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決着とエピローグ……だいたいいつもどおりの一幕

 「むっ、お……!?」


 冬の様に白く冷たい世界から唐突に放り出された首領は、そのあまりの環境変化に流石に混乱した。

 暗い暗い闇の中、吹き荒れる風に煽られながらも状況の把握に努め、そして理解する。


 ここは古見掛市の上空、それも数万メートル規模の高高度の世界だ。頭上、否、真っ逆さまに落下しているのだから真下と言うべきだろう先には、無数の光が星空の様に輝いている。


 「は、ハハッ! 成程、そう来たか!」


 <ブラックパルサー>が古見掛へ移動する際にも、瞬時に空間を移動する技術を用いていた。増してや相手は〈ブラックパルサー〉を凌駕する技術を持った古見掛市だ。首領を瞬時に空へと放り出すくらいの芸当はわけもなくやってのけるだろう。  

 

 「だが、単なる仕切り直しの為にこんな真似はすまい!? 何が狙いだ、〈タイプα01〉!?」


 少しずつ体勢を整えながら、首領は夜空に向かって叫ぶ。

 実に楽しげな首領の瞳が睨む先、見慣れたものより少し大きな満月を背負い、01が降下して来ていた。


 「簡単な事です。あなた方と戦う際、古見掛市の廃港湾施設を場所として選択したのは、私たちが不利にならないようにする為でした。ここならばあなた方もトラップの類は仕掛けにくいでしょうし、私としては戦い易いからです。技能で劣る分は他で何としても補え、とのことで」

 「手段は選ばんということか! だが、貴様には飛行能力は与えられていない筈だが!? まだ隠し持った武器があると!?」

 「武器と言えるものはあまり残されていませんが、ここ最近は〈レッドストライカー〉に武器としての身体の使い方を指導頂いていますので」


 次の瞬間、01が首領に肉薄した。


 「!?」


 落下姿勢を整えることにも注意を払っていた首領は、突然の急接近に対処が遅れる。その隙を突き、01は首領の脇腹に拳を撃ち込んでいた。

 踏ん張るべき地面がないにも関わらず、落下の勢いと体重を乗せた突きは強烈だった。


 思わず目を剥き、すぐ傍を掠めて地上へと突っ込んでいく01の姿を追う。

 しかし、すぐにその姿を見失う。手足を広げ、薄い大気に最大限の抵抗を生み出した01は急減速し、あっという間に首領の背後を滑るようにすれ違って再び頭を押さえる。


 そう状況を把握をすることは出来たが、振り向く動作が追いつかない。何しろ自由落下中の身だ。同じ方向を向くことも、天地を保つことも困難な状況で、動く敵を捕捉し続けることは出来なかった。どうにか01のいる方向へ視線を向けた首領の目に飛び込んで来たのは、やはり速度と質量を乗せて突き出された01の膝だった。


 「ぐっ!」


 顔面に膝を叩き込まれる直前、何とか頭を前に突き出して被弾する部位をずらす。鼻先に叩き込まれるはずだった衝撃を、固い額で代わりに受けるが、それでも脳を揺さぶる強烈な一撃だった。一瞬意識が遠くなるが、首領は懸命にそれを繋ぎとめた。


 素晴らしい。呑気に失神などしていられるものか。


 01は落下しながらも巧みに姿勢や速度を制御し、首領との間合いを取っている。重心の動かし方や空気抵抗の操り方をある程度以上心得ているらしい。お互いに自由落下しながら戦うという極めて特異な戦況には、さしもの首領も対処しきれない。恐らくはそれを予測し、最初から首領をここへ引きずり出すつもりで体得した戦闘スタイルだろう。これだけの動きだ。習得の為に何度となく非常識な高度からのダイブを行ったに違いない。


