主人公のデフォルトネームは変える?それともそのまま?(3)
地上に出た私のその後から語ろう。
警戒しながら顔を出した私は目の前に青交じりの黒い機闘士がいるのに気付いたの。
これは敵に違いない。すぐにピンときたわ。だって、アーサスが仲間と言ってた機闘士は白色や茶色だったし、黒なんて悪役の色に決まってる。
近くにアーサスは見当たらなかったわ。見つけたら乗せてもらおうと思ったんだけど、なかなか上手くいかないものよね。
でもそこで、イイ作戦が浮かんだの。私一人でもこいつを倒す方法がある。カマキリを倒したときのように、内部から降伏装置を作動させればいいじゃない。
善は急げと、機闘士の体を這い上がってハッチを開けたんだけど……。
えーと。どういうことなんでしょうか?
私はその黒青の機闘士のハッチを開けたところで動きが止まった。中に人がいたからだ。女の子がシートに座っている。
猫っぽい女の子。それが第一印象だった。猫といっても、最近多い家庭用に飼いならされた猫ではなく、餌をやっても、決して毛並を撫でさせるようなことはしない警戒心の高い野良猫のような子だ。
長い黒髪も毛先は丸まっており、それもまた猫っぽく見える。あと、シートに座っていることからパイロットなのだろう。だが、その幼さから「パイロット」というよりは「パイロットっぽい子」だ。「っぽい」が重要だ。
なんか色々、「っぽい」が続くから、この子のことは「ぽい子」と呼ぶことにしよう。
しかし、帝国は機闘士の国ってカマキリは言ってたわよね。中にぽい子がいるということは、この機闘士は味方なのかなあ。
「何、勝手に入って来てるの?殺すよ」
ぽい子がドスの効いた声で言ってきた。
怖えっ!私よりも年下っぽいのに貫禄がある。猫っぽいって言ったけどむしろ虎だ。
「サーセン」
私はハッチをそおっと降ろした。そおっと降ろしたはずなのにバタンと鳴って閉まる。こらっ!ハッチ!大きな音を立てるんじゃない!ぽい子が怒るじゃないの!
「あんたは何しにきたんだよ?!」
黒の機闘士の叫びと共に機闘士が突然飛び上がった。
機闘士に張り付いていた私は急激なGに少しは抵抗するが、重力様の偉大な力には逆らえるはずもなく。
手を滑らせ、落ちた。
失敗した。機闘士が飛び上がった時点で落ちるべきだった。それなら、足のケガ程度で済んだのにこんな高い所で落ちてしまったら死ぬ。確実に死んでしまう。
「ふぎゃわああー!」
冷静に分析してる場合じゃなかったああー!嫌だー!死にたくないー!
が、その瞬間、私の体が軽くなった。おおっ。いつかも感じたこの感覚は。
「来たね!無重力!」
どこからか飛び出したアーサスが右腕で私を抱えていた。いやあ、助かったわー。
黒の機闘士が手に持ったバズーカみたいなのをこちらに向けてビームっぽい何かを撃ち出した。
それをアーサスは急上昇でかわそうとする。ジュワっと蒸発音と何かが落ちる音が手の中で聞こえた。この時は分からなかったが、ビームがアーサスの右足に当たって、足が地面に落ちた音だったらしい。
「何やってんだ!さっさと中に入れ!」
ううっ!アーサス完全に怒ってるわね。あっ、当り前、かな?
