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前編

 これは私が人から聞いた話で、その人の高校生時代の話であるから、もうずいぶん前のことである。

 その人はとある地方の男女共学の高校に通っていた。

 偏差値が格別高くも低くもない、進学率と地元就職率が半々という、何の変哲もない、ごく普通の高校だったそうだ。

 

 この高校にも、図書室というものがあった。

 ある男子生徒が、カウンターに一冊の本を持って来た。

 ハードカバーの、真っ黒な表紙のごく薄い本だった。表紙にも背表紙にも、何の文字も記されていない。

「この本、図書カードがない。蔵書から漏れているのではないか」

 その男子生徒は、受付の係の女子生徒にそういう旨のことを云った。

 本を開くと、確かに本の一番最後、裏表紙の見返しにあるはずの、図書カードを入れる紙製のポケットも、図書カードそのものもなかった。

 貸し出されている本は図書カードを抜いてあるから、図書室の書架にある本はすべてカードが入っているはずだが、この本はそもそもそれを入れるポケットが付いておらず、糊付けされているそれを無理矢理引き剥がした跡もない。

 中を開くと、最初のページの真ん中にタイトルらしき黒い無機的な小さな活字が印刷されている。

 想い出  

 それだけである。

 次のページを開くと、目次も見出しもなく、いきなり本文が始まっている。

「私は××××年×月×日に生まれた」

 という一文に続いて、幼少時のことが、淡々と記されている。

 それは本当に淡々とした記述で、「想い出」というタイトルの割には、単なる幼少時の年譜というか、成長の経過報告というか、ともかく、簡略過ぎて、無味乾燥でさえある。

 そして唐突に、

「私は両親に愛されて育った」

 という一文でこの幼少期部分の記述は終わる。

 続いて一行開けて、幼稚園に入って以降の記述となる。

 ここで、記述の雰囲気が一変する。

 といっても、淡々とした、無味乾燥な、経過報告的な記述に変わりはない。

 記述内容が、異様だった。

「××××年×月×日、××××君が私の頭をぶった」

「××××年×月×日、××××ちゃんが私のクレヨンの赤を盗んで隠した。××××先生はそれに気が付いていたのに××××ちゃんのことは怒らないで、私がクレヨンをなくしたことだけを責めた」

「××××年×月×日、××××君が私のお弁当に唾をを吐いた」

 等々、その記述内容はすべて、幼稚園時代に自分がいじめられた内容の簡略な報告である。そして、幼稚園の教師がそれを見過ごしたり、逆に著者に非があるとして怒られた場合には、そのことも併せて記されている。

