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 あの日。

 結局、娘は見つからなかった。

 声が枯れ、足が棒になり、手は奈津美の姿を求めて空を切る。ついに一人で探すことをあきらめ、隆夫が警察に連絡をした、夕方。

 娘の事ばかりで忘れていたのだが、隆夫は、やっと雅美と再会できたのだ。


「おい、雅美! 何してたんだ。奈津美がいなくなって大変なんだ」

「私の……携帯が……見つからなくて……」

「今は、携帯なんてどうでもいいだろ?」

「奈津美……メール……来る……のに」

「雅美、しっかりしてくれよ!」


 警察の事情聴取の間も、虚ろな眼をして、同じ言葉を繰り返し呟く雅美。

 確かに、娘が姿を消してしまってショックを受けているのはわかるが――と納得しながらも、その様子にイライラして妻に手が出そうになるのを隆夫は必死に堪えた。


 とにかく後は、警察頼みだ。

 警察に捜索願いを出し、おぼつかない動きの雅美を連れて、帰宅した。



 ――思えば、苦しい2年だった。


 まるで日課のように毎朝見る奈津美の夢で目が覚めた隆夫は、見慣れた白く冷たい天井をじっと睨みながら、思った。

 夢の中の奈津美は、服装も、背も、あの明るい笑い声も、2年前のままだ。

 そこが返って、隆夫の心を苦しめる。


 窓のカーテンから漏れる、朝の光。

 ふと隆夫が横に目を向けると、窓からの明かりを避けるように身をよじらせた雅美が、仰向けになって横たわっていた。

 かっと見開かれたその眼は、空間の中の何かを見つめているかのよう。

 彼女も、悪夢で目が覚めてしまったのかもしれなかった。


 隆夫が、そんな様子の妻に、優しく声を掛ける。


「……なあ、雅美。僕、今度の日曜に、あそこに行ってみようと思うんだ。奈津美がいなくなった、あの場所にさ」

「……?」


 いつも無言の妻が珍しく反応し、澱んだ目ではあったが、視線を隆夫の方に動かした。

 

「じゃあ、今度の日曜、『裏野ドリームランド』に行ってみるからね。留守番してて」

「……」


 気のせいか、少し緩んだかのように見えた雅美の口元。

 娘を想い出して、微笑んだのだろう。ならば、まだまだ雅美は回復の見込みがある。奈津美さえ帰ってくれば――そう思った隆夫は、娘が姿を消したあの因縁の場所に2年ぶりに出かけ、手がかりを捜すことを決意した。



  ★



 数日の後。

 隆夫は、あの日と同じようにマイカーに乗り、忌まわしき『裏野ドリームランド』に向かっていた。違うのは、今回はたった一人で、ということだった。

 遊園地は、既に1年前に閉園している。

 どうやら、奈津美を含め、何人もの子供たちが姿を消したという噂が広まったかららしいのだ。他にも、色々な噂があったという。


 ――僕にとっては噂なんかじゃない、事実なんだ。それに……。


 隆夫は、ジャケットの胸ポケットから携帯電話を取り出し、助手席に放り投げた。画面に映っているのは、メール受信の画面だ。

 差出人は――「松田 奈津美」。

 ただ、名前が一緒なだけではない。送信アドレスも、かつて娘が使っていたアドレスと、まったく同じだった。


“ここから、出して”


 それが、メールに書かれている文章のすべてだった。


「娘の携帯のアドレスが使われているということは……娘はあれからずっと監禁されていて、犯人の隙を見て携帯を使い、メールを送ってきたということなのか? それとも、誰かの悪質な悪戯いたずらなのか?」


 実は、これと同じメールが、数日前から隆夫の携帯に何度か届いていた。

 警察に話そうとも思ったが、依然、埒が明かない警察の捜査にうんざりしていた彼は、わざわざ話す気もしなかった。それに、もしかしたらこれが表沙汰となって、折角無事な娘の命が、危険にさらされてしまう可能性もある。