 眼前でまるで抜刀するように手刀を腰に構えた01の姿に思わず顔がにやける。


 「そう来なくてはな! 見込んだ以上だ! だがだからこそ私も手は抜かんぞ!?」


 01の動きは早いが、落下である以上は単調にならざるをえない。更に、慣れというアドバンテージがない格闘技術の面では01の身のこなしは稚拙さが残っている。

 手刀を打ち込んでくると宣言するかのような構えに対処するのはあまりにも容易だ。


 「成程、強者故の慢心というものですか」


 01が馬鹿正直に手刀を抜き放つのであれば、だが。

 実際に01が放ったのは、手刀の下に隠した右手に握られていた乾電池サイズの金属筒、合計六個。高性能爆薬を詰め込んだ、携帯性、秘匿性に優れる〈ブラックパルサー〉が大勢の命を吹き飛ばしてきた爆弾だった。


 「っ!?」


 爆弾が首領の周囲に撒き散らされるのと同時、01は手足を大の字に広げて減速、落下を続ける首領との距離を取る。

 次の瞬間、閃光と熱が首領の全身を舐めた。衝撃波と爆音と爆風が支える物のない身体を容赦なく吹き飛ばす。天地が激しく入れ替わり、自分がどこを向いているのかさえ分からなくなる。


 地上の灯りを頼りにどうにか上下を割出し、01の姿を探そうとしたのと、爆炎をぶち破って01が突っ込んで来るのはほぼ同時だった。

 首領がどうにか地上に背を向け、空気抵抗を最大限に発生させながら落下しているのに対し、頭から地上に突っ込むように、真っ逆さまに加速しながら突っ込んで来る。


 虚を突かれた首領は、01の接近に対処することが出来なかった。

 

 ただ01が突っ込んで来ただけなら、いくらでも対応はとれただろう。

 だが、首領の目は、突き出された01の腕に釘付けになっていた。夜闇の中に淡く輝く赤の燐光を纏った腕に。


 映像記録で何度となく目にしてきたその光は、首領の記憶と違うことなく、数秒で真紅の閃光へと変化する。〈レッドストライカー〉大河原圭介が、数多の〈メタコマンド〉を消滅させてきた裁きの光。紅の鉄槌。


 「アナイアレーション・フェノメノンだと!?」


 あまりに予想外の光景に驚愕し、混乱した首領は、自分がその眺めに見とれている事に気付くことが出来なかった。


 銀色に輝く満月と、そこへ雲の代わりに薄く掛かる黒煙の陰影を背に、血と汗と煤と土に塗れたあどけない少女が降りてくる。

 かつて悪魔の群れを駆逐して世界を救った英雄の力を借り、邪悪を焼き祓う光を手に迫る姿は、あまりに出来過ぎた美しさだった。


 「ハ……」


 思わず笑い声が出掛かる。

 

 〈レッドストライカー〉と密接に通じ、優れた技術を有する巨大都市の全面的なバックアップを受けている。〈レッドストライカー〉が独自に手にしていた技術を複製、移植していたとしても不思議はない。だが、妙に感慨深いものを感じる眺めだ。


 そう言えば、〈レッドストライカー〉が〈ブラックパルサー〉に対して本格的に牙を剥き始めた時にもこんな感傷を抱いていた。


 「何とも、気骨ある奴らよ」




 〈ブラックパルサー〉というチンピラの集団。その指導者として、首領はこれまでずっと、不愉快な日々を過ごしていた。

 煽ててやらねば満足に動かず、出来ることと言えば圧倒的な借り物の力で弱者を蹂躙するだけの部下。少しは組織が正常化しないかと働きかけたこともあったが、既に腐敗しきってしまっていた大組織は、いかに首領の意向と言えども改善は出来なかった。