アーサスが右手を胸元に近づると、私は慌てて潜り込むようにハッチの中に入った。
すぐに黒い機闘士は霧に紛れて見えなくなった。が、まだどこかにいるのだろう。警戒するように旋回するアーサスの雰囲気からそれが伝わった。
「ええっと、まずはありがとう」
「へええ。君ってお礼が言えたんだね?」
うっ!気持ちをほぐそうと思ったけど、逆効果だったみたいだ。
「ま、まあちょっと落ち着いて聞いてほしいのよ。私があそこにいたのは深い理由があって―――」
私はまくしたてる様にツバキとの会話を。私とアーサスが同調出来ること、ツバキに一緒に戦ってくれと言われたこと、その為にここまで来たことを話した。
「つまり!私とあんたが揃えば天下無敵ってことよ!」
私が啖呵を切るように言い切った。
しばらく沈黙がその場を覆う。それは数秒の事だったのだろうが、私には随分長い時間が経過したようにも感じた。
「……つまり、同調して一緒に戦おうと君は言ってるわけだね」
「そうよ。かなり強くなれるんでしょ?」
再び間を置いた後、アーサスは強い口調で言い放った。
「確かに強くなれる。でもお断りだね」
意識の海に潜る術のことを「影鳥の術」と呼ぶ。何故、潜るのに鳥と言うのだろうか。ツバキはその理由を知らない。
最初に術を発見した人がそう呼んだから、そういう名前なのだろう。その程度の認識である。
ツバキは防空壕、昔は神殿だったところの奥、儀式の部屋に向かっていた。周囲はほんのりと輝く苔のおかげで足元に不安は無い。
「ドウクツダー。タンケンダー。オタカラダー」
不安は無いが、後ろをついてくるゴレムはうるさすぎる気がする。別に周囲に迷惑をかけているわけではないが、しつけはしないといけない。ちょっと声を潜める様に注意した。
「ワカッター。オタカラメガケテススメー」
全くわかってない。ますますうるさくなったゴレムのことはひとまず無視することにした。
影鳥の術は「魂堕とし」をするのに必要な技術ではあるが、それ以外にも出来ることがある。
それは意識の海に浮かぶ溶けきっていない魂の軌跡を辿ること。
影鳥の術で意識の海に潜り、浮かぶ魂に触れることで、その魂の脳内を見ることが出来るのだ。
ツバキは儀式の間に辿りついた。儀式の間とは言っても、部屋の中心にある石の台座の上に神鏡を置いただけの簡素なものである。だが、それで十分だ。術の行使に必要なのは神具と巫女。それだけ。
それだけであるが、失うものもある。それは巫女の魂。意識の海は魂を溶かす空間であるため、自らの魂を擦り減らすことになるのだ。
神鏡の前で正座して、イリスと名乗る少女の顔を思い浮かべた。
前は目に届くか届かないかの所まで、後ろは肩に当たるか当たらないかの所まで伸ばした赤い髪。丸っこい茶色の瞳。健康的に焼けた肌。
それ以上に目に付くのが、左頬の鳥の羽模様のイレズミ。
古来、罪人の証としてイレズミを入れる習慣があったと聞くが、彼女のそれは何のためにあるのだろうか?
わからないことを考えてもしょうがない。
思考を止めて、影鳥の術の準備に取り掛かることにした。ゴレムには静かに自分を見守るように命令してから、祈り始める。
ゴレムの、風の、石の、戦闘の微かな音が吸い込まれるように耳に入って来る。次第にその音も途絶え始め、無心に達した瞬間、ツバキは意識が途切れた。
目が覚めると夜のような暗い空間を漂っていた。周囲には星のように輝く無数の魂が散らばっている。意識の海に潜ることに成功したようだった。
近くの魂にめがけてツバキは泳ぐ。意識の海は言葉通り、海中にいるような感覚である。彼女は手足をかき分けるように進んだ。
魂に手を触れた。様々なビジョンが頭の中を駆け巡る。しかし、あの女性と一致するビジョンは見当たらなかった。
しょうがないので、次の魂を探し始める。それでも見当たらなかったら次のビジョンへ。
影鳥の術で人を調べる場合は、こうやってしらみつぶしに調べるしかない。非常に根気のいる作業だった。
ツバキは何十度目かの挑戦で、ようやくイリスの顔の記憶を持つ魂に触れることに成功した。
強い輝きの持つ魂だった。この意識の海の中にあっても、自我を失うことが無いほど強固な魂。その魂から、イリスに関連するキーワードやイメージを探す。