 もっと気がかりだったのは、妻の雅美だ。

 あの日以来、少しおかしくなってしまった妻の状態が悪化してしまうことを考えると、これ以上のショックを与えることなどできるはずもない――。


 こうして、メールの件は妻にも警察にも伏せたまま、隆夫は単身、謎の手掛かりを探すべく、元遊園地の敷地に乗り込むことにした。

 それに、言葉では説明しがたい何か――娘に呼ばれている――そんな不思議な感覚もあったのだ。


 隆夫の視界に、今はもう回転を停めた巨大観覧車が飛び込んで来た。


「来たぞ……奈津美」


 最近できたらしい、有料駐車場に車を停める。助手席に転がった携帯を、再び胸ポケットに入れて、車の外に出る。

 風は無かった。

 湿気をたっぷりと含んだ、暗褐色の空。2年前のあの日を思わせる、ひどく重たい曇天だった。



 忌まわしい観覧車を目印にしばらく歩くと、かつての遊園地の入り口を見つけた。

 湧き上がる、苦々しい気持ち。

 かつて、たくさんの家族が笑顔で通り過ぎただろう入場門は太い鎖が巻かれ、有刺鉄線まで張り巡らされていた。何人たりとも、その侵入を拒んでいる形だ。


 隆夫は目を凝らし、辺りを探った。

 そして、見つけた――園を取り囲むように設置された、塀の綻びを。丁度、人ひとりが通れるほどの隙間が、錆びて穴の開いた鉄板と地面の間にできていたのだ。


 匍匐ほふく前進で、中へと進む。

 白いTシャツの上に羽織った紺色のサマージャケット越しに、折れ曲がって鋭く尖った鉄板が、容赦なく隆夫の背中を襲う。


「痛ッ!」


 やっとのことで足まで通り抜け、うつ伏せの姿勢のまま、背中に手を回す。

 ジンジンと痛む部分は深く傷ついたらしく、手には結構な量の血が、付いていた。まるで、何かの試練のよう。

 けれどこの程度で、引き返す訳にもいかない。

 隆夫は、立ち上がろうと両足に力を込め、踏ん張った。が、その瞬間――。


 目の前が一瞬、血の色をした赤一色になり、何も見えなくなったのだ。


 ――立ちくらみ?


 ガンガンと激しい頭痛も襲って来る。

 なんとか踏ん張って立っていると、ようやく、視界が回復した。

 が、今度は目の前がまるで夜のように暗くなっている。空の雲が更に厚くなり、日射をほとんど届けてくれなくなったからなのかもしれない。


 そう思って数歩だけ足を進めた隆夫は、驚きのあまり両目を皿のように開けたまま、瞬きをしなくなった。


「そ、そんな馬鹿な……」


 隆夫が見た世界――それは、煌々と電気が灯る、賑やかな遊園地の姿だった。

 メリーゴーラウンドにジェットコースターに観覧車――。

 園内のすべての施設が、まるで人でごった返していた「あの日」の頃にタイムトリップをしたかのように、生命いのちの力みなぎる生物いきものの如き存在感を示している。


 廃園となって一年、当然、電気も切られているはずだ。


――それなのに、何故。


 それは、彼が来たことを知った何者かが歓迎をしているかのように、錯覚してしまうほどだった。

 隆夫は、氷点下ほどの激しい寒気さむけを背中に感じ、喉をごくりと鳴らした。


 と、そのとき小刻みに震えた、隆夫の胸ポケットの携帯電話。

 震える手で携帯を掴み、画面を見る。


“開けて”


 奈津美からの、メールだった。


「これは一体、どういうことだ……。もしかして、奈津美は今、ゴンドラの中にいる!?」


 隆夫は、遊園地の一番奥――観覧車に向かって、一目散に駆けだした。

 どう見ても、誰も乗っている雰囲気はない。

 だが、すべてのゴンドラが、安っぽいネオン街の妖しい明かりを灯しながら、ゆっくりと回っている。


「奈津美―ッ!」


 隆夫が、観覧車の搭乗口に辿り着いたとき。

 彼の目の前には、忘れもしない、あの「4」の番号をつけたゴンドラがあった。


「奈津美と乗った、ゴンドラ!」


 藁にもすがるようにしてゴンドラにすがり、中を覗く。

 しかし、ここ暫くの間、使われていなかったせいか、ガラスが脂ぎったように曇って、中が見えない。

 だがよく目を凝らすと、まるでカブトムシの幼虫の如き黒い塊のようなものが、中でごそごそとうごめいているようにも見えた。


「チクショウ、開いてくれ!」


 錆び付いたゴンドラのドアに手をかけ、力いっぱい、左右に開こうとする。

 しかし、隆夫の力では、全くびくともしなかった。

 それはまるで、扉が開かないよう、中から誰かが力を加えているかのようにも思えたほどだ。


「コノヤロウ……開けぇ!」


 隆夫がそう云って、全力を振り絞ったときだった。

 キイィ……。

 扉は、ついに開かれたのだ。


「奈津美、ここにいるのか?」


 しかし、その声は空しくゴンドラの中に響いただけだった。

 よく見ると、シートがじっとりと濡れている。

 そうー―それは、2年前に奈津美がいなくなる直前まで座っていた、あの座席の位置だった。


 ――今まで、奈津美がここにいた?


 隆夫は、見逃したかと、鬼の形相で後ろを振り返った。

 と、辺りに響くメールの着信音。

 暗闇の中に、力強く木魂こだまする。

 もちろんそれは、隆夫の胸ポケットから響いたものだった。

 隆夫は、おそるおそる携帯を取り出すと、その画面を食い入るように見つめた。


 ――まさか。


 それは、やはり娘のアドレスからのメールだった。


“ありがとう、パパ。ミラーハウスまで来て”

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