晴れ時々雨、のち嵐……最後の一山登頂準備のリハーサル
「どうだった?」
病室を出た圭介の前には、佳奈美、博次、フミカ、慎太の四名が待ち構えていた。
いずれも神妙な顔つきで、特にフミカは非常に心細げな顔をしている。
「大丈夫大丈夫、身体の方はほぼ万全だし、メンタル面は……」
手放しで大丈夫とは決して言えそうにない。
だが、どうにもらないという程でもない。あまり先の戦闘の事ばかり思い返さないように釘を刺してきたし、後で甘い物でも差し入れつつゆっくりと雑談でもしてやろう。そう考えた圭介は、一瞬だけ言い淀んで軽薄な笑みを浮かべた。
「デャージョーブデャージャーブ、おじさんに任しとき」
「そっか、なら良かったじゃないか」
あっさりと肯首する慎太に思わずずっこける。
「おまえさあ、そこはもっと、こいつ大丈夫かみたいな顔で見たりとかさあ?」
「おまえから軽薄さ取ったら何が残るんだよ」
「ひでえ!」
「でも、実際に大河原君の冗談は嘘つかないと思うな」
「ナガミネまで、どーゆーことさ?」
「あんたって、質問してから冗談言うまでの間で何となく内心が読めるのよ」
「ええっ、それ初耳なんだけど!?」
「そりゃ初めて言ったもんな。即答でさほど面白くない冗談が返って来た場合は全然余裕。若干間があってさほど面白くない冗談が返って来た場合は可もなく不可もない状況。長い間があってさほど面白くもない冗談が返って来た場合はあんまりよろしくない状況」
「アレレー、タイミングだけでいいんじゃないの!? 面白さ関係ないっていうか、全部一緒じゃない!? ねえ、何の意味があって俺は公開処刑されたの、ねえ!?」
唐突にこき下ろされた圭介は不満を隠さずに食って掛かる。
が、一応は病棟にいることを思い出し、振り上げた拳をポケットに突っ込んで冷静に耐える。それに、彼らには伝えておかねばならないこともある。
「……しかしまあ、なんだ。面倒に巻き込んで悪かったな」
薄ら笑みも不満の表情も引っ込め、少々ばつが悪そうに告げる。
当然のことではある。
〈ブラックパルサー〉の狙いは〈レッドストライカー〉と〈タイプα01〉の二名であり、だからこそ二人と縁のあるこの四人を拉致(失敗)したのだ。ここが古見掛であり、彼らがその住民であったから大事には至らなかったが、そうでなければそれこそ死人が出ていた可能性は高い。
「「「「……」」」」
四人はそんな圭介を見やり、「何言ってんだこいつ」とばかりに怪訝そうな顔を見合わせた。
「え、ちょっと、何そのリアクション……」
圭介はまたも不満げに口を尖らせるが、今度は四人の顔にもげんなりとした表情が浮かんだ。
「おいおい、こいつまだこの街に馴染んでないぞ」
「くーっ、頼られ甲斐のない野郎だぜ。仮にも古見掛市民にそのセリフかよ」
「やれやれね。あたしたちも存外に信頼がないというかなんというか」
「一人で背負いこみ過ぎだよ、大河原君」
四者四様、口々に好き放題言い始める。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。そりゃ俺もこの街に来てしばらくだけどさ、別にちょっと詫び言ったくらいでそこまで言わなくてもいいんじゃない?」
思いもよらぬ反応に困惑しつつ、圭介は言い返す。
「にしたってそこそこに付き合いも出来てきたわけだし、もう少し過大評価してくれてもいいんじゃね?」
博次も不満げに言うが、圭介も圭介でこれまでの人生で培ってきた感覚や習慣がある。
「……そうは言うけどさ。誰だってダチが拉致されたら心配にもなるっしょぉ?」
ボリボリと髪を掻いた圭介は、少しばかり苦い声で言った。
「そりゃこの街は特別中の特別だもの、お手伝い感覚で協力してくれるのはありがたいさ。けどさ、俺の元いた世界はそれじゃすまなかったんだよ」
いつもと違い、本当に苦々しげな圭介の声に友人たちも一度口をつぐむ。
「この世界の、この街だから俺もある程度以上に安心して暮らせてるけどな。向こうじゃそうはいかなかったよ。何せいつどんな手で狙われるかも分からないからな。巻き添え出さないように一人でコソコソ廃墟や高架下で寝起きするレベルだぜ? 向こうにも世話になった人やダチって言えるような奴もいるけどさ、会いには行けない。俺と接点があると知れたら、〈ブラックパルサー〉残党が何を仕出かすか知れたもんじゃないしさ。そりゃこの街で暮らしてりゃ危機感もちっとは薄れてきたけど、「おまえの仲間は預かった」なんて言われちゃこっちも胃が痛いってのはわかってくれよ」
