36 犯人の笑顔
大公城の医務室、その奥の部屋にビアンカ公女は滞在していた。
既に立ち上がれるまで回復したが、自室へ帰る気も起きない。
使用人たちが心配して見舞いへ訪れるが、ビアンカ公女は彼らに会うのを拒んでいた。
「ルフィーノを呼んで」
ようやく面会を受け入れると思えた相手は、現在魔法棟で謹慎中の魔法使いであった。
「それは難しいです」
治癒魔法使いは困ったように説明した。
彼はルドヴィカ大公妃の部屋を出入りして魔法の授業をしていたようである。
もしかすると今回の毒殺未遂、暗殺未遂の件に関わっているかもしれない。
「でも、私を助けてくれたのは彼でしょう」
ビアンカ公女が言うがそれでも魔法使いたちは首を横に振った。
暗殺に関わっているかもしれない男を会わせるわけにはいかないと。
「それよりもアン殿はどうします? ずっとあなたの心配をしておりました」
「今は、会えないわ」
ビアンカ公女は青ざめて呟いた。
自分の希望者に会わせてくれないというのであれば、会わない。
彼女は意固地にメイドの面会を拒否した。
「一人にしてちょうだい」
それをいうと治癒魔法使いは彼女の病室から出ていった。
残されたビアンカ公女はすたすたと歩いて、ベッドに腰をかけた。自室のベッドに比べると品質が劣るが、今はここが一番彼女にとっての安全圏であった。
面会を要求する者がいても治癒魔法使いが許可しない限り中へは入れない。
窓の外をみれば騎士たちが巡回をしていた。
「ルフィの馬鹿」
ビアンカ公女はぷくっと頬を膨らませた。
「何であんな女の部屋を出入りしたのよ」
おかげで今面会できずに困っているではないか。
ビアンカ公女はぼんやりとした印象の美青年を心の中で罵倒し続けた。
今の公女の頭の中は荒れてぐちゃぐちゃであった。
なかなか受け入れがたいことが続いて起きてしまっている。
兄からの拒絶はもう慣れたものであったが、あんなに目前でされると応えるものがある。
そんな兄が今一番信頼しているのがルドヴィカ、アリアンヌの姉というのも受け入れがたかった。
彼女はきっと何かを企んでいる。そう思いルフィーノに助けを求めようとすれば、ルフィーノはルドヴィカの部屋へ出入りしているという。
どうしてあの女ばかり。
メイドのアンも彼女に手を貸しているとわかりビアンカ公女は邪険にしていた。
アンとしてはビアンカ公女が一番であるが、それでも縁を得た義姉であり歩み寄ってはと何度も提案してきた。
仲良くしたいのであればアンがなればいいではないかとビアンカ公女は何度も反発した。
それでも赤ん坊の頃から面倒をみてくれたアンを遠くへ追いやることはできず、彼女に縋っていた。
いらだつ中、起きたのはメイドのヒ素中毒事件であった。
幸い大事には至らずビアンカ公女は安堵したが、その毒の経路というのはルドヴィカが何度も送ってくるお菓子であった。
――『ついにあの女の尻尾を掴んだのですね!』
メイドの興奮した声が今でも思い出される。
彼女もクッキーを食べて治療を受けたが大事に至らなかった。
ここでジャンルイジ大公に報告するのである。それであの女を罰しよう。
その声にビアンカ公女は頷こうとしたが、行動に移せなかった。
もしルドヴィカが犯人であれば、ジャンルイジ大公はどう思うだろうか。
アリアンヌに続いて、ルドヴィカによって心身ともに崩されて行く兄の姿を想像してしまった。
しかし、このままでは兄にも害が及ぶかもしれない。
悩んでいる時にアンが提案した。
――『まずは公女様と大公妃で話をしてみれば如何でしょう』
アンは毒を盛られたとはいえ、大公妃と親しくなるようにと提案してきたメイドである。
他のメイドたちは反発したが、事の真偽を追及し、彼女の本意を知るべきではないかとアンは諭した。
「勿論危険かもしれません。いざというときの為に見張りをつけて、近くの騎士たちを呼ぶように手はずを整えましょう。もし大公妃の本性がみんなの言う通りであればそこで捕縛をすればいいのです」
確かにジャンルイジ大公に知らせても、既にルドヴィカに絆されている彼が正確な判断を下せるか怪しい。むしろ保護するかもしれない。それだけ大公夫妻の関係は親密なものと城内の者たちは感じていた。
ビアンカ公女自身がルドヴィカを追い詰めて、大公家の害をなす者であればその手で裁くのだ。
「公女様は大公家の跡取り。その権利があります」
アンの言葉に異存を述べる者はいなくなった。
ビアンカ公女はルドヴィカを池の畔へと呼び寄せた。彼女の正体を掴む為。
しかし、追い詰められたのは自分の方であった。
追い詰めたのはルドヴィカではなかった。
追い詰めたのは。
「公女様」
扉の向こうからする声にビアンカ公女は身が凍る感覚を覚えた。
声の方へ視線を向ける。
この部屋へ来るまでには医務室を通る必要がある。
治癒魔法使いたちが許可しない限りは通れないはずだ。
「公女様のことを心配してきました」
ひどく落ち着き払った女性の声、それが今はとても恐ろしい。
「わ、私は今体調が悪いの。帰って」
ビアンカ公女は声の主の入室を拒んだ。
「冷たいことを。私はこの数日、心を痛め心配で心配で夜も眠れなかったのです。どうか一目お姿をお見せください」
「心配て何よ!」
ビアンカ公女は大声で叫んだ。ここまで叫べば異変に気付いて治癒魔法使いも来てくれるはずだ。
なのに、全く彼らが来る気配もなかった。
「出て行って。じゃないと外にいる騎士を呼ぶわよ」
ビアンカ公女は窓を急いで開けた。外に配置されている見張りの騎士へ声をかけた。
しかし、彼らは全く反応を示さない。
ひどく不気味だった。
ガチャン。
鍵の施錠が解放される音がした。ビアンカ公女は震えながら、扉の方をみた。
きぃっという音と共にメイドが漫然の笑みでビアンカ公女を見つめていた。
「ご無事でよかったです。ビアンカ公女様」
その笑顔をみると嫌でも思い出される。
池へ放り込まれる寸前にみた、笑顔である。
ビアンカ公女を突き飛ばした女、アンが静かにビアンカ公女の部屋へと入っていった。




