死にゲーのチュートリアルボスに転生したら、初心者プレイヤーになつかれました。
死にゲーのチュートリアルボスに転生したら、初心者プレイヤーになつかれました。
『汝には知識を与えるだけで十分であろう。誰かを救ってみせろ』
……誰の声だ?頭の中に直接響くような、低く厳かな声が聞こえる。
『さぁ、目覚めるのだ』
暗闇の底から自分が浮かび上がっていくような感覚と共に、徐々に僕の意識は覚醒していく。そしてゆっくりと目を開けたとき、真っ先に視界に飛び込んできたのは、怪物と化した自分の姿だった。
どうにも頭がぼうっとしていて、意識が定まらない。僕は一体誰だっただろう。名前はなんだっただろう。……駄目だ、思い出せない。まだ精神が霧の中を漂っている。まず見えているものを再確認してみよう。僕の眼前にあるのは、鏡面のように磨き上げられた、鉄製の扉。そこに自分の姿が反射している。かつては騎士であったことを思わせる甲冑から、ゾンビのように腐った左腕と左脚が露出していた。右半身は人型のままだが、左半身が化物だ。顔は兜をかぶっていて見えないが、その隙間から肉々しい触手が生えうごめいている。
「あーあー。声は出るのか」
とりあえず発声出来るか試してみた。問題なし。ノイズがかった低音だが、聞き取ることが出来る。……いや、問題ありだ。声が出せるとか、出せないとか、そんなことを気にしている場合ではない。この怪物の姿はよく知っている。ビデオゲーム、「ダークネスナイト3」のボスキャラクターだ。「腐敗の騎士」という最初のボス。このゲームを始めたプレイヤーが、戦闘の基礎を覚える為に戦う、いわゆるチュートリアルボスと呼ばれている存在だ。
僕がいるのはボスエリア、俯瞰で見ると正方形でほどほどの大きさがあり、天井は無いが周囲はレンガの壁に囲まれている。石畳みが敷き詰められた床には邪魔なオブジェクトは置かれておらず、殺風景だがボスと戦いやすいように設計されている。……僕は本当に腐敗の騎士になって、ここに立っているのか……?
状況があまりにも非現実的で、かえって冷静になる余裕があるな。まずは自分をちゃんと思い出すことから始めてみよう。空を見上げながら体操していると、次第に頭がはっきりとしてきた。自分がどこの誰だったのか、今なら思い出せそうだ。
僕の名前は岸 由幸。25歳の公務員で、市役所勤めをしていた。そこそこいい大学を出て、そのまま公務員となり、そして……。
「過労で倒れた……」
そうだ。上司に書類を渡した瞬間、突然目の前が真っ暗になり、床に引き寄せられるように倒れ込んだ。薄れゆく意識の中で、上司の「救急車を呼べ!」という声が聞こえてきた。それが僕の最後の記憶だ。先月の残業時間は132時間。先々月なら136時間。それ以前もそんな感じだ。市役所に寝袋を持ち込んで、帰宅せずに仕事をすることも珍しくなかった。
「……『過労で死んだ僕は、ゲームの世界に転生したが、ボスモンスターになっちゃった件』か。ははは」
乾いた笑いが垂れ流れた。僕は本当に死んだのか?まだ生きてはいるが、昏睡状態になった僕の意識が、この幻想を作り上げているだけではないのか?自分が好きだったゲームの中に、意識が逃避行しているだけなのでは?
そのまましばらく突っ立って笑い続けていると、目の前にある鉄の扉が、ゆっくりと開き始めた。……扉を開けそこに現れたのは、魔術師の格好をしたキャラクター。このゲームの主人公だ。真っ赤なローブを着ていて、顔は深くかぶったフードの陰に隠されていて見ることが出来ない。手には魔術師の身長より長い、木の杖が握られている。
……僕は、なにをすればいいのだ。ここが本当にゲームの中なら、当然主人公を操作しているプレイヤーがいるわけで、そいつは僕を倒すためにやってくる。僕はボスらしく、この主人公と、つまりはそれを動かしているプレイヤーと戦えばいいのか?……あぁ、もういい。考えたって分かるわけがない。だったらもう楽しんでやる。かかってこいプレイヤー。ボスになった僕が、お前を叩き潰してやろう。
このゲームは、開始時に主人公の職業を選ぶことが出来る。「戦士」が初心者向けの使いやすいキャラクターで、中級者向けの「盗賊」や「格闘家」なんかもいる。今僕の前にいる「魔術師」は上級者向けのキャラクターだ。敵から離れて魔法で攻撃出来るが、基礎能力が低く、立ち回りの巧みさを求められる。さぁ、まずはなにをしてくる?魔法でバフをかけるか?それともすぐに魔法弾で攻撃してくるか?
