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空虚なセカイ……でも好んで行く奴もいる


 「わざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます」

 「まあ、おまえまだこの街の地理とか詳しくないだろ? そのぐらいはするさ」


 アパートの屋上、戦うにはいささか手狭なそこで01はぺこりと頭を下げた。

 昨日、古見掛の保護を受けることを決めた際にも、01は圭介に戦いの継続を望んだ。

 正直、ダメで元々程度の考えだった。圭介はもともと戦いにそこまで乗り気ではない上に、いつ〈ブラックパルサー〉に襲われるかわからない状況で戦うのは好ましくないということは、01自身も考えないわけではなかった。


 だが、01はここ数日の戦いを忘れることが出来なかった。

 常に01を脅かしてきた空虚さと不安を塗り潰すあの興奮には、一種の中毒性さえあるのではないかと思う程だ。

 〈ブラックパルサー〉をほぼ壊滅に近い状況に叩き落とした男、〈レッドストライカー〉。彼が繰り出す突き、蹴り。一撃もらえばそれだけで短時間の活動不能に追い込まれるような攻撃から必死に逃げ回り、何とか反撃出来る隙を探す。

 打撃を受ける度に走る激痛、反撃も回避も出来ない間合いに入られた時に感じる強烈な悪寒。その恐ろしい感覚が、01を満たす。

 単に不安を紛らわせるだけの行為ではない。拳を打ち合わせ、互いの思考を読み合うそれは、極めて暴力的ではあったが、間違いなく一つのコミュニケーションでもあった。〈ブラックパルサー〉という閉鎖世界の中、せいぜいが報連相程度のやり取りしか経験していなかった01にとって、それは新鮮で心地よささえ覚える不可思議なものでもある。


 だから、断られるだろうと内心思いつつも、01は戦いを求めていた。

 自分でさえまずいという思いがあったのだから、当然圭介は断るだろうと考えていた01だったが、返って来た返答は、意外にも是だった。


 少なからず驚いた01は圭介に戦いに応じる理由を尋ねたところ、圭介は「古見掛にいるなら、この程度はリスクにもならない」ということだった。


 01はこの街がどういう街かは、圭介に極めて大雑把かつ適当な説明を受けただけだったが、それ以上突っ込んで聞かなかった。

 この街がどうかは知らないが、圭介がそこまでの信頼を置いているのならば、それだけの信頼に足る街なのだろうと判断したのだ。

 だから、圭介だけでなく、この街の関係者らしい少年少女が同行してきていても、そこまで警戒はしなかった。遠く屋上の隅でこちらを窺っているだけなので特に気にする理由もない。


 「しかし、何故ここに? 戦っていただけるのならば、昨日のように河辺にでも出た方が都合がいいと思いますが、何か他にするべきことでも?」

 「頭がいい奴が相手だと話が早くて助かるぜ。実は戦う前にちょっとやっときたいことがあってな。そんなに時間は掛からないから、付き合ってもらえるか?」

 「それは構いませんが、やっておきたいこととは?」

 「おまえに、戦い以外に自分を満たせるものを見せときたくてな」


 ピクリと、肩が震えるのが自分でもわかった。


 「私を満たせるもの?」

 「まあ、実際に満たせるかどうかは見てみないとわからないけど。戦いの他に選択肢があっても悪くないって提案だけしとこうと思って。ああ、おまえが気に入ろうと気に入るまいとちゃんと戦うから安心しろよな」


 01は圭介の言葉に疑問符を浮かべる。

 あの衝撃的で刺激的な時間の他に、一体何が自分を満たしてくれるのだろう。本心を言えば、まったくピンとこないし、半信半疑以下の期待しか持てない。

 そんな01の内心を察してか、圭介は頬を人差し指でポリポリと掻きながら、「まあ、期待せずに見てみてくれ」とだけ言った。


 「何を見せていただけるのでしょうか?」

 「……世界?」

 「……はい?」


 圭介は明後日の方に視線を向け、自身なさげに答える。


 「あ、その前に一応聞いときたいんだけど、おまえ高所や水中活動用の呼吸器官搭載してる?」

 「一応は対応しています。深海は流石に無理ですし、あなたに比べれば簡易的なものではありますが、真空でも一時間程度なら活動できます」

 「オッケー、文句なしだぜ。それなら大丈夫だ」


 01はますます首を傾げる。

 一体どこに連れて行き、何を見せるつもりなのかさっぱり見当がつかない。そんな01の困惑を知ってか知らずか、圭介は制服の上着を脱いだ。


 「それじゃご一緒しますか。大丈夫とは思うけど、手は離さないでくれよ」


 グローブに包まれた右手を差し出し、〈レッドストライカー〉はにっと口元に笑みを浮かべた。






 

