翻弄するチャラ男……素養としての狡猾さ
「申し訳ありません。もう一度仰っていただいても構いませんか?」
「俺は戦闘服無し、身体も戦闘態勢に切り替えずにやってやる」
01は珍しく片眉を跳ね上げ、怪訝そうな表情を浮かべて訊き返したが。返って来た答えは01が聞き違いと思っていた先の言葉と同じものだった。
「……誤解があるかもしれないので、確認したい点があるのですが」
「おう、何でも訊いてみ?」
「私は戦闘服を着用、不完全ながらその機能を発揮させ、身体も戦闘態勢に移行する。こう考えて差し支えありませんか?」
「イエス」
「……そして、あなたは戦闘服を着用するのみで機能は使用せず、身体能力に強力なリミッターを掛けたまま戦うということでしょうか?」
「ノー、身体の方はその通りだが、俺の勝負服はこれさ」
圭介はひょいと数メートル程跳躍し、太陽を背負う。そして次の瞬間、眩い光の中から降りてきた圭介が身に着けているのは制服ではなくなっていた。城南大学付属学園指定の体育用ジャージの上下だ。
「……つまりこれは、私に手加減をして戦えということでしょうか。技巧を身に着けるための訓練と考えた方が?」
「んノー、全力で掛かって来いって話しさ。つまり、まともに戦えない状態の俺に全力で掛かって来いってこと」
平然といい放つ圭介だったが、その実かなりの緊張状態にあった。しかし、01はそれに気付くことが出来ずにいた。心音や呼吸音の乱れから相手の状態を把握するという単純な分析は、〈メタコマンド〉の感覚器官を用いれば容易に行えることだったが、それで圭介の精神状態まで計り損ねたのは01の精神状態の乱れが原因だった。
「流石に、それは侮辱では? あなたと私の間に大きな差があることは認めますが、度が過ぎる処置ではありませんか?」
かつてない程に冷たく、鋭い瞳でギロリと圭介を睨みつける。
01の言葉はもっともだ。〈メタコマンド〉はリミッターを解除して身体を戦闘態勢に移行せずとも常人離れした身体能力と頑丈さを誇っている。だが、それはあくまでも生身の人間と比較すればの話だ。戦闘態勢に入らぬままであれば、通常の銃器でもそれなりにダメージを負うし、まっとうに能力を発揮した〈メタコマンド〉とでは勝負にもならない。それこそ赤子の手を捻るように叩き伏せられるだろう。01と圭介、〈レッドストライカー〉の間にある差を埋めるにも十分なものだ。
「ほほう、その状態ならいくらなんでも俺にだって勝てるってんだな?」
「そのつもりでいます」
頷く01の顔を見やり、圭介はガシガシと頭を掻き、そしてニヤリと笑った。
「デカいこと言っちゃって、後で後悔すんなよ?」
01は、自分の頬がピクリと引き攣った事に気付いた。
「では、お付き合い頂きます。その上で、あなたが下しているのが過小評価であると理解して頂ければ幸いです」
「決まりだな。そいじゃ、一丁気合い入れていきますかね」
バキボキと指を鳴らす圭介に対し、01は小さく息を吐いた。自覚はまるでなかったが、深く、熱気の籠った息だった。
圭介はギャラリーに片手を上げて合図をすると、半身に身構えて二、三歩飛び退く。常人の跳躍よりは遥かに長い距離を取ったが、〈メタコマンド〉ならば一瞬で詰められる誤差の様な距離だ。
「……」
01はそのまま突っ込むことも出来たが、そうしなかった。いくら絶対的な能力差が生じているとはいえ、相手は〈レッドストライカー〉大河原圭介だ。あまり無防備に突っ込みたくはない。
まず、着込んだ戦闘服の状態確認が先だ。解析の邪魔になる装甲や、破損して使い物にならない機器は取り外されているという報告は受けているが、実際に着込んで動かないことには詳しい状態はわからない。
軽く跳躍し、圭介同様に後退する。
五メートルほど下がって着地した01は、戦闘服の損傷が思ったよりも大きい事を理解した。
防弾防刃繊維としても機能する、パワーアシスト用の疑似筋肉であるケーブルがあちこち断線しているのがわかった。少し身体を動かすだけでも戦闘服の至る所に違和感がある。跳躍自体も、戦闘服が万全であればそのアシストだけでもう少し距離が延びていたはずだ。