 〈ブラックパルサー〉は、決して清廉潔白な組織として結成されたわけではない。だが、少なくとも発足当初はそれなりに理解し共感も出来る存在ではあった。

 事実、〈ブラックパルサー〉発足当初の世界情勢はあまり感心出来るものではなかった。かつての大戦後、平和に慣れ過ぎたが故に、人間を生まれついての高貴な存在と盲信し、過去の争いを愚者の暴走と切って捨てるだけだ。自分たちはどんな状況に置かれても、決して過去の過ちを繰り返すことはないと決めつけていた。過去の愚者より、政治にも軍事にも歴史にも無知でありながら。


 それを是正する為に陰に日向に、時には手を汚すことも躊躇せず邁進していた組織は、間違いなく世界を変えた。

 世界各地、先進国も途上国も関係なく破壊活動を行い、平和の脆さというものを突き付けた。陸海空の交通を分断し、工業地帯、農業地帯に打撃を与え、戦火をばら撒いた。


 人類社会に深刻な、しかし、致命的にならない手傷を負わせ続ければ、人類はそれだけ鍛えられる。犠牲者が出たとて、それを上回るだけの物を得られれば良い。事実、〈ブラックパルサー〉出現の後、人類社会はある意味では強くなった。官民共に、危機管理能力は跳ね上がり、軍事技術に限って言えば、〈メタコマンド〉に少しでも対抗できるようかなりの進歩があった。更に、凄惨な悲劇を各地で引き起こしたことで、平和を貪りすぎた人間の意識に変化をもたらしていた。

 戦乱など、テレビの向こうかフィクションの中だけの存在。清く正しく生きていればそんなことをする必要はない。自分たちは無為に戦いを引き起こす指導者など選ばない。それが慢心、驕りであることを突き付けたのが〈ブラックパルサー〉だ。

 自分たちがどう考えていようと、害を為してくる者は存在する。自分が平和を愛していれば戦争など起きないなど、子供の妄想でしかない。更に、自分が戦火に巻き込まれようと人間性を失わないというのも酷い傲慢でしかないという事を、平和な先進国の人間も理解せざるをえなかった。追い詰められれば見知らぬ隣人への友愛など、手をふさぐお荷物でしかない。砲火や冷酷な殺人集団に追われてしまったなら、転んだ幼子を踏みつけてでも逃げねばならない。そんな現実をようやく人々は理解し、そうならないように真に対策を取り始めた。


 だが、時をほぼ同じくして〈ブラックパルサー〉の過激化、先鋭化が始まっていた。

 組織の目的は、世界の是正から制服へと転化した。最悪な状態で首領の座に就く羽目になった首領は、いっそ自力で組織を叩き潰そうかとさえ考えたが、それは実行されなかった。


 圧倒的武力、組織力、技術力を以って世界を蹂躙する〈ブラックパルサー〉に、正面切って反抗する男の出現によって。




 「愉快だ。痛快だ。下らん立場に留まり続けた甲斐もあろうというものだ」


 眼前に迫る光を凝視しながら首領は歓喜の表情を浮かべる。

 〈レッドストライカー〉出現以降、首領は正に生き甲斐を得た。先代の首領にある程度の敬意と理解だけを理由に組織に参入していた首領にとって、〈ブラックパルサー〉自体は重要な存在ではなかった。ましてやチンピラの集いと化した組織など、むしろ早々に潰れてくれた方が面白い。世界の未来にもそこまで関心はなかった。そして、自分は組織をある程度主導できる立場にいる。もっともらしい題目を唱え、豚を煽てて災禍を振り撒き、同時に警察機関や軍、〈ブラックパルサー〉被害者からなる抵抗組織を通じて様々な情報を〈レッドストライカー〉にリークする。


 後は面白い程に事は上手く運んだ。


 出現当初より侮れない面を見せる〈レッドストライカー〉だったが、時が経つにつれて戦い方も巧みになっていった。単純な戦闘能力だけでなく、リークに頼る必要もなく情報を掻き集め、引きずり出し、〈ブラックパルサー〉を蹂躙していた。増長し、腐敗しきった巨大組織を、勇敢な反逆者は見事に叩き潰したのだ。


