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オヤジ共の考え 昔編 ……果たして需要や如何に

 決して広くない空間だった。

 否、面積自体はそう小さなものではない。五メートル四方の、真四角の部屋。


 それでも、そこが狭く感じるのは、偏にその内部の様子のせいだろう。


 分厚いコンクリートで造られた壁は、真っ黒に染め上げられている。

 塗装されたわけではない。無数の煤や、黒く焼け焦げた何かがこびれ尽いているのだ。やはり真っ黒になった床の隅には、僅かな灰と、消し炭のような物が転がっていた。


 だが、内装以上に圧迫感を与えるのは、部屋の中に無数に積み重なった屍だった。


 正確には、屍同然の肉の塊だ。老若男女、区別はない。いずれも衣服は一切身に着けておらず、ただ力なく折り重なっている。

 それらは決して死んではいない。皆、一様によだれや涙で顔を汚しつつ、ぼうっと虚空を見つめている。部屋に充満する甘い匂いは、間違いなく薬物のそれだ。


 阿片窟とでも思えるその部屋をモニターしつつ、男はフンと鼻を鳴らした。


 「下らん。検体一つさらうにもコストが掛かっているというのに、こんなことに無駄遣いをするとはな」


 暗黒組織〈ブラックパルサー〉の大幹部の一人である男は、心底つまらなそうだった。


 世界中に存在する組織の支部の一つ。

 主に、技術開発の一端を担うそこを視察に訪れた男は、その支部の研究開発内容に不満を抱いていた。

 

 脳に銘記されている情報の書き換え。


 人間の脳に、全く新しい情報を書き込み、また記録されている情報を抹消する技術。

 いわゆる洗脳とは一線を画した新たな人心掌握術は、完成すれば確かに大きな武器となるだろう。だが、男はその技術の練り上げの過程や、そもそもの有り様に呆れていた。


 「技術そのものは素晴らしい域に達していますが、その運用には非常に問題があるように思われます。恐らくは実験の成功例としてサンプルを提示したつもりなのでしょうが、組織の存在に感づいた人間の口封じに、この技術を使用したようです」

 

 部下の男が淡々と報告すると、大幹部は苦虫を噛み潰したような顔をした。


 「つまり何か? 本来始末するべき人間を、記憶を消しただけで野に放ったというのか」

 「そのようです。それも悪いことに、前後の状況から我々の関与に感づかれたらしく、例の男が接触を図っているようです」

 「大河原圭介か」

 「はい。幸い、その人間は我々の情報をほとんど持っていないので、仮に記憶が戻ったところで、奴が有用な情報を入手することはないでしょうが……」

 「ほんの僅かでも、組織の手の内を晒すことは避けねばならんというのに。後で責任者を問い詰める必要があるな」


 技術開発に邁進するのは大いに結構だが、大前提である組織の隠蔽に対してあまりにも意識が低すぎる。これが末端の研究者の暴走ならば、まだ監督不行き届きで済むが、どうやらその監督をすべき責任者が率先して軽率な行動を取っている節がある。組織の運営に関わる人間としては、見逃せない暴挙だった。


 「そもそもが、果てなき発展と進歩を目指すべき我々が、こんな生ける屍を生み出してどうしようというのだ」

 「洗脳、というにはいささかスマートさに欠けますね。人間がもとより持つ意識の強さを利用するのではなく、脳を別の物に置き換えるに等しい行為です。仮に大衆を洗脳できたとして、支配するには値しない家畜以下の存在にしかならないでしょう」

 「うむ。呆れて物が言えん」


 大幹部は部下の言葉に頷く。

 どちらかと言えば、この部下も組織内に置いては珍しい文官タイプの人間だが、大幹部とは価値観に相似する所があった。ただ熱に浮かされているだけの構成員ばかりが増える中、冷静に物事を判断できるこの部下には、それなりに信用を置いてもいる。


 「薬漬けにした人間の脳に、さらに処置を施して組織の信奉者とするなどと、正気の沙汰とは思えん。ただの中毒者に支持される組織など、ぞっとせんわ。そんな愚にもつかん計画の為に、これだけ多くの検体を使い捨てられてはたまったものでは……」


 モニターに映る焼却炉……用済みの人体実験の被験者を処分する為の設備を眺めていた大幹部は、そのまま言葉を切った。


 「どうかなさいましたか?」

 「……見ろ」


 積み上げられた大量の被験者の山、見るもおぞましい光景の中心に、一人の少女が立っていた。

 