 ちなみに、原文の××はすべて具体的な年月日であり、人名も実名が記されている。

 しかしそれは二十年以上前の日付であり、この著者と女子生徒の間には十歳の齢の開きがある。


 …受付の女子生徒は、ここまでで読むのを止めた。

 内容が内容だけに、読むのが嫌になったのと、本を持ってきた男子生徒がじっとこちらを見ているのに気付いたからでもあった。

「せ、先生に相談します」

 女子生徒は慌ててそう云って、隣の図書準備室にいる、図書委員会の顧問の教師の所に本を持っていった。 

 バラパラと中をめくった顧問の男性教師は、「何だこの本は」と驚きの声を上げた。

「こんな本、どの棚にあったんだ?」

 女子生徒は慌ててカウンターに戻ったが、すでに男子生徒の姿はなかった。

 仕方なくそう告げると、顧問の教師は云った。 

「ちょっと先生の方で調べてみるから、この本は預かっておく」


 その顧問の教師が自ら運転する車で電柱に激突死したのは、それから十日後のことだった。

 彼が持って行ったあの本の行方は分からなかったし、そんなことを気にする者はいなかった。

 あのカウンターの受付の女子生徒以外は。

 女子生徒は、あれ以来、あることに気付いていた。

 あの男子生徒の姿を、校内で全く見かけないのだ。

 この高校は千人以上の生徒を有する規模だったから、もちろん毎日すべての生徒と顔を合わせる訳ではない。

 しかし、二週間以上にわたって女子生徒は校内のあちこちに気を付けてその姿を探したのに、あの男子生徒の姿を見出すことはなかった。

 あの時、とっさのことで名札も学年証も確認しなかったのが悔やまれる。

 だが、後から思うと、ぼんやりした記憶だが、そもそもその男子生徒、名札も学年証も付けていなかったような気が…。

 いやいや、そんなバカな。いくら自分がうっかり者だからといって、学年証はともかく胸に白く目立つ名札がないことに気付かぬことがあろうか…。

 とは云え、女子生徒はあの男子生徒の姿を見つけることは出来なかったのである。


 顧問の男性教師が事故死してから一カ月後のある日。

 この日、図書室のカウンターで、女子生徒は受付をしていた。

「この本、また棚に入ってるけど、まだカードが付いてない」

 そう云って本を差し出したのは、例の男子生徒だった。

 この前と同じ、黒い表紙の薄い本だった。

 女子生徒が、心臓が止まるほど驚いたことは、云うまでもない。

 同時に、ゾッとした。

 その日図書室に入ってきた生徒の中に、彼の姿はなかった。

 思わず彼の顔を見返して、本能的に彼女は目を逸らした。

(見ちゃいけない!)

 彼の眼は、まるで生気というものがなかった。見ると、あべこべにこちらの生気が吸い取られるような気がしたのだ。

 彼女は目を背けたまま、勇気を振り絞って云った。こういう時、妙な度胸が出る性格なのだ。

「あなた、誰? ここの生徒じゃないでしょ?」

 すると「生徒だよ」という彼の声がして、それきり何の気配もなくなった。

 恐る恐る顔を上げると、もう男子生徒の姿はなかった。

 しかしカウンターの上に、あの黒い薄い本は、しっかり残されていた。

 

 女子生徒は、黒い本を手に取った。

 気味悪く、恐ろしいのだが、しかし、ページを開かずにいられない。

 内容は、こないだ見た時と変わらない。

 最初のページの真ん中に、黒く小さな活字で、

 想い出

 とだけ印刷されている。  

 そして次のページを開くと、目次も見出しもなく、いきなり本文が始まっているのも同じ。

「私は××××年×月×日に生まれた」

 その一文に続いて、幼少時のことが淡々と、まるで年譜か経過報告のように無味乾燥に、記されている。

 そして唐突に、

「私は両親に愛されて育った」

 という一文で終わっている。

 続いて一行開けて、幼稚園に入って以降の記述となる。

 ここで記述の雰囲気が一変して、幼稚園時代に自分がいじめられた内容の簡略な報告となる。

 こないだは、ここまでで読むのを止めた。

 だが今日は、続きも読んでみる。

 とは云え、以降の記述内容は、女子生徒が察した通りだった。 

 小学校、中学校と、著者は進学してゆくのだが、記述内容はまったく同じだった。

 自分がいじめられた年月日、いじめた者の氏名、いじめられた内容、そして、教師が看過したり逆に著者が注意されたり怒られたりした場合は、そのことも併記される。いじめた者が複数ならば、その名前は多分すべて記されているのであろう。当然…と云っては何だが、いじめた者として複数回にわたってその名が登場する者もいる。

 そして、いじめられた女子の呼び方が、小学校以降は「ちゃん」から「さん」に変わっている。

 教師がいじめた者として名を挙げられていることもある。

「××××年×月×日、体育の××××先生が私だけを怒った」

「××××年×月×日、古文の××××先生がテストの私の答えの間違いを名指しで取り上げた。私はクラスの中でたった一人立たされ、満座の中たった一人で怒られた」 

 こういった教師に対する記述は、小学校時分にもちらほら見受けられるのだが、中学校に進学するととたんに増えて来る。

 いや、記述そのものが、幼稚園、小学校、中学校と進学するに従って、その分量が増えて行っている。

 著者の記憶が、比較的新しいためかも知れない。

 とは云え…。

 正直、まともな神経の持ち主なら、ここまで読む以前に、ウンザリして本を閉じてしまうだろう。

 淡々と、簡略だが年月日と相手の氏名は克明に記された、いじめの記録。

 著者に同情したくもなるが、不思議と同情を呼ぶような記述は本文中にはない。

 淡々と事実(もしこの記述が事実ならば、であるが)のみが記されていて、それに対する著者自身の感想…怒りとか、悲しみとか、当然記されて然るべきそういった感情の記述はまったく見られない。

