夜空ちゃん ~木登りと赤い風船~
夜道の路上で起きた惨劇から一夜明けて、街に東から日が射す時間になりました。夜空ちゃんはどうしているのでしょうか…。
…居ました。木製の長い板を連ねて作られた公園のベンチの脇に自転車を駐め、自分はベンチの左端に座り込んで、背もたれに身を預けてぐったりした様子です。それはそうでしょう。昨夜は自転車を振り回して大活躍でしたからね。その後は片手を股間に宛てがいながらも愛車を駆って颯爽と走っていましたし、さぞやお疲れでしょう。
ナレーター:「夜空ちゃん、しっかりしてください…!」
夜空ちゃん:「なにトンチキなコト言ってんだテメェぶっ殺すぞ…!!」
ナレーター:「はい?」
夜空ちゃん、誰に言うともなく、しかし傍らの誰かに語りかけるようにひとりごちました。
「疲れたとかそういう問題じゃないわ…。精神的なものよ…。昨夜は二回も強姦されて、しかも一人は凶暴なケダモノ、もう一人はあろうことかその飼い豚よ…。何たる屈辱…。お、思い出すだけで、う、ううううう、…う、う…。嫌…。は、恥……、…」
なんだ、そういう事だったんですね。元気なようでなによりです。
夜空ちゃん:「なにトンチキなコト言ってんだテメェぶっ殺すぞ…!!」
「まったく、二度も強姦された乙女の心の傷を何だと思っているってーのよ…。あ、あぁ、でもよく考えるのよ、私。思い出してみれば、そもそも最初に学校から逃げ出す時に百人規模で輪姦されてたんだったわ…。それを考えれば二人に強姦されただけなんて誤差範囲よ☆! そう、物理学でも微小な値の項は無視する近似を行うと単純で美しい理論が得られるじゃない…! それと同じことよ…!(☆輝)」
ナレーター:「夜空ちゃん、ご自分が単純で美しいとお思いなんですか?」
夜空ちゃん:「はっ! つい本音が…!! う、ううううう、…う、う…。嫌…。は、恥……、…」
ナレーター:「ご謙遜なさらなくても良いんですよ…!」
夜空ちゃん:「う、ううううう、…う、う…。嫌…。は、恥……、…」
「そんなことより、これから一体どうしましょう…。高校の連中に復讐するといっても、策も武器もお金もないわ…。帰るところすらありゃしない…。」
そんなことを一人ぶつぶつ言っていると、どこにも焦点を合わせてなかった目の中を、なにか赤い物体が下から上へと移動して、高いところで止まりました。気にも掛けずにいましたが、ほどなく子供の泣き声が聞こえてきて、夜空ちゃん、はっと我に返りました。
「な、何?」
よく見つめると、視野の中を移動した物体はどうやら風船で、それが何本か植えられた銀杏の木の一本のてっぺん近くの枝に引っ掛って止まっており、それを見上げて小さな男の子がわーわー泣いているのです。その子の年の頃は、幼稚園に入るか入らないかぐらいでしょうか。しかし、こんな平日の午前中に公園にいるのですから、未就園児と見ても間違いないでしょう。
そして、なにやらもう一人少年がいて、その幼児をしきりと宥めている様子です。しかし、幼児はえーえーと泣き声を上げながら、合間合間に何か訴えています。
「とってよー、兄ちゃーん、ふうせーん、ぼくの、ぼくの……。」
「あーあー、兄ちゃんだって、取れるものなら登って取ってやりたいよ、でも、お前だって判ってるだろう…。」
夜空ちゃんがよく見ると、その年長の方の、年の頃は小学生と思しき少年は両手に杖を持っていました。のみならず、両脚に靴と一体化した装具を填めており、どうやら足が不自由なようです。それで木に登れないと言っているのでしょう。
すると幼い子は、その兄と思しき少年にねだるように泣き付きます。
「だったら、誰かに代りに上って取って貰ってよ~…。」
「えぇ、誰かって言ってもなぁ…。」
そこで夜空ちゃん、思わず公園の中一帯を見まわしました。公園には、彼らと夜空ちゃん以外にも何人か人が居るには居ました。しかし、その中に木に登って風船を取ってくれそうな人物は…、見当たりません。というのも、幼児を公園で遊ばせに来た数人の母親と、あとは、暇に飽かせて近所を放浪していると思われる、杖を持って腰の曲がった男性の老人が一人、というのが今この公園のオールキャストです。木登りも辞さない威勢のいい若奥様が居ればよさそうなものですが、あいにくみなさん品のいいスカート姿でブランコや砂場に夢中のわが子を静かに見守っており、到底木に登るとは思えません。子供のほうも良くしたもので、若奥様が裾を乱してまで強引に言う事を聞かせるまでもなく、嬉々として、ある者は砂場でミニカーを前後させ、ある者はアスレチック風のジャングルジムに満身で挑み、母親の手を煩わせる事もなく行儀よく遊んでいます。育ちがいいと、遊ぶにしても、我が儘を言って親を困らせたりしないものなのでしょうか…?