 「どうだ、なかなかいいもんだろ?」


 〈レッドストライカー〉は抱きかかえた01に声を掛ける。

 ごうごうと唸る風に負けそうに思ったが、さすがに至近距離の声を聞き逃すほど01の聴覚はあまくない。01は顔を上げ、〈レッドストライカー〉に顔を向ける。


 「確かに、身一つでこんなところに来るのは初めてですが……」


 高度六百メートル。

 海と山に挟まれた市街地を見下ろしていた01の顔には、やはり困惑の色があった。


 「あれ、意外に普通なリアクションだねぇ。もしかして経験者?」

 「ヘリを使ってなら、何度か」

 「ありゃりゃ、それじゃあしばらくは退屈かな」


 〈レッドストライカー〉は苦笑しながらも、体内の『重力偏向装置』を使ってそのまま上昇し続ける。

 確かに、01も一応の戦闘には幾度か参加している。ヘリに乗る機会も一回や二回ではなかったろう。さらに、跳躍力も桁違いで頻繁に上空数十メートルまで頻繁に出張ることが多いのだ。今更数百メートルの高さに出たところでさして面白味も感じないだろう。〈レッドストライカー〉の飛行能力も、あくまで試験的に導入されたまだまだ脆弱な技術によるものだ。航空機のように自在に飛び回るほどのものではない。気候などの条件がそろっても、せいぜい大人の全力疾走程度の速度が出せる程度でしかない。


 「それで、これが見せたいものでしょうか?」

 「んー、もうちょっと掛かるかなぁ。悪いけどもう少しだけ付き合ってくんない?」

 「構いませんが……」

 「悪いなぁ。降りたらちゃんと相手させてもらうからさ」


 


 



 「さすがにまだ大丈夫そうだな」

 「だねえ。これで最後まで大丈夫なら大したもんだよ。まあ、その場合この方法はダメってことになっちゃうんだけど」


 〈レッドストライカー〉、01とはかなり距離を取った空。

 事務所の所長は青い燐光に包まれ、その従者は背中に悪魔めいた巨大な翼を背負い、やはり身一つで上昇している二人は、どこかぎこちない空気を纏って昇っていくもう一組の男女をじっと見やる。


 「だとすると大した強心臓か、あるいは感性が私たちとだいぶ異なることになるかもしれないな。そうなるといよいよ専門家の助けがいるか」

 「まあ、これでダメなら早いところそっち方面に頼る方がいいだろうね。時間は掛かるかもしれないけど、本来はそっちの方がいいんだよ。本人の精神状態や、圭介君が本格的な殺し合いをさせられる前に解決したいから今回は急いだけど」


 一見すると仲睦まじく抱き合っているように見えなくもない体勢の二人を見つめつつ、所長は小さくため息を吐く。あれで本当に恋仲だったりすれば苦労もないのだが。

 地上数十メートルならともかく、これだけの高度に上がろうと思うと事故などを防ぐために各種の申請も行わなくてはならない。この空中散歩の準備にもそれなりの手間暇が掛かっている。出来ればこの一回で問題を解決したいものだ。

 何より、若い二人の障害は早々に取り払ってやりたいというのもショタジジイとロリババアの偽りのない心境だった。


 

 




 変化があったのは、地上から六千メートル程離れたころだった。


 「ん?」


 〈レッドストライカー〉は、戦闘服越しに圧力を感じた。

 落ちないようにしっかりとしがみついているように01に伝えてはあった。素直な01はその言葉に逆らわず、ずっと十分な力で〈レッドストライカー〉につかまっていたのだが、ここに来て少しずつ、その力が強くなってきているのに気付いたのだ。