『ぽこん』……ん?『ぽこん、ぽこん』……んん?ええっと、この魔術師はなにをしているんだ?なんで杖で僕を叩いているのだろう。杖で攻撃される度に『ぽこん』と可愛らしい音が鳴る。……とりあえず反撃しておくか。ボスが棒立ちでなにもしない、というわけにはいかない。
攻撃しようとすると、体が勝手に動いて、左腕を振り回すモーションが発生した。腐敗の騎士に元々設定されている攻撃動作だ。結果は魔術師に直撃。べしんと重い効果音が鳴ると共に、中空にこう文字が浮かび上がった。
『魔術師が死亡しました』
えっ!?死んだ!?まだ一撃しか当ててないのに!?魔術師は苦しむモーションをした後、霧のように薄くなって消えていった。鉄の扉は勝手に閉じ、杖で殴られたことでわずかに減っていた、僕のライフゲージが回復した。ボス視点だと、主人公を倒した後はこう見えていたのか。魔術師の心配はしなくていいはずだ。ボスエリアの前には休憩地点があり、魔術師は死んだ後すぐにそこで復活することが出来る。
「……あ、また来た」
数秒後、復活した魔術師が再び鉄の扉を開けた。そしてまた、杖で殴ってきた。ちょっと待ってくれ、まさかこのプレイヤー、魔法を使えることを知らない?なんで魔術師を選んだの?縛りプレイ?とりあえず、一旦距離を置こう。走って逃げてみると、魔術師はまっすぐに僕を追いかけてきた。親鳥を追いかけるヒナみたいだ。いや、ちがうんだよ。そのキャラクターは、離れた場所から魔法を打って戦うものなの。近寄ってきたら駄目なんだってば。
『ぽこん、ぽこん』
あぁ、もう!この可愛い効果音がイライラする!さっきと同じように、反撃で左腕を振り回しておこう。
『魔術師が死亡しました』
だからなんで一撃で死ぬの!?まさかレベルアップしないでここまで来たの!?……そうだ、それしか考えられない。魔術師の初期ライフは60しかない。僕の左腕を振る攻撃のダメージ値は75だ。つまりここに辿り着くまで、雑魚敵を一匹も倒さないで、逃げ回ってきたということか。
「ゲーム初心者じゃんかぁ……」
どんよりとした曇り空を見上げながら、そうつぶやいた。……今気付いたが、ここから次エリアの城が遠くに見えるのか。このゲームはオープンワールドで、シームレスに他のマップと繋がっている。城は山の上に建っているから、この場所からでもそれが見えるんだ。まぁ、だからなんだって話なのだが。
そして数秒後、鉄の扉がまた開いた。今回の魔術師はすぐに攻撃してこないで、僕の前をうろうろとし始めた。この動きに意味はない。なにをすればいいか分からないから、なんとなく動き回っているだけだろう。
「R2!R2ボタンで魔法を打てるから!」
もう口を出さずにはいられなかった。僕の声が届くわけがないけれど、そう叫ばずにはいられなかった。
「あ、は、はい!」
……え?返答した?……女性の声が聞こえたが、僕の気のせいだろうか。おそらく気のせいだ。なぜかって、魔術師は魔法を打ってこない。なにもない場所で杖を振ってみたり、ライフが減ってないのに回復薬を飲んでみたり、とにかく魔法を全く使おうとしない。僕の声が聞こえたなら、魔法を打つはずだし……。
「……あ、あのぉ」
「え?」
「あーるにボタンって、どのボタンですか……?」
「あ、パッドの右側の上に、ボタンが2つあると思うんだけど」
「この、黒いボタンですか?」
「うん、ボタンは全部黒いんだけど。とにかく奥側のボタンを押してみて」
魔術師が杖を掲げて、その先端から青白い光の玉を発射した。玉は僕に当たると、ばしぃっと気持ちのいい効果音と共に、少量のダメージを発生させる。
「なんか出ました!これが魔法ですか!?」
「はい、魔法ですね」
「教えてくださってありがとうございます!」
「いえ、どういたしまして」
魔術師は僕に向かって走ってくると、また杖で僕を殴り始めた。なんでだよ。魔法を打ってくれよ。この人、初心者どころの話ではないぞ。今までゲームというものを、触ったことがないのでは?
「きみ、一旦このゲームやめた方がいいよ」
「え……?」
魔術師が直立不動で固まり、十秒以上の沈黙が流れた。まずい、今の言い方はよくなかった。僕はアドバイスのつもりで言ったのだが、相手にはだいぶトゲのある意味に聞こえてしまったかもしれない。これは僕が悪い。ちゃんと言葉の意図を説明しないと。
「ごめんね、きみが使ってるキャラクターね、魔術師っていう使うのが難しいキャラクターなんだ。戦士っていうので、最初から始めてもらってもいいかな?」
「そ、そうなんですね。見た目が好きだったのでこのキャラクターにしたのですけれど」
「じゃあ一回攻撃させてもらうね。このゲーム、ボスと戦っている最中はタイトル画面に戻れないから」
僕は一撃を魔術師に入れ、ボス戦を終了させた。さっきの人が、戦士になって戻ってくるのを待つとしよう。……と、考えていたら、鉄の扉がまた開かれた。
「あのぉ、タイトル画面に戻るって、どうやればいいのでしょう……?」
僕は魔術師に、ゲームを終了しタイトル画面に戻る方法を教え、彼女がここに戻ってくるのを待った。どうやらここは本当にゲームの中。「ダークネスナイト3」の中であるらしい。信じられないが、ここが夢の中だとは思えない。うまく言葉で表現できないが、感覚がリアル過ぎるのだ。夢の中特有の、ふんわりとした非現実感が全くない。
魔術師がゲームを終了する前に聞かせてもらったのだが、彼女は現実世界にいるプレイヤーで、家族に進められてこのゲームを始めたという。それ以上のことはあえて聞かなかった。彼女は僕がゲームに搭載されたAI、人工知能だと思っているようだ。下手に多くの質問をして不気味に思われ、ゲームをやめられてしまっては困るのだ。現状彼女だけが現実世界との架け橋。もしかしたら彼女から、市役所で倒れた僕がどうなったのか、情報を得られるかもしれない。
その為にはまず、彼女との信頼関係を築かないと。大丈夫、時間は十分にあるはず。彼女はあまりにもゲームが下手だ。ゆっくりとこのゲームの操作方法、攻略のアドバイスを送りながら、心の距離を縮めていく。いずれ僕の正体を話すことが出来て、なおかつ彼女がそれを信用してくれたなら、なにかしらの方法で事態を進展させることが出来るはず。
……僕はやはり、死んでしまったのだろうか。それにまだ生きていたとして、現実世界に戻りたいだろうか。あの辛く苦しい日々に、働き続けるだけの機械のような人生を歩みたいだろうか。……やめよう、今考えるべきこと、目標に定めるべきことはそんなことではない。まずはなんとか彼女からの信用を得て、現実世界の自分の生死を確かめるんだ。
「……それにしても遅いなぁ」
どれほど待ち続けているだろう。体感で3時間は待ちぼうけだ。彼女に戦士の操作方法は教えておいたし、ここまで来るのにそれほど長い時間は必要ないはずなのだが。……彼女を迎えに行ってみようか?ここまで試していなかったが、僕はこのボスエリアから出ることは可能なのだろうか。試しに鉄の扉を力いっぱい押してみたが、びくともしない。やはり駄目か、自分からここを出ていくことは出来ないようになっているのか。
いや、まてよ。このエリアには天井が無い。壁をよじ登って、外に出られるのでないか。ものは試しに、腕や足を壁に突き刺しながら登っていく。そのまま登り続け、頭を壁の上に出してみると、外側のエリアを見ることが出来た。そのままよじ登り壁を越え、向こう側に落下する。脱出成功だ!
