしかけてきた。
可能であれば帝国もこの大公領を己の皇族の所有地としたいが、アンジェロ大公家の軍の統率能力はずば抜けており彼らに防衛を任せる他なかった。
異国の騎馬民族らが立ち去り、戦争が終わったのは今から5年前のことである。
前世ではガンドルフォ帝国カリスト皇帝がビアンカ女大公を処刑し、代わりに据えたのが妹皇女であった。その跡を継いだのがカリスト皇帝とアリアンヌ皇后の第二皇子である。
アリアンヌはあれだけ大公家を混乱に陥れたというのに、自分の子を大公領の領主に据えてしまった。
複雑な心境である。
「もし、公女が亡くなったらどうなるのかしら」
不安になりながらも敵の目的を知る必要がありオルランド卿に意見を求めた。
不敬なことを言うかもしれないとオルランド卿は躊躇したが、ルドヴィカは構わないからと意見を求めた。
「彼らの動きから、おそらく大公家と皇帝家との戦争でしょう」
オルランド卿の言葉にルドヴィカは前世の記憶を思い出した。
「もし、公女様を亡き者にし、私を首謀者に陥れた場合どうなるかも聞きたいわ」
決してあってはならない。だが、敵の今までの動きから公女を消して、ルドヴィカに罪をなすりつけようとしているようにしか見えなかった。
「大公家側はあなたの背景に皇帝家があると信じ、皇帝家は現皇后の姉が大公家で陰謀に巻き込まれたことを問題視にするでしょう。実際あなたは陥れただけなのだから皇帝家の主張も間違いではありません」
それが皇帝家が仕組んだことであろうとなかろうととオルランド卿は意味を含ませてきた。
「お互いの考え、主張はすれ違い反目しあいいずれは戦争を……皇帝家は大公家を潰す大義名分を得たと考えるでしょう」
ここまで言い、オルランド卿は姿勢を正し無礼な言葉を詫びた。
今のはルドヴィカの生家の主家を侮辱する発言と責められても仕方ない。
だが、今のルドヴィカにはそんなことをする気はなかった。
頭の痛い話である。
今この時点で、皇帝家は大公家を潰し、大公領を得ようと算段をつけていたと感じた。
「もしかしてアリアンヌを大公家へ行かせたのも計算のうちなのかしら」
「そう思っても不思議じゃないくらいやらかしていましたね」
皇帝家の命令で大公家へ嫁いだアリアンヌの横暴はむしろ二家の関係を潰し、大公家の弱体化を図っていたかのようにみえる。
信じたくないが、そう考えると皇帝家があのアリアンヌの言動をスルーし大公家へ送った理由に納得がいく。
むしろはじめは陰謀に巻き込まれたアリアンヌを救う為、皇帝家が立ち上がったというシナリオが思い浮かんだ。
空想小説ではなく現実で今起こり得そうなシナリオ。
そうならないようにビアンカ公女を救い出さなければならない。
ルドヴィカはオリンドに声をかけた。
オリンドの操るネズミを通じてビアンカ公女が囚われている場所を割り当てられた。
「あの、港に泊まっている商船のうちのいずれかだと思う」
具体的な位置を把握するには距離が離れている。
もう少し時間をかければ、詳細な位置が特定できそうである。
「いつ頃にはわかるかしら」
「今日中には」
頼もしい返事である。
まだ幼いとはいえ、魔法棟が簡単に手放そうとしなかった人材だとありありと伝わってくる。
オリンドが位置特定をしている間、ルドヴィカは自分の荷物を確認した。
オルランド卿を経由して持たされたルフィーノ作の魔法道具であった。
これは元々ヴィートに持たされたものであった。
ルドヴィカの着替え中にオリンドがヴィートと合流して、魔法道具入りのかばんを回収した。
どれが必要になるか選別する暇もなく、全てを持ってきていた。
邪魔になりそうだったが、何があるかわからないとオルランド卿はかばんを丸ごとルドヴィカに装備させた。
おかげで体がとっても重たかった。
ルドヴィカを港町まで送り届けてくれた馬に申し訳ない程である。
マントも魔法道具らしく、取り付けられた装飾が重苦しい。腰にぶらさげているバッグにも道具が詰め込まされていた。
船上で動けるように道具は整理して、取捨選択しておこう。
ルドヴィカはテーブルの上に道具を広げて性能の確認をした。
オルランド卿を呼び寄せる応援要請の魔法道具はさすがにいらないだろう。
すぐそばに彼がいるのだ。
敵の攻撃を回避する魔法道具は必要になりそうだ。
