八九-エイティナイン-
読み切り短編小説です。
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八十九歳という若さで祖母のキヨは歩けなくなった。その足の裏で、地面の冷たさも温かさも感じることができなくなるには、まだ早い。
キヨの八番目の孫である歩実は、内孫としては一番目である。ただそれだけの理由で、歩実はうんとその手により可愛がられた。入居型老人ホームの世話になってからも、歩実がそこを訪れる度、
「どこさもいかねえで、だまって八戸さいなさい」
と色素の薄くなった目を懸命に開いて言うのだ。白髪がその表情をより穏やかに見せた。
歩美は地元市内の貿易会社に就職した。東京の国立大学を出て、八戸にUターン就職をして三年目だ。実家から車で二十分程離れた所に一人暮らしをしている。
東京から地元に戻った歩実のことを、誰よりも喜んだのはキヨだった。ナポレオンの凱旋の如く、たいそう褒め称え、喜んだ。
キヨは、何人かの友人が家へ遊びに来る度、名の通った大学に通う歩実のことを二つ目の話題として必ず口にしていた。この辺りの年寄りが会話を始める時には、まずは天候と畑の話だと決まっているから、その他の話題は二つ目にくる。それでも、歩実のことを必ず二つ目の話題として挙げるのは、キヨが初めての内孫を一番に思っている証拠だ。
いよいよ大学に入学の為、東京へ引っ越すという時のこと。金壱拾萬円を、銀行のATMに置いてあるペラペラとした白い封筒に入れ、キヨはそれを歩実に手渡した。「困った時に使いなせえ」とそう一言だけ添えてだ。キヨにしては珍しかった。常に口が開いていると言っても過言ではない程お喋り好きで、これから始まる東京暮らしについて、大正生まれの知恵と教訓と昔話がいつものように語られるのだろう、と歩実は身を構えたのだったが、キヨの口はギュッと固く結んだ紐のように閉じられた。そうして、キヨの定位置である、温かな光が差し込む窓際の座布団の上に戻り、裁縫の続きを始めたのだ。そんなキヨに一瞬拍子抜けしたが、その封筒の中身はキヨの年金から出されたであろうことくらいは、十八の少女にも察しがついた。呆気にとられていたこともあるが、キヨの様子が気にかかり歩実は「ありがとう」のきっかけをすっかりと失っていた。
たった今、歩実の手の中に納められたばかりの封筒からは、福沢諭吉の厳格な表情が透けて見えた。それほど、その封筒は白く薄いものだった。豪華絢爛な飾りのついた祝儀袋なんてものを使わないところが、なんともキヨらしい。柔らかな日の光を浴びながら裁縫の続きをしている彼女にそっと目をやると、微笑ましい感情がじんわりと歩実の心に宿った。封筒の中身も、その封筒も、本当にその力を借りたい時までずっと大切に保管しておかなければならない。歩実は、自然とそう思えた。
キヨの目のつかないところで、丁寧に封筒を開けてみると、封筒の簡易さとは対照的に、中の福沢諭吉は十人ともピンとしていた。まるで、緊張した子供のように、ピンと背筋を伸ばして、その薄い封筒の中にキッチリと収まっていたのである。
大学四年間の中で、それらの福沢諭吉の力を借りたい場面が何度もあった。年度毎にかかる新しい教材費用。中には、一冊あたり福沢諭吉一人分の力が百パーセント必要なものもあった。それから、友達やサークル仲間との酒の席、オシャレ、ショッピング。誘惑の多い東京で、多くの学生がそうしているのと同様に、歩実も生活費を節約しながらその町での暮らしを楽しんだが、どうしても足りない月が幾度かあった。そんな時は、机の引き出しの奥に忍ばせていた白い封筒を探し出し、中身をそっと開けてみるのだが、また引き出しの奥により厳重に仕舞い込んだのである。