さて、一人で喜んでいてもむなしいし、早く彼女を迎えに行こう。ゲーム開始地点を目指し進んで行くと、このゲームの情報が次々と頭に浮かび上がってきた。ステージ構成、アイテムや敵の配置、各キャラクターのステータスまで全部だ。……なぜ、こんなに覚えているのだろう。なにか違和感がある。僕がこのゲームを最後にプレイしたのはいつだっけ?
……駄目だ、全然思い出せない。まだ意識が完全にこっちの世界に馴染んでいないのかな。まぁそこまで気にすることではないか。そんなことを考えながら歩を進めていると、雑魚敵のスケルトンを見つけた。敵は背をこちらに向けている。無防備だなぁ、殴ってやろう。攻撃モーションを発生させ、左腕を振り回したが……。スケルトンにダメージが入らない。そうか、モンスター同士の攻撃では、ダメージ判定が発生しない。いくら攻撃しても無駄だし、敵からの攻撃を警戒する必要もないのか。
スケルトンは僕に反応せず棒立ちのままだ。敵対関係にすらならない。スケルトンの横を通り抜け、石階段を下りていく。このエリアは「墓」をテーマにしており、無機質な印象をプレイヤーに与える。道中何体ものスケルトンを素通りし、横幅の狭い階段を下り続けると、苔むした地下広場に着いた。蜘蛛の巣がそこら中に張られ、床や壁に小さな穴が無数にある。全面が壁に囲まれた構造上、音がよく響いて聞こえるように音響効果が設定されている。
『ぽこん……ぽこん……』
おっと?なんでこの音が響いてくるんだ?僕は戦士でリスタートするようにと伝えたはずなのだが?
『ヒイィ……タスケテェ……』
さらに下の階層から、哀れな初心者の嘆きが響いてくる。おそらくスケルトンから逃げ回っているのだろう。一度ボスエリアまで辿り着けたのは、もしかすると奇跡だったのかもしれない。さっさと助けに行こう、信頼を得るチャンスだし。地下広場を通り抜け、吹き抜けになった螺旋階段を下りていくと、一心不乱にダッシュして階段を上がってくる彼女と目が合った。その背後には十体以上のスケルトンがいる。案の定追い回されているようだ。
「たすけて!ガイコツさんたちに追われてるんです!」
「カメラこっちに向けないで!正面を向いていないと……」
「あああぁぁぁ……」
落ちた。見事な悲鳴を上げながら、螺旋階段から真っ逆さま。なんだかコメディ映画のワンシーンに見えるな。彼女につられてスケルトン達も一緒に落ちていったから、これで敵は一掃出来ただろう。いっそ落ちてよかったのかも。
『魔術師が死亡しました』
あぁ、よくなかった。落下ダメージに耐えられなかったか。リスポーンはゲーム開始地点。結局一番最初まで行くことになったな。そんなことより、彼女はやはり魔術師のままだった。戦士に変えるだけなら難しい操作は必要ないし、自分の意思でそのままにしているとしか考えられない。
別にそれを叱ろうとは思わない。ゲームは自分のやりたいように楽しむものだ。彼女なりの考えがあってそう決めたのなら、僕がそれに合わせればいいだけだしね。
螺旋階段を下り、薄暗い墓所を進む。ここはチュートリアルエリアだから、迷路のように入り組んだ構造はしていない。道中いくつかの分かれ道はあるが、進むべきルートは分かりやすくなっており、初心者でもここで迷うことはないだろう。通路の両端には棺が並び、その中にスケルトンが横たわっている。本来ならこのスケルトンが襲ってくるから、それを撃退しレベルアップして進むのだ。彼女はそれを無視し、ここを突っ切っているのだろう。
そのまま道なりに進んで行くと、ゲーム開始地点で彼女を見つけた。彼女は僕を見つけると、弾んだ声で「お待ちしていました!」と言った。どうやら自力で進むのではなく、僕の手を借りた方がいいと判断したようだ。実際その通りだ。基礎から教えていくのであれば、一番最初から始めていく方がいい。
「もっと早く来れれば良かったんだけどね。時間がかかってごめんね」
「いえいえ、来てくださってありがたいです!」
「ところで魔術師のままだけど、戦士にはしなかったんだね」
「……駄目、ですか?」
「そんなことないよ。そのキャラクターが気に入ったなら、それで教えていくし」
「いえ、キャラクターとかではなく……。自分でこうしようと決めて始めたことを、曲げたくなかったんです……」
「なるほど、いい理由だね」
「そう、ですか?」
ご機嫌取りの為にそう言ったわけではない。主体性があるのは素晴らしいことだと思う。
「人生の楽しみって、いかに利口に自分のわがままを押し通すか、みたいなところあると思うしね」
自分の頭の中から、こんな言葉が自然に出てきたことを、僕自身が誰より驚いていた。……後悔、だろうな。もしくは人からいいように使われて、過労で倒れた自分の人生に対する皮肉だったのかもしれない。
そんな泥まみれの言葉だけど、彼女はずいぶん感心したようだ。彼女の心に響くなにかが、今の言葉に含まれていたのかな。しきりに「ほう、ほう」と相槌を打っていたばかりか、忘れないようにと何度も復唱していた。なんだか恥ずかしいな。僕にとっては自分の愚かさをさらけ出しただけだったのだけれど。
さて、気を取り直してまずは基本操作から教えていこう。単純な攻撃方法から、回避、UIの見方といったところからだ。
「じゃあ、まずはスケルトンをちゃんと倒してみようか」
「すけるとん?」
「ガイコツさんのことだよ」
「名前があったんですね、あのガイコツさん」
「そういえば、きみの名前は?」
「こ、個人情報は簡単に開示してはいけないと、学校で教えられました!」