珍しく切実な圭介の頼みに、四人は一転して「しまった」という顔をした。
古見掛市民が時たま陥る感覚のずれだ。
相手がファンタジーの住人だろうとSFの住人だろうと、あるいはもっと身近な脅威であっても、平和を乱し、誰かを踏み躙ろうものなら気軽かつ徹底的に叩きのめすのが古見掛の流儀である。それ自体は喜ばしいことだ。悪意から自分や隣人の身を守るべく行動でき、成果を上げるという難事をあっさりと成し遂げられる点は、市民たちが誇りに思い、胸を張れることには違いない。
だが一方で、なまじ悲劇と縁遠いために古見掛の常識に染まりきっていない人間と比べて楽観的、悪く言えば無神経になりやすいという弊害もないではなかった。
古見掛市民は、幼少から様々な悪意と善意に打たれて育つ。生粋の古見掛っ子でなくとも、古見掛に来てある程度の時間を過ごせば古見掛の流儀に染まる。この四人の中では佳奈美と博次は特にこの街に中てられているとも言えた。
少年兵として戦闘に従事させられ、血煙と悪意にどっぷりと漬け込まれた後に古見掛に流れ着いた二人は、その反動か善人揃いの強者揃いであるこの街の一員であることを強く誇っている節があった。一見好戦的、行動的に見えるのは、この誇りに後押しされていることも多分にある。
そしてその誇り故に、こうして他者の神経を逆なでしてしまうことも稀にある。
フミカと慎太にしても、平和な街で助け合って生きることと、それによって平和な日常を享受することに慣れてしまっているのは事実である。佳奈美と博次程ではないにしろ、圭介の心配や遠慮を余所余所しいと感じてしまうことはあった。
が、〈レッドストライカー〉大河原圭介は正真正銘の正義の味方である。
悪に踏み砕かれた人間の悲惨な姿を嫌と言う程に見てきた、地獄絵図の生き証人だ。そんな圭介が悪魔の手に堕ちた友人を案じるのは、ごく当然であり、そこに少なからぬ苦痛を伴っただろうことは、少し考えればわかることではあったはずだ。古見掛の人間も無知ではない。地獄とは縁遠いからこそ、それを知る大切さは教育者を始めとした大人たちは特によくわかっている。だからこそ四人とも、もう少し頭が回っていれば圭介に対して無視系な発言をしていると気付けたかもしれないのだが。
男二人は圭介と同様に頭を掻きつつ、後ろめたそうに「すまん」と、女二人もうなだれて「ごめん」と呟く。
「うっ、別にそんな気にしてるわけじゃないし。そう凹まれるとこっちも困るぜ」
表情や態度はそれぞれだが、いずれも反省と後悔の念が滲み出ているために圭介もそれ以上は言を紡げない。もともと理解を求めて抗議しただけであり、反発や怒りを抱いているわけではない。自分で言った通り、圭介としては迷惑を掛けて申し訳ない思いと、積極的に力になってくれる事への感謝を抱いているのだ。変に気に病まれるとかえって心苦しい。
(……しまったね、こりゃ。いや~な空気にしちまったい)
圭介が僅かに困り始めた時だった。
「や。これは皆さんお揃いで」
掛けられた声に振り向くと、生活相談事務所の所長がコートをたなびかせて足早に歩いてくる。そう言えば、先の戦闘で彼とその従者の声を聴覚の片隅で捉えていた事を思い出す。
「もしかして、みんな01さんのお見舞いに来てくれたのかな?」
見かけは同年代だが、明確に年上の社会人にしてファミレスで危うく無銭飲食をする所だった圭介たちに金を貸してくれた債権者でもある。圭介をは始め、全員が居住まいを正すことで場の空気が少し穏やかさを取り戻す。
まだそこまで所長と接点がない四人は軽く目礼をするに留めたが、圭介は01の件で現在進行形で世話になっている。恐らくは彼も01の様子を見に来てくれたのだろう。
「すんません、本条さん。また世話を掛けちまって」
「いやいや、転居希望者のお世話がウチの事務所の仕事だからね。流石に仕事もせずに市民の税金を給料として受け取るのは心苦しいし」
朗らかに笑う所長の声と笑顔は、それだけで場の空気を和ませる。
