正義の味方の底力……べつに底力でも弱い者いじめでもない
圭介は叩きこまれた拳をギリギリのところで回避した。
だが、次の瞬間には数メートルを吹き飛ばされ、地面に勢いよく転がってしまっていた。
確かに直撃は回避出来たが、その小さな拳が発生させる衝撃波に気付くのが遅れた。自分と同じ、超音速の突きを放ってくる01に圭介は顔を引き攣らせる。
「ぐ……。俺と同レベルの〈メタコマンド〉ってわけかよ」
「厳密には、あなたの発展型となります。技術向上自体は短い期間ではありますが、あなた以上の最新鋭技術を結集して改造されましたので」
「あームカつく! さらっと自慢していくのが非常にムカつく!」
転がる勢いを利用して立ち上がり、圭介は全身に力を入れ直す。
〈レッドストライカー〉大河原圭介は改造人間である。
特殊金属性の頑強な骨格を包み込む、しなやかかつ高出力の人工筋肉は、その性能、強度において人間とは比較にならない。
戦闘服を着用し、身体を戦闘モードに移行した今は尚更だ。
鉄骨をへし折る様な怪力も、最高速で走る自動車に追いつく敏捷性も遠慮なく使用できる。日常生活を送れるように出力を抑え込むリミッターを停止させている間、圭介の肉体は全身が兵器と言っていい。
当然ながら、その肉体を制御するための神経系も常軌を逸した性能を誇っている。
飛んでくる銃弾を叩き落とすだけの情報処理速度、思考速度、反射神経を持ち、それについてくる手足もある。
ただ戦いの為に使うにはあまりにも高性能な、一種の芸術品めいた存在が圭介の身体だ。
その人間の域をとうに逸脱した身体を以てしても、圭介は01によって地に転がされた。
少なくとも、01は圭介と同じ次元にいる。でなければ、圭介がこうも易々と地に落ちはしない。
「ったく。俺ももう旧型ってわけか。それでも高価な実験機って扱いだったはずだったんだけどな……」
「それについてはどうかご自分を卑下なさらないでください。その高価な実験機を倒すにはそれ以上にハイコストな〈メタコマンド〉が必要と判断されたに過ぎません。それに、一体あたりのコストは下がっています。無論、あなたと戦えるだけの性能は備えていますが」
01は距離を取った圭介に向け、前傾姿勢で一気に突っ込んでくる。
「けどな、はいそうですかとやられるわけにもいかんのよね!」
圭介、〈レッドストライカー〉は表情を引き締める。
油断していたつもりはないが、これはいよいよ気の抜けない相手の様だ。
高速で迫る01に向け、〈レッドストライカー〉も応えるように跳躍する。
01が拳を振りかざし、〈レッドストライカー〉も迎撃の為に鉄拳を構え、
「っ!?」
ぎらり、と冷たい光が〈レッドストライカー〉の視界を照らした。
01の手元に灯ったその光から、そこに何が握られているか判断した〈レッドストライカー〉は、突き出し掛けていた拳の軌道を変えた。
裏軒で01の拳を払い、同時につま先で大地を蹴り、01との距離を取る。
「……ナイフ?」
「はい、ナイフです」
十メートル程離れて対峙する二人は、些か間の抜けたやり取りを交わす。
01の右手に握られていたのは、かなり大型のナイフだった。当然市販の料理用や工作用ではない、ミリタリーチックな外見をしている。
「ただのナイフじゃないんだよな?」
「無論です。〈ブラックパルサー〉の改造人間兵器に銃器はほぼ用を成しません。特に、索敵にも優れるあなたが相手では、まともに命中させることがそもそも不可能でしょうから。ですから、対〈レッドストライカー〉用に開発されたのがこの高周波ナイフです」
そこはかとなく自慢げに見えなくもない01は掌の中でナイフをクルクルと回転させると、ベルト背面のホルスターに仕舞いこんだ。
「あれ、そこで仕舞うわけ?」
「敵に装備を観察されるのはあまりよろしくないでしょう」
「説明はしてくれたのに変な所で慎重だねぇ、君」
「一応は私の設計思想にも関係しますので、多少の説明は致します」
