新友の来襲……大多数が悲鳴を上げるイベントをぶち込む勇気即ち蛮勇
参った、というのが圭介の正直な心情だった。
顔の筋肉が引き攣り、まともな表情が失われている。肌にはジワリと汗が染み出し、口の中が乾いていく感覚。
この感覚は、焦燥か、混乱か。あるいはもっと他の何かかもしれないが、圭介にそれを考えるような余裕はなかった。膝から崩れ落ちないよう、気を張っているのが精一杯だ。そうでなくても息は乱れ、人工心臓もかなり速足の拍動を続けている。考え事をする余裕も、現在の圭介の意識からは失われていた。
「どうかしましたか? 大河原圭介」
眼前に立つ少女、〈タイプα01〉は不思議そうに首を傾げている。
だが、圭介はその声に一歩後ずさる。窓から差し込む光を背負ったシルエットは、昨日までと一変していた。その癖、いつもと何一つ変わらない声や仕草が圭介を一層混乱させる。
予想外というのか何というのか。あまりにも自分の問題処理能力を超えた事態に声にならない声で呻く。
01に市から提供された仮住まい、決して広くも華美でもないが、人一人が生活するには十分な空間。そこで圭介が対峙しているのは、見知った少女ではない。長い髪を揺らし、冷たくも怜悧そうな瞳で見つめてくる01はそこにはいない。
だが、そこにいるのは間違いなく〈タイプα01〉その人でもある。
自分の手には負えない状況と判断し、素早く携帯電話でSOSを発したが、未だ救いの手は差し伸べられていない。
(何でまた、こんな事に……)
ほんの数分前まで、自分は01と雑談を交えつつ今後の話し合いをしていたはずなのだ。それが、一瞬目を離した隙にこの事態だ。
悔恨とも反省ともつかない感情で頭が真っ白になる。
恐慌状態に陥るまで残り一秒となった時、背後のドアが蹴破られるように開いた。
「圭介! 何があったの!?」
「何だ何だ、何事だよオイ!」
SOSを受信してくれたらしい友人達、まずは李佳奈美と里村博次が大口径の拳銃を構えて飛び込んでくる。博次が手にしているのはごく普通の自動拳銃だが、佳奈美の掌にあるのは明らかに生身の人間には扱えないだろう、怖ろしく物々しい大口径のリボルバーだ。そして鉄板どころか鉄骨だろうと簡単にぶち抜いてしまうだろうそれを構えたまま、佳奈美は凍りつく。博次も眉を顰め、あんぐりと口を開けた。
「大河原君、01さん!?」
「フミカ、あまり慌てるな」
さらに遅れてナガミネ・フミカがパタパタと駆け込んでくる。続いて、殿として背後を警戒していたらしい真田慎太が特殊警棒を構えつつ後ろ向きに後退しつつ現れる。そのまま呆然と立つ尽くすフミカの背中にぶつかり、何事かと振り返った慎太も怪訝そうな顔をした。
「よ、ようおまえら……。来てくれて助かったぜ……」
どうにかそれだけ言葉にしたところで、とうとう圭介はガックリと床に膝をついた。佳奈美とフミカも後に続くように膝を折り、あるいはへたり込む。
比較的冷静な博次と慎太は少し黙り込んでいたが、やがて我に返ったように01を指さし、叫んだ。
「「お、おまえどうしたその頭ああああーーーーっ!?」」
唐突な叫びに戸惑ったのか、01は僅かに眉根を寄せて首を傾げた。
ナイフ―以前使用していた高周波ナイフに代わって新たに用意された電磁ナイフ―と、それによって無残に切断された美しい髪を手にしたまま。
「で、これはまた一体どういうことなのよ」
まだ家具の足りない部屋、車座になって床に座る一同の間に漂う重い空気を打ち破るべく、佳奈美が事情聴取の先陣を切る。
「話せば長く……は、ならないんだけどさ」
人差し指で頬を掻きながら、圭介は視線をそらした。
「いやあ、こいつの再改造手術も無事終わったし、戦闘服も新しいのが出来たし、今後の作戦会議などを行っていたんだけどな?」
その辺りは佳奈美たちも把握している。01の体内には新たに古見掛で作成された血液浄化用の人工臓器が埋設され、さらに破損した戦闘服も新しくより高性能な物を研究機関に用意してもらい(恐らくは技術者たちの暴走の産物ではあるだろうが)、首領との果し合いの準備は一応整った。後は01自身の能力向上の為、圭介が戦いのイロハを放課後に叩き込んでいくだけだったはずなのだが。