わぁ、現代っ子だ。しっかりしているのか、天然なのか……。まぁずっと「きみ」と呼び続けるでもいいか。この世界には僕と彼女しかいないのだし。なんて考えていたら、彼女から提案が飛んできた。
「そうだ、あなたがわたしにニックネームをつけてください」
「僕が?」
「はい!最近のAIさんは、とても頭がいいらしいですからね!どんな名前をつけてくれるんですか?」
おそらく画面の向こうにいる彼女は、目を輝かせているのだろう。彼女の中で僕は、とてつもなく高性能な人工知能になってしまっているようだ。実際はただの若手社会人なんだけれど。突然名前を考えてくれと言われてもなぁ……。
「……じゃあ、ポコちゃん」
「……はい?」
「ポコちゃん」
「……なぜ、ポコちゃんなのでしょう?」
「その杖で殴るときの音が『ぽこん』て鳴るから」
彼女は絶句している。あるはずのない自分のほっぺたが、かあっと熱くなっていく錯覚を覚えた。ここがゲームの世界なら、ロールバック機能で今の発言をなかったことに出来ないだろうか。
「ち、ちなみに、あなたの名前は?」
「腐敗の騎士」
「ふはいのきし?」
「キシだけでいいよ」
僕の本名は岸 由幸だし。騎士と岸。どっちもキシだ。気を取り直して、ポコちゃんにこのゲームのプレイ方法を教えていくとしよう。
講義と実践を繰り返し、おおよそ20分くらいで、ポコちゃんはスケルトンに勝てるようになった。最初は信じられないくらいスケルトンにボコボコにされていたけど、諦めずに頑張ってくれた。ザコ敵一匹に勝てるようになるまで20分か。いいね、これは教えがいがある。なんだかワクワクしてきたな。この子がどこまで成長出来るのか楽しみになってきた。
「敵の動きをよく見て、よく狙い、撃つ!はいどうぞ!」
「よく狙い、撃つ!はい!」
魔術師が使う魔法弾は、自動で敵を追尾するモードと、自分で照準を合わせるモードの2つがある。後者の方が扱いが難しいけど威力が高く、スケルトンなら一撃で倒せるほどだ。僕はあえてこの難しい方を教えることにした。この手の高難易度ゲームの最適解は、結局のところ「やられる前にやれ」だからだ。威力の低い魔法で長期戦を挑むより、扱いが難しくなるが敵を早く倒せる方が楽だと判断した。
「少し先に進めば、弓を撃ってくるスケルトンがいるんだ。次はそれと戦ってみようか」
「す、少し休んでいいですか?もう指が疲れて」
慣れないことをすると、心身ともに疲労が溜まるものだ。ここはちゃんと休憩を入れよう。ポコちゃんの体に負担をかけてまでやることじゃない。それに僕にとっても都合がいいし。
ただゲームのプレイ方法を教えるだけじゃ、僕の目的は達成できない。ポコちゃんに僕が元々生きていた人間であると信じてもらわないと。その為には会話のコミュニケーションが必須になるはず。それにこの子のことを、ちゃんと知りたいなという気持ちになってきてる。
スケルトンを倒せるようになるまでの過程で分かったけど、ポコちゃんは真面目な頑張り屋さんだ。人から言われたことをしっかり聞いて、途中で投げ出さずに、実践できるようになるまで頑張る子だ。それに言葉の使い方や物腰から、裕福な家の子ではないかなぁと予想している。そんな子がなぜ突然ビデオゲームを。それもこの高難易度ゲームに手を出したのか聞いてみたい。怪しまれることは承知の上で、ここは踏み込んでそれを質問してみよう。受け身でいるばかりでは、信用は得られない。
「ポコちゃんの家族に、ゲーム好きな人がいるの?さっき家族に勧められて始めたって聞いたけど」
「わたしの兄がプロゲーマーなんです」
「えっ、プロ!?」
「家族は今も猛反対してますけど、わたしは兄のこと尊敬してます」
ポコちゃんの声の中に、喜びの感情が含まれているのが分かる。本人は画面の向こうにいるから表情は見えないけど、声だけでも案外人の気持ちって読めるものなんだな。ポコちゃんはそのまま続けて、自分の家族のことを教えてくれた。
「わたしの家、けっこうエリート家系といいますか。一族みんな医者とか、国会議員になった人なんかもいて」
「実際にあるもんなんだね、そういうすごいお家って」
「だけどそんな家だから、兄がプロゲーマーになりたいと言ったときは猛反対を受けました。でも兄は周囲の反対を押し切って、自分の夢を叶えたんです。プロゲーマーの事務所に所属して、今は海外の大会に遠征に行ってるんです。……わたしが相談できたのは、そんな兄だけでした」
打って変わって、ポコちゃんの声が沈んだ。元々感情豊かで明るい子なんだろうな。だけど今はなにか問題を抱えているみたいだ。ポコちゃんはそのままの流れで自分のことを話してくれた。
「1か月前、わたし高校生になったんです。でもまだ1回も学校行ってなくて……」
「それはつまり、その、不登校ってことか」
「……高校受験のとき、親友が落ちてしまったんです。一緒に同じ学校に行こうって何度も話して、だけどわたしだけが受かってしまった。そのときその子に言われたんです。『裏切者』って」
「あー……。なるほどね」
その落ちた子も、本来は悪い子ではないのだろうな。中学生のときは、お互いに気を許せるいい友人だったのだろう。そんな友達に言われた言葉だからこそ、この子は深く傷ついてしまったわけか。
「……休憩はもう十分なので、先に進みましょう」
この話題はもう続けたくないということだろう。これ以上深掘りするつもりはない。ここで本人が話したがっていないことを聞き出そうとするのは、優しさに見せかけた自己満足だ。
「話したくなったら、僕でよければ聞くからね」