 あくまで常人の全力より少し強いだけだった力が、〈メタコマンド〉としてもかなり強めの力が01の腕に入ってきている。


 「おい、01?」

 

 見下ろすと、01は薄く滲み、霞みがかった地平線の痕跡を魅入られたように見つめている。


 「……おーい、01?」


 もう一度声を掛ける。

 反応はない。ただひたすらにじっとしているだけだ。


 「おーい……」


 気圧は下がってきているが、まだ常人でも声を聞き取るには十分なものだ。

 何となく察しはついてきた〈レッドストライカー〉は、トントンと人差し指で01の頭を突く。

 ビクリ、と肩を震わせ、01はゆっくりと振り向いた。


 「……何でしょう」

 「いや、声掛けても反応がなかったんでつい」


 振り返った01の顔は、予想に反していつもの無表情だった。少し拍子抜けしたが、絶えず体に掛かる圧力にせっつかれ、〈レッドストライカー〉は問い掛ける。


 「大丈夫? 何か身体がものすごい強張ってるみたいだけど?」

 「……申し訳ありません。自覚はなかったのですが」


 声も表情も全くいつも通りだ。しかし、流石に動揺し始めているのはその強張り方でわかる。

 どうすべきか、一瞬だけ逡巡した〈レッドストライカー〉はそのまま上昇することに決めた。これはあくまで荒療治だ。01の心理に何がしかの影響を与えなければ意味をなさない。 


 小さく罪悪感を抱きつつも、〈レッドストライカー〉はより高高度へと01を連れて行く。




 




 「どうやら、そろそろみたいだね……」


 所長は〈レッドストライカー〉と01の様子に変化が生じたことを察して呟いた。


 「高度は、六千五百といったところか。意外に早かったな」


 スカイダイビングを行うより二千メートル以上高い世界で、従者の少女がじっと目を凝らす。


 「とはいえ、まだまだ余裕はありそうだね。一度、彼女に戦い以外に目を向けてもらうには、もう少し刺激した方がいいかな……」

 「あまり気は進まないがな。あそこは、いつ訪れても美しいが、それでも未だに慣れない」

 「そういう場所だからね。本来、それが地上で生きる生き物にとっては自然なことなんだろうけど」


 従者は既に顔に渋面を浮かべ、所長もどこか緊張感を漂わせている。〈レッドストライカー〉と01を見つめる目にも、心配そうな色が浮かびつつあった。

 既に人間が長時間活動するには不向きな環境に踏み入りつつある。恐らく、その経験が未だないだろう01の様子に二人は細心の注意を払う。万が一、精神に悪影響が出るようなことがあれば、すぐに地上に戻らなくてはいけない。

 それほどに、人間に大きな影響を与えるのだ。これから踏み入る、超高高度の世界は。



 

   

 「あ……ああ……」


 僅かに残った薄い空気を通じ、01の声が聞こえてくる。


 高度二万五千メートル、マイナス四十度。

 およそ人間が踏み入るべきではない世界で、〈レッドストライカー〉は戦闘服の装甲が軋むのではないかと思う程の力でしがみつかれていた。〈レッドストライカー〉自身も、指先が微かに震えるほどの強い緊張感を抱いている。


 (相変わらず、おっかない所だなあ、ここは……)


 大地を見下ろす、というより、地球を見下ろすといった方がしっくりくる。既に青空を通り過ぎ、暗黒の宇宙空間が周囲には広がっている。闇夜に白く太陽が輝くという不思議な光景は美しいのだが、この状況では頭上を見上げるのにも勇気がいる。もう一度見慣れた空を見上げるには、地球に戻らなくては不可能だ。

 青白く輝く大気を見つめる〈レッドストライカー〉は、生きた心地がしない。

 〈メタコマンド〉の頑丈さは異常だ。戦車の主砲に匹敵する拳を打ち出すことも出来るし、当然その衝撃に耐えることも出来る。この高度から落下しても、大気との摩擦でそこまで高速で地面に叩きつけられはしない。落ち方と着地の仕方次第では十分に生還できる。

 

