戦準備の下準備……猶予短し企め少年
「さて困ったぞ、と」
登校中の学生たちの人波に流されるように歩きながら、圭介は腕を組み、顎に手をやって考え込んでいた。
01が首領と戦う。それは避けたくはあるが避けていいのかわからない。何よりどうも避けようがなさそうだ。となると、01と首領の激突は決定事項と考えて行動するより他にない。どうせ避けられない事態なら、最低限、悪影響は可能な限り小さくする必要がある。いい影響をもたらしてくれることはあまり期待できないが、ぼんやりとその時を待つわけにはいかないのだ。
01の決意を聞き届けた圭介は、すぐさま生活相談事務所と病院に連絡し、01本人も交えて今後の対策会議を開いた。
まず第一に成すべきは01の体調を万全にすること。即ち、血液浄化の問題を早々に解決することだ。これは既に半ば解決しているようなものではある。何しろ古見掛の医療だ。<ブラックパルサー>の技術で改造された01に適合する浄化装置を開発、移植することは難しくない。圭介が自身の身体を調査させ、さらに<ブラックパルサー>に関して知りうる限りの情報を提供しているとあれば尚更である。後は01の体調を整え、万一にも失敗しないよう健康診断の後に移植手術を行うだけとなる。元々01も移植は不可欠であることは理解しており、更に何度か世話になる内に最低限の信用はしてくれたらしい。本人の承諾もあっさりと得られ、後は手術を待つばかりだ。負傷に関しては放っておいても回復する。万一に備えての検査程度で済むだろう。
次に必要なことは、先の戦闘で破損した01の装備の確保だ。<レッドストライカー>の使用する戦闘服やヘッドギアも非常に精密で複雑な造りになっているが、試験的に導入された新技術のナノマシンによる修復機能もあって、整備に手間は掛からない。装甲が吹き飛ぼうがスーツ部分が破れようが、時間と材料さえ用意してやれば勝手にナノマシンが直してくれるという優れものである。しかし、01の戦闘服はだいぶ事情が違う。<レッドストライカー>の装備の様なナノマシンは組み込まれておらず、自力で再生までしてくれない。更に、数々の武装を内蔵している関係上、<レッドストライカー>の戦闘服よりもずっと複雑で整備性は悪い。生活相談事務所経由で然るべき機関に調査を依頼しているが、「新品を用意した方が遥かに早い」という返答があったという。確かに、古見掛市の方が技術力は高いだろうし、破損した際にすぐに代替の部品などを調達できるという面でもメイドイン古見掛の方がメリットは大きい。もう少し大人しめの、清純なイメージの外見にしてもらう必要はあろうが、これも大きな問題にはならないだろう。
結果として、対策会議では大きな問題は取沙汰されなかった。
真打の問題は、01を除いて開催された第二次対策会議で取り上げられた。
01に自分の意志で命のやり取りをさせていいのか、という問題だ。
本人が望んでいる以上、否応なく行き着く事態には違いない。だが、どうぞどうぞと送り出していいというものでもない。
01は言わば生命と死について無知な子供に近い。仮にその感性が今後変わらないとしても、だから好きなだけ殺し合ってこいなどという話にはならないし、この街で生きていく以上、その感性が長くは続かないだろうというのは想像に難くない。正常な判断が出来ない状態で命のやり取りをさせるのは出来る限り避けたいところだ。
避けたいところだが、どうすべきか……。
不運なことに、圭介以外の参加者は多忙の身だった。大勢の患者の命を預かる医師たちは勿論、普段暇だからと言ってよく面倒を見てくれる生活相談事務所もあまり病院に長居は出来ずに会議は流れてしまった。一人暇な身分の圭介は、そのまま帰宅してからも色々と悩んでいたのだが……。
「んふうー、絞る知恵がないといい案も都合よく出てきちゃくれないかあ」
ここ最近、すっかり01の指導役として周囲に認知されつつある圭介ではあるが、戦闘以外で何か01に教えてやれているかとなるとあまり自信を持って胸を張れない。
いくら悪の組織を潰したといえ、本来はただの学生に過ぎない自分が、極めて特殊な環境で生きてきた01を簡単に真っ当な道に戻してやれるとも思っていなかったが、中々に険しいこれからの道のりを思うとついため息など吐いてしまう。
「んっとに世の中てーのはままならんねえ。呑気に通学してる場合でもないだろか」