 そして、ここにきて〈タイプα01〉だ。

 元より、首領の眼鏡に適って改造された少女だが、ここまでの成長を見せてくれるとは思わなかった。まるで〈レッドストライカー〉の存在を知った時の様な興奮に包まれながら、首領は自分の胸に赤い光が叩き込まれるのを目にした。






 「見事だ、〈タイプα01〉。貴様の師に追いつく日も遠くはないだろう」


 大空から真っ逆さまに落下しているという状況で、首領は穏やかに言った。

 

 「ありがとうございます」


 同じく真っ逆さまに落下しながら、01は率直に礼を言った。

 明確に強敵と言える首領から、自分が最も憧れる存在に追いつけると評されたのだ。01自身、その感情を理解出来てはいなかったが、後にどんな気持ちだったか質問したのなら「嬉しかった」と答えるだろう。


 「しかし惜しいな。貴様とはもう少し拳を交えていたかったが、流石に長くはもたんか」


 首領は自身の胸に灯る輝きを見下ろし、小さく唸った。赤い輝きを放ち、反物質を周囲から隔絶しているエネルギーフィールドは間もなく消滅するだろう。そうすれば、体内に打ち込まれた反物質と首領の身体は対消滅を起こし、光と熱、爆風と音へと変換される。


 「私としては、無視できないダメージが蓄積されてきているので、出来ればこれで終わりにしたいのですが」

 「ハハハハッ、違いない!」


 首領は豪快に笑うと、さらにその笑みをニヤリとした不敵なものに変えた。


 「まあいい。後はあの世での楽しみにとって置こう。貴様らがどれ程面白くなるか、未だ底が知れんからな。向こうからゆっくりと見物させてもらうぞ、〈タイプα01〉」


 あの世、向こうといった言葉の意味はわからない。01がそれを問い質そうとした瞬間、閃光が走った。


 「っ……!」


 首領の姿は光の中に掻き消え、直後に巨大な爆炎へと変化した。

 対消滅によって首領の質量は莫大なエネルギーへと変換され、空気を焼き、膨張させる。それは爆風となって01を襲った。


 疲弊した身体を更に翻弄され、01はもはや自分がまっすぐ落ちているのかどうかもわからなくなる。


 「これは、少々いけませんね……」


 〈メタコマンド〉とはいえ、疲弊しきった無防備な状態でこの高度から落下すれば耐えきれない可能性が高い。まだ地上まで距離はあるが、落下しながら休息を取るのは困難だ。どうにかして落下方向を制御し、海へと落下すれば衝撃は殺せる。だが、01の緊張の糸は既に切れていた。疲弊と相まって視界はぼやけ、息は中々整えられない。酷い眩暈は、逆さまに落下している事だけが原因ではないだろう。落下方向も自分の位置も、まともに把握できる状態ではなかった。


 「……今一つ、実感に乏しいですね」


 〈レッドストライカー〉でもある程度は手を焼く相手を倒した。

 それは間違いなく、自身の成長の証であり、誇るべき事だと思えるが、どうにも満たされない。否、むしろどこか落胆に近い感情さえ抱いている。ふと、自身の右手を見やり、01は小さく頷いた。


 「ああ、成程……」

 

 確かに自分は首領を倒した。だが、それは、あまりにも多くの力添えを受け、入念な下準備があったからに過ぎない。自分の力だけでも前回よりは健闘出来ただろうが、それでさえ〈レッドストライカー〉大河原圭介の指導があってのことだ。実力の上では、まだ自分は首領には遠く及ばないだろう。

 にもかかわらず、首領は消滅した。01は事実上、実力で首領を下す機会を永遠に喪失したことになる。


 「これが、殺す……命を奪うという事ですか」

 