お人好しの夜空ちゃんのことですから、この勿論この状況を見て黙っていられるものではありません。足が不自由な少年と幼い子の兄弟のほうにつかつかと寄って行きました。そして、足が不自由な少年に話しかけました。
「あの…、その風船、私が取って来てもいいですよ…。」
「え、あんた木に登れるのか?」
「こう見えても木登りは得意なんです。」
その言葉に偽りはありません。特に小学生のころ、男の子みたいにズボンばかり穿いて遊び回っていた頃には、毎日のように木に登っていたものです。
しかし…、今の夜空ちゃんは、裾を切り詰められてしまった短すぎる黒デニムのタイト・ミニスカート姿です。こんな格好で木に登ろうなどと、本気なのでしょうか?
「ぼく~、ちょっと待っててね。お姉さんがちゃちゃっと登って風船をぱっと獲って来るからね~。」
幼い少年にも話しかけました。
夜空ちゃんは木の前に立ちました。幹はそれほど太くはなく、枝を切り詰めた跡のでっぱりがそこかしこにあり、枝自体も多く、手掛かり、足掛かりは多いようです。これなら難なく登れそうです。
夜空ちゃんは右手で枝跡のでっぱりの一つをつかむと、左足を幹の、でこぼこの一つの上に掛けて木に取り付きました。そのまま右足も幹にかけ、地面を離れました。そして、右手を素早くもう一つ上の位置にあるでっぱりへと掴み直し、まずは4~50センチほど登りました。
え、左手ですか? 左手は体の後ろに回し、しっかりとミニスカートのお尻を抑えています。やはり、この格好では恥ずかしくて、両手両足をフルに使うことは出来ないみたいです。
そうやって器用に片手でスカートのお尻を抑えたまま、夜空ちゃんはどんどん木に登ってゆきました。難なく地上三メートル強ほどの風船の位置に辿り着き、しかし、そこではたと困惑を顔に浮かべて固まってしまいました。
それはそうです。右手は木にしがみ付くために塞がっており、風船を取ろうとすれば、今、お尻を抑えることで塞がっている左手を使うしかありません。しかしそんなことをしたら、スカートの中が、後ろから衆目に晒されてしまいます。夜空ちゃん、顔を真っ赤にして困惑を深めるばかりです。
しかし、いつまでも困惑していても始まりません。夜空ちゃん、木にしがみ付いていますから顔は少年たちには見えていない、顔を赤くしているのは下の二人の少年には気取られていない筈、と考えて、平静を装って二人に声をかけました。
「ちょっとぼくたちー、お姉さんのほうを見ないでいてくれるかなー?」
しかし、平静を装ったつもりでも、そこは根がバカ正直な夜空ちゃん、声が震えています。足の不自由な方の少年が反問してきました。
「なんであんたの方を見ちゃいけないんだ?」
「そ、それは、……、お姉さんスカートだから…。」
そう言うと夜空ちゃん、意を決して左手をお尻から離し、風船の下についている、木の枝に引っ掛っている紐に手を伸ばしました。見事風船をゲット。あとは降りるだけです。一息ついた夜空ちゃん、ちゃんと二人の少年が目を逸らしていてくれているかどうか確かめようと、首を回して後ろを振り向きました。
すると、あろうことか、なんと足の不自由な少年がケータイを取り出して夜空ちゃんを撮影しています。
「ちょ、ちょっとアンタ何やってんの……?」
夜空ちゃん、真っ赤になって少年に抗議します。
「見てわかるだろう、かわいい白パンツのお尻丸出しのアンタの痴態を写真に収めているのさ…。」
「やっ、止めてっ……!」
「ほれほれ、早く降りてこないとたくさん撮っちまうぞ。」
夜空ちゃん、ますます顔を真っ赤にして困惑を深めます。あわてて早く下に降りようとしますが、焦るあまり右手と両脚のどれを最初に動かしたらいいのか見当がつきません。しばらく逡巡している間にも少年は何枚も夜空ちゃんのかわいい純白のお尻をケータイのカメラに収めているようです。
「う、ううううう、…う、う…。嫌…。は、恥……、…」
夜空ちゃん、風船を持ったままの左手をお尻に宛がって、何とか後ろを隠そうと試みます。しかし、風船を持っているために掌を開くことができず、うまくお尻を隠せません。下で少年が囃し立てます。
「いい格好だな…! 隠そうとしているのに見えてしまうあられもなさがより一層卑猥でイイぜ…!」
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(泣)」
夜空ちゃん、もはや半泣きです。ぎこちなく両脚と右手を動かして、辛うじて木から地面へと降り立ちました。地面に降り立った夜空ちゃん、地上に立って下からの視線をガードされ、俄然、強気になりました。
