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退廃の色  作者: 藤福 澤
彩、色取り、irodori。
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彩、色取り、irodori。

退廃の色

                              藤福 澤 


プロローグ


 私たちは知らず知らずのうちに恒常的な平和を享受していると言ってもいいだろう。それが誰の意思で、どのような意図があるのかも知らずに。


西暦2018年10月25日

 

 世界が突如暗転する。視界が文字通り真っ黒に染まる。困惑の声や怒号、鳴き声もそこら中に響き渡る。一瞬にして視覚情報がカットされる。周囲の反応は至極当然だ。何が起きたのかわからない、その事実は人をたやすく恐慌に陥れる。

 

 真っ暗であった時間はどれほどであっただろうか。時間の概念すら危うくなりかけているときに、世界に光「のような」ものが見え始めた。夜に停電し、それが直ったとき、人は安堵する。ああ、自分の日常が戻った、と。

 

 けれども再び人々が周りを見えるようになっても、その目に映った光景は先ほどまでのものとは明らかに違っていた。見たことはあっても実際にその光景を肉眼で見るといった経験はない。周りの風景に目が慣れても、その後人類の瞳に「色彩」を写すことはなかった。


 

 世界からは「色」が失われ、人々の目には白と黒でしか表せない風景だけが広がるようになった。

これから何が起こるかを理解できるものはそこにはおらず、ただ呆然と世界を眺めることしかできずにいた。


それが今から二百年ほど前の出来事。



 貴方がもし理不尽な出来事に巻き込まれたらどう動くだろう。


そういうものだと全てを諦め、受け入れるだろうか。

そんなこと認められないと、子供のように否定し続けるだろうか。

事実を受け止めるも、心の奥底で目を背けているのかもしれない。


 こんな問答に答えなど存在はしない。

 けれども最終的には最初の選択肢に行きついてしまう者が大半であろう。世の中どうにもならないことの方が圧倒的に多いのだから。

 

 しかし、それが正しいというわけではないし、もちろん間違っているわけでもない。

 

 人は生きていく中で様々な選択や問答にぶち当たる。大事なのは自分の中でどう折り合いをつけるかだ。一人一人の中にしっかりと意思と意志を持っていればそれで充分なのである。


 キミたちには人生の大事な場面において、建前で話すことは賢明ではないと伝えたい。それが処世術であるというのならばそれもやむ無しだが。

 正だ偽だ。善だ悪だの言う前に自分に正直であってほしい。


 この言葉を鵜呑みにしている貴方は、もう少し自分で物事を考えた方が良いだろう。

ここまでの文章が絶対的に正しいとは私も思っていないのだから。この言葉に対しても。


今一度ご自身と向き合うのもまた一興。



第一章 彩り。色取り。irodori。


「――――――」

 

 何度も聞いて少しだけ覚えてしまったお経が耳の片側から片方へと抜けていく。

 

 こんな鬱々しい日が来てしまったとはいえ、窓の外から憎たらしいほどに平和ボケしていそうな陽光が差し込んでいる。

 

 私の前には、かつてのクラスメイト達がみな悲しげな面持ちをして正座している。その光景を私はどのような感情で見ていただろうか。


「…やの…彩乃?」

  

 自分の名前を呼ばれてはっと声の主の方を振り向く。血は繋がっていないとはいえ、まぎれもなく私の家族である、御法唯葉がこちらを訝しそうに、また、身を案じるかのような表情で私のことを見ていた。

 

 「ああごめん。なに?」

 

 こんな厳粛の場である。お経であまり聞こえないとはいえ私語は慎むべきだ。つとめて小さい声で唯葉にそう短く返す。


「…お鉢回ってきたよ。」


 この御法家は代々浄土真宗を信仰してきた仏教徒の家系だ。とは言っても彩乃、どころか祖父の代から敬虔な信者というわけでもない。死んだら極楽浄土に行けると考えている人間は私の知る限りいなかったし、それは私達も同じだ。

 