それを何度繰り返しただろうか、とほんの数年前までの日々が鮮明に浮かんできた。それと同時に、何度、その白い封筒が、最後の砦として安心感をもたらしてくれていたことだろうと感謝の情も浮かんでくるのだ。銀行に預けておくことも出来たが、キヨが用意した背筋のピンと伸びた福沢諭吉でなければならない。それをATMに預け、他の誰かに渡ってしまうのを想像すると、なんだか悔しい気持ちになった。
子供の頃に抱いていた、「口うるさい年寄り」というものへの反感は、今はもうない。歩実は、子供の頃、彼等の食べるものや着るものに強い嫌悪感を抱いていた。
まだ風が冷たい季節に、素足で、それも、シャツというものも着ずに居ると、
「これを着なせえ」
と言って、キヨは自ら縫った丹前を歩実に手渡した。
赤や青など色とりどりなところは美しいが、還暦や古希の祝いにでも着るのだろうかというその派手さが、十代の少女には格好悪く映って仕方なかったのだ。
「いや、いい」
歩美はそう一言放ち続け、一度もその丹前を身に着けることはなかった。冷ややかな一言で返事を済ませていた自分を恥ずかしくも思うし、そんな自分を悔いてもいる。今思えば、キヨに冷たい態度を取られたという記憶がない。そんなキヨの見守るような温かさに、大人になった今、気付くのである。大人にならければ、気付かないのだ。そうして、あの丹前を着なかったことも後悔している。きっと、あの丹前と同じくらい、キヨは温かい。
歩実が社会人となって一年目の冬。歩実は毎週のようにして、週末には実家に顔を出していた。
「冬を迎える度に、レベルが落ちてるの。お義母さん」
枯葉が地面を茶色く埋め尽くす季節が来る度、母の絢子の口からそんな言葉が必ずこぼれた。大学時代の帰省中にも、歩実はその台詞を何度か耳にしていた。九十まであと数年という頃から、急激にキヨの体の様々な所に不具合が生じ始めたのである。段差を通る時の足の上がり具合、判断能力、記憶力など、それらの項目が確実に一段一段階段を降りるようにして、以前よりも速く「要介護」の道へと向かっている。小さな動作の変化さえも、絢子は見逃しはしなかった。福祉に携わる故の観察眼であり、一見冷たく響く台詞も、キヨの身体を案じてのことなのだ。「レベル」を落とさないようにデイザービスに行きなさい、という暗示も含まれていた。けれども、そんな言葉はキヨの体をスルッと突き抜けた。頑固なキヨは、その「レベル低下」の話を真剣には受け止めていなかったし、実感としても感じていなかったのかも知れない。畑仕事で鍛えられた足腰は、確かに歳の割にはピンピンしていた。八十を過ぎても元気に畑作業に精を出し、ジャガイモや人参の世話をしている姿は近所でも評判で、大きな手術も病気もしたことがない。「自分はまだまだ若い。健康だ」という気持ちを大きく持っていたのも不思議ではない。
結局、絢子の言葉は、キヨの耳に届くことはなく時間が過ぎた。
唯一、キヨが抱えていた病である骨粗しょう症とその他の様々な老化が相俟って、キヨの足はその機能を果たせなくなった。まるで、ボールが坂道を転がるかのようなスピードで。キヨにとって八十九回目の冬の話だ。
それでも、最初の内は床を這い移動する力はあったのだ。真冬のギンギンに冷えた床の冷たさが、キヨにとっては最後の地面だったかも知れない。それから、身体全体の筋肉も完全に衰え、老人ホームでの被介護生活を迎えた。食事という「生」の重要な部分を占める行為すら、人の力が必要になっていった。
人間というものは、こうして地べたを歩けなくなり、ベッドの上で死にゆくのだ。
そんな死生観が、急に現実味を帯びて歩実の前にやってきた。病気でもない。事故でもない。最悪の場合の殺人でもない。「老衰」という死因は、おそらくこの世で一番真っ当な死に方だ。
いつの間にか、自分が大人になってからも、キヨはずっとそこに居るものだという不死への錯覚を歩実は覚えていた。窓際で、座布団に座って、スプーン三杯の砂糖を入れた甘いコーヒーを飲み、裁縫をする。室内飼いしていた雑種犬のチロが側にやってくれば、「チロやーい、来たのか。めんこ、めんこだなあ」と言ってその頭と喉を撫でてやる。長年猫を飼っていた癖なのか、犬にも猫にそうするのと同じように、シワシワでゴツゴツとした皮の厚い手で撫でてやるのだ。
