その名は〈レッドストライカー〉……自分で名乗ったわけじゃないぞ?
「参った。ここまで来てその名前を聞くことになるとは」
01の口から出た名前に、圭介は困った顔で天を仰ぎ、後頭部を掻いた。
〈ブラックパルサー〉。
圭介にとっては決して耳触りの良い名前ではなく、本来ならもう聞くはずのない名前だった。
「えっと、01だっけ? 俺の記憶違いじゃなければ、〈ブラックパルサー〉はもう壊滅しちまってるはずなんだけど」
「ええ。私もそのように把握していますが、それが何か?」
「それがって……」
「組織の有無など関係ありません。私の使命、目的はあなたと戦う事です。その結果を利用する組織があろうとあるまいと、詮無いことでしょう」
圭介は思わず目を見開いた。
これまで圭介は何度となく〈ブラックパルサー〉と交戦している。その上で、組織の構成員と多少言葉をやり取りしたこともある。そして抱いた圭介の感想は嫌悪だった。
自分たちの理念が如何に崇高か、与えられた平和を謳歌するだけの民が如何に愚かか、自分たちの組織が如何に素晴らしい存在かを妄信している言動ばかりを耳にしてきた。たまにまともな例外もいることはいたが、それでも組織の一員という自覚と誇りは持っていた。
それがどうだ。
眼前の少女は〈ブラックパルサー〉を名乗りながら、組織などどうでもいいと言う。今までにない、それもかなり特異なタイプだ。
「失礼だけど、君ってホントに〈ブラックパルサー〉?」
「一応は。組織の理念や目的などに強い共感はありませんが、組織によって誕生し、組織の命令を受けてここに来たのですから」
いよいよ圭介は首を捻らなくてはならなかった。
圭介の知る限り、〈ブラックパルサー〉は志願制だ。もちろん、一般人の拉致は日常的に行っていたが、それは人体実験の被験者としてだったり、あるいは脅迫の為の人質という使い方が殆んどだ。
崇高な理念に酔っぱらっている連中が、どこの誰とも知れない人間を攫ってきて同胞として迎え入れるとは考えにくい。少なくとも組織の加入者はそれなりの吟味を行って選んでいるだろう。組織の理念を妄信、少なくとも共感するような人材を求めるのが自然だ。それが、この少女はまるで組織への参加が自分の意思ではないかのような物言いだ。
いや、それより……。
「ねえ君、今、組織によって誕生し……とか言った?」
酷く引っ掛かる言葉に、圭介が問い質そうとした時、01が僅かに表情を変えた。
「申し訳ありませんが、そろそろよろしいでしょうか」
声の調子に変化はない。しかし、ほんの僅か、不機嫌そうに眉を顰めている。どうやら一方的な質問攻めに気分を害してしまったようだ。
「そろそろ、って?」
わかってはいるが、一応訊いてみる。
「もちろん、尋常に勝負をお願いしたく思います」
「はっきり言う子だね」
肩を肩を竦めながらも、圭介は内心で困り始めていた。
この街の住民達同様、圭介も戦い慣れはしている。戦い慣れはしているのだが、それはあくまで相手に明確な悪意があっての話だ。放っておけば自分か、他の誰かが何らかの被害を被る事が確実という相手ならば何度となく叩き伏せてきた。
しかし、この場合はどうなのだろう。
〈ブラックパルサー〉は世界の敵と言っていいだろう危険かつ悪辣な存在だが、かといってこの少女もそうだと断定するのはまずかろう。
01本人は組織やその理念などどうでもいいと言い切っているし、圭介以外に危害を加える気はないとも取れる発言をしている。その一方、使命の一言を理由に圭介と戦おうとしている。
外見だけで判断するなら、自分とさして変わらないだろう年ごろの少女に過ぎない。
(戦うって、この子と? ちょっと冗談がきつくないかねえ)
今一つ01が戦おうとする動機が掴めない以上、少しずつでも対話して荒事を回避したいのだが。
「では、参ります」
「ええっ、俺に拒否権は無いの!?」
「申し訳ありませんが、お付き合い願います」
「強引グマイウェイって奴かねぇ、困ったもんだ」
やむを得ない。
どうにかこうにか取り押さえて警察を頼るよりないだろう。
圭介が決意すると同時に、01は纏っているボロ布に手を掛けた。軽やかに身体から引き離し、バサリと宙に放る。
布に覆い隠されていた、01の首から下が露わになる。
「おおう……!」
圭介は眼前の光景に唸った。
01がボロの下に着込んでいたのは、懐かしくも忌まわしい〈ブラックパルサー〉の上級戦闘員、〈メタコマンド〉の戦闘服に類するものだ。
革に似た質感の身体をピッタリと覆う黒いスーツ。脛や膝、肘、肩などを覆う軽装甲。腹部や関節部を保護しつつ、運動性を殺さない軟質サポーター。
そして、各所に刻印されているエンブレム。
赤く縁取られた黒い星の意匠を目し、一瞬だけうんざりした表情を浮かべた圭介は、それでも一息ついて気分を切り替える。
不快感を抱えたまま戦うというのがあまり好ましくないというのもあったが、何よりも全身を日の下に晒した01の姿が美しいという事が大きかった。
膝にまで届くのではないかと思われる長い髪が風にたなびく様は幻想的でさえあった。
さらに、小柄で細身ながら、そのプロポーションがかなり良かった。まともな服を着れば、そのままモデルを名乗れそうだ。
「眼福だわぁ。物騒な話じゃなくてデートの誘いだったら涙流して喜んだのに」
「生憎と、そういった話には興味がありません」