荒野。馬鹿っぽい。無重力。許せない敵。
単語が一つ一つ頭の中を駆け巡る。その魂が彼女のことについて知りうる限りのことを、キーワードで区切って伝えてくれるのだ。
だが、魂が単語を発するたびに、彼女は失望を抱かずにはいられなかった。この魂の持ち主は彼女の事を深くは知らなかったみたいだったからだ。それでも、唯一の情報源である。最後までその魂が知る情報をかき集めようとした。
奴の名前は―――。
言葉はそこで終わった。
私はスクリーンで周囲の様子を見ながら、平静を努めてアーサスに尋ねた。
「ダメな理由を聞かせてもらっていいかしら」
「君が偉そうだから」
「……あっ。はい」
「それは冗談じゃないけど、置いといて」
霧の中に白い機闘士が倒れている様子が目に入った。ピクリとも動かない。
「今、戦ってるオルカのパイロットのサザンカっていうやつなんだけど」
黒の機闘士らしき影が時折映る。地上に降りて何かしているようだった。
「あの子はちょっとした事情があって僕を敵視してるんだ。そのため、本当に馬鹿な戦い方をしている。白鯨の撒いた潮に突っ込むし、僕のほうばかり狙おうとしているし、あれだけダメージを受けてもまだ戦闘を継続しようとしている。普通の神経なら、もう退くべきなんだ」
「何が言いたいの?」
度々、地表付近で虹の輪が生じていた。それはあちこちで生まれてはすぐに消えていった。
「僕達がパイロットと同調した場合、主導権はパイロットにある。そう作られているんだ。ある意味僕たちは人間の奴隷だ」
語気を強めてアーサスは言った。
「だから、馬鹿なパイロットとは同調したくないんだよ。奴隷にだって主人を選ぶ権利がある」
声には呆れや怒りが含まれていた。
実に人間らしいな。場違いながらそんなことを思った。
思い返してみれば、機闘士はロボットではなく、人口の生命体のようなものだとツバキは説明していた。なら、彼らにも心や感情はあるのだろう。彼らは人間なんだ。
ならば、意見を提示すればいい。互いの意見をぶつけて戦い合うしかない。こちらも退けないのだから。
「たったそれだけの理由?」
「それだけ?」
「アーサス。周りの状況を見なさいよ。こんだけ村を荒らされて、敵は今もここに居座っている。さっき、白い機闘士が倒れているのを見たけど、あの黒いのにやられたんでしょ。こんな絶対絶命の時に、主導権を握られたくない?ふざけた事を言ってんじゃないわよ。そんな駄々は平和になってからこねなさい」
「……なら、一つだけ確認するよ。これは戦争だ。絶対に死なないなんてことは無い。それでも戦う気はあるかい?」
「覚悟が無かったら、さっきみたいに黒いのに張り付こうとは思わないわよ」
「OK。じゃあ、1カ月」
「1カ月?」
「1カ月の間なら乗っててもいいよ。それ以降はその時考える」
……えーと、お試し期間っていうやつなんだろうか?よくわからない。まあ今はいいか。
「わかったわ。しかし、随分自信があるのね。まず、ここを切り抜けなければいけないのに」
「オルカとサザンカ相手なら勝って当然だから」
そう言うと、アーサスは移動しながら、私にこれからの動き方の説明を始めた。
ヒレのついた黒い手で近くの民家の屋根に触れる。民家は土台を軸に踏ん張って抵抗を試みた。しかし、こちらが少し力を加えただけで、そんな抵抗を嘲笑うように家が崩れ落ちた。
寒い戦い方。
サザンカは口にこそ出さないが、自分のしていることを省みて、そう思った。
機闘士どうしの戦いにはいくつかの暗黙の了解がある。その内の一つが強い方は堂々と戦わなければならない、だ。
機闘士は第三世代より第二世代、第二世代より第一世代が強い。そして、同調しているほうがより強い。
故に、第一世代で同調すらしている自分は真正面から無重力を叩きつぶさなければならない。それが強いものとしてのあり方であり誇りなのだ。
それなのに今の自分ときたら。
こうやって民家を攻撃して、挑発に乗った無重力が出てくるのを待っている。実に寒くて情けなくて恥ずかしい戦い方だ。
ただ、ここは闘技場ではなくて戦場だ。ルールにのっとった1対1の戦いでもないし、正々堂々と戦う理由も無い。
