3、 お父さまとお母さまとのわかれ
ぼくの名前はユタ。でもぼくの名前を正しくよぶのはお兄さましかいない。ばあやは『ぼっちゃま』と呼ぶし、お世話をしてくれる女の人たちは『皇子さま』と呼ぶ。
ぼくには小さいころ、『お父さま』と『お母さま』がいた。
お父さまは『将軍』とよばれていて、この国をまもるためにいつも遠くへ戦いに出ていたのであまり顔を合わせることはなかった。
お母さまはとてもきれいでやさしくて、少し泣き虫だった。ぼくがお母さまに大すきと言ってあまえると、なぜかお母さまは「うれしいですわ」と言って泣く。
ふたりともぼくのことを『皇子さま』とよんでいたので、ぼくはそれが自分の名前なのだとずっとしんじていた。
けれどぼくが五さいになったとき、お父さまとお母さまがぼくを前にして少しこわい顔でうち明けたのだ。
「皇子さま、わたしたちは皇子さまの親ではありません。皇帝陛下の命で皇子さまの成長を見まもってきたのです。つまり皇子さまにおつかえするめしつかいなのでございます。
おそれ多くも私たちは、皇子さまをわが子のように愛おしく思っておりました。皇子さまは皇帝陛下と宮殿のみながのぞむとおり、立派に成長なさいました。
もういろいろなことがお分かりになるお年になられたので、これ以上わたしたちが皇子さまの親としていっしょにくらしていくわけにはまいりません。皇子さまはお生まれになったときから宮殿のおくに立派なお部屋を持っていらっしゃるのです。これからそこでくらし、皇族としてのお勉強やおけいこをなさるのです。もちろん、お世話をするものはたくさんおりますから、何もしんぱいはいらないのですよ」
お世話をしてくれる人がいても、ぼくには『お父さま』と『お母さま』がひつようだった。でもぼくはそのときその言葉の意味がよく分かっていなかったし、じっさいにどんなくらしが待っているかなんてそうぞうができなかった。だから言われるままに『はい』とへんじをしていたのだ。
そのときも『お母さま』は泣いていた。今までよりもずっとかなしそうに。それがなぜだかわからなくて「お母さまはすぐに泣くのだから」となぐさめていた。
それから『お父さま』にも『お母さま』にも会えなくなった。宮殿でくらすようになってから、ぼくはその外に出ることを禁じられてしまったのだ。
一度、宮殿で『お父さま』にすれちがったことがあった。ぼくはうれしくて「お父さま!」とさけんで、とびついていった。しかし、お父さまはぼくの体をそっとはなすと、
「皇子さま、ごきげんうるわしく、なによりにございます」
と言ってぼくの前にひざまづき、頭を下げたのだ。
お父さまは頭を下げたまま動かない。ぼくはお父さまにきらわれたのだと思って、体じゅうがふるえるほどかなしくなった。
なぜ、きらわれてしまったのだろう?
あのとき、きずついたネズミを拾って帰ってお母さまをこわがらせてしまったからだろうか?
お父さまの言いつけを聞かずに近所の年長の子たちにくっついて『聖なる禁断の丘』に行ったからだろうか?
いろいろと小さなことを思い出してその原因をさがそうとしているうちに、なみだがぼろぼろとこぼれて、そのうち声を上げて泣いていた。
お父さまがあわてて顔を上げ、ぼくに手をふれようとしたが、ぼくはそれをふり切って部屋へとかけもどった。