1.
「小説家になろう 2017夏のホラー」参加作品です。
全四話、約1万1千字。
きちんとしたホラーになっていればいいのですが……。
日もとっくに暮れた、夜の8時。
時折点滅するオレンジ色の街灯に、たくさんの夏の虫たちがまとわりつく。
会社通勤の最寄駅から歩いて10分、明かりも無い、そして温もりすら感じない我が家の玄関に、隆夫ようやく辿り着いた。
「ただいま……」
ドアを開け、玄関の電気のスイッチを入れながらそう声を発してみたものの、中からは誰の声も帰って来ない。
最近では慣れっこになったものの、やはり寂しい気持ちが湧き上がる。肩を落とし、澱み切った空気を掻き混ぜるかのように、深く大きな溜息を洩らした。
廊下を進み、寝室のクローゼットにスーツの上着をかけると、着替えもそこそこにキッチンに向かって、炊事にとりかかる。
「……雅美、すぐに晩飯、作るからね」
真っ暗な空間に向かって、隆夫が声を掛けた。
すぐさま、リビングの明かりをパチリと点ける、彼。するとそこには、まるで置物と化したかの如くダイニングテーブルの椅子に鎮座する、妻の姿があった。
今朝、隆夫が家を出る時に見た姿と1ミリたりとも違わぬ、その姿。
テーブルの上には、皿の上に置かれ、ラップに包まれた二つのおにぎりがあった。雅美の昼御飯にと、隆夫が朝に握ったものだが、手を付けた形跡は全く見当たらない。
「……」
返事もなく、押し黙る雅美。といって、隆夫に悪びれる様子もない。
隆夫は、唇をきつく噛み締めながら冷蔵庫の扉を開け、薄暗い庫内から肉と野菜を取り出した。
(あれから、もう2年か……)
39歳、ごく平凡なサラリーマンである隆夫が、虚ろな眼で肉と野菜をフライパンで炒めながら、ぼんやり、考え事をする。
――結婚して、11年。
幸いにも、結婚後すぐに「奈津美」という娘を授かった。
まさに、彼にとっての幸せの絶頂期だった。
大きくなるにつれ、自分と同じ仕草をするようになった可愛い娘と、料理が得意で、いつも明るくころころと笑う最愛の妻。
(彼女たちのためなら、潔く死ねる)
そんなことを、真剣に考えたこともあったほどだった。
だが、そんな幸せな生活も、2年前に終わりを告げたのだ。
彼の人生の総てが、そのとき狂ったのだともいえるほどの出来事だった。
それは、今から2年前の夏休みの日曜日。
8歳になったばかりの奈津美を連れ、家族で初めて出かけたた遊園地「裏野ドリームランド」で、奈津美が行方知れずになってしまったのである。
警察を巻きこんでの必死の捜索も、未だ見つかっていない娘――
「……雅美、できたよ」
隆夫が、皿に盛った野菜炒めを、妻の前に差し出した。
手を出そうとしない妻の手を取って箸を握らせ、無理矢理に口に運んで、食べさせる。
(まるで、ミイラかゾンビ……廃人だ)
そんな風に考えてはいけないとは思えば思うほど、機械的に口だけ動かす雅美の姿を見てそう思ってしまう、隆夫。かつては、人も羨むほどのプロポーションだった雅美だが、今では、その見る影もない。
しかし、それ以上に隆夫が日々感じていたのは、奇妙な違和感だった。
言葉では上手く云えないのだが、まるで別人にでもなってしまったかのような……。
(だけど、こうなってしまったのも、すべて僕のせい。あの日、奈津美から目を離してしまった僕の……。耐えなきゃ、耐えなきゃ……)
強引に夕飯を終わらせた隆夫が、雅美を着替えさせ、ベッドに寝かしつける。
次にやるのは、食事の後片付けだ。
隆夫は、食器洗浄機に汚れた食器をかちゃかちゃと並べながら、この2年の間、吐き気を催しつつ何度も繰り返し想い出してしまったあの忌まわしい出来事を、ぎりり、歯を食いしばった表情で、もう一度想い出そうとしていた。