 首領はいない。もう世界のどこにも存在していない。熱と、光と、爆風になって消えていった。

 それ自体は歓迎すべきことだ。脅威がなくなったのだから、喜んでもいいはずだと思う。


 にもかかわらず、01は心の何処かで奇妙な喪失感を覚えていた。

 先の戦闘で、01は少なからぬ恐怖感を押さえ込んで戦っていたが、それだけではないというのも事実だ。首領の一撃を避けるごとに、首領に一撃打ち込むごとに昂揚感を感じていたことを、01は自覚している。


 襲い掛かる激痛、気圧されるごとに感じる恐怖、そして相手が排除すべき障害であるという事実。それを考慮しても、01は首領の消滅に、「惜しい」という思いを抱いていた。


 自分はまた罪を犯したのかもしれない。

 01には未だ、倫理観というものはキチンと根付いてはいない。ただ自分の中に新しく芽生えた空虚な喪失感は、罪に対する罰ではないかという、子供染みた思いがそんな考えを持たせたのだ。そしてそれは、01に一抹の不安を抱かせた。

 脅威を排除しただけで喪失感を覚える、それが命を奪うということだとすれば、何の落ち度もない命を大勢奪った自分はいずれ、相応の罰を受けるのだろうか。


 「命を奪うというのは、存外に重荷だったのですね……」

 「それが分かってりゃオッケーだ。殺すなんてのは楽しいもんじゃないからな」


 ガクンと落下に制動が掛かった。速度が大幅に落ち、落下は降下に変わる。

 

 「……その、もう少し丁寧に扱っては頂けませんか?」

 「無茶言うない。こっちだって自在に飛び回れるわけじゃないんだ。こうやって場所とタイミング合わせるだけでひと苦労だったんだぜ?」


 01の右足首を逆さ吊りにするように掴む〈レッドストライカー〉に抗議する。本人も01をぞんざいに扱うつもりはないらしく、十分に減速し、空中で停止すると素直に01の腰を抱きかかえる形に支え直した。


 「首尾は如何でしたか?」

 「こうしてお迎えに来てやったんだ。余裕のよっちゃんで片づけたに決まってるだろ?」


 言葉通り、消耗した01に対して〈レッドストライカー〉は体力にも十分な余力を残しているようだ。あの二人の〈メタコマンド〉もかなりの強敵であったろうに大したものだ。


 「で、おまえの方も片付いたみたいだな」

 「ええ、お陰様で。あまり愉快な気持ではありませんが」 

 「惜しい事をした、か?」

 「はい。明確な障害、天敵が相手だったにも関わらず、妙な事ですが」

 

 疲労も傷も負っている01は言葉を深い息で何度も切りながら返す。本来なら喜ばしい状況だというのに、気分は晴れない。全身の痛みに顔を顰めていると、ポンポンと頭を叩かれた。


 「いいことだぜ。その感性は大事にしとけ。命のやり取りなんぞ、楽しいもんじゃないんだからさ」

 「正直、命を奪った実感さえありません。骨を砕き、臓腑を潰す感覚も、ありませんでした」

 「そのために俺の必殺技持たせてやったんだろうが。人を殺す感覚なんぞ、さっさと忘れっちまえばいいんだ。そんなもんより美味いもん食って風呂入って寝る幸せを噛み締めようぜ?」

 

 ポンポンと叩いてきていた手が頭に置かれ、今度はクシャクシャと撫でつけてくる。

 疲れ切り、項垂れていた顔を上げると、白い歯を見せる〈レッドストライカー〉の笑顔があった。


 「お疲れさん、よく頑張ったな」


 ふと、全身から力が抜けた。

 気力の尽きたなりに、疲労感や痛みに抗っていた身体から、完全に力が抜け落ちた。ほんの僅か、意識の片隅にこびれ付くように残っていた緊張感、その最後の一辺がするりと抜け落ちた。

 首領を倒しただけではない。ひとまずは平穏な、以前であれば無為に感じていた心地よい時間が再び流れ出したことを理解する。


 「どした?」

 「いえ。何だか、甘い物が食べたくなりました」

 「いいな。後で何か買ってやるよ。まあ、時間的地理的にコンビニスイーツになるけど、いいよな?」

 「御馳走になります」

 