だから、古い流儀に則る理由も無い。自分の行動は誰にも非難されるものではないのだ。
でもやっぱり寒い。
矛盾を抱えたサザンカの内心はそんな自虐で一杯だった。
「しかし、なんで村の中を霧まみれに?村が滅茶苦茶になるのに」
まだ、戦闘中である。戦場に集中するためにサザンカは内心とは別の事をつぶやいた。
「何でだろうねえ。あの囮の光のためかねえ?」
その時、右手のスクリーンの下の方で虹の光輪が生じた。
周囲を警戒しながら、オルカを光輪のほうに向ける。
が、向けた瞬間光輪は消えた。さっきと同じだ。今のように一瞬光ったと思っても、直ぐに肩透かしに合うことが続いている。
光の正体は村人だった。村人たちが各々灯りを持って点けたり消したりしていたのだ。
点いた灯は、光を生み、霧の中で散乱して、虹の輪を生み出す。サザンカが見ているのはそれだった。
サザンカもオルカも光の正体が村人ということは理解していた。そして、それを囮と理解していた。そちらに注意を向けさせ、機闘士に奇襲を掛けさせる。そういう腹積もりだろうと思っていた。だからその光輪はほとんど気に掛けなくてもよい。
それはある意味間違っていなかった。
「カマキリやオルカの悪い所ってさ、人間を過小評価していることだと思うんだ」
まるで酔っている様に、いや本当に酔っているのかもしれない。そんな調子でアーサスは語っていた。
「カマキリもさ、イリスが中に入ってきても危機感なんてものが全く無かった。オルカもあの虹の光輪をただの囮と思ってる。でも、それだけじゃないんだ」
アーサスの向いているほう、私の前面スクリーンに映る景色は白い霧の中と偶に生まれる虹の輪だけ。黒い機闘士の姿は見えない。
「村人たちはオルカ。君から一定の距離を保った所で灯りを点けるようにしている。その光を辿れば君から僕の位置が分からなくても、僕は君の位置が分かるんだ」
光輪を生み出す灯りの元。それを点で結ぶと確かに円のように見えた。その円の中心にあの黒い機闘士がいるらしい。
「さあ、イリス。愚かな機闘士達に再び思い出させてやろう。人間の恐ろしさを。僕たちの力で。この狂った世界のために」
アーサスが円の中心を指すように、右手を挙げた。その右手には戦闘前に外したはずのカマキリの鎌が取り付けてある。外れないように右手に食い込ませているのだが、見てて痛々しくなるわね。
「ちょっと、アーサス。再確認するけど。まず、このブレスレットを右手に取り付ける。その後は思いっきりレバーを倒して、右側のペダルを思いっきり踏むだけ。本当にそれだけでいいの?」
私は念を押すように聞いた。こんな単純な事で勝てるのだろうか。
アーサスは興をそがれたのか少し拗ねるように答えた。
「いいよ。それで。そのブレスレットを付けたら自動的に君と僕は繋がる。そうなったら君が主体だ。後はオルカめがけて突っ込めばいい。それで勝てる」
確信に満ちた返事だった。信じるしかないと言えばないのだが。ええい!ままよ!
私は吊られていたコード付きのブレスレットを右手に装着する。
右手首に冷たい何かが体の中に入りこんだような感覚が一瞬だけした。思わず背筋がぞっとなる。これが同調なのか。意外とあっさりしたものね。
「さあ、まっすぐ突っ込むんだ」
「きゅ、急に横に逸れろとか言われても無理だからね!」
私は力強くレバーを倒して、右のペダルを奥まで押し込んだ。
アーサスが右手を挙げたポーズのまま前進し始める。
「そんなの言わないよ。そんなことする余裕なんて無いんだから」
余裕が無い?どういう意味……。
私はその言葉の意味を数秒後に理解することになる。
霧の中でもわかる。景色が変わっていくのだ。今まで見た事も無い速度で。
コックピットの中では今まで感じなかったはずのGが体にかかり始める。私の体がシートに引っ張られ始めた。同調したアーサスによる超加速は、パイロットの身を守るための反重力装置の限界を超えたのだ。
「レバーとペダルを緩めるんじゃない!」
頭上からアーサスが怒鳴ってきた。びっくりした私はシートに引きずり込まれないように必死に抗う。
そして、一発の弾丸となった無重力は海の殺し屋めがけ突っ込んでいった。
