01……零に非ず、〈ブラックパルサー〉最後の敵
「ぬう、小娘と思っていたが……中々にやってくれる……」
地面に腰を下ろし、首領は深く息を突いた。
外傷は既に塞がっているが、流石に首領の身体にも少なからぬダメージが残っている。様々な小細工を駆使した上でのことではあったが、01の攻撃はそれなり以上に首領に通用していた。
「しかしまあ世話の焼ける……」
少し離れた位置にある、比較的小柄なクレーンを見上げつつ、首領は忌々しげに顔を滴る海水を拭った。
視線の先、クレーンの先端では、<タイプα01>が意識を失っている。
正確には、意識を失ったまま、ワイヤーで交差した両手を括られた状態で吊るされていた。
いつまでも海から上がってこない01が意識を失っていることに気付き、引っ張り上げたはいいものの、首領はその後始末に困った。
意識を失ったままの01に止めを刺すなどは論外であった。これまで散々待たされた決着をそんな形で付けるなど認められない。
だが、首領自身休息の時間が欲しい状況でその辺りに転がしているのも危険だ。戦闘服のあちこちに様々な武装を仕込んでいるらしい01だ。いつ意識を取り戻して不意打ちを食らわされないとも限らない。
ひとまず目の届きやすい所に拘束しておいて、その間に息を整える事にしたのだが、つい先程、<レッドストライカー>と二人の<メタコマンド>が繰り広げていただろう戦闘の騒音が途絶えた。最後に派手な爆発音と爆炎が二つ上がったのを見るに、恐らくは<レッドストライカー>が勝利したのだろう。
そう考えるといつまでものんびりとはしていられない。ただでさえ01を吊るしてからというもの、周辺に潜んでいるだろう監視者から殺気だった気配が伝わってきているのだ。
01のあの姿を見たなら<レッドストライカー>は完全に逆上して首領を叩き潰しに掛かって来るのは疑いない。01との決着を付ける前に、消耗した状態であの男と一線を交えるのは正直避けたい。<レッドストライカー>と戦うこと自体はむしろ望む所だが、01との戦いを放り出し、疲弊した状態で不本意に敗北するのは気が進まない。
「……仕方あるまい」
まだ体力は十分に回復していない。それは01も同じだろうが、そろそろ起きてもらわなくてはならない。
座り込んだまま拳を地面に軽く打ち付け、砕いたアスファルトの破片を手に取る。疲労してきた身体で、面倒くさげにその破片を放ると、上手い具合に01の頭上、クレーンの先端部に当たった。
ガンッ、とそこそこに大きな音が響いたが、01は目を覚まさない。
ため息を吐いてもう一度、一回り大きな破片を同じ部分に今度は強めに投げつける。
ガアンッ! と今度は騒音と言っていい音が鳴り、ようやく01は力なく垂れていた顔を上げた。
「……?」
「お目覚めか?」
01は二、三度頭を振り、怪訝そうに首領を見下ろしていたが、やがて吊るされていることに気付いたらしく、どこか非難がましい目を首領に向けた。
「これはどういった冗談でしょうか?」
「こちらにも事情があってな。無礼は詫びるが、呑気に海の底で居眠りに興じていた貴様をサルベージしてやったことには感謝してほしいものだが」
不測の事態に海底で備えていた古見掛のダイバーや半漁人やら救助用の小型潜航艇などが出鼻を挫かれて若干拍子抜けしていることなど知らないし、知ったところでどうでもいい首領は肩を竦める。
「そうでしたか。それについては感謝しておきます」
01は素直に頭を下げる。同時に、01の両手を拘束していたワイヤーが再び火花を散らして切れた。
支えを失った01は数秒間の落下の後、地上に帰還して首領を見据える。
「お身体に不調でも?」
「そこまでは言わんが、私もいい年だ。若者と全力でやり合うのは少々堪える」
言いながらも立ち上がり、首領は大げさに首を回した。
「腕を上げたな」
「ありがとうございます。なにぶん、師が師ですので」
「違いない。姑息に不意を突くというのは、個人的には好かんが、有用な戦術には違いない。猪頭の貴様にそれをここまで身に着けさせたのだ。奴め、意外に教職が向いているかもしれんな」
「率直に言えば意外でした。<レッドストライカー>がこれほど不意打ちや奇策に通じているとは」
「確か、貴様は映像記録でしか奴を知らなかったか。無理もあるまい。貴様が生み出されたのは対<レッドストライカー>を目的としている。奴が成長し、脅威となったからこそ貴様は製造されたし、奴が組織に脅威と認識されるまでは情報収集などもほとんど行われなかったからな。そして情報収集が始まった時にはすでに遅しというわけだが。そこに至るまでには姑息な真似も必要だったろうが。と言っても、奴は脱走直後から油断のならない存在だった。施設の無警戒をいいことに、爆薬だのガソリンだのを持ち込んで吹き飛ばす。混乱をいいことに施設から金になる物を根こそぎ持ち出し、その金で更に大量の爆薬を買い込んで手当たり次第に組織の関連施設を潰していく。最初の頃は尾行も意味を成していたのだが、逆に尾けていた工作員を痛めつけて組織の情報を吐かせもしたな。あれはいいテロリストになれるぞ」
