立ち込める暗雲! 起き上がる撃鉄! ……それは伝統ある死亡フラグ
「浮かない顔をしていやがるな。一体また何があったんだ?」
「んー?」
午前八時前。
そろそろ騒々しくなってきた教室で掛けられた声に圭介は振り向く。
「ビル、久しぶり」
「ここんところ、随分とあの01とやらにご執心じゃねえか。それ自体は構わねえが、おまえの暴れっぷりを見られねえ側としちゃあ退屈だ」
「失礼な事を言ってくれるねえ。それじゃ俺が年がら年中暴れまわってる猪頭みたいじゃんか。言っとくが俺はおまえとは違うんだぜ?」
クラス内でも最も戦闘狂という表現が似合う男、ビリアル・ブランハースはいかにも不満げな顔でぼやく。
圭介も戯れに何度か拳を交えたこともあるが、とにかく戦いというか、荒事が好きな男ではある。どうやら圭介と01の戦いがただの組手になってしまったことで退屈しているらしい。
「抜かせ。オメエだって随分と楽しんでるじゃねえか。俺としちゃあ、おまえと奴の本気の勝負が見てえんだがな」
「それこそ冗談お言いでないよ。やっとこさ枕を高くして寝れるようになってきたんだからさ」
圭介は参った顔で机に突っ伏す。
01と戦うこと自体は圭介も満更ではないのだが、命がけの戦いを、悪意のない相手と繰り広げるのは御免だ。死闘が組手になったことは、圭介にとって実にありがたいことで、変に波風が立つのは遠慮したい。
「その割にゃあ、さっきの顔は何だったんだ? 深刻って感じでもなかったが、ありゃあご機嫌ってぇ面じゃなかったがな」
ビリアルは圭介の首根っこを掴んで無理矢理起こして尋ねる。
「01の奴、記憶がないってのは知ってたっけか?」
「おお。中央病院でどうにか出来ないかって話だったか」
「……その件が、どーも望み薄らしくってさぁ」
窓から外を眺める圭介の声はあまり力が入っていない。ビリアルでなくとも、圭介の普段の態度を知る者ならば「おや?」と思うだろう。
昨日、01共々病院に呼び出されて聞かされた話を思い返し、うんざりとする。
「何だ、難しいのか?」
「難しいっていうか、可能性が薄いというか……正直に言えば、ほぼ絶望的だと」
「そうか。そいつは気の毒な話じゃあるが……。しかしよ、あいつがそういうこと気にするタマか?」
「んー、正直に言えばあいつは大丈夫そうだと思う。何だかんだで結構この街にも慣れてきたみたいだし、ぶっちゃけここんとこは気にしてなさそう」
実際、01のここ最近の落ち着きようは圭介から見ても明らかだった。
空中散歩や食事会以後も、積極的に連れ回したのが功を奏したのか、古見掛に正式に保護されてから数日以上が経ってようやく、目に映る物に好奇心を持ち始めたらしい。連れ回す際にも何かとあれこれ質問してくるようにもなっている。
率直に言えば、下手にまずい過去を掘り返してしまうより、このまま娑婆に馴染ませた方がいいのではないかとさえ考えている。
「んじゃ何が問題なんだよ」
「選択肢があるのとないのとじゃ、やっぱり違うっしょ? それに、あいつの本心がわからないからなあ。少なくとも一緒に聞いてた時は平然としてはいたけどさ」
「あの顔と態度じゃ、まあわからんわな。しかし、そんなに心配することもあるまい? 少なくともおまえとの戦いには熱中してたように見えるしな」
「それもそうではあるんだけどなぁ。やっぱり朗報では決してないわけだし」
腕を組み、圭介はムムムと唸る。
01が記憶が戻ることを望んでいるか、と言われると非常に判断が難しい。かなり無理をして良く言うなら、非常に高い集中力を持っているとも表現できるが、要は何かに気を取られると他に気が回らなくなるという事でもある。
今はいい。見るもの見るもの全てが真新しく映るだろうし、念願だった圭介との戦いも行えているのだから、そっちに意識が集中している。だが、その後がどうなるかは怪しいものだ。見るものから新鮮さが失われれば、それだけ余計なことを考える時間が増える。圭介との戦いも、いつまでも決着が付かないというのは楽観的に過ぎるだろう。全てに決着が付いた後、果たして01は今のように落ち着いて過ごせるのだろうか。
「……」
自分はどうだったろうか。
<ブラックパルサー>を潰して、この街にやって来た時の事を思い返す。
