俺の中にいる幼馴染は、ワガママお姫様
金曜日、高校からの帰り道。帰宅部である俺、黒瀬匡弥の帰りは早い。しかし普通にしている必要がなくなるからこそ、学校が終わった後の方が大変だった。
校門から出たと同時に、俺は鞄からスマートフォンを取り出して耳に当てる。
「ったく。本当にうるせぇな、お前は」
『うるさくなんてしてないよ! 匡弥が無視するからいけないんじゃんか!!』
「無視するだろ、普通。周りには、独り言くっちゃべってる奴にしか見えねぇんだからな……っ」
そう言って、俺は溜息をついた。
今日も、俺の身体の中に住みついている幼馴染はうるさい。
俺の脳内に直接語りかけてくるこの女の名前は、白城姫歌。しょうもない出来事をきっかけに俺の身体に住みつき始めた。姫歌の精神が俺の中に宿っている、という表現をした方がいいだろうか。
『ねぇ! スマホを耳に当ててるのに相槌すらもしてないと、逆に変なんじゃない?』
「黙ってろ。今心の中で説明をしてるんだよ」
『えっ? 誰に何を?』
「色んな人に色々をだよ」
『ふぅん? なーんか、変な匡弥』
そう言ってケタケタ笑う姫歌に、俺は再び溜息をつく。いつだって、この女は気楽過ぎて羨ましいくらいだ。俺はあの日からずっと、悩みまくっているというのに。
『あっ、ねぇねぇ。私、今日はハンバーガーが食べたーい!』
「ハンバーガーなら三日前にも食っただろうが。今日はファストフードじゃなくて野菜を山盛り摂取するって決めてんだよ」
『ぶーっ! 匡弥のケチ!!』
姫歌は自身の意見が却下されて不機嫌そうな声を出すが、俺は絶対に譲らない。俺が体調を崩したら、俺の中にいる姫歌にも何かしらの影響が出るかもしれないからだ。
こんな夢のような事が起こって、早一ヶ月。もう、姫歌の身体はない。今の姫歌には、俺しかいないのだ。
なぜ、こんな事になってしまったのだろうと常々思う。その度に、俺のせいだと思い知らされるのだが。
こうなったきっかけは、本当にしょうもない事だった。
「匡弥! 一緒に帰ろーっ!!」
あの日も、元気いっぱいとよくわかる声を出していた姫歌。授業が全て終了したからか嬉しそうな顔の姫歌は、俺を見下ろすような形で階段の踊り場に立っていた。
もう高校三年生になった俺たち。いつまでも幼馴染と一緒に帰る事に対して何となく恥ずかしさを感じていた。故に、先に帰ろうと昇降口がある一階まで来ていたが、姫歌の声に反応しないと後が厄介である。
渋々振り向き、「嫌だ」とだけ言って背を向けた。しかし、それが良くなかったと今ならはっきりと言える。
「むーっ! 匡弥待って!!」
一際大きな声を出した姫歌に、俺も再び振り向かざるを得ない。するとその瞬間、姫歌が飛んだのが見えた。踊り場から俺のいる場所までかなりの距離がある。俺に追いつきたいとしても、数十段はある階段を一気に飛び越える気なのか。
いつも突拍子のない事を考える姫歌だ。こうなる事を予想しなかった俺は、考える事をやめてとにかく走り出す。
「姫歌ッ!!」
「っ! 匡弥ぁ!」
俺が近寄ってきたからか、嬉しそうな声を上げる姫歌。だが、俺の方は目を見開く。ちゃんと受け止められるか、不安だった。
「くっ……!」
歯を食い縛り、両手を伸ばす。にも関わらず、その時俺は失敗した。物凄い勢いで近づいてくる姫歌に怖気づき、目を閉じてしまったのである。
数秒後。俺の額に、衝撃が走った。
そのままの勢いで、後ろに倒れる俺。痛みに顔をしかめつつ、『匡弥!! ごめんね、大丈夫!?』という声が聞こえたため起き上がる。
そこで、違和感を覚えた。間違いなく姫歌の声が聞こえたのに、姫歌は俺の身体の上でぐったりとしている。
『怪我はない?』
「……ない、けど……っ。そんな事より、お前今どうなって……」
