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1 はじまり

 こことは違う場所。魔法によってあらゆるものが生まれる世界。

 彼は深い闇の中で生まれた。

 そこには人々の思い、願い、空想がいくつも渦を巻き、いつしかそれらが集まって形を成していく。

 そうして生まれた彼は、心に一つの野心を持っていた。

 彼は生まれ持った唯一の願いを叶えるために、光の下へと這い出した。

 

 ◆

 

 少女エイミーは危機に陥っていた。

 目の前には緑色の肌をした醜い小鬼が2匹、じりじりとこちらに近づいてくる。

 いつものように林に薬草を取りに来た彼女は、そろそろ帰ろうかと立ち上がったところで突然足に痛みを感じ、その場に倒れこんでしまった。そして振り返ると、子供ほどの背丈しかないゴブリンたちが立っていたのである。2匹のうち片方は手に太い木の枝を持っており、それで足を殴られたのだと分かった。ちょうど立ち上がったために足で済んだのだろうが、そのまましゃがみこんでいたら頭を殴られて、下手をすれば大けがをしていたかもしれない。

 だが、今が危険な状況であることに変わりはない。ゴブリンたちは警戒している様子だが、今のエイミーに身を守る手段は無い。そもそも今までこの林にゴブリンが現れたことなど無かったのだ。近くにあるのは採ったばかりの薬草と、それらを入れた籠だけである。しかも先ほどは結構な力で殴られたらしく、逃げ出そうにも足がずきずきと痛んでうまく力が入らないのだ。

 「ひっ…!」

 心臓の鼓動が早まり、全身から汗が噴き出す。助けを呼ぼうにも早朝の林にめったに人が来ないことは分かっていた。仮にいたとしても助けが来る前にゴブリンたちが襲い掛かってくるかもしれない。

 エイミーが抵抗しないのを見て取ったのか、ゴブリンがにやりと笑ったように見えた。そして小さな足を彼女に向けて一歩踏み出した。その時である。

 「待てっ!」

 その声が鋭く響くと同時に、木々の間から人影が走り出て緊迫する彼女たちに接近した。そしてそのままの勢いで棒切れを持った方のゴブリンを蹴り飛ばしたのである。その場に倒れ伏して木の棒を取り落す。もう片方のゴブリンが身構えるが、次の瞬間には人影は右手を大きく振り上げたこぶしをその頭に叩き付けた。衝撃に耐えかねてもう一匹も地面に倒れこんだ。その人物はゴブリンが落とした木の棒を拾い上げると、倒れた2匹に力任せに打ち付けた。

 「ほら行け!しっしっ、もう来んな!」

 背中やら尻やらをめちゃくちゃに叩かれたゴブリンたちは、這う這うの体で林の奥へ走り去っていった。

 エイミーはその光景を呆然と眺めていた。ゴブリンたちの姿が見えなくなったところで、彼女はようやくその人物が若い男性であることに気づいた。彼は棒切れを放ってパンパンと手を払うと、彼女に向き直った。

 「大丈夫ですか?」

 良く響く、妙に心地よい声で、彼はそう言った。

 

 ◆

 

 男はガイザーと名乗った。

 彼はエイミーの足のけがを見ると多少うろたえたが、彼女が自分で歩けることを伝えると薬草の入った籠を持ち上げ、彼女を家まで送ると言ってくれた。先ほどのピンチを切り抜けたばかりで緊張が解けないエイミーは、素直に彼の善意に甘えることにした。

 「まあその、私は駆け出しの魔術師みたいなものでして、近頃はこの近くで野良修行をしているんですよ」

 町へと続く道をエイミーに合わせてゆっくり歩く道すがら、2人はお互いの身の上を教えあった。ガイザーの話し方はひどくあいまいでたどたどしいものだったが、それは決して不快なものではなく、苦笑しながら話す彼をエイミーは好ましく思った。

 「私はあの町の孤児院でお世話になっていて、今朝はさっきの場所で薬草を採っていたんです。そしたら、今日に限ってゴブリンがいて…ガイザーさんが来てくれて本当に助かりました」

 重ねて礼を言うエイミーに対し、ガイザーはまたしてもあわてたようになる。そんな彼の姿をエイミーは改めて観察した。

 つやつやした長い黒髪に、黒い瞳。長くとがった耳は、彼が亜人であることを示している。長身で色白、ゆったりした黒いローブを着ている姿は、いかにも魔法使いといった感じがする。そして何よりも、彼は町でもなかなかお目にかかれない整った顔立ちをしていた。

 ガイザーを上から下まで観察したエイミーは、そこで初めて彼が裸足であることに気づいた。

 「ガイザーさん、あの、靴が…」

 「えっ?あっ…ああ!これは、そのですね。えー…そう!さっき、急いで駆け出したせいで靴が脱げてしまったんです!いやー、お恥ずかしい。気づかないもんですね。ハハハ…」