これくらいで十分。本人が言いたくなったときに、そうしてくれればいい。これ以上は言いたくないならそれでいい。でもポコちゃんは僕がAIだと思っているし、現実にいる人間には話せないような悩みも、口にしやすいかもしれない。そのときに、この子の心を軽くできたらそれでいい。
「キシさんは、優しいAIさんなんですね。ありがとうございます」
声に少し元気が戻った。ずっと一人で悩み続けるのは精神衛生上よろしくない。行き過ぎると心の病になってしまう可能性だってある。ポコちゃんのお兄さんは、思考を別方向に向けさせる為に、あえてこの難しいゲームを勧めたのだろうな。色々と大変そうだけど、現実に味方になってくれる家族がいるなら安心だ。
……これ、とても僕のことを言い出せる状況じゃないな。ここで僕の正体をさらしたら、ポコちゃんに余計な負担をかけてしまうだろう。真面目で優しい子だから、僕の為になにかしら動いてくれるとは思う。だけどこの子は今、自分の人生のことで手一杯のはず。
この子の人生の邪魔をしてまで、僕は現実に戻りたいか?それほどの価値が、僕にあるのか?
「ありがとうございました。明日もまた来ますね」
「今日だけでずいぶん成長したよ。明日も楽しみにしてる」
「はい!わたしも楽しみです!」
ポコちゃんはその後、弓持ちのスケルトンに1時間ほど蹂躙され続け、なんとか1体だけ倒せたところでゲームをやめた。さてと、ポコちゃんがログアウトした後も、このゲームの世界は消えることなく続いていく。その間なにをしようかな。ポコちゃんが戻ってきたときのことを考えて、あまり遠くに行くわけにはいかない。なぜ僕がこのゲームの世界に閉じ込められたのか、その謎を解き明かす為に旅立つわけにもいかないのだ。それならポコちゃんを鍛える為の計画を、自分の中で練っておくとしようかな。
そんなことを考えていると突然、事態が進展する出来事が起きた。
「おーい。おーい」
驚くことに、誰かの声が聞こえてきた。まさか別のプレイヤーか?ポコちゃん以外のプレイヤーがログインしてきたのか……?声は通路の奥、螺旋階段の上から響いてきたと思う。そっちに行ってみよう。
「おーい、誰かいないかー。おーい」
やはり声が聞こえる。中年の男の声だ。すぐに声の元へ行ってもいいが、僕は足を止めて考えた。一旦冷静になって判断する必要がある。なぜこの声は、周囲に呼びかけている?このゲームは本来1人用だ。ゲームによっては、プレイヤー同士での協力や対戦要素があったりするが、このゲームにはそれがない。完全にソロプレイ専用のゲームだ。プレイヤーが周囲に声を掛ける理由なんてないはずだ。
それなら、答えは1つだけ。この声はプレイヤーのものではない。僕と同じ、この世界に閉じ込められた人間のものだ。危険を承知の上で接触するべきだろう。もしかしたら、なにか重要な情報を得られるかもしれない。ここでその可能性を見逃すわけにはいかない、行動するべきだ。
「こっちです!僕の声が聞こえますか!」
「おぉ!誰かいるんだな!」
僕が螺旋階段を上がるより早く、声の主が上から落下してきた。その姿はこのチュートリアルエリアの先にいるはずの敵、オークだった。人間よりやや大きな体の、緑色の皮膚をした鬼のような敵だ。オークは手をぶんぶんと振り、人間らしい仕草で僕に話しかけてきた。
「きみ、ボスキャラクターに転生したのか。うらやましいなぁ、おれなんて見ての通りだよ」
「転生……。ということは、あなたも人間だったんですね」
「トラックの運転手をしてたんだが、居眠り運転で事故起こしちまった。気付いたらこのゲームの世界の中にいたんだ」
それからしばらく、僕達はお互いのことを全て打ち明けた。元々暮らしていた場所、働いていたところ、どこかに共通点がないかと話し合ってみたが、何一つ重なっている部分はなかった。なぜ自分達が転生してここにいるのか、結局なにも分からずじまいだった。
「おれと一緒に行かないか。ラスボスのとこまで行けば、なにか分かることがあるかもしれんよ」
「すみません、ここを離れることが出来ないんです」
「なんだ、そうだったのか。おれはこっちのエリアまで、壁やら崖やら乗り越えて移動できたけどなぁ」
離れられないというのは、ステージ間の移動ができないという意味ではない。ポコちゃんを置いていくわけにはいかないのだ。この人をポコちゃんに紹介しようかとも考えたが、それはやめておいた。この人はたぶん、彼女のことを考えずに自分の都合を優先してしまう。それが悪いことだとは思わないし、この人が悪人であるわけでもない。ただの気のいいおじさんだ。でも僕としては、ポコちゃんのことを優先したい。
「じゃあおれは行くよ。もしなにか分かったら、すぐ教えに戻ってくるからな」
「ありがとうございます」
「……気をつけてな。この世界で死んだら、そのときこそ本当に終わりみたいなんだ」
「え?」
オークのおじさんは、神妙な顔つきでこう教えてくれた。
「実は転生者の仲間が1人いたんだ。だがそいつはモンスターにやられちまって、そのときにおれは見たんだよ……」
「なにを、ですか?」
「魂だよ。仲間の体が消えていくと、そこから光の玉が出てきた。その光はガラスみてぇにひび割れて、砕けた。……本能的に理解できたよ。それが本当の死だってな」
それは恐ろしい話だが、1つだけ腑に落ちない点がある。
「モンスター同士での攻撃でダメージは入らないはずですよね?僕の攻撃はスケルトンに当たらなかった。その人はなんでやられてしまったんですか?」