その時は、全く理解できなかった。しかし俺と姫歌、二人の額がぶつかり合った事でなぜか姫歌の精神が俺の中に入り込んでしまったらしい。そのせいで空っぽになった姫歌の身体は、医者によって『死亡した』と判断された。
どうやって姫歌の精神を姫歌の中に戻せるのか、さっぱりわからなかった俺。そのまま通夜と葬儀を終えて、姫歌の身体はこの世から消えた。
姫歌の両親は俺の事を一切責めないどころか、「困った真似をした娘を助けようとしてくれてありがとう」と泣きながら言う。そこで、全てを曝け出したかった。
あなたたちの娘は俺の中にいるんだ、と。
そんな事を言っても信じてもらえないだろうし、姫歌の声は俺にしか聞こえない。期待させるような言葉を軽々しく口にしていいのかもわからず、俺はただ謝る事しかできなかった。
「……お前は、俺に対して……何か、こう……言いたい事ってないのか」
『へ? 急にどうしたの?』
「良いから答えろ」
あの時の事を思い出しつつ、結局ハンバーガーを手に持って公園のベンチに腰掛けている俺。そう聞くと、姫歌は悩ましげな声を上げた。
「んんん〜っ、言いたい事ねぇ……。あっ! 明後日、遊園地に行こうよ!!』
「……はぁ?」
思っていた事と異なる言葉が聞こえ、首を傾げる。だが、姫歌は楽しそうに言葉を続けた。
『だって、遊園地なんて子どもの頃に行ったっきりでしょ? たまには良いじゃんか!』
「いや……っ、男が一人で遊園地行くなんて小っ恥ずかしくて堪らねぇっつの! そんな事より、もっと……っ! 何であの時ちゃんと受け止めてくれなかったのとか、何でどうにかしてくれなかったのとかをだな……!!」
『え? あぁあ〜、匡弥ってばまだそんな事言ってるの?』
「っ! 当たり前だろ!! 俺があの時ちゃんとお前を受け止められていたら!! お前は今も!!」
自分の口からハンバーガーだって何だって食べられていたはずだし、自分の自由で遊園地にも行けたはず。
そこまで言おうとした時、『あのね』と姫歌が口を挟む。
『別に私は、あの日の事に関しては何も思ってないよ。最期に匡弥を抱き締められて、嬉しかったから。だから……、匡弥もさ。自分を責めて苦しめるのはやめてあげて?』
「っ……!」
『でもね、ちょびっとだけ……ほんのちょびっとだけ、後悔してる。……あの日の帰り道、匡弥に告ろうと思ってたから』
「……えっ」
姫歌の言葉に、俺は間抜けた声を漏らした。
告ろうと思ってた? この俺に?
『昔々から、運命だって思ってた。苗字に黒と白っていう対の字が入ってるし、名前の漢字には王と姫だよ? いつか結婚できるかも、いやしたいなって……ずっと思ってた。それができなくなっちゃったっていう後悔は……あるかな』
姫歌はそれだけ言って、小さく笑う。
知らなかった。姫歌が俺にどんな気持ちを抱いていたのか。ただの幼馴染としてしか見られていないと思っていたのに。俺の予想を大きく超えた答えに動揺しつつ、嬉しさと切なさの両方を噛み締める。
両片想いをしていたのに、もう付き合う事すらできない。手を繋ぐ事も、デートをする事も、キスをする事も。
辛くて悔しくて仕方なかったが、後悔してももう遅い。それならば、前を向いて少しでも前に進んだ方がいいはずだ。
「……いつか、絶対に何とかしてみせるから……っ、だからそれまではッ!! 我慢、して欲しい……っ。遊園地でもどこでも、お前の行きたいところには必ず連れてくし、食べたい物は必ず食べさせてやる」
『おぉっ! 珍しく匡弥が太っ腹だ!! やったやったぁ! じゃあ、約束だよ!!』
「……あぁ」
この約束、絶対に果たしてみせる。姫歌の夢を、そして俺の夢を叶えるためにも今を精一杯生きて、姫歌を守っていこうと心に決めた。