「そりゃどうも。それじゃあ早速聞いてもいい?」
「私にお応えできることならば、何なりと」
一応は会話をする気がゼロというわけでもないらしい。
〈レッドストライカー〉はとにかく話を試みる事にした。あわよくば戦闘中止に、最悪でも01の情報を少しでも引き出しておきたい。
「そんじゃあまず一つ、君の設計思想って改造人間兵器に対改造人間兵器用の武装を……あれ、言っててわけわかんなくなってきた」
「要約すると、〈メタコマンド〉に〈メタコマンド〉を破壊するための武装を持たせる、というのが対大河原浩介専門チーム、α隊の設計、運用思想です」
「サンキュー。で、〈タイプα01〉って言ってたけど、君はそのα隊の一人目ってわけかな?」
「残念ながら、最初で最後の一人と言う方が正解ですね。二人目以降が製造される前に組織そのものが瓦解してしまいましたので」
「成程ね。けど、ナイフだけってわけでもないだろ? わざわざ設計思想から見直しておいてそれだけってことはありえない」
ヘッドギアに内蔵されたスキャナーを用い、〈レッドストライカー〉は01のボディを透過する。
〈レッドストライカー〉同様、特殊金属の骨格を人工筋肉が取り巻いている。が、細部に多少の差異があった。
おそらくは〈レッドストライカー〉との戦闘の為に必要なパーツを増設し、それ以外のものはオミットされている。
〈レッドストライカー〉には装備されている各種の高感度センサーや長時間戦闘用の栄養液タンクは見当たらない。その他にもいくつかの違いが見て取れるが、あまり女性の身体をじろじろと探るのもまずかろうと一度スキャンを停止する。
「ええ。そもそもαはプラスアルファのαと聞いていました。私専用に製作された、あなた専用の武装を複数用意しています。お望みであれば披露いたしますが」
「んー、何かお望みでなくても披露してくれそうな感じがして首筋がチリチリしますなぁ」
「はい。正直に言えば早く使いたくてうずうずしています」
「さっきから何となく思ってたけど、地味に戦闘狂っぽいねぇ」
やれやれと溜息を吐き、〈レッドストライカー〉は腰に手をやって天を仰ぐ。
実にやりにくい。
悪党というわけでもないが、戦う気は満々で、自分と同等の戦闘力を持っているが、一応はレディーのバトルマニアっぽい仇敵の残党。
戦うべきではあるのだろうが、戦いにくい要素も多分に持ち合わせている。
「ま、悪党でないならなおさら保護せにゃならんよな。多少強引になるけど、そこはご愛嬌って奴だよねえ」
「私としては生命を賭けた戦いを望んでいるのですが、あまり気乗りされないようでしたらその気にさせて差し上げます」
〈レッドストライカー〉の挑発めいた発言が気に障ったのか、01が静かに毒を吐いて駆け出す。
同時に、戦闘服の腕部分にあるカバー上のパーツを外した。
内部から現れたのは小さな銛、アンカーだ。
返しの突いた小さな金属の刃から伸びるワイヤーは戦闘服の中に内蔵されているらしい。ワイヤー部分は少なくとも十メートル以上はあるだろう。
「そんなのまで仕込んでるのかよ! よく入るもんだ!」
「全身に内蔵していますので。防弾、耐衝撃に効果があるので重宝していますよ」
再度スキャンしてみると、01の戦闘服内部、全身を薄く覆う形で内蔵されている。確かに、頑丈そうなワイヤーではある。
そして、その頑丈そうなワイヤーで〈レッドストライカー〉を引きずりよせようとでも言うのか、01は素早くアンカーを投擲した。
〈レッドストライカー〉は咄嗟に、だが慎重にアンカーを回避する。
跳躍ではなく、地面から同時に両足を外さない走行でその場を離れる。
その判断は間違っていなかった。
01は〈レッドストライカー〉が跳ばなかったのを見るや、片手に隠し持っていた二本のナイフを仕舞いこむ。もし跳躍していれば、身動きの取れない空中でナイフに狙い撃たれていただろう。これが銃弾なら直撃しても戦闘服を貫通することは無いが、おそらくあの高周波ナイフとかいう刃物相手ではそう上手くいくまい。