 それ故しがらみというのはほとんどないため気楽なものだが、年に数回は避けて通れない行事はある。

 

 故人を偲ぶのにもしっかりとした意味がある。それは故人の為というよりかは私たち生きている存在にとって重要な要因だ。死んでしまった存在とどう接するかの落としどころを見つけるためのものだから。 

 そういうことで、葬式や法事は残された者たちが心に折り合いをつけるという大事な役割を持っている…はずだ。


 何か余計なことまで考えていたような気もするが、それは意識の隅に追いやって目の前の鉢に目を落とした。


 さっきまで唯葉がやっていたように、鉢の中で火がついている線香に粉をつまんで落とした。昔からどのような意味があるのかも分かっていないが慣例に倣う。

 

 そうこうしている間にも、時間は過ぎていく。過去に祖父母や両親の葬式や法事で否応にも慣れているはずなのに。目の前で進んでいる光景を肯定したくない。

 

 仏壇に飾られている少年の写真。私の幼馴染であり親友であり、家族だった人。写真の中の雅楽代奏凪はやや不器用な笑顔を浮かべているように見えた。


 小さい頃はほとんど面識のないような親戚の叔父さんの葬式に出たこともあった。あの時、叔父さんは病気で亡くなっていて、綺麗な面持ちで横たわっていたのを思い出す。

 けれども今、私たちが執り行っている葬式の場に彼の、奏凪の遺体は、ない。どこにも、ない。

 

 死んだという実感も薄いのにどのような感情でこの光景を眺めていればいいのか。


 その後もつつがなく葬式は過ぎていった。お坊さんが最後の南無阿弥陀仏を言い切り、こちらを向いて礼をする。私にとっては最悪な気持ちのまま法事は終わりを告げた。

 

 若い者同士で話させようとしたのか、お坊さんが席をたち、叔母の成美さんもそのあとを追い、離れて行った。


 前の方に座っていたクラスメイト達がこちらを振り返り、その中のリーダー的な女子が代表して頭を下げた。


 「奏凪くんのことお悔やみ申し上げます」


周りには涙を浮かべているかつてのクラスメイト達から時折嗚咽も聞こえてくる。


 「いえ、こちらこそ奏凪の葬式に来ていただきありがとうございました」

 

 そう社交辞令のようにいくつか言葉を交わしたのち、話題は奏凪との思い出話に移っていた。


「雅楽代はいい奴だったよ…俺らみたいなのと違って自分を持ってるようなやつで。それに馬鹿な俺ともまじめに向き合ってくれてた」

 奏凪と仲が良かったと記憶している男子生徒がそうしみじみとつぶやいた。


「奏凪くんの絵、すごくうまかったよね。わたしの似顔絵とか描いて貰いたかった…な…あ」

 喋りながらいろいろと思ってしまったのだろう。言葉の端がだんだんと嗚咽交じりになっていた。

 

 奏凪は確かに人気者だった。少しばかり人とは異なる感性を持っていたが、人が良く天然で皆から愛されているように思えた。けれどもそんな奏凪はもういない。

 

 奏凪の話題で悲しい雰囲気ながらも盛り上がっていた。本人の人望が故だろう。そのうち話題は私自身へと移っていた。


「御法さんは今、研究職についてるんだよね」

 学生だった頃、少しばかり話したことのある女生徒がそう聞いてきた。


「この世界のことを研究、理解するなんて大変なことだよね。でも、御法さんすごく真面目で頭いいから…。わたしには難しくてよくわかんないけど、御法さんお仕事頑張ってね」

 

 皆も薄々気付いているのだ。奏凪が亡くなって、私が学校を辞めて研究者になったのは、彼の死の本質を知るためだと。

 

 その病に侵されたものが復活・生還した例が今までにないため、私のその後の行動はどれほど滑稽に映っているのか。還らない亡者に縋りつくように研究に没頭して。


「うん…ありがとう。励みにするよ」

 私はそんな心にもない言葉しか返せなかった。


 夕刻になり、白と黒とでしか表せないこの世界でも太陽は沈みゆく。昼から夜へと移行するこの時間帯。人ではないものが現れ始めるというのなら、死者も見えるのかと考えてしまった。

