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第六話 特性と会議室

午後の産業保健室には、やわらかな光が差し込んでいた。


書類を整えていた星野が、ふと顔を上げる。


「先生、今日の方、上司の方からのご相談でしたよね」


「ええ。会議に出られなくなっていると」


ノックの音がして、ドアが開く。


「失礼します」


入ってきたのは、三十代前半ほどの男性だった。少し緊張した様子で椅子に座る。


「産業医の寺西です」

「保健師の星野です」


2人がすっと挨拶をする。


「橘翔太さんですね。今日は、会議のことでご相談と伺っています」


寺西が穏やかに声をかけると、橘は小さく息を吐いた。


「会議で議事録を頼まれたんですが、どうしてもできなくて」


言葉を探しながら、続ける。


「周りは普通にやっているのに、自分だけ全然できなくて……、それで、自分はダメなんだなって、思ってしまって」


視線が落ちる。


「そのうち、会議に出るのが怖くなってしまいました」


少し間があく。


「できるようになろうと思って、土日にラジオを聴きながら、内容をまとめる練習もしました。でも、全然だめで。聞こうと思えば思うほど、何を話してるのかわからなくなって」


ただ、事実を置くような声だった。


寺西はゆっくりとうなずく。


少し間を置いてから、穏やかに問いかける。


「橘さん、人を覚える時、どうやって覚えることが多いですか」


橘は少し考える。


「顔とか……あとは、名前ですかね」


「声や雰囲気で覚えるタイプではなさそうですね」


橘は小さくうなずく。


寺西は続ける。


「では、猫って聞くと、何が思い浮かびますか」


「……猫カフェで自分の膝に戯れている猫が浮かびます」


「なるほど」


短くうなずく。


「学生時代の勉強は、どんなやり方が多かったですか」


橘は少し間を置いて答える。


「本を読んだり、自分でノートをまとめたり、……最近だと動画を早送りして、字幕があった方がわかります」


「ラジオのように、音だけで理解することは」


「ないです。ラジオは苦手で」


寺西は静かにうなずく。


「情報の処理のしかたって、人それぞれ“得意な形”があるんです」


「……得意な形」


「たとえば、聞いたことをそのまま整理するのが得意な人もいれば、一度視覚化してから理解する方が得意な人もいます。文字の方が理解しやすい人もいます」


少し言葉を選んで続ける。


「議事録って、“聞いて、要点を抽出して、同時に書く”ので、かなり高度な処理なんです」


橘は黙って聞いている。


「もしかすると、橘さんは聴き取りよりも、文字や図での入力のほうが得意なタイプかもしれません」


わずかに表情が動く。


「……資料を作るのは、好きです」


「そうですか」


「わかりやすいって褒められるし、発表も、わりと」


寺西はうなずく。


「それは、強みですね」


少しだけ場の空気がゆるむ。


「ドラクエでいうと、職業みたいなものなんです」


橘が、顔を上げる。


「武闘家に、戦士の戦い方をさせようとすると、うまくいかないことがある」


「でも、武闘家には武闘家の強さがある」


寺西は続ける。


「情報処理の得意不得意は、ある意味“スペック”なので、努力である程度できるようにはなりますが、大きくは変わりません」


「……変わらないんですね」


「ええ。なので、変えようとするよりも、使い方を合わせる方が現実的です」


少し間を置く。


「実は私は、文字の出力はあまり得意じゃないんです」


橘が少し驚いたように顔を上げる。


「誤字脱字、どうしてもゼロにはならない。面談記録をアナログで描いていた時は、間違いだらけでした」


寺西は軽く肩をすくめる。


「なので、失敗できない書類は、最初から予備を何枚か用意しておくようにしています」


橘は、静かにうなずいた。


「スペックは、責める対象ではなくて、大事なのは工夫です。工夫をしてもうまくいかない場合は、得意な人に任せることも方法のひとつです」


その言葉が、ゆっくりと落ちていく。


「会議室は、“あなたのダメなところが出る場所”ではありません」


少し間を置く。


「本来は、あなたの良さが生きる場所です」


橘は、ゆっくりと顔を上げる。



面談のあと、星野が小さく息をつく。


「“変えようとしない”って、少し意外でした」


寺西は書類に目を落としながら答える。


「変えられる部分と、前提として扱ったほうがいい部分がありますから」


星野は少し考えるようにしてから、口を開く。


「でも、会議に出るのが怖いっていうのは、やっぱり心の問題なんでしょうか」


寺西は少しだけ視線を上げる。


「強い嫌な気持ちが出る事柄を、その気持ちに気づかないまま、あるにはそれに気づいても大丈夫だろうと我慢したまま続けていると、あとから身体の反応として出てくることもあります」


「身体の反応、ですか」


「ええ。動悸がしたり、不安が強くなったり。いわゆるパニックの症状です」


星野は静かにうなずく。


「会議室に入ると息が詰まる感じがする、というのは、その始まりですか?」


寺西は、短く答える。


「そういう見方もできます」


窓から差し込む光は、変わらず静かだった。


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