 「す、すみません!私のせいで…」

 「いやいやいや!大したことじゃありませんよ。ほら、あれです、あの…魔法使いですから!こうして裸足でいるのも修行の一環なんですよ!だから大丈夫です、ほんとに!」

 あわてて取り繕うガイザーにエイミーは何度も謝り、孤児院に帰ったら代わりの履き物を用意すると言い張った。構わないというガイザーとどうしてもというエイミーの押し問答は、結局2人が町に着くまで続いた。

 孤児院に到着すると、院長であるという中年の女性が2人に駆け寄り、エイミーから事情を聞くと感謝の言葉を述べて、お礼をするからと建物の中へ招き入れようとした。ガイザーは「修行の途中だから」と言ってこの申し出を固辞し、そそくさと出ていこうとする。またしても押し問答が続いた後、エイミーの提案で履き物だけはプレゼントすることになり、院長がそれを取りに行っている間、ガイザーは孤児院の子供たちから興味と警戒の入り混じった視線を浴びせられることになった。

 「ガイザーさん、その…また、会えるでしょうか?」

 エイミーが投げかけた問いに、ガイザーは一瞬面食らったようになったが、すぐに微笑を浮かべて答えた。

 「私はしばらくあの丘の近くにいます。機会があれば会うこともあるでしょう」

 その答えに何故かほっとしたエイミーは、いくらか軽くなった気持ちで去っていくガイザーを見送った。

 

 ◆

 

 町の近くの林をさらに奥に行った場所、小高い丘の中腹に小さな洞穴があった。入り口から突き当りが見える程度の奥行きしかないその場所には今、視覚的に認知できるほどの濃厚な瘴気が満ちている。獣も近寄らないその洞穴に、ガイザーと名乗った男は少しも臆さずに入っていく。そして振り返って外の様子を確認すると、彼の体はぐにゃりと歪んだ。そのまましゅうしゅうと音を立てて白い煙を上げながら、見る見るうちに縮んでいく。

 後に残った黒い塊は人型をしていた。子供ほどの大きさで、エイミーに襲い掛かったゴブリンよりも少し小さい。腹がぽっこり膨れた胴体の上には大きめの丸い頭が乗っかり、枯れ枝のような細い手足の先には短いが鋭いかぎ爪がついている。さらに、人間にはあり得ない矢じり形の先端が付いた尻尾と2本の小さな角、そして背中にはコウモリのような小さい羽根がついているのだ。

 そう、彼こそは自称魔術師ガイザーの正体であり、闇から生まれた醜い悪魔だったのである。

 小さな悪魔は変身を解くと大きく息を吐いた。かと思うと突然歓声を上げてガッツポーズを決めた。

 「よし!やったぞ、計画通り!パーフェクトだ!」

 実のところ、彼がエイミーのピンチに駆けつけたのは偶然ではない。この瘴気に満ちた洞穴から這い出た彼は、生まれながらに備わった擬態の魔法によってイケメンに姿を変え、林の中で定期的に見かける彼女に声をかけるタイミングを計っていたのだ。

 「ゴブリンが現れたのは予想外だったが、おかげで自然な形で登場することができた。日々の鍛錬の成果だな」

 彼はエイミーに声をかけるために、脳内でいくつものシミュレーションを繰り返していた。今回はその中でも「美少女が悪漢に襲われた場合」の対応を繰り出すことによって、彼が思い描くもっともスムーズなエントリーを決めることができた。そもそも何故、彼は彼女のピンチに即座に駆けつけることができたのか?それは彼女に声をかけるべく木の陰に隠れ潜んでいたからである。しかし彼もゴブリンの接近には気づかなかった。エイミーがゴブリンの攻撃で倒れるところを見て、彼は救援に向かったのである。2匹目のゴブリンを殴ったとき、実は彼は手のひら大の石ころを握っていた。木の陰から飛び出す前に武器になりそうなものを探した結果、たまたま落ちていた石ころを拾ったのだ。この時間のロスが、結果的にギリギリのピンチで現れたヒーローを印象付ける効果をもたらしたと、彼は分析していた。

 ちなみに、何故今まで林にいなかったゴブリンが今日に限って現れたのかというと、もともと彼らはまさにこの洞穴に棲んでいたのだが、地面から高濃度の瘴気が噴出したために棲家を変えざるを得なかったのである。見方によっては、小悪魔自身がピンチの原因を作ったようにも見える。しかし、そのようなことを小悪魔が知る由もなかった。

 「擬態の継続時間もどんどん長くなっている。この調子でいけば、おれの野望が達成される日もそう遠くないかもしれんな」

 生まれて初めて手に入れた持ち物である、孤児院でもらったサンダルを見ながら、彼は己の輝かしい将来を思い浮かべてほくそ笑んだ。

 瘴気が渦巻く暗い闇の中で、いくつもの思いが混ざり合って生まれた彼は、決して譲れない強い欲望を持っていた。そしてそのために己の力を高め、着々と準備を進め、今日ようやくその一歩を踏み出したのである。

 「やるぞ、おれは必ず、おれだけの美少女ハーレムを作り上げて見せる!」

 醜い小悪魔はこの日、生まれ持った唯一の野望を叶えるという決意を新たにしたのだった。


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