そして、01の攻撃は終わっていない。
何とワイヤーを引っ掴み、虚空に向けて飛んで行ったアンカーの軌道を無理矢理に曲げ、〈レッドストライカー〉を追尾させたのだ。
「何ですとお!?」
もちろん、アンカーを打ちこみ直す様な真似が出来るはずがない。
しかし、大きく振るわれたアンカーに引かれてワイヤーが空気を割いていく。〈レッドストライカー〉は転倒寸前まで身体を倒し、ギリギリで斬撃めいたワイヤーから逃れた。
頭上でひゅいと風を切る音を聞き、流石に嫌な汗をかく。
「鞭かよ、怖い怖い……。言動が淑女っぽいのに武装が女王様チックなのがまた怖い。ギャップがすごいのな」
「よくわかりませんが、私の言動と武装に何か関係があるのでしょうか?」
「心底不思議そうに首傾げるあたりがもうね。戦い一筋って感じがする」
「? そうですか、ありがとうございます」
「うん。別に褒めちゃいないんだがね」
掌にアンカーを引き戻した01を警戒しつつ、〈レッドストライカー〉は思案する。
01の方がリーチは長い。迂闊に接近するのは危険だ。
しかし、〈レッドストライカー〉の戦い方が徒手空拳の格闘である以上、距離を取っていた所で一方的に狙い打たれるより他にない。
(ここは思い切ってみるか……)
結論を出すのと同時に、01が動く。
再び右腕を上げ、〈レッドストライカー〉目がけてアンカーの射出口を開いた。
その瞬間、〈レッドストライカー〉は駆け出す。
身体を大きく前に傾けた、普通ならとうに転倒している程の前傾姿勢を取り、一気に01に向かって飛び込んでいく。
「!?」
突然の突進に虚を突かれたのか、01は僅かに驚きの表情を浮かべたが、すぐに真冬のバイカル湖の様に美しく顔を凍りつかせ、冷徹にアンカーを放った。
高速で走る〈レッドストライカー〉の顔面に、超高速で迫るアンカーは真っ直ぐに突き刺さる。
「馬鹿正直に突っ込んでくる相手に、馬鹿正直に撃ってくるねえ……」
実際には、アンカーが顔に突き刺さる直前に、〈レッドストライカー〉はそれを弾き飛ばした。
手の甲であっさりとアンカーを叩き落とし、顔の代わりに地面に突き刺す。
「防がれた、この距離で…?」
目を見開き、今度は明確に驚きの表情を見せる01に肉薄すると、〈レッドストライカー〉はその背後へと回り込む。
「悪くない冷静さだけど、まだまだ甘いんじゃあないの?」
右手で手刀を形作り、驚愕で反応の遅れた01の後頭部を叩く。
敵も〈メタコマンド〉だ。易々と直撃を受けてはくれないだろうが、掠めるだけでも多少のダメージにはなるだろう。あまり期待せずに振り下ろした手刀はしかし。
「ぐっ!」
「え」
〈レッドストライカー〉の予想は外れた。
外すことは無くとも、上手く決まるとは思っていなかった手刀は易々と01の後頭部に直撃した。
〈レッドストライカー〉自身なら容易に回避し、反撃のタイミングを伺うことも出来ただろうに、意外にも01はあっさりとその打撃に膝を突いた。
「あ、あれえ……?」
01は直ぐに立ち上がり、〈レッドストライカー〉に向き直るが、明らかに顔色が悪くなっていた。
「流石ですね……。あの距離でアンカーを弾き飛ばすとは……」
「いや、その、ゴメンな? まさかあんなに綺麗に入るとは思わなくて、な?」
小刻みに身体を震わせて構える01の姿に、思わず罪悪感が湧き上がる。
かなりの痛打になってしまったようだが、にも関わらずに立ち上がり、向かってこようとする一種の健気さに〈レッドストライカー〉は素直に詫びた。
「ご心配なく。この程度で戦えなくなる程脆弱な造りはしていません」
「いや、そうかもだけどな……」
二、三度深呼吸し、01は顔色を取り戻す。
「お待たせしました。では、続けましょう」
「お、おう……」
ナイフを構え、01が突っ込んでくる。
〈レッドストライカー〉に回避の隙を与えない、というやり方を選択したらしい。