 だが、墜落死云々を考えなくとも、この世界が与えてくる恐怖は凄まじいものがある。


 人間は、母の胎内に発生した時から何かに繋がりを持っている。母親というゆりかごは決して広い場所ではないし、外の世界に生まれ出ても、常に巨大な大地と濃密な大気に守られて生きている。

 人間の生きる世界は、常に満たされているのだ。


 だが、ここには何もない。


 航空機に乗っているわけでも、宇宙服で全身を密封しているわけでもない。

 生身でこの空虚な世界に放り出されるというのは、それまで生きてきた世界とは全く異なる世界に曝されるということに違いない。たとえ裸であっても、地上にいる限り人間は大気と熱と大地と重力に守られている。


 しかし、ここには何もない。

 そして、その無防備な状態で、圧倒的……否、そんな生易しい言葉では表現できないほどの威容。地球を目にする。

 上は無限の暗黒、下はあまりにも巨大すぎる大質量。

 脆弱な人間の肉体と精神では、とても耐えられる世界ではない。ある程度慣れている、それも初体験で大気圏に突入しながらの戦闘さえ経験している〈レッドストライカー〉でさえ、未だに恐怖が拭えない場所だ。01の顔が引き攣り、満足に声も出せない状態に陥るのも無理なことではない。


 「おい、01」

 「っ!?」


 恐慌に陥る一歩手前の表情で振り向いた01の姿に、〈レッドストライカー〉は非常に心苦しい思いをしたが、慌てるようなことはなかった。01を怯えさせる為にこんな所まで来たわけではない。まだすべきことは残っている。落ち着いて、01にこの世界を見せてやればいい。


 「01、大丈夫だ」


 殆ど無いに等しい大気の中、ゆっくりと語り掛ける。


 「心配するな。万が一落ちても死にはしないし、その前に俺がちゃんと拾ってやる。このまま宇宙まで出ることもない。いいか、ここには俺がいるんだ。何もないわけじゃない」

 

 小刻みに震える01の頭を胸の装甲に優しく押し付け、物体の存在を意識させる。僅かに、01の震えが治まったのを確認し、そのまま話し続ける。


 「いいか? 確かにここは空虚な場所だが、ちゃんと俺がいる。絶対に離さないから安心しな?」

 「う……あ……」


 普段の冷静さは完全に失った01は、それでもどうにか頷いて見せる。

 無理もない。ここは理論武装などが完全に意味をなさない。本能を直接氷水に叩き込むような、問答無用な恐怖には、慣れる以外に対処法がないのだ。


 「……」


 当初の予想以上に01が恐怖を感じている事を察し、〈レッドストライカー〉はもう一押しを考える。

 抱きかかえていた01の体を自分の方へ向かせ、そのまま抱きしめる。照れなどはない。そんな余念を抱く余裕は全くない。本音を言えば、今すぐにでも地上に降りたいほどだ。だが、01にこの光景を見せなくてはここまで来た意味がない。


 「見てみな、01」


 肩越しに地球の方を向かせ、語り掛け続ける。


 「よーし、地球が見えてるな?」


 肩に乗せられた01の顎が、小さく上下する。

 

 「あれが、俺たちの生きてる場所だ。どうだ? あんだけデカい所で俺たちは右往左往してるんだぜ? 戦い以外にも面白そうなものが、いくらでもありそうだと思わないか?」


 01は答えない。だが、少なくとも否定の反応は返ってこなかった。


 「もちろん、戦う約束は守る。けど、それ以外にもこんな風に綺麗なものや楽しいことが山ほどあるのが世界だ。おまえはそれを忘れさせられただけで、楽しむことは出来ると思う。だからさ、探してみないか? おまえが楽しめそうなこと」


 返答はない。

 数分間、〈レッドストライカー〉はそのままでいたが、そろそろ01の活動可能時間が迫っている。


 「ま、どうするかはおまえに任す。俺が今言ったのは、まあ、参考にでもしてくれたら嬉しいかね」


 遠くで見守っている事務所の二人に合図を送ると、〈レッドストライカー〉はゆっくりと降下を始める。

 01はとくにリアクションを起こさず、じっとしがみついてくるだけだった。


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