 自分に対するいじめ(と著者が感じた事象)の簡略な記録に終始した文章…。

 初めは無味乾燥に思えたものが、次第に無機的な不気味さに変じて来るのを禁じ得ない。

 あまりに克明な年月日と相手の氏名の記述が、それに輪を掛ける。

 あるいは、その淡々とした無機的な記述に、逆に押さえられた怒りや悲しみを感じ取ることが出来るのかも知れない。

 しかし…。

 果たしてこの著者は女なのか、それとも男なのか。

 文中に著者の性別を示す文言は一切ない。

 これ以降も、その点を示す言葉は出て来ない。

 そんな所も、不安定な感じを読み手に与える。

 しかし、これは著者がうっかり書き忘れたか、自明のこととしてあえて書かなかった可能性もある。

 

 年月日的に、著者がそろそろ中学を卒業するであろう頃に、突然一行開いて、次の記述が現れる。

「父が事業に失敗したので××県××市を離れ、××県××市に移る。移転先の××高校に入学する」

 その××高校というのが、他ならぬこの話の舞台となっている高校なのだった。

 ここで初めて、この本がこの高校のかつての在校生が書いたものとわかる。

 だが、それに続く一文が、これまでの印象を一変させる。

「私は元々住んでいた××県では成績優秀だった。だが急な転居に伴い充分な時間がなく、仕方なく、私の能力に不相応なこの高校に入学した」

 ずいぶんと傲慢な一文である。この余計な一文がなければ、さらに続く文章に、読み手は同情や共感を感じることが出来たかも知れないのに。

 文章はさらにこのように続いている。

「私はもはや、友人を作ろうなどという気持ちを持たなかった。他人は、私を傷つけるだけの存在に過ぎない。私は、自分の周囲を透明な殻で囲った。周囲も私を遠ざけていた。それでよかった。私は、もう誰からも構われたくはなかった」

「入学して間もなく、私は学校の中で最も居心地の良い場所を見つけた。2Fの図書室の、窓際の一番隅の席だ。書架に囲まれ、入口からはよく見えないこの席。ここが、もっとも落ち着く席だ。ただし、書架に並んでいる本は、興味深いものもあるが、たいがいは程度が低い。この高校ならば、それも仕方があるまい」

 またも傲岸不遜である。

 幼稚園から中学までのいじめの記述も、あるいはこの自意識過剰から来るものではないのか、と勘繰りたくなる。

 だが、それはそれまでいじめられたつらい体験の反動とも受け取れる。そうならば、同情の余地はある。 ただし、文中にそういった自己省察は一切ない。

 そしてさらに、文章内容は突然に変容するのだ。

 

 ここで文章はまた一行開くが、続く一文は、こうなっている。

「私は以下の者たちを断罪する」

 以下、百数十名に及ぶ人名が、延々と列挙されてゆく。

 ここまでに名前の挙がっていた者の名も、もちろん含まれているのだが、ここだけに登場する名も多い。

 いや、むしろ、そちらの方が多い。

 そういった人たちが何をもって著者に断罪されているのか、文中にはまったく説明はない。

 そして、名前の列挙はいきなり途切れ、また一行開いて、文章となる。

 その文章は、こうなっている。

「私は死ぬ」

以下、このように続いている。

「私は××××年×月×日、午前11時に××高校の屋上から、飛び下りて死ぬ。私は頭から下の硬いアスファルトの上に落ち、頭は砕け、脳が飛び散るだろう。飛び散った脳は校舎の壁に当たって、そこに赤い染みを作るだろう」

 ここでまた文章は途切れ、一行開く。

 何故死ぬのか、という理由の説明はまったくない。

 ××高校がこの図書室のある、この高校であることは云うまでもない。

 一行開いたあとの文章は、こうなっている。

「私はこの文章が黒く硬い表紙でもって製本され、××高校の図書室に所蔵されることを望む」

 ここで、文章は終わっている。

 さらにページをめくると、そこが最後のページであった。

 想い出          著者 水納詩音みずのしおん

 とだけ印刷されている。


 こうして、女子生徒はこの本を最後まで読み終えてしまったのだった。 


 


 















 

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