「教職とテロリストというのは中々に方向性が違うように思いますが。ふむ……」
「む? どうした?」
油断なく首領を睨みつけながらも口元に手をやって考え込んでいる様子の01に問う。
「いえ。随分と饒舌に話されると思いまして」
「はは、面白い奴の話は話している方も面白い。貴様とて今日はよく舌が回っているようだが?」
首領の言葉を受け、01はキョトンとした様子になった。
数秒後、俄かに渋い顔を浮かべて肯首する。
「否定は出来ませんね。確かに彼の情報は興味深い。敵の話に聞き入るなど、あまり褒められたことではないのですが」
「仕方あるまい。誰しも趣味の話は弾むものだ」
「趣味……私にはあまり縁のない話、でもありませんか。ここ最近は戦い以外にも色々と楽しみというものを学んでいますし」
「ほほう、それは例えば?」
「大河原圭介に、後日お菓子とジュースを振る舞っていただく予定です」
「……」
所帯染みた、というよりも、小学生でも相手にしているかのような会話。
声色にほんのわずかに気色のような物を感じ取った首領は、そのあまりにささやかな喜びを楽しみにしているらしい01にほんの僅かに不憫さを感じた。
「戦いと菓子を同列に語られるのも複雑ではあるが……まあいい」
拳を握り、構え直す。
「話もいいが、趣味とは実践してこそだ。あまりグズグズしていると当の本人が踊り込んで来かねん」
「一理ありますか。私も雪辱を果たさぬままに勝負が流れるのは面白くありませんし」
01も応じて身構える。
「では今一度始めようか」
駆け出しながらも、首領は後ろ髪を引かれる思いを感じていた。
首領はこれまで、<タイプα01>に対しては干渉してこなかった。素体となった少女の意志がどれだけ01に受け継がれたかは定かではない。だが、首領が過度に干渉すれば、常識や記憶が欠落し、虚ろな状態になっていた01が首領の意志や思想に染まってしまうことは容易に予想できた。故に、他の下衆な構成員とも必要以上には接触させずにいたのだが、それは01との接触、コミュニケーションが十分に取れないという問題も発生していた。
無論、彼女の細かな動向、言動について間接的な報告は受けていたが、直接顔を合わせ、言葉を交わすことは拳を交えた日が初めてだった。
(自我は未だ希薄ではあるが、それでもだいぶ奴の影響を受けている。一度ゆっくり語らう場でも設けておくべきだったか)
まだあまりに無垢な状態ではあるが、少なからず人間らしさを身に着けている今なら、こちらが気を付けていれば首領の考え方に影響されることもなかったかもしれない。
心の片隅に惜しい事をしたという思いを抱きながら、首領は再び戦いへと身を投じる。
殴り飛ばされた01は大地を激しく転がったが、その勢いを利用して素早く起き上がった。
それが功を奏し、追撃として突き下ろされた首領の右足をどうにか回避して首領の懐に潜り込むことが出来た。
だが、それが限界だった。
01が跳び込んだ懐は、首領が敢えて左手を高く掲げて隙を見せていたあからさまな罠の只中だったのだ。01が無防備な首領の胴体に拳を撃ち込む前に、その頭上に肘鉄が振り下ろされていた。
脳天に襲い掛かる衝撃と、地面に叩きつけられた衝撃に思わず目の前が暗くなりかける。しかし、あまりにも単純な誘いに乗ってしまった屈辱が意識を無理矢理繋ぎとめた。
01は瞬時に上半身を起こし、首領の膝裏に向けて、お返しとばかりに肘鉄を突き立てる。
思わぬ攻撃に対処が遅れたのか、首領は僅かに体勢を崩す。その隙を逃さず、01は起き上がりながら首領の身体に肩を叩き付け、更にそこから怯んだ首領に拳を叩き込む。
「っ……ふざけた真似を」
01の鉄拳に軽く飛ばされながらも首領は大きくは崩さなかった。たたらを踏みつつも01に正面から対する状態で構え直す。
「何でも古い遊びだそうで。確か、膝カックンとか」
「奴め、しょうもないことを教え込みおってからに……」
首領は一瞬苦い顔をするが、すぐに距離を詰めてくる。
01は間合いを取るべく素早く後退する。しかし、先に相手が動いている以上、相手の方が早い。先程とは逆に、懐に首領が跳び込んでくる。
「くっ……!?」