 

 葬式を終え、彼らは礼儀正しい挨拶をして帰っていった。私と唯葉は家の前に出てかつてのクラスメイト達が見えなくなるまで、胸の前で小さく手を振っていた。成美さんは仏間で葬式の後片付けをしてくれている。また気を使わせてしまったようだ。


「彩乃。頑張ったね。」

 隣に立っていた唯葉が急にそんなことを言ってくる。この子には人の心情を読み取る機能でもついているのか。


 なんとなく弱みを見せるのもしゃくなので、「なんのこと?」と努めて自然に返す。


「さっきのお葬式だよ。彩乃、すごい顔してたし。人でも殺しちゃいそうな顔…かな。ま、あの人たちには悲哀の表情に見えてたかもしれないけど、あれはまさに憤怒の表情だったね、うん」

 

 本人を前にして心の内をぺらぺらと喋るとは、実にいい趣味をしている。メンタリストにもなれそうな勢いである。これも長い付き合いなのでいまさら目くじらを立てることもない。


「あの人たちに悪意はないだろうし、いい人のはずなんだけど。考えちゃうんだよ、どうにも…。確かに奏凪のことは可哀想だけどっていう下らない同情と、そんなことしても無駄じゃない?っていう世間様に同調してそうなのが気に食わないんだよ」

 

 そう唯葉に言葉を返す。けれどもそれは表面上である。私が本当に心の底から嫌悪しているのはあの行事そのものだった。


「そうは言っても世間一般的に、奏凪が罹った透過性白黒病は治療法の見つかってない不治の病って認識だから。当事者じゃない限りそういう考えになるのは仕方ないんじゃないかな。」

 

 確かにそれはその通りだ。これまで幾度も人類の粋を集結させても、この病気に対抗できる技術も薬剤も理屈すらも見つかっていない。そんな状態で金と資源と時間ばかりを浪費して研究している人たちを無駄なことと切って捨てるのは簡単だ。


「それでも…私は、仕方ないで済ませたくない」

 

 そう私がつぶやくのに、唯葉は


「うん…わたしもだよ」とだけ答えた。



今から二年前。

 

 わたしたちの家族の一人、奏凪が白黒病に罹った。この世界においてそれはまさに”死”であった。最初のころは全く気づかなかった。なにせこの瞳に入ってくる色彩情報は白と黒とでしか表せない。医師が言うにはその時すでに発症から半月は経っていたそうだ。

 

 奏凪を構成していたものが文字通り薄くなっていく病気だ。最終的には全身が消えて見えなくなる。白黒病に罹ったとき一番心を乱したのは奏凪本人ではなく、彩乃だった。

 

 白黒病は発症から全身が消えるまでにかかる期間は人それぞれであるが、だいたい半年から五年ほどと言われている。

 

 この病気の恐ろしいところは、身体が薄まっていく白黒病の進行によって体内に異常が全く見つからない点にある。これまでに罹った患者はそのほとんどが健康優良者であった。

 

 中には、発症後精神を病んでしまった患者もいたが、基本的には健康な人ばかりで、最期の瞬間まで問題なく会話もでき、また歩いたり走ったりできていることから言語機能にも運動能力にも異常は見つかっていない。けれども最後には跡形もなく消えてしまう。

 

 この病気が現れ始めたのは約200年前。いわゆるこの世界がかつての世界と今の白黒世界を分かつに至った、あの白黒化現象の頃からである。


 発症後、患者の身体が消失してしまっても遺体が残らないことから、生死の判断がとても難しかったそうだ。残された家族からしたら理不尽に人を失い、亡骸すら残らない。これで家族の死を受け入れろと言われて、「はい、そうですか」と頷ける人はいなかったようだ。

 