「見たことのないモンスターがいて、仲間はそいつに奇襲されたんだ。あのモンスターの攻撃は、なぜかこっちに当たってしまうんだよ。情けない話だが、おれは逃げて生き延びた。幸い奴は足が遅かった。逃げれば死なずに済むはずだ」
話が深刻な方向に進んできた。だがそこまで警戒する必要はないと思う。オークの移動速度はかなり遅い。オークで逃げ切れたのなら、腐敗の騎士でも問題ないはずだ。ポコちゃんも大丈夫なはず。仮に逃げられなかったとしても、そもそも彼女は転生者じゃないし。
核心に迫る情報が得られたわけではないが、事態は少し前に進んだ。この世界には僕の他にも転生者がいる。そして正体不明の敵がいることも分かった。でもそれだけだ。その情報だけではどうすることもできない。僕はオークのおじさんを螺旋階段の上まで見送って、その後はポコちゃんの育成計画を考えることで時間を潰した。
「明日、久しぶりに買い物に行こうかと考えてるんです」
「いいね、なんのお店?」
月日が経つのは早いもので、僕がこの世界に閉じ込められてからもう1か月も経った。オークのおじさんが言っていた正体不明のモンスターは現れていないし、この世界は平和そのものだ。ポコちゃんともずいぶん仲良くなり、気軽に雑談が出来るくらいになっていた。
「好きなドーナツ屋さんの新作が気になってまして。ただのチェーン店なんですけどね」
「もしかしてイースタードーナツ?」
「そうです!なんで知ってるんですか?」
雑談を重ねる中で、彼女の情報がどんどん増えていく。ポコちゃんは最近ゲームを進める為ではなく、僕と話す為にログインしてくるようになってきていた。ポコちゃんにとって僕はずいぶんと話しやすい相手らしく、たくさんのことを彼女の方から話してくれるようになっていた。
「僕も学生時代にたまに行ってたからね」
「え?」
「あそこのショコラドーナツが好きだったなぁ」
「え?え?」
「……なんて、AIジョークだよ!あ、あははは」
その反面、僕のことはまだ一切ポコちゃんに話せていない。話そうという気になれないからだ。僕自身のことを話して、それが彼女の負担になってしまうことが嫌だった。自分を大事にするよりも、ポコちゃんを大切にしたい。この感情は恋愛的なものではない。僕より一回り年下の、しかもまだ未成年のこの子に、そういった感情は一切沸いてこない。だからある種の自己犠牲精神なのかなこれは。
「……最近、こう思うんです」
「なに?」
「キシさんが、現実にいてくれたらよかったのにって」
「……あぁー……」
「兄にあまり迷惑はかけたくないですし、安心して話せる相手がキシさんしかいないんです」
ここじゃないか?僕のことを話すのなら、今ここが最善のタイミングのはずだ。いけ!打ち明けるんだ!
……だが……。
「学校にはまだ行けてないみたいだね」
「はい……」
やはり、言い出せなかった。実を言うと今までにも、何度か打ち明ける機会はあった。だがどうしても、それを言葉にすることが出来なかった。
「わたしには、やりたいことがないんです。ずっと親に言われた通りに生きてきただけ。操り人形みたいに、なんにも考えずに勉強してきただけ。夢も、目標も、なんにもない。そんなわたしが学校に行って、なんになるのでしょう……」
「だけど、ずっと不登校というのもよくないよ」
ポコちゃんは口ごもりながらこう言った。
「学校に行くことより、まずは親友に謝りに行かないと駄目です。まずはそれをしないと、わたしだけが学校に行くなんて耐えられない……」
「その友達がどこにいるかは、分かってるの?」
「……はい……」
「でも、会いに行くのは怖いよね」
「……うん」
ポコちゃんの声がどんどん低くなっていく。僕の目の前にいるのは棒立ちのまま動かない魔術師だが、その中にいる彼女がどんな表情をしているのかが、手に取るように分かる。話を聞くだけでは相談とは言わない。僕に出来るアドバイスもちゃんと伝えていかないと。
「じゃあこういうのはどうかな。新作のドーナツがおいしかったら、それを持って友達に会いに行こう」
「……おいしくなかったら?」
「そのときは会いに行かなくていい。無理はしなくていいんだ。でも最初の一歩を踏み出すをきっかけを見つけよう」
「……うん。がんばってみる」
ポコちゃんはそう言うと、その日はゲームの練習をしないでログアウトしていった。別れ際に彼女は「結果は明日報告しに来ます!」と言って、自分を奮い立たせていた。心配だが、僕には彼女が戻ってくることを待つことしか出来なかった。
やることがないと、思考は自然と外ではなく内に向かう。僕はこの1か月の間に、ポコちゃんを通して今まで知らなかった自分の内面を見つめ直すようになった。思えば今までの人生、僕は本気でなにかに喜んだり、悲しんだりしたことがなかった。公務員試験に受かろうが、突然告白されて人生初の恋人が出来ようが、その恋人に預金通帳を盗まれ逃げられたりもしたけど、それで感情が動いたことが全くなかった。嬉しいとも、悲しいとも、悔しいとも、なんとも感じなかった。
なのに今、僕は自分が誰かの力になれていることに喜びを感じている。ポコちゃんが相談しに来て、それに乗ってあげて、それで彼女が安心したり喜んだりすることが本当に嬉しいのだ。自分にこんな一面があったなんて、全く知らなかった。
今ならその理由が分かる。僕は、僕という人間に興味がなかったんだ。僕もポコちゃんと同じだった。親から言われるままに勉強して、望まれた通りに公務員になっただけだった。夢や目標を持つ暇もなく、自分という人間と向き合う時間もなく、ひたすら勉強だけをし続けてきた。成績が悪くなると3日ほど食事を抜かれ、毎日数時間怒鳴られていたし、逃げ出そうという気力も場所もなかった。結果的に僕は、大事にしたいと思える自分が無いまま大人になってしまったんだ。