確かに、性能が同等以上であれば下手に距離を取って反応の隙を与えるよりもいいかもしれない。
しかし、それ以上のメリットは無かった。
〈レッドストライカー〉は高速で振るわれる刃をそれ以上の高速で躱し、弾き、逸らしていく。
「な……」
01が、やはり静かに驚きを見せる。
僅かではあるが旧式であり、さらに受け身に回っている〈レッドストライカー〉が、先手を取っている01よりも素早く手足を捌いて攻撃を回避しているのだから当然だろう。
「えっと、恨むなよ?」
一方の〈レッドストライカー〉は冷静に拳を握った。そのまま斬撃、刺突の隙を突き、01の脇腹に滑り込ませる。
「っ……」
01は攻撃に気を取られ過ぎていたのか、打ちこまれた拳にまともに反応することもなく被弾し、数メートルばかり吹き飛び、両膝を突いた。
否、そのまま大地に力なく倒れ込む。
〈レッドストライカー〉からみるみる闘志が失われていく。
やりにくいなどと生易しいものではない。
決して口には出せないが、この01という〈ブラックパルサー〉構成員は、弱い。
スペックとしては確かに〈レッドストライカー〉に匹敵、下手をすれば凌駕している部分もあるだろう。
しかし、弱い。
身体能力には文句のつけようが無いが、どうにも戦い慣れしていないように見える。
これまで戦ってきた〈メタコマンド〉ならば、十人中四人は回避していただろう手刀をあっさりと喰らってしまう反応の遅さ。
攻撃にのみ意識を向け過ぎ、防御を疎かにする未熟さ。
(この子、戦い慣れしてないんじゃないだろうな……)
数秒の間、敵を目前に腕組みしながら思案した〈レッドストライカー〉は、不承不承といった様子で頷いた。
「あー、とりあえず捕まえるな?」
「……それは遠慮します。私の望みはあなたと戦う事で、虜囚となることではありません」
ガクガクと身震いしながら立ち上がった01が力なく返す。よろめきながら身体を支え、脇腹を押さえながら顔を歪めて〈レッドストライカー〉を見つめてくる。
「そっちの都合も分かるけど、こっちにはこっちで都合があるわけ、お分かり頂ける?」
「……理解はしますが、承諾はしかねます」
「俺に拒否権が無かったのと同じで、君に拒否権は与えられないのよね」
少しばかりサディスティックな笑みを浮かべ、〈レッドストライカー〉はバキボキと指の関節を鳴らす。
「さーてー、大人しく捕まってもらいましょーかー?」
自分ばかりが01の都合に付き合わされてたまるものか、と少しばかりの意趣返しを考えつつ、01へとにじり寄る。
苦悶の表情には少なからず罪悪感を抱くが、それでも放っておくわけにはいかない。少なくとも〈レッドストライカー〉に対しては敵意、害意を隠そうとしていない以上は野放しにもできない。
それに、彼女を〈ブラックパルサー〉として活動させ続けさせるのはそれ以上に気が進まない。些か強引だが、どうにか真っ当な道に進ませたいとも思う。本人がどれだけ真面目に活動する気があるかは疑問だが。
お節介とは思いながらも、01の腕を捕まえようとした時だ。
「んぶっ!?」
〈レッドストライカー〉の顔面に、01の裏拳がめり込む。
「申し訳ありませんが、戦っていただけないのなら失礼したいと思います」
「いっでえなあ! 不意打ちとは士道不覚悟でしょうよ!」
鼻っ柱を強打された〈レッドストライカー〉が顔を上げた時、既に01は数百メートルの彼方にいた。まだ顔色は優れないが、離脱できる程度には回復しているらしい。
「またお伺いします。次こそ、決着を付けさせていただきたく思いますので、よろしくお願いいたします」
「そんな勝手な事言って……!」
〈レッドストライカー〉が文句を言おうと口を開いた途端、01は跳躍した。
数十メートルの距離を一瞬でゼロにする蹴りを幾度も地面に浴びせ、あっという間に街並みの中に姿を消す。
「何なんだよもう……」
一人取り残されたレッドストライカーは呆然と呟き、ボリボリと頭を掻いた。