 白黒病が世間に認知されるようになり、なあなあで済ませられなくなってくる。行方不明者が7年で死亡と判断されるのに倣い、最初のうちはそのような対応をとっていた。しかし、白黒病の患者たちが消失後復活したという例は見つからず、”白黒病によって消失した患者は死亡”と判断されるのに時間はそうかからなかった。

 

 白黒病に罹った奏凪本人の希望もあって、奏凪は最後まで学校に通うことができた。もちろん多くの好奇の目に晒されることとなったが、それは他の学年やあまり関わり合いのないクラスの人たちばかりだった。奏凪は人望もあり、何より人気者であった。

 

 クラスの人や奏凪と個人的に仲の良い人たちは今まで通りに奏凪と付き合ってくれた。それは奏凪にとっても彩乃にとっても有難いことであった。

 

 けれどそんな日常を過ごしていくうちにも、奏凪の姿は少しずつ薄まっていった。衰弱していっているわけではないとは言え、昔からの馴染みがその存在を訳も分からないまま、消失させようとしている。

 

 症状が初期のころに病院で奏凪の診療を受けたところ、これまでの進行スピードから完全に消失するまでおよそ半年だと聞かされた。白黒病の中で最も猶予の短いケースであった。

 

 医師に面と向かって聞かされた時、何を考え思ったか思い出すことはできない。ただ、実質余命宣告をされた奏凪よりもはるかに彩乃の方が取り乱していたのだけはよく覚えている。

 

 半年…それはどれだけの期間に感じるだろう。長いと思うか、短いと思うか。これまでの奏凪との思い出に浸るには十分で、彼がこの世で生きた証を残すには少ない期間…だろうか。

 

 奏凪や彩乃のために最後まで惜しむことのないよう接し続けるか、延々とどうすればよかったのかと悔やみ続けるのか。

 

 もちろん後者を選んだところで現実は何も変わらない。ただの現実逃避に過ぎない。常に前を向いている二人にそんな選択肢はありえなかった。

 

 特に彩乃は奏凪が生き延びるための方法を最後まで模索し続けた。この色彩が失われた世界になってから生まれた、世界各国からの選りすぐりの頭脳を持った研究者たちで構成された白命黒命組織。通称白黒組織の末端研究員として加わることとなった。

 

 飛び級で大学に進学できると言われた頭脳や、自身のみならず成美さんの人脈までも存分に活用して、研究に勤しんだ。

 

 けれども白黒病は数百年前からの研究者たちが軒並み匙を投げたようなレベルの、この世界のブラックボックスであった。

 

 組織に加入してから様々な資料を彩乃とともに読み漁ったが、その殆どは世に出回っている程度の情報ばかりでしかなかった。その中にも気になる資料はいくつかあったが、それらはやはりこの世界全体を覆った白黒化現象と結びついているものばかりだ。

 

 二百年も前にこの地球、果ては世界全体にまで影響を与えた白黒化現象。当時またそれ以前になにが起きて、どのような力が働き、この世界を変容させたのだろうか。それについては都市伝説のような根拠も全くない考察が日々行われているが、この中に答えはあるのだろうかと頭を悩ますほどの膨大なデータだ。

 

 わたしは彩乃が研究に没頭できるよう、これまで以上に家のことをこなし、また彩乃の研究の助手をするようになった。WEBデザイナーであり、なぜか専門外であるはずのわたしのようなアンドロイドのAIを自力で製作した成美さんも奏凪のために手を尽くしてくれていた。

 

 成美さんが考えたアイデアの中には、人間の意識をアンドロイド側に移すといった荒唐無稽にも聞こえるようなものまであった。

 

 組織の中にもいくつか部門が分かれていて、この白黒世界そのものを研究している部署や白黒病についての部署。これらは原因の根底が基本的に同じなため、時折協力して研究にあたることもある。それ以外にもアンドロイドの製造にも力を入れている部署だ。

 

 数百年前に発生して、今日まで続く白黒病の被害者は後を絶たず、人口減少による労働力の低下が憂慮されていた。それを解消するためにアンドロイドという人型のロボットが製造され、世に普及している。