他に、解毒魔法道具も。治癒魔法使いの治療と解毒剤の併用が一番であるが、彼らの元へ行くまでの時間稼ぎの延命にはなりそうだ。
もう毒はこりごりだ。
作業中に、視線が気になってしまった。
オルランド卿がこちらをちらちらとみていた。
監視という名目だから仕方ないが、今のルドヴィカに怪しい動きはないつもりである。
「何か聞きたいことがあるのかしら?」
気になって仕方ないルドヴィカはオルランド卿に声をかけた。
「失礼しました。髪を見事に切られたのが気になりまして」
ルドヴィカはああと自分の髪を確認した。
従騎士に化ける時にルドヴィカは髪を切った。オルランド卿の制止をきかずに。
「でも、従騎士に化けるのだから長い髪だと怪しまれるでしょう」
長い髪の騎士も見かけるものの、従騎士は規則で短髪、長くても肩を越えないようにと決められていた。
ルドヴィカの長さであれば従騎士の規則に反する。
オルランド卿の部隊の従騎士としては疑われてしまうだろう。
「しかし」
オルランド卿が困った表情を浮かべた。
ジャンルイジ大公を通さずルドヴィカをここまで連れて来たことは覚悟を決めていたが、ルドヴィカの長い髪が喪失してしまうのは衝撃的だったようだ。
男のオルランド卿ですら狼狽える程、貴婦人にとって長い髪は大事なのである。
特に美しく長い髪は貴婦人にとってのステータスであった。少なくとも腰まで届くまで伸ばすのが基本である。
その上で、様々な髪型をしては社交界の流行を作り、追いかけていく。
短い髪であれば髪型の選択肢は狭まってしまう。
社交界に出る必要のない女だと見下されてしまうのだ。
「ビアンカ公女救出にすぐ取り掛かれたのだもの。長い髪くらい安いものだわ」
ルドヴィカは前世のことを思い出した。
前世のルドヴィカはどんなに髪の色にコンプレックスを抱いていても髪を切らなかった。髪を短くしたのは全てを失い修道院へ追放された時である。
婚約破棄され、皇帝に見捨てられ、夫にも相手にされないルドヴィカは自分に残された貴婦人の証としてこれだけは手放すまいと必死であった。
髪の色をごまかすように豪勢な装飾品、目新しい髪型を作るために専属の髪結師を複数人雇う程の贅沢を続けた。
時には髪結師と恋人関係にあるのではないかと噂されることもあったが、ルドヴィカにはそんなつもりなど一切なかった。
夫と情を交わしていなかろうと恋人を作る浅ましい女と思われるのは我慢ならず、噂の元になったであろう使用人、貴族関係なしに捜し出し罰を与えた。
中にはビアンカ公女派閥の有力貴族の令嬢もいたであろう。
これからルドヴィカの悪名は大公領中に知れ渡った。
今思えば本当に愚かしいことだった。
そこまでして守ろうとした長い髪などルドヴィカにとって足かせの重みでしかなかったというのに。
いざ切ってみると身軽でとっても気楽である。
「意外に似合うでしょう」
冗談めかしにいうルドヴィカに、オルランド卿は苦く笑った。
ようやく位置を割り当てたオリンドの報告で、オルランド卿は敵の数と配置を確認をした。
どこからどのように商船に潜り込むか。
ビアンカ公女の元へたどり着くにはどうするか。
「やっぱり私が囮になる方が早いわ」
何度も作戦を練っているうちにルドヴィカは挙手した。
オルランド卿は首を横に振る。
さすがに大公妃にそこまでの危険を冒させるわけにはいかない。
「危険なのは今更よ。私もそのつもりでここまで来たのだから」
いざとなればルフィーノの魔法道具がある。
それで危険から逃げるようにする。
「わかりました。ですが、決行まで時間をください」
人手をかき集めたいというのだ。
オルランド卿の部下を集めるには時間がかかる。
港町のギルドへ行き傭兵を数名雇う。
「大丈夫かしら」
「戦時中に交流をした者がこの町にいます。傭兵、と聞くと信用できないかもしれませんが、金銭をしっかり与えれば求めるだけの働きはしてくれます」
戦争が終わった今もオルランド卿は彼らと交流を持っていたようである。
今は商船の護衛で生活費を稼いでいるらしい。
「そう。それならお願い」
オルランド卿が認める実力であれば、きっとビアンカ公女救出に役立てるだろう。ルドヴィカが囮になり、敵の注意を惹きつけている間にオルランド卿たちにビアンカ公女の救出を任せよう。