光が差し込む窓際の指定席は、おそらくこの先も空っぽだ。いつもキヨの尻を温めていた座布団も、その主と再会することはない。
おそらくこのまま、老人ホームで最期の時を迎えるのだろう。
入所してから暫く経ったある土曜日、老人ホームから電話があった。キヨの上半身を支える腰の筋肉も著しく低下していることから、通常の車椅子では座位が保てず、うんと腰を痛がっているというのだ。背もたれと座面の両方が可動するタイプの車椅子があり、本人もそれを希望しているから、少々高額ではあるが購入を検討してみてくれないか、という用件だった。歩実は介護や福祉のことはさっぱり分からないものだから、その旨を絢子が帰ってきたら伝えて、あとは考えて貰えばいい、とその程度で電話を受けていた。
が、ふと、キヨが何かを欲しいと自分の意思で言ったことがあっただろうか、と疑問が湧いた。歩実が知る限りでは、一度もない。四人の娘と三人の息子を女手一つで育て、慎ましやかな生活をしてきたキヨだ。娘達の為に高価な羽毛布団を買い、嫁入り道具の一つとして持たせてやったことはあるかも知れないが、それ以外で何か高価なものを購入したいと考えたことは、これが初めての筈だ。もうあと何年生きるかも知れぬ体を抱え、最後に自分の足の代わりとしてその車椅子が欲しいと、キヨが願っている。それは、相当のことだと歩実は察した。
絢子が帰宅し、歩実は車椅子の件を伝えた。
「で、いくらなの?」
「三十万弱だって。確か、二十八万九千円だったかな。そんな感じ」
「まあ、それくらいはするわよね。それだけの機能のもので、良いものだったら。お父さんと相談してみるわね」
父の浩志は高校で英語の教師をしていたが、五年程前に定年退職をしている。三十万というのは、そんな家庭からしてみれば決して出せない額ではないが、絢子はパート勤務であるし、毎月の老人ホーム費用も高く、日常的に使える金の内の三十万というのは、大きな出費に変わりない。浩志も「あと何年生きるというのだ」と言いたげな表情をしていた。
ついに、あの白い封筒の出番が来たかも知れない、と歩実の頭に浮かんだ。十八の頃から約七年間、今でも変わらず、あの机の引き出しで静かにその時を待っている。福沢諭吉の背筋も、衰えることなくピンとしたままだ。
「ねえ、母さん。私にその車椅子、買わせてくれないかな?」
「困った時に使いなさい」というキヨの言葉を守ってきたが、父の渋っている表情を見て、今がその時だと思ったのだ。まだ就職して二年も経ってはいない歩実は、一人暮らしの出費も嵩み十分な貯蓄が出来ているわけではないが、毎月積み立ててきた定期の一部と、その封筒の金を足したらどうだろうかと考えた。貰った金を、その出資者の為に使うというのはおかしな気もしたが、大学四年間で十分にその役割を果たしてくれた。あの福沢諭吉たちをずっと保管しておくよりも、キヨに必要なものに代えてやった方が良い。
「キヨさん、お孫さんからのプレゼントだそうですよ。これで、だいぶ腰も楽になりますね。よかったですね。背もたれの角度、これでいいですか?」
移乗介助した職員の問いかけに、キヨは首の筋肉を最大限に収縮させて、小さく頷いた。
「おばあちゃん、どう? ありがとうね。これくらいしか、もうしてあげられないけど」
「歩実、ありがとう。ありがとうなあ」
窓の外では、この年の初雪が降っていた。
キヨは、車椅子の心地を確認するかのように、そっと目を閉じた。
ズボンから少し覗くその足は、白樺の枝のように白くほっそりとしている。九十年間を支えてきた足は、チラチラと降り始めた雪が彩る景色の中でもよく映えそうだ。
お読み頂きありがとうございました。
これからも、作品作りに日々精進して参ります。