 

 それにアンドロイドにもしっかりと人権がある。当初は中々受け入れられず、差別が蔓延ったと聞いているが、そういうものは時間が解決してくれるものである。すでに数百年経過している今において、アンドロイドを機械だなんだと差別するものは殆どいない。それ故わたしも普通に彩乃や奏凪たちと一緒に過ごすことができている。

 

 アンドロイドという技術が生まれてからかなりの歳月が過ぎていった。当時にしてはオーバーテクノロジーであると一部の識者に言われ、それについてもかなりの憶測が飛び交ったという。

 

 当時はまだロボット感が抜けきれなかったそうだが、今ではまさに人類と同じように自身で物を考え行動するといったことが可能になっている。アンドロイドとして生を受けた私でさえもそう思うのだから組織上位の技術部ならびに開発部は本当に優秀なのだろう。

 

 それでも、人間の意識データを別の媒体に残すといったことはできなかった。人間の意識も思い出も結局のところ電気信号によるデータであるとは言われているが、仮にそれができるとしても意識をコピーすることで同じ意識が複数同時に存在することへの人道的面からも考えられ、なかなか研究が捗ることはなかった。

 

 そんな白黒組織の下で、わたし達は様々な資料とともに白黒病の治療法に関するデータを日々漁っているが全くと言っていいほど何も出てこない。この地球に起きた異変すらも分かっていない現状を考えればそれもやむなしである。

 

 組織の医療関係の部署にも四人で検査を受けに行くこともあったが、奏凪の体は相も変わらず異常なしであった。危惧されていたメンタル面でのケア等も行われていたが、それも問題ないと医師に伝えられた。


「きっとご家族の方や学校の方たちとこれまで通り接していただけてるのがご本人にとってもいい影響なのでしょう」


そう担当医に言われても彩乃の顔に笑顔が戻ることはなかった。

 

 さらにそれから数か月が経っても、奏凪の治療法やそれに準ずる情報は見つからず、白黒病の進行はますます進んでいった。奏凪のためを思ってか、彩乃はあまり外に連れ出したくなさそうにしていたが、当の本人はそんな周囲の思惑など気にせず、最期の時間とばかりに心からわたし達との時間を楽しんでいた。

 

 奏凪が白黒病を発症してから五ヵ月が過ぎ、ついに日常生活にも支障が出るようになってきた。体の色が薄くなっていく病気など罹った本人にしかわからないのだろう。奏凪は距離感を掴むのが難しくなったと言っていた。

 

 全身が透明になりつつある中で、視覚にもその影響が出ていたそうだ。本人からも自分の手足が薄く見えることに加え、瞳も透過しているため物を掴むときや、人の顔を判断するときなど大変になってきたと。

 

 日常生活に支障をきたすと言われ、奏凪は白黒組織が運営している病院に入院することとなった。そこからの一か月は奏凪にとっての最後の日々である。

 

 クラスメイト達にお別れをして、奏凪はその日をもって学校に戻ることはなかった。クラスメイト達ももう奏凪に残された時間がもう僅かでしかないと知っているのだ。涙を流しながら奏凪を見送る生徒もいた。

 

 その日から奏凪は病院で過ごすこととなった。付いてくれた看護師さんも何度か奏凪のような患者を担当したことがあるようで、肝の据わった表情をしている女性だった。運動機能には問題ないため普通に歩くことはできるが、なにぶん距離感を掴めないでいるので、時折転ぶようになっていた。

 

 看護師さんは付きっきりで奏凪のサポートをしてくれていた。また奏凪の空間把握能力を高めるようなリハビリも行っていたが、運動機能に異常があるわけではないため、奏凪もとても苦労しながら取り組んでいた。

 

