二人の<メタコマンド>、気晴らしの大特訓! ……鉄球とかジープとかは無い
真正面から叩き込まれた拳を、やはり拳で真正面へと迎撃する。
いつもなら、拳に走るのは強烈な衝撃だ。大気を打ち鳴らし、金属製の骨格をビリビリと震わせる破壊的なショック。
だが、今日に限ってはそんな衝撃はまるで感じない。
打ち込まれてきたのは、戦闘服のグローブに包まれた殺意の籠る拳ではない。
剥き出しの柔らかな肌越しに、相手の骨の感触まではっきりと感じ取れるのは、迎撃した拳もまた素手だったからに他ならない。戦闘服だけでなく、双方の身体能力も常人並みに制限を掛けてある。
そしてそれが、完全に勝負を決めてしまっていた。
「ぐっ……!?」
正面から撃ち落された拳を引こうとした01は、しかし強烈な力に引き留められた。
本来であれば、拳の激突による衝撃でお互いは弾き飛ばされている。たかだか数十キロの体重など吹き飛ばしてしまうだけの威力を<メタコマンド>は易々と発揮できるのだ。互いの攻撃がぶつかり合えば、<メタコマンド>は放っておいても間合いを広げている。
しかし、常人並みに落とし込まれた身体能力ではせいぜいがよろめく程度の衝撃でしかない。そして悪いことに、何度となく激戦を繰り広げてきた熟練者であれば、そもそもよろめくくこともない。つい戦闘服着用、身体能力全開の戦い方に引きずられ、離脱が遅れた01の手首を掴み、振り回すくらいわけはなかった。
「あらよっと!」
大河原圭介は最小限の動きで01を数メートル程も投げ飛ばす。01はすかさず着地体勢に入るが、出来ない。
生身の人間と大差ない所まで能力を封じられた身体は、01の意識にまるでついて来れない。そもそも、思考自体が普段に比べてあまりにも遅れていることを、落下する直前まで忘れていた。
「っ!」
ドシャリという鈍い音と共に、軽い衝撃。
城南大学付属学園のグラウンドのど真ん中、01は大の字に倒れて大空を見上げていた。
「おっと、大丈夫か~?」
起き上がると、数メートル程しか離れていない所に、圭介が未だに立っていた。
「……」
01は答えない。
ただ黙って立ち上がり、身構えることで、心身に何らの影響もない事を示す。
「いいじゃんいいじゃん、さあ、もう一丁やろうぜ?」
01が頷くと同時に、圭介はグラウンドの砂を蹴散らし、一気に跳躍した。
「!?」
その行動に、01はほんの僅かな時間だけ困惑した。
ほんの数メートルに過ぎない距離だが、常人にしてみればそれなりの距離だ。<メタコマンド>である01でも、能力を制限された状態では助走もなしには跳躍しきれる距離ではない。同様に能力を制限している圭介もそれは同様のはずだ。
それでも、現実に圭介はその距離を詰めてきていた。
一跳びで01のすぐ近くまで飛び込み、頭上に手刀を掲げている。回避は出来ない、脚の反応が間に合わない。素早く両手で頭上を守るが、意味を成さなかった。
「ほい、タッチ!」
ペチン、と後頭部が軽くはたかれる。
落下する直前、空中で前転してギリギリの所で01を回避した圭介は、難なく01の背後に着地していた。頭部に触れられたら敗北、という条件で行われた組手は数分と経たずに一戦終わった。
「さあて、これで俺ってば五連勝? いやはや、さっすが俺、強くてスゴくてカッコイイ」
「おかしいですね。互いにリミッターの制限度は同じ値に設定してあるはずですが」
得意げな圭介に、01は無表情に不服を申し立てる。
二人の身体に掛けられたリミッターはかなり細かく能力出力を設定できる。公平を期して、事前に二人の身体能力はコンマ以下の数字までピッタリと調整がしてあったのだが。
「いやあ、悪い悪い。一応、出力比自体はおまえと同じだったんだけどな」
「明らかに身体能力に差が見られましたが」
「そりゃおまえ、戦いの年季が違わい。俺は自分と同等の相手や、弱くても物量で圧倒してくる連中と戦って戦っての日々だったんだからさぁ。嫌でも鍛えられるよ」
「経験の差、ということでしょうか?」
「経験の差と、身体能力の物理的な強化もな。改造人間兵器も筋肉は鍛えられるし、骨格というか、フレームも摩耗と再生を繰り返す内に強度が増してるみたいだからな」
「疑うわけではありませんが、これほどの差が出るものなのですか?」
「ん~、俺も専門知識があるわけじゃないからな。ただ、戦ってる内に敵が少しずつ弱く感じられるようになっていったのも事実っちゃあ事実だ。ま、単に慣れただけかもしれんけど、腕力とかは明らかに付いたと思う。あと跳躍力とかも」