 会話が途絶えた。

 未だ高度は数千メートル以上、轟々と吹き荒れる風の音を聞きながら二人はゆっくりと地上へと降下していく。


 難しい事は今は忘れよう。

 自分の知識や理論では結論が出そうにない。ならばこれから学んでいく他にないだろう。アドバイスぐらいならしてやる、と〈レッドストライカー〉から言質も取ってある。

 今はとにかく、大河原圭介達の元へ戻ってきたことで十分だ。


 そう考えた01は、〈レッドストライカー〉の肩に頭を預けて休む。幸い、拒絶はされない。

 01は視線で謝意を示すと、そのまま重くなってきていた瞼を閉じた。




 「ん……?」


 薄くもやが掛かる目を何度か瞬かせ、圭介は顔を上げた。

 白い壁、白い天井、白い照明、テレビと花瓶の乗った木製の棚。明るい日の差し込む窓の外には、古見掛の街を見下ろす絶景が広がっている。もはや馴染みとなった、古見掛市中央病院の病室、椅子に腰かけたままウトウトしてしまっていたらしい。


 「……くあぁ」


 欠伸をしてチラリとベッドへと目をやる。

 血や土、煤などの汚れを洗い落とし、清潔な入院着を着て、01が穏やかに寝息を立てていた。


 「ん。平和でよろしい」


 極度の緊張を伴う戦いで心身ともに疲労しきっていた01をこの病院に運び込んだのが深夜。一通りの診察と治療を終え、半分眠っていた01をシャワー室に放り込み、大事を取っての入院に付き添う形となった圭介も、諸々の疲れから長いうたた寝に堕ちていたようだ。

 

 「……」


 立ち上がった圭介は、腰に手をやって眠っている01の顔を覗き込む。


 「こうしてると、ホントにあどけない女の子なんだけどなあ」


 つい半日前まで悪の組織の首領と死闘を演じていたとは思えない、安らかな寝顔に圭介は複雑な表情を浮かべる。

 何の因果で、こんな少女が〈メタコマンド〉などにならなければならなかったのか、家族や友人と呼べる人々はどうしたのだろうか、命を奪ってしまった経験を今後抱えていけるのか、などと重苦しい事をつい考えてしまう。


 (いかんいかん。その辺はバッチリキッチリフォローしていけばいいんだ。変に俺が悩むことじゃないやね)


 今後のことを計画することは大事だが、思いつめるのはよろしくない。そう考えながらも、やはり簡単に気持ちを切り替えることが出来ず、打開策として01の頬を突いてみる。

 

 「うわぁ~、やわいな~」


 人差し指で頬を突く感覚は、あっさりと圭介の思考を真剣な悩みから煩悩の世界へと引っ張り込む。

 柔らかで温かい弾力を弄びつつ自分の頬も緩める。


 「……何かご用でしょうか?」


 気だるげな、というよりも、半分死人の様な声で01が呟いた。


 「あら、起きた?」

 「はい、お陰様で」

 「おいおい、いつの間に嫌味なんぞ覚えたんだよ。まあいい兆候だけど」


 頬を突き回されて眠りを妨げられた01は、顔を顰めながら圭介を睨んでいる。


 「……あれから、どれだけの時間が過ぎましたか?」

 「まだ半日程ってとこかな。どうだい、身体の具合は」

 「……悪くありません。もう痛みもないようです」


 01は仰向けに横になったまま暫し中空を眺めていたが、眠そうな顔で何度か頷いてそう答えた。


 「そう? なら良かった。この街の医療は優れものだし、元々の回復力もあるからな。ま、後でも一度再検査があるからそれだけ受けとけな」


 頷いた01は眠たげに瞬きを繰り返していたが、やがて僅かに頭を上げた。


 「一晩中、付き添って頂きましたか?」

 「まあな。といっても寝ずの看病ってわけじゃないし、気にすんなよ」

 