 わたしと彩乃は今まで通り学校に通い続けた。そして授業が全て終えると、彩乃と一緒に奏凪が入院している病院に日々のお見舞いに行き、その帰りに組織の研究施設に寄っていた。これまでの進行スピードから奏凪の命はあと一ヶ月程度で尽きる。そのあまりの猶予の少なさにわたしも彩乃も焦りから逃れられはしなかった。

 

 家に帰ってからも彩乃とわたしとで研究資料についてさらに詳しくデータを漁った。成美さんも仕事と並行して奏凪を延命させる方法を模索し続けてくれた。わたしは二人が自分の作業に集中できるよう家事を丁寧にこなすようになった。この体であれば、人間よりかは楽に家事もこなせられる。少しだけこの体に感謝した。

 

 そんな忙しい日々を過ごしていると学校の授業なんぞまるで耳に入ってこない。ほとんどの授業を寝ていたような気もする。大事な家族も守れないのなら学校の勉強に意味はあるのだろうか…。教師もこちらの事情を知ってかあまり強く注意されることもなかった。そんな同情めいた対応さえ当時のわたしには認めがたいものだった。

 

 休み時間友人たちがわたしを慰めるためか話しかけてきてくれた。彼女たちも深く奏凪について言及することもなく日常会話で盛り上がっている。けれども触ってはいけないところには絶対に触れずにしている。


 それを善意でやっているかと思うとどうにも気持ち悪く感じてしまう。

 

 

 制限時間は刻一刻と迫ってきている。けれどもわたし達にはどうすることもできなかった。



 奏凪の最後の日と予定されている日が休みと重なり、わたし達は泊まり込みで世話をすることにした。けれども奏凪は可能な限り自分ですることを望んだ。もう奏凪の命は消える寸前だと一目でわかる。わたしの目の前でベッドに座っている奏凪はもうほとんど形を成していない。ただかすかな表情と声、そして触れれば人の肌の温度が感じられる…、それらがまだ奏凪が生きていることを教えてくれる。

 

 結局この日まで、治療法を見つけることは叶わなかった。何百年も前から研究しているものを、少しばかり優秀な存在が加入したからと言ってどうにかなるほど、この世界は甘くなかった。


「彩乃、唯葉、ちょっといいかな」


 これまでも雑談に興じていたが、奏凪は急に真面目な口調でそう言いだす。奏凪はもうわかってしまっている。自分の命の灯があと少し…いや文字通り数刻しか残されていないことを。

 

 成美さんは少し離れた場所からわたし達のことを見守ってくれている。最後のほんのわずかな時間をわたし達だけで過ごさせたいのだろう。


「僕はあと少しで、この世から消えるだろう」

 

 わかっていたことではあったが、直接本人から聞かされるとついにこの瞬間が来てしまったのだなと思う。彩乃の目には大粒の涙があった。けれどもわたしの両眼には何の変化も訪れていなかった。


「そんな…そんなこと…」

 

 彩乃はそう答えるも、その言葉には力がない。彩乃も分かってしまったのだ。奏凪がこの世から消えてしまうというこの現状に。


「いいや、わかるんだ。自分でも不思議だとは思うけど、今自分の体がどうなって、これからどうなるのかがすごく…よくわかるんだ」

 

 心なしか奏凪の声も段々と小さく聞き取りづらいものへと変わっていく。もう奏凪の表情もなにも読み取れないほどに奏凪の姿は消えていく。


「僕はこの病気にかかってから色んなせか…いが見えた…よ。この世界の神様はなんて…意地悪なん…だろうね。僕のことを変に見てくる…大人たちもいれば…君たちみたいにいつも通り…接してくれる優しい人もたくさんだ。変な…話だけどね。人それぞれ…見える世界が違うんだよ。いま…この瞬間にも…ね。」

 

 彩乃が奏凪の手をとる。はたから見ればそれは虚空を掴んでいるようにも見えたが、まだ奏凪はここにいる。この世界に生きている。


「そろ…そろ限界か…な。さすがにもうほとんど視界が見えなくなってて…。これで…お別れだね」

 