「身体的な成長と、技能の習得ということですか?」
「そうだな、その両方と何よりも今言ったように慣れることかな。おまえ、戦闘服なし、身体能力制限ありで戦ったことある?」
「いえ、ありません」
「だろうな。だから走り方一つとっても身についてないんだ。戦闘服のアシストもなしで……」
「ではこの訓練は、何故様々な制限をわざわざ……」
「普段制限を課してると、解除した時スゲエ楽……」
「では、さらに重しなどを付ければ更に……」
「なーんか楽しそうねぇ」
グラウンドの中央で、何やら語り始めた二人を眺めつつ、佳奈美は興味深げに呟く。
「圭介は、まあわからんでもないけど、01がスゲエな」
間食のカップめんを啜りつつ、博次は感嘆の声を漏らす。
「遠目にもわかるもんね。01さん、すごく生き生きしてるよ」
「無表情なくせに、ここからでも目が輝いて見える。身振りはいつも通り落ち着いてるのに口数が滅茶苦茶増えてるな」
フミカと慎太は並んで校舎の壁に寄りかかってのんびりとしつつ、しっかりと二人の挙動を観察しているようだ。
「大河原も随分と熱心に指導してるな。あいつには教職が向いてるのかもしれん」
人だかりに紛れた三島教諭は腕を組み、うむうむと頷いている。
「先生、いつの間に?」
「仕事とかいいんですか?」
「放課後に教え子がグラウンド独占して組手しとるんだ、その監督も仕事の内だろう。グラウンドで組手をする部活でもあれば放り込むがな」
「そこはむしろ止めるべきなんじゃ……」
「まあ、本来ここを使うべき部から文句が入ってこんからな。仕方ないのは仕方ないが、嘆かわしくもある」
見渡せば、本来この時間にはグラウンドで汗を流しているべきサッカー部や陸上部の生徒は完全に観戦を決め込んでいる。
殺し合いではないので、圭介が観戦に反対しなかったことと(静かに観戦するようにと釘を刺すのは忘れなかったが)、この街の運動部はそこまで活動に力を入れていないということがやはり響いているようだ。
古見掛の街は、所謂、人外の人口比率が非常に高い。
その内訳は神だ悪魔だ幽霊だロボットだと、とかく細かく分かれているが、とにかく身体能力が普通の人間と桁外れと言う場合が多い。更に悪いことに、どう判断しても人間でしかないというのに、下手をすると人外を凌ぐ強靭さや能力を誇っている事もある。「果たして普通とは何ぞや?」というのは、この街では何度も議論されては結果が出ずに終わってばかりのテーマである。
当然ながら、スポーツ等でも市外の部とは戦力が違いすぎる。無論、手加減すればそこそこにいい試合を「演じる」ことは出来るのだが、そうすると普段の努力は一体何なのだ、という話にもなってしまう。
結果として、古見掛市内の学校では、あまり運動系の部活は活発ではない。特に団体種目は選手の身体的な個人差があまりにも大きすぎて市内の部同士でも一方的な展開になることが多くなる。故に、市内の運動部はビシバシ鍛えて強くなるという所は少なく、興味深い組手が行われていれば、自分たちの練習よりも観戦を優先する程度には、この街の部活動は緩いのである。もっとも、昼休み中の戯れ程度には真剣であり、身体の強弱に関わらず、下校時刻には大抵の部員は疲労困憊しているのも事実だが。
要は楽しさ最優先である。
楽しい。
自分が今抱いている感情をそう理解できるまでには至っていなかったが、間違いなく01は楽しんでいた。
空中散歩や騒々しい食事などを通し、01もだいぶ周囲に目をやる余裕が出てきていたが、それでも記憶がない空虚さから解放されていたわけではない。<レッドストライカー>と戦いたいという感情、即ち(ぞんざいな表現をすれば)気晴らしをしたいという欲求は未だ強く残っている。空中散歩は慣れればいい気晴らしにもなるだろうが、少なくとも現状では恐怖体験でしかない。賑やかな食事も新鮮ではあるし、心地よい時間であるのは間違いないが、流石に戦い程に集中力が発揮でき、ストレスの発散になるものではない。
01と会話する内にそういった事情を読み取った圭介たちは、一つの案を弾きだした。
圭介に身の危険が及ばず、01が緊張感を感じ取り、没頭できる戦い。即ち組手、訓練である。
これが大当たりだった。
命のやり取りでなく、身体能力を常人並みにまで落とし込んだ戦いへの誘いに、01は当初こそ首を傾げていたのだが、一戦交えると俄然やる気になったのだ。