「作戦会議が何で断髪式になってんのよ」
「ああぁ、勿体ない……勿体ないよぉ……」
どっかりと胡坐をかき、腕を組む佳奈美は01の切り落とされた髪の束と、現在の01の姿を交互に見やる。フミカは思わず手を伸ばしそうになるが、流石に勝手に触れるのは憚られるのか、プルプルと揺れる指を出したり引っ込めたりするだけだ。
「まあ、散髪なんて真っ当な表現は出来んわなぁ」
「人の事言えるほどファッションには明るくないが、なんだ、ちょっと酷いぜアンタの頭」
博次は顎に手をやっていっそ感慨深げに、慎太は言いにくそうながらもハッキリ、01の髪を評した。
「首領との戦闘時、邪魔になるという懸念がありましたので、切ったに過ぎないのですが」
01は自分があまり気持ちのいい感情を向けられていることに気付いてか、無表情ながらもどこか不服そうに言い訳する。
が、二人の指摘は決して的外れな物ではなかった。恐らくは無造作に髪を束ねて適当に切り落としたのだろう。後ろ髪は背中の中ほどで不揃いな長さに垂れ下がっている。中には切り残しの束がいくつかあり、控えめに言ってもあまり綺麗な見た目ではない。前髪にも手を出したのか、一部がやはり切り揃わない姿を晒している。
不衛生とまで言わないが、人前に出せる姿とも言い難い。
「いやあ、組手前にちょっと話したんだよ。あんまり髪長いと邪魔になるかもだから、整えた方がいいかもしれないって。実際、前に首領に捕まってるし」
「あんたが唆したんじゃない」
「あ、あくまで提案のつもりだったんだよ! ちょっと目を離したら切ってるなんて思わないって!」
「ん~、でもこうなっちゃった以上は仕方ないよ。とにかく何とかリカバーしないと」
叱責する佳奈美と言い逃れする圭介の間に入るようにフミカが切り出す。圭介を庇う意図もあるだろうが、それ以上に01の惨状を見かねたのだろう。いつになく真剣な顔で考え込んでいる。
「まあ、何とかするわよ。幸いそんな極端に短くはしてないし、選択肢はそこまで狭くないでしょ」
「お手数をお掛けします」
「別にいいわよ。楽しいし」
散髪用のケープ着用の上、椅子に座った01と、その背後で腕組みしつつプランを立てているらしい佳奈美を眺め、男三人とフミカはのんびりと壁にもたれて床に座る。
「こう言っちゃなんだが、散髪する時の格好って結構シュールだよな」
「急にどしたの、慎太君?」
「あ、でもちょっとわかる。普段クールな奴があれ被って椅子の上でいい子してるのって何か面白い」
「里村君?」
「あんまり困惑するなよナガミネ、事実だ」
「えー……」
呑気にこちらを見物している四人を目にしながら、01は髪を切られるという経験に少しばかり困惑していた。
確かに、鏡を見ながら切ったわけでもないので多少乱雑にはなってしまったが、ここまで手の込んだ準備が要るのだろうか。足元に敷かれた新聞紙や、身に着けているケープを見下ろして考える。
「しかしまあ酷い切り方ねえ。折角の髪が台無しじゃない。手入れはちゃんとしないとだめよ?」
「それほど見苦しかったでしょうか?」
「女の子ってのはね、お洒落にも気を使うもんなの。これは正直お洒落の前に身だしなみで問題があるわよ」
「……以後は気を付けましょう」
お洒落、という概念は未だによく理解出来ていないが、身だしなみに問題があると言われるのは少々屈辱的だった。
圭介と組手が出来るという事で、少々気が逸っていたのかもしれない。
「そーそー、可愛いのは認めるけど、それに胡坐かいてちゃダメだぜー?」
「あんたの監督不行き届きが原因なんだから黙ってなさい」
「あ、ひでえ」
言いながらも、圭介は素直に口を噤む。01としては、まだまだ自分には監督が必要だと言われたようで微妙に面白くないが、自分の短慮が原因ではあるので反論はしない。