「……オッケー、それじゃあお相手仕りますよ。美人相手なら戦いでも我慢するっきゃないか」
こうなっては何を言っても聞く耳を持つまい。そう判断した圭介は、ひとまず相手の要求を呑むことにした。
その結果が内容が殺し合いにならず、単なる捕り物になったとしても、取り押さえてしまえば問題あるまい。
この01という少女が自分より弱ければ、だが。
「感謝します。では改めて、参ります」
言うが早いか、01は地面を蹴った。
「っ!?」
次の瞬間、圭介は慌てて胸の前で腕を組んだ。
直後、強烈な衝撃と共に圭介は宙を舞った。
比喩ではない。
七十キロほどある圭介の体重は、01の小さな拳に込められたエネルギーによって軽々と弾き飛ばされていた。
二十メートル近い距離を吹き飛び、勢いよく大地に突っ込む。落下の衝撃に草の切れ端と土煙が盛大に巻き上がる。
01は追撃を掛けては来なかった。
立ち込める土煙をじっと見やり、油断なく身構えている。
「たはー、参った参った。対俺用って言ってたけど、偽りなしだね。滅茶苦茶強いじゃん」
立ち上がり、圭介は煙の中から歩き出す。
激突直前に展開した戦闘服が被った土を払い落としながら、01に向けて声を掛ける。
01の物程ではないにしろ、身体にフィットした黒い防弾絶縁対刃のスーツ。各部に纏った硬質な紅い装甲、特に肩回りを覆う鎧めいたプロテクターは特に重厚だ。
ごつごつとしたブーツに、やはり紅い籠手はいかにも物々しい。
頭部を保護するヘッドギアは額と側頭部をガッチリと保護しているが、頭の上半分は露出しており、長めの頭髪が逆立っている。
目元を覆うバイザーの下には普段より攻撃的な視線を隠しながら、露わになっている口元は苦笑いを浮かべていた。
「これ程早く〈レッドストライカー〉としての姿を現していただけるとは、光栄です」
「オタクらにもその名前知られてんの? 何かこっ恥ずかしいね」
言い終わると同時に、二人は同時に跳躍する。
二十メートルの距離を一瞬でゼロに縮め、互いに拳を振りかざす。
一瞬の後、空き地に轟音が響き渡った。
〈ブラックパルサー〉がその脅威をはっきりと世界に示し始めてからしばらくの間、彼らの暴挙は留まるところを知らず、それを止めることは事実上不可能だった。
通常の兵器が正面切って軍や警察に挑んでくるのならともかく、彼らの最大戦力である〈メタコマンド〉はその隠匿性の高さと尋常ならざる機動性を武器としていた。いつの間にか忍び寄り、人間の反応速度を越える速度で移動し、砲撃と変わらない威力を持つ打撃で全てを破壊していく。
〈メタコマンド〉相手に銃器は殆んど役に立たない。当たればそれなりの効果はあるし、集中砲火を浴びせ続ければ破壊することも出来る。だが、当たらない。
人間の動体視力、反応速度で〈メタコマンド〉を捉えることは出来ない。出来るとすれば完全な不意打ちか、圧倒的な火力を持っての面制圧しかないが、そんな有利な状況を作れることは極々まれだ。
現代社会は〈ブラックパルサー〉に対する有効な対抗手段を持ち合わせていなかった。
にも拘らず、〈ブラックパルサー〉は壊滅した。
いつの間にか、最新鋭兵器でも対抗できなかった〈メタコマンド〉はその数を著しく減らしていた。
多大な犠牲を払い、どうにか所在を探り当てることは出来ても、それ以上の事は出来なかった彼らのアジトは次々に破壊されていった。
人々は状況を理解する間もなく、〈ブラックパルサー〉壊滅の報を聞くこととなったのだ。
その報せに人々は大いに安堵したが、同時に疑問を抱かせた。
一体何者が、あの強大な組織を壊滅まで追いやったのか。一体どんな技術、組織力を持つ勢力が動いたのか。あるいは仲間割れでも起こして自壊したのか。
様々な憶測や陰謀論が渦巻き、安心を取り戻した人々の心を魅了した。
そんな様々な噂の中に、一つの奇妙な噂が紛れていた。
〈ブラックパルサー〉を叩き潰したのは、一個人だという話だ。
彼らに拉致され、人体改造の実験体にされながら、その改造人間兵器としての優れた能力を生かし脱走。そのまま組織を敵に回して戦い続け、ついには壊滅させた男がいるというものだ。
あまりにも荒唐無稽なその噂は、当然ながら一笑に付された。
ところが、ありえないと断じられながらもその噂は、他のどの噂よりも広がり、語り継がれた。
出来過ぎた話である為にかなりの胡散臭さはあったが、理論的に突き詰めていくと、決してありえない話ではなかったのだ。
確かに、改造人間である〈メタコマンド〉に対抗できるのは、同じ改造人間だけだろう。ひとまず矛盾は発生しない。
それでも他にも尤もらしい噂はいくつもあったが、それらの中に埋もれてしまわなかったのは、偏にその噂に、夢があったからだろう。
世界を恐怖のどん底に叩きこんだ組織にたった一人戦いを挑み、遂には平和を取り戻した一人の戦士。
子供じみた話ではあるが、確かな浪漫がそこにはあった。
恐怖が蔓延した世界において、人々が忘れかけていたものを詰め込んだような、おとぎ話。
内心で馬鹿馬鹿しいと思っている者も、敢えて否定して回る気にはならなかった。その、一種の気高い物語は大勢の人々に語られていった。
その内に、戦士の名前が世間に出回った。
創作か、事実か、あるいは憶測なのか。その判断は出来なかったが。
紅い姿と、巨大な組織を文字通り叩き潰した伝説に由来するその名は。
〈レッドストライカー〉。