第五十四物語 「」
遅くなりました。
気が付くと、そこは崖の途中にある岩場で、俺はマリ姉の下敷きになっていた。
「いてて、やってくれるよ。マリ姉は。道理で聞き分けがいいと思った」
「こうでもしないと、ユウちゃんは勝手に飛び降りたじゃない?」
「まぁ、反論は出来ないね」
「私もユウちゃんの言うことに聞き耳なんて持たないからお相子ね」
「いや、明らかに俺のが条件悪いんだけど」
そんな下らないいつものやり取りが楽しい。
やっぱり、マリ姉はマリ姉だった。
全くかなわない。
「で、そろそろ退いて欲しいんだけどマリ姉」
「嫌よ。久しぶりにユウちゃんを独り占めに出来るんだもの」
「さいですか」
ちくしょう、そんな笑顔で言われたら可愛いじゃねぇか。
退かせられねぇ。
ああ、ちくせう。
今すぐ、マリ姉の首筋にかぶり付いてやりたいぜ。
「…………」
沈黙。
「え?なんで、黙るの?そこはひいて良いとこだよ?」
この場面、俺の心を読めるマリ姉なら、何かの反応を示しても良いと思う。
無反応辛いぜ!
なんて、そんなことを考えてるとマリ姉が真剣な表情で聞いてくる。
「ユウちゃん?」
「何?マリ姉?」
優しい声音。
「私の血を吸いたい?」
「うん、正直、今にも襲いたい」
それは、残酷な回答で、俺の心からの渇望だった。
今すぐ、その柔らかな肌に歯をたて、喉を潤したい。
血を無理矢理奪って、乾き、疼きを潤したい。
そして、マリ姉を自分の物にしてしまいたい。
それが、今の俺だ。
好きが深いほど、その気持ちは大きくなる。
変態だって、罵られても仕方無いぜ。
俺は人間を止めたぞー、マリ姉。
言ってみたかっただけです、はい。
でも、人間の三大欲求をごちゃ混ぜにして強化したみたいに、その上位に存在しているのだ、この欲求は。
いとおしいものほど、その欲求は大きくなる。
あ、ああ、そっか、あの子もこんな気持ちだったのか。
でも、まぁ、何を思おうが、マリ姉が完全に上から間接押さえてるから、そう簡単に動けないんだけど。
それでも、視界の赤さは増していき、理性が揺らぐ。
だが、問題ない。
マリ姉なら、俺を止められる。
だけど、膠着状態なのも事実だ。
「ねぇ、マリ姉」
「何かしら?」
「会話してくれない?」
「はぁ、こんな状態なのに、会話だなんて、冷静ね。ユウちゃんは」
「マリ姉のお陰だぜ?」
マリ姉が押さえてくれているから、力任せに行動できないという余裕が生まれているのだ。
実際、会話でもしていないと、意識が持っていかれそうなのだ。
「本当にそうかしら?」
いつも道理、心を読みながら、マリ姉は聞いてくる。
その顔はどこか寂しそうだ。
「私が退いても、ユウちゃんは襲わないんじゃないの?」
「流石にそれは買い被り過ぎだよマリ姉……」
「吸血鬼のあの子が何を考えているか、知らないけれど、少なくともあの子にはこんな芸当出来ないわよ?」
「そりゃあ、あの子は本家吸血鬼だし、俺はまだ人間の部分がちゃんとあるからね?」
本家は本家なりの苦労がありそうだけど。
「話を逸らそうとしたら駄目よ?私が言いたいのは個性の話。欲望や考え方全てを含めた、個のこと」
「うゆ、ごめん」
「断っておくけど、先に関係無い話を最初にするわよ?吸血鬼が生きるために必要なものは?」
「血だよね?状況的に」
「そうね。血よ。まぁ、性格に検証した訳じゃないから、勿論、状況判断だけど、おいときなさい、話が進まないから」
わーい、マリ姉は俺が言いたいことを良くわかってらっしゃる。
俺の偏屈具合に付き合ってくれるのはマリ姉くらいだぜ。
あぁ、少しくらい血を吸わせてくれないかな?
だめ?そりゃそうだ。
「話を戻していいかしらぁ?」
おっと、これ以上はガチで怒られる。適当に頷いておこう。
「さて、吸血鬼には血が必要なのは分かったけれど、今のユウちゃんの肌はいつもより、青みが強いわ。この意味分かるかしら?」
「はい、マリ姉!血が足りてないということです!」
「宜しい。足りて無い状況に陥ってること事態、宜しくもなんとも無いんだけど、そこは置いておくわね、ご褒美に血をあげましょう」
「え?まじで!?」
「勿論、嘘よ。そこまで、驚かれたひくわよ?」
マリ姉が酷いんだけど。
「今のユウちゃんは吸血鬼なのに血が足りて無いわ。これはとっても危険なのは分かる?」
「まぁ、ヤバイね。今すぐ、誰かを襲いたいね」
「性的にかしら?」
「生きるの方のせいなら、正しいけど、ニュアンスがちがくなかったかな?マリ姉」
「で、今のユウちゃんの状態を人間で表すと、シャブ中毒なのにシャブが足りてない状態ね。今すぐにでも、犯罪に走る手前だわ」
「説明に悪意があるんですけど、ついでぬ毒も込められてるんですけど」
「そこに私というシャブが目の前にぶら下がっているのよ?何故、無理矢理行動しようとしないのかしら?ヘタレなの?」
「猛毒だよ!」
なんか、要らない罵倒までもらったよ!