あまり、明るい顔をしていた自覚はない。
非常に苦しい戦いを終えたという満足と安心は間違いなくあったが、それだけでは埋めきれない虚無が存在していたこともまた事実ではある。
<ブラックパルサー>との戦いを決意した時から、故郷で平和に暮らせるなどとは思っていなかった。無事に生き残り、組織を壊滅させられるなどとは楽観的に過ぎると、当時の圭介にも良くわかったし、仮にそれが出来たとしても、組織の残党が自分の周りに危害を加えないという確証はなかった。故に、戦いの後は世捨て人にでもなるしかないと考えていた圭介だった。自分に関わりのある者もおらず、<ブラックパルサー>も存在しない古見掛に来ることが出来たのは非常に幸いであった。幸いではあったが、故郷から遠く遠く離れてしまったこともまた事実ではある。
故郷に対する愛着はある。そこで生きてきた人々への愛情もある。家族はなかったが、施設で共に育った子供たちや、育ててくれた職員へは間違いなく愛を感じていたのだ。
そういった物を全て捨て去ってしまった寂しさや虚しさは、一日二日で消えるものではない。幸い、古見掛を紹介してくれた本条生活相談所はとても良くしてくれたし、住民がとにかくお人好しで生命力が有り余っているこの街だったが、やはり馴染むには多少の時間が掛かった。
果たして、01はどうだろうか。
本条たち程ではないにしろ、自分もなるべく親身に接せてはいるつもりだが、記憶がない、戻らないというのはやはり大きな負担になっているのではないか。
「おい」
記憶が戻りそうにない事は、もう少し伏せておいた方が良かったろうか。いや、既に可能性が高くないことは伝えてあった。無知ではあるが聡い01だ。恐らく説明せずとも察しただろう。
「おい」
本人は気にしている様子がないが、どうも自分の本心だとか、気持ちというものを理解できていないようにも思える。意識的にしろ無意識にしろ、そういう面がある。今は用意された部屋で大人しくしているはずだが、もし一歩も出歩かずに部屋に引きこもっているとしたら問題だ。変に思いつめることがないとも限らない。あまり気は進まないが、護衛に付いている担当者に連絡をして話し相手になってもらうということも……
「ビリアル撃滅パアアアンチッ!」
「ぶほおっ!?」
側頭部に走る破壊的衝撃。
特殊合金で守られた、部分的に改造された脳を思い切り揺さぶられた圭介は受け身も取れず、その衝撃のままに吹き飛んで壁に頭から突っ込んだ。室内にいた生徒たちが何だ何だとざわつき始めるが、ビリアルはそれを気にも留めずに圭介の元に歩み寄る。
「……いってえなあ! 何すんだよいきなり!?」
ビリアルは一応、生身の人間ではある。が、あくまでも一応、分類上普通の人間であるというだけでその身体能力は人間の規格を大幅に逸脱している。身体は戦闘態勢に移行しておらず、ヘッドギアも身に着けていない圭介にはいささか重過ぎる一撃だった。
「へっ、ちったあ目が覚めたかよ。ヒーローさん」
「にゃ、にゃにおう!?」
ビリアルは混乱する圭介の胸倉をひっつかみ、そのまま力任せに引き起こす。
「ったく、つまらねえことをウダウダと悩みやがって。オメエは奴の保護者みたいなもんだろうが。それならオロオロと無様を晒してねえでドーンと構えてたらどうなんでえ? 保護者がそんなんじゃあ、01も余計な不安を持っちまうだろうが」
圭介は思わず目を丸くする。
予想もしていなかった、極めてまともな言葉だった。
「う……。ビルのくせにまともなことを」
「お、目が覚めてないってんならもう二、三発お見舞いしてやってもいいんだぜ?」
「いやいや、結構! どーも、感謝してます! 勘弁して! ホントお腹いっぱい!」
両手を上げ、降参のポーズで首を振る圭介を放り出し、ビリアルは肩を竦めた。
「まあ、逸る気持ちはわからんじゃないがよ。おまえはあいつにとってもヒーローだろうが。それが人の話も聞こえないんじゃあお話にならんぜ。三島のおっさんも気にしてるんだ」
「三島先生が?」
立ち上がり、襟元を正す圭介はおうむ返しに聞き返す。
「教え子が妙な事に首突っ込んで悩んでちゃあ、教師としても気掛かりだろうよ。正義の味方ってのは、人に自分がどう見えてるか、常に気にしとくもんだぜ。ビクついたヒーローなんざ、いねえ方がマシだからな」