 圭介は再び椅子に腰かけて手をヒラヒラと振る。

 その様子を見て、01は欠伸をかみ殺しながらも目を擦って身を起こした。


 「起こしといてなんだが、もうちょっと寝ててもいいんだぜ? 再検査、どうせ午後からだし」

 「いえ、意識ははっきりしてきました。睡眠時間は十分のようです」

 「そっか。まあよかったよ、元気そうで」


 少しの間、会話が途切れる。

 

 (ん~、こうして見ると平和と言い切れるもんでもないかなあ……)


 01の顔から眠気が抜けていくのと入れ違いに、そこにどこか物憂げな表情が浮かんでいるのに気付いた。

 昨夜の件で思う所があるのか、率直に言えば元気がない。命のやり取りにあまりに頓着しないのも問題だが、こう深刻に受け止めるのもよろしくない。恐らく、初めて自覚的に命を奪った事が生真面目な01の性分と悪い具合にマッチしてしまったらしい。

 つい先日まで01が命のやり取りの重大性を認識していない事を案じていたというのに、皮肉な話だ。


 (そういや、最初にあった頃は記憶がないことで結構思いつめてたっていうか、俺との戦いにやたら入れ込んでたな……)


 圭介はフムンと一つ唸って立ち上がった。


 「よし、01。検査終わったら飯食いに行こうぜ」

 「は?」

 「美味いもんたらふく食いに行こうぜって話。皆も誘ってよ。悩み事は美味いもん食えば紛れるし、俺含めて五人もいれば色々と話も聞いてやれるしさ」


 01は確かに強い。改造された肉体は強靭で、精神的にも決して弱くはない。

 だが、それでも脆い面がある。頼もしい後輩とも思うが、悩める乙女でもあるのだろう。ならば、圭介が取るべきはその助けとなる行動だ。悪党と渡り合うだけが正義の味方の仕事ではない。どうせなら敵との戦い方ではなく、人生の楽しみ方を教える方が圭介としても気楽で面白い。


 「さんせーい! 快気祝いも兼ねて、ガッツリ行きましょー!」

 「肉肉野菜! 肉肉肉野菜肉ー!」

 「いいじゃないか。甘い物でもつまむか」

 「えと、みんな。ここ病棟だから控えめにね……」


 都合のいいことにドアの向こう、廊下に張り付いていたらしいいつもの面々も乗り気であるようだ。ノリのいい声が病室にも遠慮なく響いてくる。


 「ハハ、騒がしいこって……」

 「ええ、そうですね。ですが……」


 01の口元が、ほんの僅かに緩んでいるように圭介は感じた。


 「魅力的な提案ですね。是非、ご一緒させて下さい」

 「あー、女の子口説くにはやっぱり楽しく美味い物食うのが一番いいのかねえ……」


 明らかに01の纏う空気が変わったことを感じ取り、圭介は苦笑する。

 もしかすると自分は思っているほど口が上手くないのかもしれない。今後はもっと積極的に食べ物で釣るか、などと失礼なことを考えながら、検査後の予定を組み立てる。


 「しかし、何か忘れてる気が……」


 ちなみに、一行は再びファミリーレストランで楽しくやっている所で債権者に遭遇し、非常に気まずい思いをすることになるのだが、それはまた別の話である。

何という難産であったかこの作品。

期間的にも結構長く掛けてしまいましたが、ここまで目を通して頂いてありがとうございます。

次回作とかどうしようかなあとしばらくは悩んだりしようと思いますが、たまにこっちの短編集「コミカケファイト」http://ncode.syosetu.com/n9221bz/にも投稿しようと思ってますのでご興味があれば前作共々に是非一度目を通して頂ければ……(露骨な誘導)。

お付き合い頂いてありがとうございました。また拙作が目に留まりましたら見てやって下さい。

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