無重力が映ったのは右手のスクリーンだった。
「速っ……過ぎる!」
瞬時にサザンカは理解した。無重力が同調していることに。そして、回避が間に合わないことに。
状況を把握したサザンカの決断は早かった。オルカに右手を挙げさせ、その場でビーム砲を撃たせようとした。
ビームは無重力を貫くだろうが、奴の勢いは殺せずそのままこちらにぶつかって来るだろう。
相討ちは実に不本意だが、それ以上の戦果を望めそうにも無かった。
「同調を解きな!」
だが、それを実行に移す前に、オルカが叫んだ。何か良い手でもあるのだろうか?疑問に思いながらも右手のブレスレットを外す。
瞬間。
彼女は外に投げ飛ばされていた。機体の主導権を得たオルカが彼女を強制的にコックピットから射出したのだ。
オルカに悪態をつく暇も無かった。
空を舞う彼女の目に銀の弾丸が映ったと思ったら、弾丸はそのまま射線上にいるオルカを横一文字に切り裂いて、彼女のそばを駆け抜けていった。
背後で爆発する海の殺し屋を見てアーサスは胸をなでおろした。
「イリス。勝負はついた。レバーを戻して止まるんだ」
コックピットでうずくまるようにレバーを持つ彼女に動きを止めるように指示をする。だが、彼女の返事は無かった。
「イリス。どうしたんだい?」
再び、呼びかけるが返事が無かった。
「……まさか?」
そのまさかだった。彼女は失神していた。
「……くそおっ!なんて難儀な体なんだ?!なんでパイロットが気を失っても同調が解けないんだよ!」
アーサスの愚痴は近くの木にぶつかって動きが止まるまで続いた。
夢を見ていた。
楽しい夢だった。
それは自分が世界で最も強く、賢く、あらゆる人間に尊敬される理想の世界。
理想的過ぎて気付いてしまう。
これは夢なんだなと。
いつかは覚める儚いものだと。
だが、それがいい。それでいい。
夢は現実で見る方が心地よいのだから。
体が鉛のように重かった。
目覚めて最初に映ったのは青い空。
首を動かそうとしたが、強い痛みを感じて諦めた。体の節々も痛い。
目だけを動かして状況を把握しようとする。どうやら、アーサスのコックピットの中にいるようだ。目の前の空はスクリーンを通した偽物の空。
「やっと。目が覚めたようだね」
何故か不機嫌な声でアーサスが呼びかけてきた。
「どうなったの?」
「先に同調を解いてくれない?」
言葉の節々から怒りを感じた私は、気怠い左手をなんとか伸ばして右手首のブレスレットを外す。
すぐさま機体が持ち上がった。私の体がシートに倒れこむ。
「いたい……」
乱暴に扱われているのに騒ぐ気もしない。大分疲れているようだった。
「ああ。ごめんね」
「それで、どうなったの?」
私の質問に今度は答えてくれた。
突撃したアーサスが海の殺し屋を撃破したこと。私が失神したこと。失神したまま木にぶつかってここにいることを教えてくれた。
ふむう。ということはこの体の痛みはむち打ちによるものなのかなあ?嫌だわあ。むち打ちは冬場に痛くなるって聞くし。
「それで、何分ぐらい倒れたままだったの?」
「大体20分ぐらいかな」
そう答えると、アーサスは空を飛んで、村のほうに向かった。
酷い惨状だった。
先ほどみた牧歌的な光景はもはやなく、あちこちに爆発跡が残っている。
村人たちも防空壕から出てきてめいめい瓦礫をどかしたり、消火活動にいそしんでいる。
その中にぽい子が村人に拘束されている様子が目に入った。意外にも抵抗はしていないようである。あの凶暴な雰囲気を思い出すと暴れまわりそうなのだが。
アーサスは最初に来た村の広場っぽいところに足を投げ出しながら座り込んだ。左足が無い分、コックピットの中も左側に傾く。
そして、ハッチが開き、私は広場に降り立った。うう。体がずきずきする。
「おお。あんた大丈夫だったか」
私に呼びかけたのは代表者らしき強面の村人だった。最初に会った時のような剣呑さは無い。
そうだ!思い出した!私はこいつにスパイと疑われていたんだ。今のうちに潔白だと証明しないと。
「これでわかったでしょ。私はスパイじゃないってことが」
「そうだったな。疑ってすまなかった」
おおっ!あっさり認めた!