確かに、少し考えただけだと実戦に比してあまりにも悠長だ。自身の性能に自負のような物さえ抱いている節のある01からすれば面白くはないだろう。しかし、事前に圭介が話術である程度の誘導を行った上での組手に、01は価値を見出したようだ。
身体能力を常人並みに落とす。
これにはいくつかのメリットがあった。
単純な運動能力も体力も人並みに落ちるので、周辺に余計な被害を及ぼすことなく体感的には全力を出し切ることが出来る。01とてこの街に保護されている以上、余計な被害を出すことはマズイと理解している。もちろん、普段の戦闘に比べれば水中を走るようなもどかしさはあるが、それでも身体を動かすという、大きなストレス発散効果は望める。
さらに、お互いに手加減がいらないというのは非常に大きな利点となった。
もとより、圭介は01との戦いそのものには大きな抵抗を感じていた。悪党を叩きのめすのに躊躇はしないが、そうでない相手と命のやり取りをするなど御免被るというのが本心だ。故に、01との戦いは圭介にとって厳しい物だった。弱い相手なら手加減などいくらでも出来るが、01は圭介にある程度迫るだけの性能を持っている。品質を落とした簡易量産タイプとはいえ、<ブラックパルサー>の技術も日々進歩している。もちろん、それはあくまでも仕様上の性能であり、改造直後から成長を続けている圭介の方が有利ではあるが、劇的な差ではない。さらに、相手はこちらを殺すつもりで掛かって来ている。こうなると圭介も上手に手加減をすることが出来ず、非常にやりにくい思いをしたのだが、その問題が解消された。運動能力は人並みだが、頑丈さは人の域を完全に逸脱しているのだから、どれだけ全力でぶつかり合おうと命を落としたり負傷する恐れがない。手加減する必要が一切なく、遠慮せずに戦えるのだ。
そしてこの二つのメリットは、さらに大きなメリットを生み出すことに成功した。
「脇ががら空きだぞ! 頭ばっかり狙うとは思わない方がいいんじゃない!?」
「くっ……」
「おお、良く防げました! けど、足が止まってる!」
「あ……」
「ほいタッチ、またも俺の勝ち」
「……」
「今度は少し粘ったな。さっきよりは反応も早くなったし」
身体への攻撃で態勢を崩されることを警戒した01は、防御に気を取られ過ぎて完全に動きを止めてしまった。あっさりとそこに付け込まれ、頭部にポフリと掌を乗せられて01は敗北する。
「……まさか、これほどの敗北を重ねるとは思っていませんでした。実戦では、ある程度対等に渡り合えていたつもりでしたが」
「そりゃあね。おまえは俺を倒す、俺と戦うって目的があったろうけど、俺はその戦いで得るものが何もないもん。デメリットだけじゃモチベーションが全然違わい」
「もちべーしょん、ですか?」
「そ。目的がない行動にはなかなか全力は出せないもんさ。疲れるし、危ないしでメリットがない。おまえならメリットがないのにリスク背負う?」
「いえ」
「だろ? つまり、そういうことさ」
圭介がある意味で本気を出したことにより、01は一度もこの組手で勝利を得られていない。だが、それに不機嫌になることもなく、01は圭介の指摘を素直に受け入れ飲み込んでいる。戦術においても、あるいは戦いに対する姿勢に対しても、圭介の言葉に真摯に耳を傾けており、圭介も01の欠点をキチンと指摘し、改善を促している。
三島教諭の指摘した通り、師弟と言える様な関係が構築されつつあるのだ。
戦いに臨む01の意識は、<レッドストライカー>大河原圭介を倒すことでも、あるいは全力を尽くして朽ち果てることでもなく、今の自分の未熟を克服することに傾き始めている。負け続けに悔しい思いをしているのは間違いないだろうが、それでも圭介の指導を熱心に噛み砕き、吸収しようという意欲は見て取れる。
空虚から逃れる為ではなく、能動的に戦うという大きな転換が無意識の内に起こっていた。
「さて、どーする? 尻尾巻いても構わないぜ?」
「ご冗談を。もう少しお付き合い願います」
挑発的に笑う圭介に、ごく真面目に返す。圭介はその姿に、内心で大きく安堵していた。
無表情……ではない。ほんの僅かではあるが、目つきが明確に鋭くなり、瞳には意志の光が揺らめいている。もちろん、これまでも戦いに対する意欲はあっただろう。初戦で01の戦闘狂ぶりは圭介もはっきりと目撃している。
だが、どこか危うさのあったあの時とは違う。研ぎ過ぎて紙のように薄くなった刃物の様な印象を受けたが、今は静かに燃えるバーナーの炎の様だ。
「オッケー、どっからでも掛かって来い!」
多くの生徒が見守る中、攻防が再開した。




