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くだらない話

作者: 味醂味林檎

「生まれてくる性別を間違えたのかしらねえ」

 母の言った何気ない言葉に、別に傷ついたわけではなかった。私とて自分の人生については同じ感想を抱いている。

 男の子が好きそうなものを好きになることが多かった。特撮のヒーローだとか、かっこいいロボットだとか、イマドキ流行りの少年漫画。アニメだって、かわいい魔法少女より男の子の冒険のほうが好き。ままごとよりはブロック遊び。お姫様になんかなるより、剣を取って戦う騎士のほうに憧れた。

 幼かったあの日からもう二十年ほど過ぎて、今の私はいわゆるところの社畜というやつで、サービス含めた残業に追われながら、正社員という身分を手放せないで汗水たらして働いている。空調もいまひとつで、三〇度を超える職場で熱中症に怯えながらギリギリのところを生きている。

 母一人、私一人。今は母娘で二人暮らし。男手というものがないので、力仕事は当然ながら私の役目だし、母が苦手とする機械いじり――パソコンやスマホ、新しい家電の設定とかそういうやつ――なんかも私の仕事だ。DIYとかそういうのも私がやる。家具の組み立てお任せあれ。棚でも椅子でも何でも作る。日々の家事……はどうにも苦手だが、それは「そんなの結婚してから覚えればいいのよ」という母に甘えきって、毎月給料からいくらか生活費として家に入れている。聞こえの良い言葉で言うなら支え合いながら暮らしている、と言えなくもないが、どうだろう。そもそもこんな有様で結婚とかできるのだろうか。主に人間性に難がありすぎるし。生活力がミリ単位しかないし。

 女らしさというものは、たぶん、あまりないと思う。そんなに上品に生きられるほどハイソな人間じゃあないし、気を遣うのも得意じゃない。料理なんかほとんどできない、お菓子は少し作れるけど、そんなの滅多に気が向かない。化粧なんか、仕事じゃなきゃしたくもないし、愛想笑いも仕事用だ。楽に生きたい、楽して逝きたい。自分のために暮らして死にたい。けれど正直にそのまま言ったら、きっと世の中生きづらいのだろう。

 昔、我慢していたことがある。

「ママたちの迷惑になってしまうから、騒がしくしちゃいけないよ」

 年上の男の子だった。子供同士仲良く遊んでいてね、とママたちは言った。私のママと彼のママは友達同士だし、そういう流れになるのは当たり前といえば当たり前だった。それがすごく嫌だった。

 私はその男の子――その男と会うのが苦手だった。彼は発売されたばかりの玩具やゲームを沢山持っていて、一緒に遊ぼうと優しい顔で誘ってくる。けれどその誘いがおぞましいものだというのを、私は知っていた。負けたら罰ゲームだよ、なんて言ってくるものが、ろくでもない、薄汚い手口だというのを、成長するにつれて知ってしまった。それがおかしいことだと気がついてしまった。気がついて、しまった。

 そもそも最初から勝てるはずのないゲームだった。彼が誘ってくるどんなパーティゲームだって、私は操作も覚束ない初心者で、彼は既にやりこんで手慣れたものだ。運の要素より上手さが問われるゲームばかりを仕掛けられて、負けたら罰ゲーム。「下着を見せて」「触らせて」「勝った人の言うことは絶対だ」「これは罰ゲームなんだから」「うるさくしちゃいけないよ」「騒がしくしたらママに叱られちゃう!」

 最低の男だ。最悪の男だ。最初のときにそれに気が付けるだけの人生経験がなかったのが、一番最低の最悪だ。そうして次第に時を経て、その異常性にすっかり慣れたような頃、世間ではどうもそれがおかしいことらしいというのも悟るようになる。こんな話、人には言えないようなことなんだと、ようやく気が付いた頃には――親にも言いだせなくなっていた。

 相談すればよかったのかもしれない。けれどできなかった。私は親にとってはそれなりに良い子だった、良い子でいたかった。成績はずば抜けて優秀というほどではなかったが、下から数えるよりは上から数えたほうが少し近かった。通えるだけの金がなかったので学習塾にはいかなかったけれど、落ちこぼれではない程度の成績を維持してきた。親からはそれなりに賢い子だと思われている。その印象を崩したくなかった。せめてもの矜持だった。愚かな選択を重ねているとわかっていながら、私はそんな弱い人間ではないのだと、くだらない自尊心を守りたかったのだ。

 それに、私がそれを打ち明けたとき、親同士の友情にまでひびが入ってはかわいそうだと、思ってしまったのだ。私が我慢してさえいれば、余計な騒ぎは起きない。妙な注目も浴びないでいい。恨まれる必要もない。何も、ない。

 それから、その男と交際した。母の数少ない友人を失わせるのは心が痛むと思ったのと、その男からそれらしい告白があったからだ。母は好きにすればいいと言ってくれたが、いずれ孫の顔を見たいと思っているのは明らかで、私の前には他にそれらしい相手もいない。妥協に妥協を重ね、一番大きな嘘を吐いた。「私も好きです」一度だってそう思ったことはなかったが。

 それでも、関係性に名前がつけば、いくらかましになるかもしれないという期待があったのかもしれない。それが愛情表現だと思い込むことで、どうにか自分を守りたかったのだろう。何せ私は弱いので。だがそれも当然ながら長くは続かなかった。交際という形はとっても、結局、私はその男に、好きになれる部分を見つけられなかったからだ。

 私より五つも年上の男。五つも上なのに収入が私と変わらない男。あるいは私より資産のない男。転職ばかりで長続きしない男。ユーチューバーを目指しているくせにそうではない私より機材に疎い男。私ほど映画を好まない男。私のように本を読まない男。私が小説を書いているのを応援すると言いながら一文たりとも読みもしない。デートと称して過ごすのは家ばかりで、ゲームをするか体を触るかの二択だけ。私がチケットを用意して遊びに行こうと言ったって行かない! 私が生理だと言ったら会わないあの男! そもそもねだったわけでもないたかだか三百円のクレープを奢ってくれたところで彼氏面されても困る。そんなもの自分で買える。

 母はあの家の敷居が高くなるね、とは言ったが、あんな男はやめなさいとも言ってくれた。それだけが救いだった。別れた後、襲ってきたら怖いと思って通報の準備はしていたが、今のところそれらしい動きはないようで安心している。

 男に生まれたかったなあ、とその時改めて思った。きっと男であったなら、あんなやつのために思い悩む必要はなかった。好きなものをただ好きでいることを、奇異な目で見られることもなかっただろう。夜道を歩くのに警戒する必要も、女だからその仕事は向かないなんて言われることも、女なのに学歴があったところでなんて言われることも。毎月気分最悪のレディースデーを迎えることもない!

 ないものねだりはわかっている。きっと、男のほうにも男なりの苦労があるのだろうとは思う。どこへいっても男らしさを求められるのはつらかろう。けれど、それを考慮しても、やっぱり男は羨ましい。

 現状、趣味の小説の中が、最もストレスのない環境だ。その世界では、誰が活躍していてもいい。しなくてもいい。男の主人公も女の主人公も書いていい。誰に向けるでもなく自分のためだけに書いていい。好きなものしか書かなくていい。表現したいものにもよるが、とにかく、性による差別なんてものは、必要なければ書かなくていいのだ。

 そうして書きたいものを好きなように書いてから、思うのだ。

「ああ、男に生まれていればなあ」

 男だったら、物語の中の人たちのように、同じ人として扱われるものになれるのに!

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