 「あれは……」


 他の犠牲者同様、一糸まとわない姿であったが、二人はその少女に驚愕した。

 未だ気化した薬物が充満する部屋で、被験者は身動き一つせず、許されざる安寧と快楽に酔いしれている。何の不安も苦痛もなく、美しい幻覚の中に埋没していく無数の生ける屍は、当然ながら立ち上がるなどという無意味なことはしないし、出来もしない。


 にも関わらず、少女は立ち上がっていた。

 そして、足元に広がる多くの被験者を踏み越え、よろよろと歩き始める。


 「何と……」

 「馬鹿な、信じられません」


 驚愕する二人が見守る中、少女は歩を進める。

 薬物の影響でふらついているらしい手足を引きずり、木の根のように絡み合う身体に何度も躓き、倒れながら、それでもずるずると足を引きずって部屋の隅へと辿り着いた。


 そこには、やはり頑丈で分厚いコンクリート製の扉があった。

 

 少女はしばらくその扉にもたれ掛かっていたが、やがて大きく両手を振り上げ、弱々しくもしっかりと握りこまれた拳を叩きつけた。

 何度も、何度も。

 薬物の影響で力はろくに入っていないようだ。しかし、その不自由な身体でしつこく扉を叩く。さらに、ドアノブでも探すように扉の表面を指でまさぐり始める。


 「まさか、外に出ようとしているのか?」

 「そんな……薬物の影響は受けているはずです。あれだけ濃密な薬を吸いながら、状況判断が出来ているとはとても……」

 「だが、現にああして行動している。あそこに居ては死ぬということを、理解しているとでもいうのか?」


 もうじき、あの部屋は地獄と化す。

 タンパク質などという脆い物質を瞬時に焼き尽くす劫火が舐めつくすのだ。実験用のモルモットは、再利用できない。既に実験によって人間としての機能を破壊された屍たちは、対人用の技術開発には役に立たない。ならば、口封じと廃物処理を兼ねて早々に処分するより他にないのだ。


 そんな事情を察したのか。既に知性の破壊されつつある筈の少女が。

 否、仮に察したとしても、立ち上がることなどできはしない。抗うことなとできない。抗いがたい程の多幸感の中では、不安を感じることも行動することもないはずだ。ただ怠惰に快楽を貪るだけの存在に成り果てるしかないはずだ。

 

 思わず大幹部がモニターに向けて一歩踏み出した時、少女の行動が限界を迎えた。

 足元から力が抜け、そのまま扉の方へと前のめりに倒れこむ。後は黒く汚れたコンクリートの床の上で、微動だにしなかった。


 「……信じがたいものを、見ましたな」

 「……」


 部下は小さく息を吐いたが、大幹部は緊張を保ったままだった。


 「焼却処分はいつだ?」

 「一三三○時……あと二十分ほどですが」

 「中止させろ。いや、あの娘だけは回収させろ」 

 「は?」

 「すぐにあの娘を回収し、治療を受けさせろ」

 「は、はっ!」


 部下の男が備え付けの受話器に飛びつくのを一瞥し、大幹部はモニターに目を戻す。


 「あれが幻覚による錯乱行動でなかったとすれば……」


 薬物の影響を受けていないということはあり得まい。あくまでも室内に満ちているのは残り香のようなもので、わざわざ薬を焚いているわけではないが、それでもああしてまともな行動を取れるような状態ではない。被験者がそれまで晒されていた薬霧に比べれば薄いというだけの話で、間違いなく危険域の濃度ではある。それは間違いない。本来なら他の検体と同様に美しく心地いい幻覚に溺れ、無気力に幸福なまま一瞬で消し炭になるはずだ。


 だが、大幹部は少女の行動に、確かに必死さを感じた。

 単なる偶然で、部屋から逃れようとしているように見えただけということもありえなくはない。だが、どうしてもそうは思えなかった。溺れる者が必死に手足を振り回して水面に浮かぼうとしているような、鬼気迫るものを確かに感じさせたのだ。


 「だとすれば、これほど素晴らしいものはない……」


 首領は自分の口元に笑みが浮かんでいることに気付く。同時に、胸中に期待感と興奮が滲みだしていることにも。

 

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