ごく小さな動きで、首領が自分の横腹に拳を滑り込ませようとしているのに気付いた01だったが、既に回避は不可能な距離だ。一撃貰う事は避けられない。そう判断した01は、首領の頭に渾身のヘッドロックを掛ける。無論、それで攻撃の手が疎かになる相手ではない。それでも01は全力で首領の頭部を締め上げる。
次の瞬間、横腹に突き立つような衝撃と痛みが走る。口から空気と反吐を吐き出し、しかし01は首領を離さない。首領の頭を抱えたまま、苦悶の声と共に右足を振りかぶり、突き上げる。
「ガッ……!」
腹に膝を勢いよく突き立てられた首領の口からも息が漏れる。
01も苦悶の声が喉から上がり掛けるが、歯を食いしばって堪える。そんなことに浪費出来る体力は残っていない。首領の見せる貴重な隙を突くべく、今自分がされたように、最低限の動きで拳を撃ち込む。
しかし、死力を尽くした一撃が届くことはなかった。頭を抱えられたまま01の挙動を察知したらしい首領は、至近距離からの突きを掌で受け止め、そのまま01を引き剥がし、中空へと放り捨てていた。痛打を受けたばかりの01は状況の把握も、それへの対処も遅れる。どうにか事態を理解し、追撃を警戒して地上へと目を向けるが、そこに首領は存在しない。
「っ!」
背中に冷水を浴びせられたような嫌な感覚と共に、背後に気配を感じ取る。振り返ろうとした瞬間、背骨をへし折らんばかりのこれまでにない一撃が襲った。
悲鳴を上げる間もない。地上十メートル程まで上昇していた身体は自由落下とは比較にならない勢いで大地に叩きつけられ、砕けたアスファルトが広範囲にわたって捲れ上がる。
「あ……ぐ……っ」
強烈な攻撃を背中に受けた上に、胸から地面に叩きつけられた01は、数秒の間完全に失神していた。幸か不幸か激痛が意識を呼び戻したが、呼吸はおろか咳き込むことも出来ない。
痛みと呼吸困難に悶えながら、01は必死に地を転がってその場を離れる。
追撃はない。01が置き捨てられていた資材にもたれながら、どうにか立ち上がったのと同時に、首領は01の落下地点から数メートル離れた位置に着地した。
「いや、見違えたぞ。無論まだまだ未熟ではある。だが物を考えた戦い方だ。それに、多少の攻撃には怯まず喰らい付いて来るようになった。フフ、どこぞの生意気な小僧を髣髴とさせるな」
「……それは、どうも」
ふらつく足で地面を踏みしめ、01は首領を見据える。
強い。
確かに首領の言う通り、前回とは比べ物にならない程、健闘出来ているのは事実だろう。首領にもそれなりに疲労やダメージを与えられている。だが、それもあくまでどうにか対抗出来ているという程度でしかない。
大量の武装をあらかじめ用意し、地の利も把握している戦場で、手段を選ばず死に物狂いで戦っているというのに、首領にはまだまだ余裕が見られた。対して01は既に戦闘の継続が難しい程に消耗している。
正面から正攻法で挑んでいれば、今頃01は完全に敗北を喫していただろう。
「感謝しますよ。大河原圭介……」
「む?」
「奇襲、奇策が如何に有効か、彼はこの身を以って理解させてくれました。それに、恐怖というものへの免疫も与えられました。この二つがなければ、打つ手がないこの状況に屈していたかもしれません」
「それはつまり、まだ何かしら手を残しているということか?」
「そうなります。あなたの仰る通り、この身は未だ未熟。<レッドストライカー>大河原圭介に並び、凌駕するには、彼に指導頂かねばなりません。ですから今は奇襲奇策でこの場を切り抜けましょう」
首領は跳躍し、01の頭上へと鉄拳を振り下ろす。未だ足に力の戻っていない01は逃げることも出来ず、ただ襲い来る首領を見上げるだけだ。
「ならば見せてもらおうか! 果たしてどんな細工を隠し持っているのか! その消耗した身体でそれを活かせるのか!」
「わかりました。それでは……」
01は苦しげにしながらも落ち着いて、何かに合図でもするかのように片手を掲げた。
「了解だ。待ちくたびれたぞ」
少しばかり皮肉げな声が、どこからともなく響く。
次の瞬間、01の視界は白に塗り潰される。業務用の冷凍庫にでも放り込まれたような冷気が露出した顔を乱暴に洗い、付着していた煤や土を吹き飛ばしていく。神経系も疲労してきたいた01にとってその感覚は心地よく、ぷっつりと切れそうになっていた緊張の糸を僅かに緩めてくれた。
「さて、正念場ですね。お預かりしたもの、有効的に活用させて頂きます」
白い霧に阻まれながらも、辛うじて見える右手を01はぎゅっと握り込む。
その直後、霧が霧散して自身の拳がはっきりと見えた。戦闘服のグローブに仕込まれた武装の一つをじっと見据え、01は落下を開始する。
霧の晴れたそこは、闇の世界。人の住まう灯りを遥か眼下に見下ろす場所。夜である為、より異界との境が曖昧になった世界の最果てだった。