「ほう、俺の前で堂々と言うとはいい度胸だ。ままならん世の中でも平和に生きられるだけマシと教えてやってもいいが?」
「え」
ぼんやりしていた圭介の眼前に、担任教師である三島が佇んでいた。
「おはよう、最近どうも学業に身が入っていなさそうな大河原圭介君」
「あいやっ、こいつは三島先生。おはようございます。もう、こんな小僧っ子の冗談交じりの愚痴を真に受けちゃダメですって」
「小僧っ子か。ならもう少しそれらしい態度を取った方がいいと思うがな」
「ウーッス」
チャラチャラとした圭介の態度に小さくため息をつくと、三島は思い出したように言った。
「それから、説教するから今日は放課後残っとけよ」
「ええっ!? 俺、何かやらかしましたっけ!?」
「今言っただろう。最近学生の本分を疎かにし始めているようだからな。これ以上は教職として放置も出来んのだ」
「うぬぬぬ……。まあ、否定はし切れない話ですけど」
圭介は反論しなかった。
確かに、このところ01に掛かりっきりで、本業の学生としては少々怠慢気味だ。別に授業をサボったり居眠りしたりまではしていないが、集中して授業に臨めているか、予習復習は十分かと聞かれれば少々怪しい。仮に抜き打ちテストなどされれば、いくつかの教科はあまり芳しくない結果を残すことになるだろう。
「ま、事情が事情ではあるし、そう口うるさい事は言わん。が、言うべきことは言うし、聞くべきことは聞いとかんとならん」
「……わ、わかりましたよ。それじゃ、よろしくお願いします」
朝一からあまり楽しくない宣告を受け、圭介はトボトボと教室へと向かうのだった。
「……意外に単純なことで悩んでるな」
「単純ですかねえ? いや、問題として単純なのは確かですけど、解決が難しいという点では複雑じゃないです?」
自席の対面に座った三島の言葉に、圭介は不服そうに返す。
現状、圭介が抱えている問題……本人の意思とは言え、01を首領と戦わせてしまっていいのかという疑問を伝えたのだが、あまりにも拍子抜けした様子に少々ムッとする。
「そうは言うが、もう結論は出てるんだろう? 本人がその気で敵もその気、止めようはないって話になったんだろうが」
「それは、その通りですけどね……」
今後、01への情報を一切遮断するなり、病室に閉じ込めておくなりしない限り01を止めることは出来ないだろう。圭介個人としても、古見掛市としても当人の意志を踏み躙るような真似はしたくない。折角築きつつある信頼関係をぶち壊しにするという点からも認められない選択だ。01が拒むなら圭介と戦うという首領の言葉も、果たしてどこまで信用できるかわからない。というよりも、悪逆非道の<ブラックパルサー>首領の言葉だ。圭介としては全く信用できないという方が正しい。
「なら、好きにさせる方向で対処するしかないだろう」
「簡単に仰いますけど、それで妙案が出なかったから悩んでるわけでしてね?」
「妙案が出なかった、ねえ……」
三島は目を細め、胡散臭い物でも見るように圭介を一瞥する。
「な、何ですか……」
「あの病院のスタッフとも、生活相談事務所ともそれなりに付き合いがある。こういう時に妙案が出せない人材じゃあないはずだ。時間がなかったにしろ、大まかな方針を複数打ち出すくらいは出来るだろう。にも関わらず案が出なかった……。多分だが、おまえが悩んでるから出さなかった。いや、出せなかったんじゃないか?」
「そりゃまた、どういうことですか?」
予想外の言葉に圭介は片眉を上げる。
それを見て、三島はフムと頷いた。その表情は先程とは打って変わった真剣な、しかし深刻さを感じさせないもの。例えるなら、授業中に質問してきた生徒に対するような顔だった。
「現状で……01だったか。彼女が戦わないという展開が期待できないなら、そいつはもう、可能な限りの支度をしてやるしかないだろう。別に場所や装備の話じゃないぞ。いや、それらも必要だろうが、別の支度だ」
「となると、心構え、みたいなもんですかね?」
言わんとすることをを察した圭介に、三島はやはり頷く。
「おまえが元いた世界とは違って、この街は命が重く、そして軽い。普通に暮らしてるぶんには尊重もされるが、他人の踏み躙ってせせら笑ってるような奴……<ブラックパルサー>みたいな連中は、あまり重んじられない。逮捕が難しいと判断されたり、善良な市民に被害が出る可能性が高いとなると、各自の判断で撃破もする。平たく言えば、殺しもするってことだ」