とはいえ、戦闘服が受け持つのはあくまでもアシストだ。戦闘を行うのは着用者である01の仕事である。装備はあくまでもより戦闘を優位にするための補助以上の存在にはなれない。装甲も武装もほとんどが取り除かれているが、それを言えば相手は完全に丸腰だ。戦闘服の損傷など、圭介と01の間にある圧倒的な性能差に比べれば誤差にもならない。
一瞬の間黙考し、やはり臆病になるような状況ではないと判断した01は足を踏み出す。
軽く地面を蹴り、ブーツから飛沫を引かせて一直線に圭介に迫って右手を振り上げる。狙うは圭介の脳天だ。相手が戦闘態勢に移行していない以上、本気で打ち下ろすわけにはいかない。非戦闘態勢の身体強度では戦闘態勢の〈メタコマンド〉の打撃に耐えるのは難しい。
圭介の評価を覆せばいいだけなのだから、軽く一撃入れてそれで終わりだ。
「お馬鹿さん」
そう言って圭介が一歩踏み出した。
今まさに手刀を振り下ろそうとしていた01の脇を掠めるようにすり抜け、背後に回り込んで裏拳でこつんと後頭部を小突いてくる。
「……」
手刀を下ろすのを忘れたまま01は着地する。まるで呼吸でもするような自然さで攻撃を回避した圭介は、01の背後で「ククッ」と笑った。
「ジャンプするならまっすぐに跳ばなくてどうすんの。放物線描いて跳んじゃったら、そりゃ避けられるって。まあ、慣れた戦い方なのはわかるけどねえ」
右足を軸に思い切り身体を回転させ、左の回し蹴りを叩き込む。先程の手刀よりも速度を上げた、圭介でも負傷しかねない勢いの一撃。
「!?」
だが、次の瞬間に01は体勢を崩し、膝をついていた。突然軸足から力が抜け、バランスを保てなくなったのだ。それでも勢いに負けて転倒しなかったのは咄嗟に体勢を立て直そうと出来る反射神経のおかげだったが。
「……今のは」
「古い遊びでね、膝カックンていうのよ。膝の裏に力を加えられると、人間って簡単に体勢崩しちゃうわけ。まあ、関節の構造上仕方ないよね」
しゃがみ込み、覗き込んでくる圭介が笑いながら言う。
「おっと、いけねえや。こんな接近されてちゃすぐに一撃もらっちまうな」
そのまま、圭介は後方へとまた跳躍して下がった。
放物線を描き、高く飛ぶのではなく、いつでも地面を蹴って方向転換が出来るようなギリギリの高度を滑るような跳躍だった。
「さあ、いらっしゃいいらっしゃい」
ニタニタと笑いながら、圭介は手のひらを上にして01を手招きする。
明確な挑発行為に、01の血流が一気に加速した。
地面と、そこに満ちている水を蹴立てて01は圭介の下へ突っ走る。文字通り一瞬で圭介に肉薄し、顔面に拳を滑らせる。
だが、当たらなかった。寸前で身を捻った圭介の頬、数ミリ先を掠めた拳はそのまま空をぶち抜くに終わる。同時に、停止しきっていない01の足を圭介が踏みつけ、背中を突きとばす。加速の勢いを殺しきれていない事に加え、01の体重は僅か数十キロだ。慣性の法則に囚われてしまっていた身体は、踏みつけられた足を起点にして回転し、01はたっぷり五メートル程空を飛んで背中から落下した。
「そんな、馬鹿な……」
ずぶ濡れになった01は、驚愕の表情を滲み出させていた。振り返り、余裕のある態度で気楽そうに構えている圭介をくまなく観察する。
異常はない。
さすがに01を相手にしているだけあって体温は多少上昇し、心音も大きく聞こえるが、戦闘態勢に入っていないことは確かだ。生体反応があまりにも不活発に過ぎる。
つまり、〈メタコマンド〉としての機能を十分に発揮している自分が、満足に機能していない相手に二度も攻撃を入れ損ねた揚句、こうして無様にひっくり返っているというわけだ。
01自身理解していなかったが、凄まじい悔しさが胸中に渦巻いているのは疑いない事実だった。
「っ……!」
投げ出されていた手を思い切り握りこむ。巻き込まれた水が掌の中で圧縮され、破裂して飛び散った。凄まじい勢いで跳ね起きた01は圭介に向けて再び駆け出していた。もはや、最初に抱いていた手加減の意志など完全に脳内から叩き出されている。一矢報いるという凶暴なまでの意志が、些末事を完全に塗り潰していた。