霧吹きで髪を濡らされる感覚に、ほんの僅か表情を歪めながら黙って座っている。戦闘に直接役立つことのない触覚ではあるが、そもそも人体を動かす為には非常に重要な感覚なので、改造された肉体にもキチンとその機能は残されている。冷たい無数の水滴が肌に襲い掛かる感覚に、少しばかり身体が強張る。
「でも、ホントに綺麗な髪だねえ。大事に扱ってあげないと勿体ないよ」
「ありがとうございます」
フミカはいつもの柔らかい笑みを取り戻してしみじみと言う。01から見ても、一切の敵意や害意を感じさせない笑顔は、警戒の必要を感じさせない穏やかで好ましい物に思えた。その彼女があれだけ表情を鋭くしたというのは、やはり髪の扱いというのは重要なことなのだろうかとも考える。
「そいじゃ、始めるねー」
「よろしくお願いします」
ショキン、という乾いた音がうなじの辺りで響く。バラバラになってしまった髪の長さを一度整えているのか、少し感覚を置いてショキン……ショキンと音は続く。時折、佳奈美の指が地肌に軽く触れてくすぐったさが走った。
「……フム」
「ん? どうかした?」
「いえ、市販のハサミとはいえ、刃物を首の近くで扱われるというのは、もっと気分の良くないものと思っていたのですが」
そこまで口にして、01は黙る。
思っていたのだが、何だろうと、疑問を覚えたからだ。急所の近くを刃物が他人の意志で動いているというのは警戒するには十分な事実のはずだ。しかし、自分は今特に警戒心を抱いていない。むしろ、鼓膜や肌をくすぐるようなハサミの音や、指の感触に心地よさのようなものさえ感じている。
「それほど不愉快でもない?」
「そのようですね。あなたに斬りかかられる可能性は低いというのは、理由としてあるかもしれませんが」
「あれ~? もしかして結構信用してくれてる~?」
「それは否定しません。何度となくお世話になっていますし、大河原圭介のご友人でもあります」
ピシリ、と何かが凍り付くような音が鳴った気がした。
向かいの壁に背を預けていた慎太と博次が微かに顔を顰め、フミカも微妙に頬を膨らませている。圭介に至っては「あちゃー」と漏らして顔を掌で覆っていた。
「聞いたか? 『圭介の』友人だとよ」
「くう~、悲しいねえ。友達の友達扱いかよ」
耳元で、ハサミが高速でシャキシャキシャキシャキと音を立て始める。
「01~、今更それはないんじゃない?」
唇を尖らせ、ジトリとした目の佳奈美は空気を切り裂きながら不満を訴える。
「何か失言をしてしまいましたか?」
「失言てわけじゃないけど、まあ余所余所しいのは事実だわなあ」
疑問の視線を受けた圭介は、明後日の方へ眼を逸らしつつも完全には否定しない。
「ええと、私たちは、大河原君だけじゃなくて、01さんともお友達でいるつもりだよ?」
諭すように言ったフミカの言葉に、01は不思議そうな顔をして言う。
「すみませんが、よくわからないというのが正直な……」
「ハイハイ、今はそれで構わんって」
が、パンパンと手を叩きながら慎太がその言葉を遮った。
「まあ、確かにお互いの思い入れはまだ圭介程じゃあないだろうけどさ。同じテーブルで飯食って、あちこち遊びまわった中なんだしさ、もちっと気安く接してくれてもいんだぜ?」
「そーよ。ま、これまでの人生が人生なんだし、友達の意味からしっかり勉強する必要はあるかもだから仕方ないだろうけど、少なくともこっちは友達って認識なんだから」
博次の言葉に佳奈美が同調する。
どう反応すべきか、圭介に再度視線を向けるが、01の師は肩を竦めて笑うだけだ。
「諦めな。こういう奴らだから」
保護者兼指導者に優しくも突き放され、困惑に駆られ始めた01の頭に、ポンと掌が載せられた。
「まあいいわよ。このゴタゴタが片付いたら、全員で友達とはいったい何なのか、ミッチリと調……」
一瞬の沈黙。
「……教育してあげるから、ちゃあんと無事に帰って来なさいよね」
それは望ましいことなのか01には判断がつかない。ただ、脳裏には皆と経験した食事や散歩の記憶が蘇る。
「……」
恐らく、悪い事ではないのだろう。
そう考えた01は、頭に佳奈美の掌を乗せたまま、小さく頭を垂れる。
「そうですね。では、よろしくお願いしておきます」