三島の言葉に、今度は圭介が頷いた。
この街の流儀は、圭介もよくわかっている。
ある意味で、ここは世界で一番危険な場所でもある。圭介の世界を蹂躙した<ブラックパルサー>など、この街に襲い掛かる脅威に比べれば可愛いものだ。故に、この街の住民は悪意に敏感で厳しい。情状酌量や、事実確認という面では甘いと言っていいような判断を下すことも多いが、テロ行為や殺戮などの現行犯には極めて厳しい対処を取る。行政や司法、警察が取らなくても、住民一人一人が迅速かつ徹底的な対処を取る。
良く言えば頼もしく、正義感に溢れた街だが、悪く言えばドライで非情とも表現できる。
しかし、同時に道徳心やモラルという面が劣後しているかと言えば決してそうではない。
悪党を容易に殺害せしめる能力を持った者が数多く存在している古見掛に置いて、倫理がその危険な才能を制する抑止力なのだ。
無辜の人々を踏み躙る物は許さない。でも、反省や更生の余地があるなら機会をやらんでもない。何ともし難い事情があるなら、協力も吝かではないし、可能であるならみんな仲良くキャッキャウフフ。
理想と現実のギャップが大きく、崇高でありながらも歪な価値観を抱いているとも言えるこの街の危うい魅力は圭介もよく理解している。
「彼女は、まだ一般的な感性やモラルは持っていないんだろう? それなりの戦闘力がある人間を、情操やモラルの教育もなしにこの街で放し飼いにするのは誰も気が進むまい」
「まあ、放し飼いにしてもらえるだけありがたい身の上ではあるんですけどね。俺もあいつも」
「それを言えば、この街の人間の大多数がそうなるがな。とにかく、戦いに送り出さにゃならんなら、それが決して喜ばしい事じゃないことを教えとかんとならん」
「それをどう教えればいいか悩んでるんですけど」
圭介がそう言うと、三島は大仰に天井を仰いだ。
「……これだからな。病院や相談事務所が何も言わんわけだ」
「ちょっ、ちょっ、何ですかその呆れかえったような反応は?」
「これが呆れずにいられるか。最初に彼女に接触した時のアグレッシブさはどうした? あれだけ組手は熱心に指導しといて、その積極性はどこに行っちまったんだ?」
「いやいやいや、殴る蹴るを教えるのと倫理道徳を教えるのってだいぶ違うと思いません?」
「馬鹿を抜かせ。彼女を誑し込むのに注ぎ込んだ情熱がもう枯れたとは言わさん」
「先生? 俺、未熟なりにも一応は正義の味方やってるんでその物言いはちょっと……」
「そんなことを言うなら俺だって教育者だ」
むむむ、と睨み合いが数秒間続いたが、やがて圭介が根負けし、背もたれにどっかりと崩れ落ちた。
「わかってますよ。幸い、あいつは俺の事も多少は信用してくれてるみたいですし、俺だって出来れば自分で色々教えてやりたい。けど、ホントにそういうのは全然経験もないんでどーしたもんやら……」
単に戦い方を教えるというのであれば、圭介にもそれなりの自信はある。
だが、精神的なものを伝えるというのは中々に難しい。まして相手は<タイプα01>だ。決して悪い人間ではないが、常識や一般教養、倫理観の欠落は如何ともしがたい。
「なあ、大河原よ。それじゃ尋ねるが、おまえはいつから真人間になった?」
「はい?」
「この世に生まれて、おまえが真人間になったと言えるポイントはどのあたりだ。答えられるか? いつ、どこで、誰が、どんな風に、おまえをそんな真人間に育てたんだ?」
「5W1Hを思い出す言い方しないでくれません? ……ええと、間違ってたらすみませんけど、俺も小さいころはあいつと変わらなかったと言いたいわけですか?」
「そんな所だ。大河原、おまえはただのガキだ。世界を救ってようが宇宙を救ってようが、そんな人間この街には掃いて捨てるほどいるし、そいつらも普通の人間と同じように悩んだり迷ったりもする。別に完全な正解を完璧に叩き込む必要などないし、そんなことは出来やせん。現状、おまえの感性や考え方が著しく歪んでるとは思わん。だからおまえの今の考えをぶつけてやれ。変に考え込んで頓珍漢なことは言わんでもいい。噴飯ものだろうがガバガバ理論だろうが、本音の訴えを無下にするような娘には見えなかったぞ」
三島の言は、何とも奇妙な説得量を持っていた。
理論そのものは何でもない。「グダグダ悩んでないでやることやってから判断しろ」というものだが、この街の大人の例に漏れず、親身になってくれていることがよく伝わってくる忠告だった。