つか、どうせ、動いても無駄じゃん。
貴女が押さえてるんだから。
あれ、段々と論点がずれてないっすか?
「ごほん、シャブ、じゃなかった、血の足りない吸血鬼のユウちゃん」
「なんですか?シャブ姉…………って、痛い痛い!折れる!」
「折れても、問題ないでしょ?治るから」
暴論過ぎた。
「さて、ユウちゃん」
どうやら、ようやく、シリアスに戻ってきた。
お帰りシリアス。
「あの吸血鬼の子は血を飲まなかったらどうなると思うかしら?」
「それは……」
「なら、質問を変えましょう。ユウちゃんがこのままじゃ、どうなるかしら?」
実際のところ、このままだと、どうなるんだろう?
頭に浮かぶ最悪の答えには目をつぶり、そんな思考を模索してみる。
だが、マリ姉は俺のそんな誤魔化しを許しはしない。
「もう一度言うわね?何故、襲おうとしないの?」
それは、俺が襲いたくないからだ。
誰かを傷つけたくないから。
そんな俺をマリ姉は真剣に見つめている。
マリ姉はいつも正しくて、今回も本当のことを告げるのだ。
「このままじゃ、ユウちゃんは」
一拍の間。
「確実に死ぬわよ?」
問題から逃げ出す俺を責めるように、その事実を。
その死を俺は当然のごく知っている。
動物は自分の死を本能的に感じる。
その要因も、ならば、理解できないわけが無いのだ。
ただ単に俺が、目をそらしていただけ。
「目をそらさないでよ、ユウちゃん……」
悲しそうにマリ姉は言う。
「吸血鬼になりながら、意識を保つことは確かに凄いことよ?でもね、本能って言うのは生きるためにあるの」
生きるため。
そんな当たり前のことの為に吸血鬼は血がいる。
では、当たり前を拒否したらどうなるか。
「覚えてる?貴方は自分の生よりも、吸血鬼のあの子を刺すことを躊躇った」
覚えてる。
あの子を刺さなかったあの時、
下手したら俺は死んでいた。
じゃあ、刺したのか。
「ヒマリちゃんの時も、その気持ちで死にかけた」
その実感は無かったけど、確かにあの時、何度も死に直面したのだろう。
でも、見捨てること出来たのか。
「貴方を大事に思ってる人がいるなんて、気にもかけてないでしょ?」
知ってる。
マリ姉はいつも心配してて、それでも、俺に任せてくれている。
本当は自分で何でも出来るのに。
俺が成長するために。
「ユウちゃん。気付きなさい。人の為に生を軽視するのは間違ってる」
「マリ姉は正しいよ」
そう、マリ姉が正しいのだ。
でも無理だ。
「正しいけど、それが何なの」
黒石優斗は、その間違いを正すことは出来ない。
「正しいとか間違ってるとかじゃなくて、女の子を見捨てることは出来ない」
これ以上の説得は諦めたのか、マリ姉は、そう、と一言言うと、黙って俯く。
その雰囲気にのまれそうになりながら、ふと、マリ姉がニヤリと笑った気がした。
あれ?そもそも、何の話だったっけ?
俺がそんなことを考える前に、マリ姉は言う。
「じゃあ、力ずくで教えてあげるわよ」
「えっ?」
途端に体が、いや、重力が何倍にも重くなる。
「あがっ……」
手が鉛のように重く、ピクリともしない。
地面へと、張り付けられた様なこの体験は始めてだ。
そういや、そんな指輪あったなぁ。
だが、お陰でマリ姉を襲わずにすむ。
「ててっ……、酷いよマリ姉……って、「ハムッ!」ムグッ!?」
キスされた。
思い切り、大胆に、豪快に、過激に、キスされた。
え?どゆこと?
「むぅ!?んん!!」
俺の頭を両手で押さえたマリ姉は止まらない。
俺が理解するより先に、口を動かす。
「ん!ん!んーー!?」
大胆すぎる!?つか、何してんのマリ姉!?ちょ、止め、やぁ!
