変れた幸せ
『ねぇ・・・何か聞こえて来ない?』
「え? 何も聞こえないよ」
『そう・・・』
『ほらっ やっぱり聞こえるよ』
「え? ・・・やっぱり何も聞こえないよ」
『よく耳を澄ましてみて、ほら 聞こえるでしょ』
「・・・・あ、 ほんとだ 聞こえる」
『これ、なんの音かな?』
「う~ん・・・ いったいなんの音だろう・・・」
僕と彼女は・・・
(といっても、つい2時間前に出会ったばかりだけど)
僕は登山の途中、突然の雷雨に打たれてしまい
たまたま見つけた岩穴にビチョビチョになりながら飛び込んだ。
その飛び込んだ岩穴には先客が居て・・・それが彼女だ。
お互いかるく挨拶を交わした程度で名前すら聞いていないが
なかなか雨が止まないため、どちらからともなくポツポツと
世間話をしていた。
僕は、あまり詮索しない方がいいのではないかと思い
出来るだけ彼女に対しての質問を控えた。
彼女もそれに気づいてるかのように私に対しての質問はなく
また、彼女自身の話もほとんどしてこなかった。
年齢は、僕と同じ25歳くらいだろうか・・・
髪は結んでいるけどどのくらいの長さかはよく解らない・・・
肌は健康的に少し日焼けしているがきめ細かい感じ・・・
しゃべり方は少しおっとりとしているが耳障りのいい声をしている・・・
瞳は大きい方だと思うが、時折目を細める表情も素敵だ・・・
素敵だと一瞬でも感じてしまうとなかなかそこから引き返せない・・・
引き返せないどころかどんどん彼女に惹かれていく・・・
彼女に惹かれれば惹かれるほど、彼女のことが知りたくなる・・・
彼女のことが知りたくなれば知りたくなるほど、質問したくなる・・・
でも、今更彼女自身への質問が増えていくのはどうかと・・・
いや、少し世間話を交わした今だからこそ質問がし易いのでは?
同じ歳くらいだし、お互い初めから敬語を使わず話せてるし・・・
もしかしたら、もしかしたら、これって出会いかも・・だし・・・
先ずは名前から聞いてみよう・・・
いや、先ずは自分の名前を先に名乗るのが礼儀だな・・・
だとしたら名前と年齢を一緒に伝えた方が両方一度に聞けるかも・・・
いや待てよ、名前と年齢と住んでいる地域名も一緒に・・・
でもいきなり3つも自己紹介するのはさすがに厚かましいか?
さすがに知りたがっている下心を察知されてしまうだろうか・・・
うんにゃ、察知されてたって構わない だって知りたいもの・・・
例え彼女に察知されたとしても嫌われる程ではないはずだ・・・
逆に何も聞かない方が、興味ゼロみたいで失礼なはずだ・・・
そうだ、そうに違いない、そうに決まってる・・・
聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥 と、よく言うし・・・
ちょっと違うような気がするけどそんなことはどうでもいい
聞きたい、聞きたい、聞きたい、聞きたい、聞きたい、聞きたい・・・
よし、聞くぞ 覚悟は決まった 何も怖くない
10秒後に聞くぞ 10数えたら思い切って聞くぞ
1 2 3 4 ・ ・
いやいやいや ちょっとカウントダウンストップ!
聞くのが先じゃなくて、自己紹介が先なの忘れてた・・・
よし、10秒後に自己紹介するぞ
10数えたら思い切って自己紹介するぞ
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
私
「も、も、申し遅れまし・・」
彼女
『ねぇ・・・何か聞こえて来ない?』
(あれ?なんなの?このタイミングの悪さは・・・)
私
「え? 何も聞こえないよ」
(そんなことより早く僕の自己紹介に話題を変えなくちゃ)
彼女
『そう・・・』
(よーし、今だ! 勇気を出してもう一度!)
彼女
『ほらっ やっぱり聞こえるよ』
(なに~? もう・・男の勇気は何度も見せられるものじゃないんだぞ~)
私
「え? ・・・やっぱり何も聞こえないよ」
(そんなことより お願いだから僕の話を聞いて・・・)
彼女
『よく耳を澄ましてみて、ほら 聞こえるでしょ』
(はぁ・・・完全にタイミングを逃した・・・この空気は完全に違う・・・)
私
「・・・・あ、 ほんとだ 聞こえる」
(彼女の言う通り何か聞こえる・・けど、正直どうでもいい)
彼女
『これ、なんの音かな?』
(何の音でもいい、何の音かなんて全く興味が沸かない・・・)
私
「う~ん・・・ いったいなんの音だろう・・・」
(どうしたら空気を戻せるか・・・ 自己紹介の空気よ カムバック・・・)
すると、
突然彼女は私の身体に抱きつき岩穴の奥へと押し倒した!
(もう~大胆なんだから~ それならそうと初めから・・)
次の瞬間!
もの凄い地鳴りのような音と共に目の前が真っ暗になった!
それは突然の土砂崩れだった・・・
聞こえていたのは土砂崩れの前兆の音だったようだ・・・
今でも僕はその時のことを後悔している。
もっと自分に警戒心があれば、もっと自分に注意力があれば・・・
あれ以来、僕は・・・
僕たちは登山をしていない。
彼女が岩穴の奥へ僕を押し倒してくれたお陰で僕は無傷だった・・・
しかし手前の岩が崩れ、彼女の膝から下の両足は・・・
『・・・ねぇ、後悔したことある?』
「え? 何を?」
『私と、結婚したこと』
「そんなのあるわけないじゃん」
『ほんと?』
「ほんとだよ、
ぼくはこうして君と一緒に散歩してる時が一番幸せだよ」
『車椅子の私と?』
「ああ、
車椅子の君と一緒に散歩してる時が僕は一番幸せだ」
『ふ~ん・・・変なの』
「君は、後悔したこと無い?」
『ん? 何を?』
「あの時、僕を助けたこと」
『そんなのあるわけないじゃん』
「ほんと?」
『ほんとだよ、
両足はちょっぴり残念だったけど・・・でもあなたと出会えたから』
「・・・ありがとう」
『こちらこそ、こんな不自由なわたしと結婚してくれてありがとう』
「君は不自由なんかじゃないよ、
君は出会った時と何もかわらない 何も変るはずがない
だから僕は君を不自由に思ったことなど一度も無いよ」
『ううん、わたしは少し変ったよ』
「・・・何が変ったの?」
『私をいつもそばで支えてくれる大切な人が出来た』
「・・・そうだね、僕も少し変ったよ」
『・・・何が変ったの?』
「いつもそばで支えたいと思う大切な人が出来た」
『ねぇ、今度の休みにあの山へもう一度行ってみない?』
「あの山って・・・ あの山?」
『そう、あの山』
「そうだね、久しぶりに行ってみようか
僕たちが出会った思い出のあの山へ!」
あの日、
雷雨と土砂崩れが無ければ出会えなかったかもしれない
辛いこともたくさんあったけど・・・
きっとこれからも辛いことがたくさんあるだろうけど・・・
出会えたことに感謝して生きていこう・・・
僕は変らないし、彼女も変らない・・・
でも出会えたことで変れたこともある・・・
出会えたことで変れた幸せをこれからも大切にして生きたいと
僕たちは思う。