「ちょっとアンタ、何、私の恥ずかしい所を撮ってんのよっ…。その写真消しなさい!!」
足の不自由な少年に詰め寄りました。
「ああ、いいぜ。消してもいいけどな、アンタが木の上でもたもたケツを隠してる間に、もう何人もの友達に写メールを送っちまったよ…。今更、俺の携帯の写真だけ消してもコピーは大量に出回って、画像は、すぐにネットにばら撒かれるだろうな…。」
「なっ、何ですって…。恩を仇で返すとはこの事だわ…!!」
すると少年は、夜空ちゃんの手から風船を奪い取り、幼い方の少年に渡しました。
「ほれっ、風船だ…!」
幼い少年は言いました。
「わあっ、ありがとう、お尻丸出しのお人好しのおねーさんっ…!」
夜空ちゃん、屈辱のあまり、今更ながらにスカートの前後を両手で押さえて、顔を真っ赤にして俯き、押し黙ってしまいました。
「じゃあなっ、風船とぱんつの写真、サンキューなっ…!」
そう声をかけて足の不自由な少年は、弟を連れて、ぎこちない小走りで公園から出て行ってしまいました。
「……、うぅ、まぁ、撮られてしまったものは仕方ないわ…。ネットにばら撒かれたとしても、後姿だから個人の特定はできないでしょう…。それがせめてもの慰めね…。」
夜空ちゃん、一人でぶつぶつ言うと、元のベンチにどさっと座り込んでぐったりしてしまいました。
「とんだ災難だったわ…。やっぱり何をするにも、このスカートじゃ限界があるわね…。」
また一人でぶつぶつ言って、そのままへたり込んでしまいました。
すると、そのベンチの隣にどさっと人の座る気配があり、夜空ちゃんは目をあけました。見ると、隣に見るからに好青年風の青年が座っています。年の頃は大学生ぐらいでしょうか。夜空ちゃんは内心で、これはいわゆるイケメンというやつだと判断します。青年は話しかけてきました。
「やぁ、災難だったようだね、キミ。大丈夫かい?」
「い、いつからご覧になってたんですか…?」
「キミがあのビッコの子に話しかけて木に取り付いた辺りで公園に入って来たんだけど…。あんな展開になるなら、登り始めてしまったキミを止めて僕が登った方がよかったかも知れないね…。」
「そ、それはどうも…。」
「それはそうと、キミ結構かわいいね。正直言って木の上で見せた純白のお尻も魅力的だったよ…。」
あろうことかセクハラじみた発言です。夜空ちゃん、真っ赤になって押し黙ってしまいました。すると、青年は左手を夜空ちゃんの腰のあたりに伸ばしてきました。
「な、何? 痴漢?ナンパ?」
夜空ちゃん、頭の中で考えました。そうこうしていると、青年は夜空ちゃんのお尻や股ぐらを片手でモゾモゾと弄び始めました。夜空ちゃん、止めてくださいと叫び声を上げようかと思うも、さっきの木の上での痴態を公園にいるオールキャストに見られている手前、照れくさくて声を出せません。そうこうしているうちに、青年は手を引っ込めて何やら太陽のような魅力的な笑顔で夜空ちゃんに言いました。
「ははは、やっぱりキミかわいいね。この位で声も上げられないなんてさ…! ははは、それじゃあね!」
そう声をかけると青年は去って行きました。夜空ちゃん、さすがに輪をかけて疲れ果ててしまい、ベンチの背もたれに体を預けてぐったりとした様子。見るともなく公園の中にいる何組かの親子連れを見ながら考え事です。
「何だったのかしら今の…。痴漢?……ナンパ? それにしてはあっさりと行っちゃったし…。」
「それはそうと、ちょっとシャワーでも浴びたいわ…。昨日は輪姦されてから、そのままここに自転車で辿り着いて、着た切り雀の風呂もなし…。着替えはリュックに入れてきたけど汗を洗い流せるところは…。ネットカフェのシャワー室でも使おうかしら…。手持ちの所持金は…。」
そこで夜空ちゃん、スカートのポケットに手を入れて財布を出そうとしたところで、突然血相を変えて青くなりました。
「財布が…、無い…。」
そこでハタと合点がゆきます。
「さっきのお兄さん、痴漢じゃなくて、スリ…。」
「ど、どうしよう…。帰る所も無しの一文無しじゃぁ…。」
夜空ちゃん、フラフラとベンチから立ち上がると、跨れないマウンテンバイクを押してよろよろと歩き始めました。どこに行くつもりなのでしょうか? それは、彼女自身にも、まだ分かっていないのかもしれません。いつ、家に帰るつもりなのでしょう? それも考えていないのかもしれません。今はただ、剥き出しの白い両足を午前中の柔らかな光に照らされながら、ギアの空転するカラカラという音をリズミカルに鳴らして、乗れもしない愛車を押して、重い足取りで住宅街から表通りへと向かい、街角の雑踏の向こうに消えてゆきました。