今もそれは変わらない。自分のことに興味がない。それが僕という人間なんだ。
だけど僕は、誰かの為なら本気で喜ぶことが出来る。それが僕という人間だったんだ。
現実で生きている間にそれに気付けていたら、全く別の人生を歩めていたのかな……。
そしてしばらく時間が経ち、ポコちゃんがログインしてきた。現実世界では丸一日しか時間が経過していないようだが、それよりずっと長い時間、彼女を待ち続けていた感覚だった。僕はついポコちゃんの様子を見ないまま、すぐに彼女に質問をしてしまった。
「ドーナツはおいしかった?」
「いいえ」
……なにがあった。ポコちゃんの声が枯れていて、風邪を引いたようにガラガラだ。それにどこか様子がおかしい。
「わたし、消えた方がいいですよね」
「ゆっくりでいい、なにがあったの?」
「わたしの親友、ずっと意識不明だったんです」
「え?」
「受験に落ちたとき、彼女、飛び降り自殺しようとしたんです」
考えていたより、ずっと状況は深刻だった。かける言葉が見当たらない。慰めようにも、どんな言葉を使えばいいのかが分からない。
「親友はわたしみたいに、裕福な家に生まれてきたわけではないんです。生活に苦労しているような家に生まれてきた。いつもこう言っていました。勉強を頑張って、いい学校に行っていい仕事に就くしかないんだ。それしかこの暮らしから抜け出す方法がないんだって」
その友達は言葉通りの努力を、小さな頃からし続けてきたのだろう。なんせポコちゃんと同じ中学に通っていたのだから。エリート家系のこの子と同じ中学校。相当な難関校だったに違いない。
「その親友の未来を、わたしが奪ったんですよ」
「きみはなにも悪くない」
「いいえ、わたしが悪いんです。わたしには目標なんてない。自分の意思で、自分の人生を決めたことなんて一度もない。そんなわたしが、本当に頑張っていた親友の道を奪い取ってしまった。わたしがわざと落ちれば、親友が受かっていたのに」
思考が向かってはいけない方向に進んでいる。なんとかして止めないと駄目だ。そんな考え方はただの自暴自棄だ。だがどうやって矯正すればいい?この子は自分を大事に出来なくなっている。大事にしたい自分というものが、そもそも存在していないからだ。
「今日彼女が目覚めたんです。飛び降りの後、初めて意識が戻ったんです。わたしのところにも連絡が来ました。意識が戻ったと聞いたときは、本当に嬉しかったんです。すぐに彼女のいる病院へ行こうとしました。でも……」
「……足が止まった?」
「急に怖くなったんです。彼女はどんな目でわたしを見るんだろう。わたしは彼女になんと言えばいいのだろう。頭の中がごちゃごちゃになって、結局会いに行けなかった……」
ポコちゃんの声が震えている。そうか、今日この子はずっと泣き続けていたのか。声が枯れるまで、ずっと一人で……。
「そうしたら、また連絡が来たんです。また意識不明になってしまったって。わたし最低なんです。それを聞いたとき、どう感じたと思います?『よかった』って思ったんです。ほっとしたんです。彼女に会いに行かずに済むって。そう思ったんです。……こんな、わたしなんて……」
駄目だ。その先まで言ってしまったら、きみの心が壊れてしまう。
「わたしなんて、死ねばいいんだ……!!」
「ポコちゃん」
「ほら、このままもっと手首を切って、もっと血を出せばいいんだ。あはは、もうパッドも血まみれになってる」
「ポコちゃん、駄目だ!!」
僕は無意識に魔術師の肩に手を置いて、そのフードの中の瞳を見つめていた。こんなことをしたって意味がないことは分かっている。本物の彼女は現実世界にいるのだから。彼女は半ば発狂して、叩きつけるように言葉を吐き出していく。まるで壊れかけた自分の心を、自分で砕こうとしているかのように。
「わたしなんて死ねばいいんだ!!わたしなんてどうせなにも出来ない!!なんにも決められない!!」
「じゃあ決めればいい」
「なにを決めるっていうの!?」
「僕を倒そう」
「……え……?」
強引でいい。無理矢理でもいい。この子の心を正しい場所へと引き戻す。
「僕を倒せたら友達に会いに行こう。きみが自分でちゃんと決めるんだ。僕を倒せるくらい強くなるって。何十回、何百回も負けて、それでも諦めずに挑み続けるんだ。そして実際に僕を倒せたとき、きみの心も強くなってるはずだよ。そのときは、友達に会いに行く勇気が持てているはず」
この子に必要なのは、時間と逃げ道だ。すぐに友達に会いに行くべきだという正論が、この子を苦しめ続けている。今すぐに会いに行かなくてもいい理由、心の逃げ場所を作ってあげないといけない。僕を倒せるまでは会いに行かなくてもいい。かなり強引だがそう理由付けし、僕のペースに引きずり込む。
「よし、始めるよ!まずは今までの復習から!普通のスケルトンを10体倒そう!」
でも、僕はこの子に倒されたとき、死んでしまうのではないだろうか。オークのおじさんが言っていたじゃないか。この世界で死んだときが、本当の死なのだと。
「……ありがとう……」
本当に小さな声で、この子がそう言ったのを確かに聞いた。それと同時に、覚悟が決まった。それでいいんだ。僕がここに居続けてしまっては、この子はこの場所に依存してしまうかもしれない。
