指揮官殿――カワソギ=フクロは狂っている。
指揮官殿――カワソギ=フクロは狂っている。
そもそも貴族令嬢でありながら軍属と言う時点で普通ではない。
肩口でざっくりと切られた金髪が、黒ずんだ返り血でがびがびに固着している。
黙っていれば美麗と言われるその顔が狂気を孕んだ笑みで彩られ、血化粧と相まって途轍もなく恐ろしい。
強化生体材製の義手と義足が戦闘の余韻でみしみしと軋み、排熱翼で逃がし切れなかった熱が返り血を湯気に変えていく。
我々に遭遇した聖国教化巡兵小隊は五名が死に、残りの五名は撤退した。
半数が殺されたから撤退したのではない。
指揮官殿を足止めするために半数残ったのだ。
「指揮官殿、死者一名重症者無しです」
俺の報告に、指揮官殿は左右で異なる色の瞳を私に向けた。
そのどちらか、或いは両方が自前の瞳ではないと言われている。
普通の貴族令嬢だった指揮官殿は、ニクスイ家の令嬢に階段から突き落とされた上で執拗な暴行を受けた。
加害者であるニクスイ家の令嬢は一族郎党巻き込んで死刑に処されたが、何人かは脱獄して逃げ延びた。
カワソギ家にとって一連の騒動は醜聞と認識されている様で詳細は伏せられているが、脱獄の際にカワソギ家傘下の帝国兵が十七名犠牲になっている。
この緩衝区域警邏小隊はその件に関わった無等爵の者で構成されている。要するに醜聞を知る者を使い潰すための小隊だったのだが……何がどうなったのか当事者であるカワソギ=フクロが指揮官の地位に転がり込んで来た。
詳しい経緯は知らないが、復讐に類ずる思惑が絡んでいるのだろう。
巻き込まれた我々一介の兵士にとっては迷惑である反面、処刑台が遠のいたとも見る事が出来る。
この小隊に配属された者は皆それまでの生活を失っている。皆カワソギ家とニクスイ家に対して良い感情を持ち合わせてはいまい。
が、指揮官殿は例外だ。
純粋に恐ろしいと言う事もあるが、上官としてこれ以上無い程頼もしい人物でもある。
人格は色々と捻じ曲がっているが。
「ドダイ上等兵」
指揮官殿が感情を感じさせない声音で俺を呼んだ。
「なんでありましょうか?」
その視線は三時の方角に向けられていた。そこにはなだらかな丘があり、俺の目には特別な何かを発見する事が出来なかった。
「斥候を出せ。二名」
「選抜二名。あの丘の向こうを偵察」
指揮官殿の端的な指示を最低限の指示に変換して部下へと降ろす。
歴戦の兵士が二名、最低限の遣り取りを済ませて丘へと駆けて行った。
しばらくして斥候は一人の奇術師を連れて無事帰還した。