一見すると十代半ば程度の少年にしか見えないこの大人は、しかし小学生の様な無邪気さを見せることが多く、少しばかり雰囲気の悪くなっていた圭介たちにしてみれば、清涼剤の様にも思えた。
「ただね」
「へ?」
だが、所長の声のトーンがほんの僅かに変化したことに圭介は気付く。同時に、あどけない笑顔にやはりほんの僅かの曇りがある事にも。
「ただ、事が起きた場合やそれに対処する場合は一報入れてくれると助かるなあ。割と切実に」
「う……!?」
圭介の両肩に手を置いた所長の目には少しばかり非難の色が滲んでいた。
「いや、僕も01さんの受け入れを担当してるわけだし。01さんがいつのまにか所在不明っていうのはちょっと困るんだよね。警護の人たちが追いかけてくれてたから良かったけどさ。もちろん、君や彼女を監視する必要はないんだけど、当の依頼者というか、被害者が戦ってるのに僕たちが蚊帳の外っていうのもどうかと思わない?」
「あ、いや、ごもっともで……」
別に、所長は威圧的な態度を取っているわけでも嫌味な態度を取っているわけでもない。
ただ単に、普段の態度が非常に温厚であるために、ほんの僅かな棘が出刃包丁の様に巨大で鋭く見えるだけだ。裏を返せば、普段それだけ圭介が甘やかされているという事でもある。
「ま、これに懲りたらもう少し頼ってくれると嬉しいかな。正義の味方として色々と背負い込んじゃうのはわかるけど、少なくとも僕は君よりも年季が入ったプロだし、何より大人でもあるから。友達の事を大事に思うなら、まずは使えるものは何でも使う強かさがないとね」
「……もしかして、さっきの話聞いてました?」
圭介は単刀直入に尋ねるが、所長は「ん~?」と肩を竦めて首を傾げるだけだ。
「黒ですね?」
「知~らないったら知ら……ムッ? ごめん、ちょっと待って」
食い下がる圭介を制し、所長は懐からブルブルと振動する携帯電話を取り出した。仕込んだかと思われるほどタイミング良く掛かって来た電話によって追及を一時躱された圭介は、ふと友人たちと視線を交わす。
所長が引っ掻き回してくれたせいか、先程までの気まずい空気はだいぶ霧散している。が、それでも完全に元通りではない。四人とも何となく声を上げ辛そうにしているのを見た圭介は、敢えて所長を一瞥してから再度視線を皆と交わして肩を竦めた。
上手いこと誤魔化されちまったよ、と。
何の事はない仕草だが、圭介が腹を立てているわけでも傷ついているわけでもない事をアピールするには十分な効果があったらしい。友人たちもそれを切っ掛けにぎこちないながらも苦笑を返してくる。
「もしもし? どうしたの、何かあった? ……何だって?」
ようやく小さな問題が解決したことに安堵した圭介だったが、今度は通話する所長の声が険しくなったことに気付く。
「あー、わかった。ちょうど圭介君もそこにいるから、繋いでくれる?」
見やった圭介と珍しく鋭い視線を交わした所長は、そのまま携帯電話を圭介に差し出した。
「君に出てもらうべきかな」
「俺に、ですか?」
心当たりが全くない電話が、何故か自分ではなく所長に掛かって来たことを怪訝に思いつつも、圭介は電話を受け取る。
「もしもし、どちらさんでしょう?」
『ほう、あくまで保護者に掛けたつもりだったが、本人が出てくれるとは僥倖だ。話が早く済む』
瞬間、圭介の顔に苦虫のエキスを濃縮還元して一気飲みしたような顔が浮かんだ。
「間違い電話じゃないっすかね? 悪の組織に友達はいないんだけど」
『まあ、貴様に繋がるというのは当てにしていなかったが、中々話の分かる街の様だな。せっかく繋がったのだから貴様と話した方が早い』
「悪の首領と話す口はないんで、正直切りたいんだけどな~」
『貴様に繋がるまで、その街の役所、生活相談事務所などを経由しているようだが、一時の感情に任せて切ると担当者が嫌な顔をするかもしれんぞ』
「……要件はお早目に頼むよ、〈ブラックパルサー〉の首領さん。正直、苛立ちに任せて電話を握りつぶしそうだわ」
〈メタコマンド〉の能力ならば容易に、というよりもうっかりやりかねない懸念を表明した圭介は、ギョッとする電話の持ち主を余所に、予期していなかった相手に話を促した。