「……その方がいいですかね?」
「当たり前だろうが。何の為に病院やら生活相談事務所やらと結託しとるんだ。おまえが何かやらかしたら周りがフォローしてくれるが、やらかしもしないんじゃ周りもフォローさえ出来んだろう。ったく朝から見ていれば自信のなさげな顔ばっか晒してからに、ブランハースの奴が何度も殴りたそうにしていたぞ」
「あー……」
以前、「ビクついたヒーローなんざ、いねえ方がマシだからな」などと言われたことを思い出す。
(いかんなあ。俺って意外と精神的には成長遅いタイプなのかしら……)
二度同じ失敗を繰り返したことに口元を引きつらせると、圭介はガシガシと頭を掻いた。
「わかりました。まあ、方々と相談してみますけど、やれるだけやってみます。すいません、何か気を使わせまして」
「構わん。で、本題だが、前回の中間試験の結果について……」
「ええっ!? この流れでそれ来ます!?」
「前置きは前置きだ。朝の段階で学業の話と言ったと思ったが?」
圭介は昼間の沈んだ顔など比較にならない暗澹たる表情を浮かべ、迫りくるだろうお説教に備えるのだった。
古見掛市中央病院診察室で、四人の人間が額を突き合わせていた。
「まあ、彼女の精神的な問題については、確かにお願いするつもりでいましたが……」
「方向性としては、こちらも似たようなものを提案するつもりではいたんですけどね……」
「しかしそれにしても随分と剣呑な方法のような……」
01の主治医は顎に手をやって「うむむ」と唸っている。
生活相談事務所の所長は公人としての口調で鞄から資料を取り出す。
補佐役の少女は腕を組み、苦い顔で瞑目した。
彼らが一様に不安げな態度を見せたのは、圭介が言い出した01への対応策の無茶さが原因だった。
即ち―
「自分でも馬鹿を言ってるとは思うんですけどね。けど、あいつに説明するなら拳で語るしかないかなあ、てのも実感としてあるんですよねえ」
無茶を言っている自覚がある圭介も、気まずげに言うが、無理だとも思ってはいなかった。
「いや、拳で語るのはいいんですけどね。彼女が一番話を聞いてくれそうなのは間違いないですし。ただこのプランは……」
所長は心配そうに圭介の顔を見やり、一瞬険しい表情を見せた。
「大河原さん、下手したら大怪我ですよ?」
「怪我が怖くて<メタコマンド>相手に出来ませんよ」
肩を竦める圭介の態度は、何とも軽くおどけたようなものだったが、その場の面々はそれぞれにため息を吐いて小さく頷いた。
「ん~、無茶苦茶ではあるんですけど、一番の適任者のいう事ではありますからね。わかりました。我々はその方向で調整します。ただ、不安要素はこの場で洗い出しておきましょう。もちろん、今後も何か懸念があればその都度検討しないといけませんが」
一瞬難しい顔をしたものの、所長はタブレットPCを取り出した。
「役所への申請などもあるからな。実行に移すのならば今日の内にある程度は詳細まで詰めておく必要がある。無茶ではあるが、本条生活相談事務所としても依頼者の希望には沿いたいですし。程度の差はあれ、私たちが用意したプランを大まかには流用できるでしょうから、一度目を通して頂きたい」
補佐役の少女は所長の言葉に頷きを返し、医師と圭介に用意していた資料を配布する。
「彼女の体調にも関わりますからね。病院としてもなるべく詳細は早く把握したい所です。予想される状況によって、必要な人材も変わってきますし」
医師も様々な書類やタブレット端末を取り出し、諸々のスケジュール調整に備え始めた。
「スンマセン、無茶を言いまして」
一応圭介なりに熟慮した案ではあったが、子供の思いつきと言われればそれまでの話を真剣に対応しようとしてくれている大人たちに圭介は深々と頭を下げた。
古見掛の大人たちは一瞬キョトンとしたあと、揃えて肩を竦め、破顔した。
「「「仕事ですから」」」
圭介も思わず口元を緩め、そして大事なことを思い出した。
「あ、そうだ。先生、ちょっと相談があるんですが」
「はい?」
医師はキョトンとした顔を傾げた。
「あいつの戦闘服についてなんですけど……」
「戦闘服なら、私ではあまり力になれそうにないですが……。生憎と、機械工学などには疎いので」
「いえ、あいつの戦闘服に乗っけて欲しい物がありましてね。そいつを用意するの協力頂けないかと……」
圭介はとっておきかつ重大な悪戯を思いついた子供の様に、ニヤついた顔に強い緊張感を浮かべていた。