 奏凪は最後にわたし達を抱き寄せた。彩乃は外では絶対に見せないような顔で泣き続けている。奏凪の手が肩に触れたとき、それはとても―――――に感じた。


「二人とも…。この世界は…ね、理不尽なことも多いと思うけど、きっとその中にも綺麗で美しいところが…あるから…。また―――――の… …いで…。」


 そう最後に言い残した後、奏凪はそこにはもういなかった。さっきまで感じていた人の温度もそこにはなかった。


 彩乃とわたしが泣くことも声を出すことも忘れている間に、成美さんがナースコールで医師と看護師を呼んでくれた。最後のひと時を家族だけで過ごさせてくれた人たちだ。少ししてから医師が到着し、おそらく死亡診断書のようなものを書いているのだろう。医師が何か成美さんに質問をしてそれに答えていた。

 

 一通り作業を終えた医師がわたし達のほうを向いて、一言「お悔やみ申し上げます」と発した。


「我々どもも何度も研究を重ね、治療法を模索しましたが…奏凪君の力になれず申し訳ない」

 これまでにも透過性白黒病の患者の最後を見てきたのだろうこの医師も誠心誠意頭を下げていた。


「いえ、そんな。奏凪も最後まで自分の病気に向き合ってこれたのは先生方のおかげでもあります」

 

 さすがは大人である成美さんだ。本当は一緒に心から泣きたいだろうにそれを押し殺して、大人としてやるべきことをやっている。

 

 医師と成美さんが話し込んでいる。わたしと彩乃はベッドの上で奏凪の最期を迎えたままの姿勢で固まっていた。すでにベッドの中はもぬけの殻である。そこをいくら触ってもさっきまでいた人に触れることは叶わなかった。ただそこには人肌が残ったベッドがあるだけだった。


「成美さん。私、学校辞めます。そして白命黒命組織の研究者になります」

 

 急に立ち上がって、彩乃はそう言った。さっきまで泣いていたとは思えない決意の表情をしていた。

 

 その顔はアンドロイドには表現できないと思わせるほどに、美しく、見えた。

 

「家族を理不尽に奪われるのが当たり前…私は絶対に認めません。奏凪が死んだ?ふざけるな!理由も何もわからないまま奪われて、はいそうですかと頷けるか!こんな世界だから?仕方がないと泣き寝入りすればそれで満足か!?」

 

 最初はこの場に向けて発していたであろう言葉も、次第におそらく自分自身へ向けての言葉になっていた。この彩乃を見るのは久しぶりだった。


「私は、仕方ないで終わらせるつもりはさらさらない。このクソったれな世界から家族を取り戻す。それが私のするべきことだ」

 

 そう言い残し、彩乃は病室から出て行ってしまった。わたしはどうすればいいのか迷っていると、成美さんに「ついて行ってあげてと」言われたので、出て行った彩乃を追いかけた。


 すぐに背中の見えた彩乃は人気のない休憩スペースのようなところで足を止めた。わたしもそれを確認してから彩乃に追いついた。


「私のこと馬鹿だと思う…?」

 さっきまでの口調はどこへやら、すっかり冷静ぶった彩乃に戻っている。


「いや?思わないよ」

 わたしはつとめて自然にそう答えた。それを聞いて少しほっとしたのかまた彩乃は続ける。


「学校は辞めるよ…。大事な人一人も守れないなら通ったって仕方ない」


「ま、それもいいんじゃないかな。奏凪はそんなこときっと望んでないだろうけど。この世界から逃げてはいけないと…わたしでもそう思うよ」


 それから少し彩乃とこれからについて話して、その後一緒に病室へと戻っていった。



「また、次の世界で…か」

 

 奏凪の最後の声は、おそらく彩乃の耳には届いていなかったであろう。奏凪の声も掠れていたしなにより、彩乃は泣いていたから。


「わたしだけが聞こえたんだろうな…。どんなつもりで…あんなことを言ったんだろう」


 そんなわたしの独り言は、誰の耳に入ることもなくただ流れていくだけであった。


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