「い、いいの?そんなあっさり信じて?」
「ああ。海の殺し屋と戦ってたしな。それにツバキもあんたのことを信頼できる奴と強く言っている」
男は敵わないとでも言うような諦めの表情だった。
それでも、私の方に歩み寄ると、力強く右腕を差し出した。一応、この村の人には認められたようだ。とりあえず、めでたし。めでたしね!
「俺の名前はゴドフリーだ。よろしくな。コッコ」
握り返すために挙げた手が途中で止まった。
……コッコ?……何、その変な名前は?
「えーと。コッコとはどちら様でしょうか?」
「うん?ツバキはそう言ってたぞ。お前の名前がコッコだと」
はいっ?!
「何でそうなるのよ!」
ゴドフリーは首をかきながら答えた。
「いや。ツバキは巫女だし。巫女の言うことに間違いは無いし……」
「答えになってなーい!」
「ちょっと、いいかな?」
「何よアーサス」
「まず、イリスって言葉は神聖で、そんな名前を付ける奴はいない。だから、君が偽名を名乗っているのは確定だ」
「い、いやいや。本名だし!最初っからそういう名前だし!」
「あと、巫女は死者の記憶を見ることが出来る。それに間違いが起こるはずがない。ということは、誰か知らないけど、死んだ誰かが君の事を「コッコ」と呼んでいたんだろうね」
「いるわけないでしょ!そんな面妖な名前を付ける奴なんて!」
「でも、僕が名付け親ならコッコって付けたくなるなあ。きれいな赤い髪だし」
「アーサス!あんた。私を無理矢理コッコにしたいだけでしょ!」
「あっ、ばれた?」
ごらああああ!もう付き合ってられん!
「あっ!コッコさん!」
来たわね!元凶が!
声の方を振り向くと、ツバキがこちらに小走りで向かって来ていた。
「御無事でよかったです。どこかお怪我はありませんか?」
「無事だけど!そんな事どうでもいいわ!名前!何で私の名前がコッコって言いふらしてんのよ!!」
ツバキは首を傾げた。
「違うんですか?」
「当たり前でしょ!どこにそんなアホっぽい名前を付ける奴がいるのよ!」
「しかし、意識の海に沈んだ魂はコッコさんの事をコッコさんと呼んでました。だからあなたはコッコさんに違いありません」
隣でゴドフリーが「うむ、やっぱり、違いないな」とうなづいていた。
「なんで皆それで納得してんのよ!意味わかんないわよー!」
「コッコ。君はコッコと認めたほうがいい」
「あんたは余計な事を言わないで!私をコッコにしたいだけなんでしょ?!」
「……それもあることは否定しない。けど、これは客観的判断だ。よく考えてくれ。今、君は自称異世界から来た、畏れ多い名前を名乗る罰当たりな人だ。そんな君をこの村の人が迎えようとしているのは、ツバキが君の身を保証しているからだ。そして、ツバキの保証は彼女が意識の海に潜ってまで、君の身元を調べたという事実に基づいている」
「だから、何なの?長々と?」
「要は君が自分をコッコと認めないと村人は君を受け入れてくれないよ」
げっ!それはまずいわね!で、でもコッコって名前は。
「それに、意識の海に潜る術、影鳥の術と言うんだけど、それを使うと寿命が縮む。彼女は自分の寿命を縮めてまで、君を守ろうとしてくれてるんだ。そんな心意気を君は無下にするつもりかい?」
寿命が縮む!嘘っ!何でそこまでして!
私はツバキの顔を見た。全く邪な思いが見られない素直な顔だった。
あはは、ははははは。どうやら、観念するしかないようである。まあ、信頼を得るためには必要だったのよ。名前を変えるのも時には必要なのよ。そう、必要なのよ。
「……コッコと言います。末永くよろしくお願いします」
私は右手をゴドフリーに差し出した。ゴドフリーもまた強く握り返した。
「おう。よろしくな。コッコ!」
私は今、負けた。だが、これは勝利のための敗北なのだ。そう、いつか輝かしい夢の続きを見るための敗北なのだ。
それでも。そう言い聞かせても。
ふざけんじゃないよー!!
私の叫びが心の中で響いていた。
どうでもいい補足ですが、ブロッケンという単語に虹の光輪という意味はないのであしからず。ああ言わせたのは作者の趣味です。
あと、私はゲームの主人公の名前はその日、食べたものや飲んだものの名前をよく付けます。