獰猛な肉食獣を前にした獣の気分だ。
いやぁ、ダメっ。誰か、助け……。
と、思考が完全に被害者のあれに染まりつつある時、ふと、口元に甘さを感じた。
ファーストキスは酸っぱいとか言われてるけど、やっぱり、甘いんだなぁ、とか現実逃避ぎみに考え、別にファーストでも無いことに気付き、更に気付いた。
この味を俺は知っていると。
鉄を匂ったときに感じる、あの味だと。
マリ姉の唇が噛み傷かなにかで切れている。
そう、これは、血の味だ。
口の中に広がるその味を知ったとたん、おれはそれを深く味わっていた。
背中を這いずるのは背徳感。
いけないという気持ちともっとほしいという気持ちの二律背反。
血の苦い味がするけれど、今の俺はそれすら甘く感じる。
人生で味わったことの無い程好い甘味。
どんな料理を前にしたって、この味には勝てない。
これが、吸血鬼。
これが、本能。
理性を働かせようとするもの、一瞬で物理的にも精神的にも距離を詰められた状況がそれを許さない。
もっとほしい。
もっと奪いたい。
マリ姉を支配し、その血を飲み干すことが出来たなら、どれだけ甘美な味がするのだろう。
気を抜けば、逆にマリ姉を襲いそうな程の抗いがたい衝動が体を支配し、理性の壁が瓦解する。
そんな幸福な時間は女の子の気紛れにより、ピリオドをうたれる。
「あっ…………」
「物欲しそうな目」
「っう!?」
訳のわからない恥ずかしさに耳まで赤くなる。
「もっと欲しかったかしら?ユウちゃん?」
「マリ姉の意地悪……、もう、お嫁にいけない……」
それは逆じゃないの?とのマリ姉の突っ込みがはいる。
「こう言うのは互いの同意の上で」
「後半、完全にユウちゃんから来てたじゃない」
「うぐっ」
説教しようとしたら、言い返された。
まじで?意識してなかったけど、俺そんな大胆なことしてたの?
クスクスと笑うマリ姉が言ってることが本当かどうかも分からないし。
くっ、なにか言い返さないと。
「元来、キスって言うのは!」
「ヒマリちゃんとはしたのよね?」
「ううっっ!」
無理だ。
これ以上やっても絶対勝てない。
マリ姉が笑ってるのには、すごく腹が立つけど。
一頻り笑ったあと、これで公平ね、と呟きながら、真剣な表情を見せ、やっぱり笑う。
「もう、止めてよ!」
「ごめんなさい。フフッ……。でも、吸血鬼化解けたから良いじゃない?」
「全く、マリ姉は…………、え?解けたの?なにそれ聞いてない」
確かにさっきまであった吸血衝動は消え、体の熱も下がっている。
驚くべきことに俺の体は人間へと戻っていた。
「ここでボケたら本気でどっちか分からなくなるから、止めなさい」
「てへっ」
「ちゃんと、共有化使って私と共有したでしょ?」
そう、共有化。
それが、俺が元に戻った秘密。
元々、俺はヒマリちゃんと意識を共有化することで、吸血鬼に近づき、ヒマリちゃんを人間に戻すことが出来た。
その理論で行くと、人間であるマリ姉と共有すると、人間に戻ることが出来る。
「ユウちゃんがそれに気付けば、キスも無かったかも知れないわねぇ〜」
「ぐぬぬ……」
そして、俺は不覚にもそれに気付かなかった。
言い訳をするなら、理性を保つことに必死だったから。
そんな俺にマリ姉はキスをして、更に、血を飲ませることで、無理矢理共有化を発動させようとした。
キスで不意をつき、意識を真っ白にさせ、血を飲みたくない俺の気持ちを利用し、人間へと戻らなければいけない状況に追いやったわけだ。
完全にしてやられた。
更に言うなら、マリ姉は元々、俺を人間に戻す方法を思いついていた。
その前の話も全部fake。
「全部、分かっててやったでしょ……」
思い付いた上で、俺に道徳の話をしたのだ。
その必要なない行程を。
いや、必要ならある。
ただ、その必要を誰かさんが頑なに認めないだけだ。
ほんと、誰だよ、そいつ。
「て言うか、なんで知ってんの!ヒマリちゃんとの…………」
「マリナさんは誰でも知ってるのよ」
「怖いよ!」
「…………気持ちで譲る気は無いしね」
「ん?今なんて?」
「ユウちゃん…………大胆…………」
「うぐぁ!!あぁ!もう!黒歴史が更新されてくぅ!」
「黒歴史なんて、失礼ね。こんなに可愛い子とチュウ出来たのよ?チュウ」
「チュウって言うなよ!!いい思いでですね!こんちくしょう!!」
「あ、そ、そうね……」
「なっ……」
そこで、照れるのは反則だと思う。
マリ姉も本当は恥ずかしかったんじゃないか。
気まずい雰囲気。
そのまま、俺たちは無言になり、どちらからとは無かったけれど、上への道を探し始めた。
「最後に……」
「ん?」
「最後に一つ、マリ姉……」
「何かしら?」
「キスはしないんじゃなかったの……」
「あら?」
マリ姉は優雅に微笑み、
「そんなこと言ったかしらね?」
そう言って誤魔化した。
「最初で、最後のキスがこれなら、悪くないかしらね?」
会話の流れが可笑しい所は優斗君の捉え方が可笑しいと思ってください。
学校始まったので、次は早めに。
あと二、三話で終わります。