8、 もうひとりのお兄さま
ある日、宮殿の広間におおぜいの兵士が集まってきた。
どこかで戦いが始まるというわけではなく、どこか遠い地まで戦いに出ていた兵士たちがもどってきたそうだ。
ぼくがお父さまとしんじていた人も、おおぜいの兵士をしたがえて戦いに出る『将軍』だった。
そのお父さまはまだ、遠い地にいる。お父さまの軍隊と入れかえに、長いことほかの地にいた軍隊がもどってきたのだと、ばあやが教えてくれた。
ふだんなら、宮殿で大人たちがどのようなことをしていても、ぼくにはあまりかかわりがなかったのだが、その兵士たちが集まっている広間に、なぜかぼくもよび出されたのだ。
ぼくは緊張した。体の大きな大人の男の人がおおぜい集まっているというだけでもおそろしいのに、そこに集まっているのは敵を何人もたおしてきた戦士ばかりなのだ。
ぼくがびくびくしているすがたを見て、ばあやはクスクスとわらい出した。
「まあ、まあ、だいじょうぶですよ。その軍のいちばんえらい方が、ぼっちゃまのお顔をぜひ見たいとおっしゃっているんです。今までお会いすることはなかったのですが、その方もぼっちゃまのお兄さまなのですよ」
ぼくは口を開けたまま、しばらくばあやを見つめてしまった。
あの斧を教えてくれる『お兄さま』のほかに、今度は軍隊をしたがえているような、こわそうなお兄さまだなんて。ぼくの家族はいったいどんな家族なのだろうか。
もう、オマの家族を見て、自分の家族を想像するなんてとてもできないと思った。
石づくりの暗く冷たい廊下は、何度来てもいい気持ちがしない。ひどく緊張して、体中が冷たくこおってしまうようだ。
ばあやは広間の入り口の外で、ぼくの背中をやさしくおした。
「ばあやはここから先には入れません。さあ、おひとりで中に入るのですよ。お兄さまと中のおきゃくさまにしっかりとごあいさつするのをわすれずに」
なきそうな目でばあやを見上げるぼくに、ばあやは「だいじょうぶですよ」とうなずいた。
一歩足をふみ入れたけれど、中のようすを見ることはできなかった。中のだれかと目が合うのがこわくて足先を見つめていた。そしてあいさつのつもりで、そのままふかく頭を下げた。
うなだれたまま入り口につっ立っているぼくに、だれかがかけよってきた。そしていきなり乱暴にぼくの両肩をつかんで軽くゆすった。
その人はそうする間、しじゅう、「おお、おお、おお」と声を上げていた。
ぼくの肩、腕、頭をひととおりなでて、今度はほっぺを両手でぎゅっとはさむと、むりやりぼくの顔を上に引き上げた。
お兄さまより年を取った、おじいさまとよべるほど、ふかいしわのある大きな顔が目の前にあった。
「なんと、これがあのユタか! 大きくなったものだ! しかし、なんともかわいらしいではないか!」
まさかこの人が、もうひとりのお兄さまなのだろうか。ぼくはまだ寝床にもぐって夢を見ているんだろうか。けれど、その人が大きな手でぐりぐりとおすのでほっぺがじんわりいたい。夢でないことはたしかだ。
その人はぼくの体を片手でさらうようにして、広間のまん中までつれていった。ぼくは狩りでとらえられた獲物みたいに何もできずにその腕に引きずられていった。
「兄上、ユタはまだ宮殿の生活になれていない。そうおどろかせてはかわいそうです」
立派ないすに座っているいつものお兄さまが、困ったようにわらいながら、ぼくをかかえる人に言った。
「何を。早くなれて立派な皇族にならなくてはいけないぞ。おまえはわれら兄弟の希望だからな」
われら兄弟……やっぱりこの人がもうひとりのお兄さま。ぼくはもうお母さまのことを考えるのはよそうとこのとき心に決めた。
しかし、次にそのお兄さまが口にした言葉で、その決意はすぐにふき飛んだ。
「この子はきたいどおりの優秀な戦士になりそうだ。何といってもこの顔は『母親』にそっくりだからな」
ぼくは今までうつむき気味だった顔を、さっと上げた。そう言ったお兄さまをすがるような目で見上げる。するとお兄さまのほうがあわてた様子で目を泳がせた。
「……あ、いや、何とも意志の強そうなよい目をしているからな」
お兄さまは今までとはちがって小さな声でもぞもぞ言うと、今度は大声でわらい出した。そしてぼくの背中をぱんぱんとたたいた。
けっきょく、ぼくのいちばん聞きたいところは話してくれなかった。ぼくはひどくがっかりして、またうなだれた。