「ちぇっ、ちっとは一丁前にヒーローやれてたかと思ったんだがなあ」
ビリアルの指摘は実に痛い所を突いてきていた。
言われてみればその通りである。思い返せば、本条を始め、この街の人間はとにかくどっしりと物事に対して構えている。それに対して、自分はあまりにもオロオロとしているのは言い訳のしようがない事実だった。
「奴はおまえが思ってるほど弱かねえよ。ありゃあ俺と同じタイプだ。少なくとも、ぶっ潰す相手がいるんならその間は潰れねえよ。その間にオメエが教育なり調教なりしてやりゃあいいのさ」
「誤解招く発言、よろしくない」
言っていることは非常に正しいのだろうが、言い方に極めて問題のある友人に文句を言いつつ、圭介は自分の席に戻った。
不思議なものである。激を飛ばされたのは事実だが、この数分で随分と気持ちが落ち着いている。ビリアルの言葉は一々もっともだったが、それでもここまで気持ちを切り替えられていることは素直に驚くべきだろう。
確かに、01は決して弱いタイプではない。記憶の有無が自身の不安に関係あるのかわかっていなかった辺り、自分の心理状態を把握するのは得意ではなさそうだが、この街まで圭介を追ってきて戦いを挑む程度にはバイタリティーがある。にも関わらず自分があーだこーだと心配しても仕方がないのかもしれない。
「サンキュウー、一応感謝しとくわ」
「おう、これで貸し一つな」
「え、それはちょっと高くない? 俺、一発貰ってるし」
「お、そういや一発殴ってたな。よし、貸し二つだ」
「何と!?」
取り留めない雑談に戻ったことで、クラスメイトたちもそれぞれ雑談に戻り掛けた時だった。
「はっ!?」
何気なく窓の外に目をやった圭介は頬を引きつらせる。それを見たビリアルは怪訝そうな顔でそれに倣い、眉を顰めた。
「失礼します」
カラカラと窓を開き、外から踊りこんで来たのは、たった今まで話題の中心だった<タイプα01>その人だった。
それも戦闘服を着込んだ姿で、こちらの返事も待たずにズカズカと教室内に踏みこんで来たのだ。過去の接触を思い出し、圭介は思わず身を仰け反らせる。
「えっと、01さん? こんな時間にどしたの?」
「突然お邪魔して申し訳ありません。ただ、急ぎお伝えしておきたいことがありまして」
01は丁寧に頭を下げると、圭介の席の傍へと歩み寄ってきた。
「お伝え? 何かあった?」
圭介は首を傾げるが、01の表情にはにわかに緊張感のようなものが浮かんでいた。
「先程、私がお借りしている部屋の窓に、このような物が撃ち込まれてきました。幸い、警護担当の方が受け止めて下さったので、窓ガラスに破損はありませんでしたが」
「撃ち込まれたぁ!?」
唐突に物騒な話を持ち出され、圭介は席を立つ。
「何、何が撃ち込まれてきたのさ!?」
「ですから、これが」
思わず声を荒げる圭介に、01は一本の細い棒を差し出した。
「……矢?」
羽や矢尻のついたそれは、間違いなく矢だった。造りとしてはだいぶ粗雑で、弓でまっすぐ飛ぶかはだいぶ怪しげだ。適当に拾った枝やがらくたで作ったとしか思えない。
「それに結ばれていました」
01は一枚のメモを取り出し、圭介に差し出す。
「ええっ、矢文!? 時代錯誤にも限度ってもんがあるでしょうに……」
大いに驚きつつメモを広げた圭介は、次の瞬間には目付きを刃物のように鋭くした。
『〈ブラックパルサー〉は裏切り者〈レッドストライカー〉、〈タイプα01〉の処刑を決定した。ついては下記の処刑場へ本日正午までに出頭せよ。出頭がなき場合、その罰則としてこちらが確保している李佳奈美、里村博次、ナガミネ・フミカ、真田慎太の四名を殺害する』
「おーおー、こりゃまた、どこに出しても恥ずかしくない脅迫状だな。ちと文面が稚拙な気もするが」
覗き込むビリアルは軽口を叩くが、圭介の瞳を見て不敵な笑みを浮かべた。
「圭介、どーすんだ?」
「当然、ボコボコニしてから駅前で逆さ吊りにする。人数分のロープと、敗北者と書いたプレートを用意しないとなぁ」
瞳には生命力の輝きを銀河のように渦巻かせた圭介は、矢文を握り潰して笑みを浮かべた。
悪党を地獄へ叩き落とす鉄槌としての顔を見た01が、一歩後ろに下がった。