この子は、僕に似ている。だから僕はこの子を大切に感じていたし、彼女もすぐに僕に心を開いてくれたのだろう。夢も、目標もなく、ただ人に言われるままに生きてきた二人だ。僕達の違いは、この子にはまだ未来があるということだ。
僕がこの世界に転生してきたのは、この子を救う為だ。死ぬはずだったこの命の使い道。その為に、僕は今ここにいるんだ。
「なんとか、間に合ったな……」
「え……?」
背後から声が聞こえ、振り返るとそこにはオークのおじさんがいた。……全身がぼろぼろで、体が崩れ落ちそうになっている。おじさんは足を引きずりながら僕の前まで歩いてくると、そのまま倒れ込んでしまった。
「逃げろ、例のモンスターが来るぞ……」
「おじさん!」
「あいつ、進化してやがる……。おれの足じゃあ、逃げ切ることが出来なくなっちまってな……」
急いでおじさんの体を抱き起こす。ポコちゃんは困惑し、戸惑いの声を何度も漏らしている。おじさんはすでに自分の運命を悟っているようで、穏やかな口調で僕にこう言った。
「これで少しは、罪滅ぼし出来たかなぁ……」
「おじさん……?」
「言ったろ、居眠り運転しちまったって……。おれは誰かを轢いちまったんだよ……。もしかしたら、その人の命を奪ってしまったかもしれなくてなぁ……」
おじさんの体が消えかかっている。足の先から少しずつ、霧のような粒子に変わっていく。
「岸くん、なんとか生き延びてくれよ。きみは現実世界に戻ってくれ……」
おじさんはそう言うと、震える手で僕になにかを差し出してきた。これは、毒瓶だ。モンスターに投げつけると、毒の状態異常をかけることが出来るアイテムだが……。
「奴は無敵に見えるが、新たな耐性を獲得するのに、1分はかかる……。なんとかその弱点を見つけ出せた……」
「おじさん、駄目だ!」
「きみの命を救うきっかけになれたなら、少しは罪滅ぼし出来たかなぁ……」
……おじさんは、泣きそうな微笑みを浮かべながら、消えていった。その間際、体から小さな光の玉が浮かび上がり、そして……。
「……消え、た?」
砕けなかった。以前聞いた話では、体から出た光の玉は砕けてしまったらしいが……。浮かび上がった光の玉は、柔らかな光を発すると、ろうそくの火が消えるように、ふっと消えてしまった。
終わりでは、ないってことか?この世界の死は、現実の死と完全にリンクしているわけではない……?なにかそれを回避する手段があるのだとすれば……。
「今の、どういうことですか?」
僕が考えをまとめるよりも先に、ポコちゃんがそう聞いてきた。……その声の中には、困惑や疑問はなく、一切の不純物が混じっていない確信だけがあった。
「さっきの『きみは現実世界に戻ってくれ』って。どういうことですか?」
「ポコちゃん、ログアウトするんだ。ここは危険かもしれない」
「嫌です。答えてください」
「駄目だ、ここは僕の言うことを聞いてくれ」
「……え?」
ポコちゃんが驚きの声を上げた。どうしたんだ?
「ログアウト、出来ません」
「出来ない?」
「画面に、変な表示が出てきて……」
「なんて出てる?」
「……『意味が無い』って……。それにわたし、体が、足が動かない。なに、なんなの……?」
異常事態が起きてる。ありえない。なにかが現実にいるはずのこの子に干渉している?……まさか、この子もこの世界に引きずり込まれようとしているのか?この子は自殺を図っていた。出血が続いているなら、このまま意識を失って……。
冷静になれ。僕がこの子を救ってみせる。
「落ち着いて。手は動く?魔術師の操作は出来るかい?」
「はい……。でも体の下が、下半身が、動けなくて……。やだ、怖い。キシさん……」
「とにかく今は逃げよう。ここは隠れる場所もない。ついて来て」
「……はい」
僕達がいる場所はゲームの開始地点だ。僕が目覚めたボスエリアまでほぼ一本道。その途中で謎のモンスターと鉢合わせてしまったら、どこにも逃げる場所がない。僕達は墓を抜け、螺旋階段を上がり、とにかく先を目指して走り続けた。
「……おかしい、スケルトンがいない」
道中たくさんいるはずのスケルトンが一体も見当たらない。ポコちゃんはさっきログインしてきたばかりだ。この辺りのモンスターはまだ倒していないはずなのに。もちろん僕が倒したわけではない。僕の攻撃はモンスターには当たらない。同じ理由でオークのおじさんが倒しておいてくれたわけでもないはず。僕達はそのまま一切モンスターに遭遇しないまま、ボスエリアの前まで辿り着けた。一体なにが起きているんだ……?
ー……見ぃつけたァ……ー
……どうやら、考え事をしている猶予はないようだ。ボスエリアに続く鉄の扉、その先からしわがれた悪魔のような声が響いた。そして扉がゆっくりと、力尽くで無理矢理に開かれ、怪物が姿を現した。
なんて、醜い姿なんだ。扉の先から現れたのは巨大な、腐った死体の姿をしたモンスターだった。僕の5倍はある巨体だ。全身の肉がドロドロに溶けては再生され、汚泥のようなものが体から流れ続けている。おじさんが言っていた通りだ、こんなモンスターはこのゲームにいないはず。じゃあこいつは、一体何なんだ?
「新しい獲物、見ぃつけたァ……!」
「お前も転生者?」
「そうだよォ。神様が、おれを助けてくれたぁ。ぼくにチャンスをくれたのよおォ」
こいつ、精神に異常をきたしてる。それとも元々サイコパスなのか。僕はポコちゃんを自分の後ろに隠して、怪物から可能な限り情報を引き出そうとした。この怪物を普通の方法で倒せるわけがない。時間を稼いで突破口を見出さないと。
「神様が助けてくれたって?」
「この世界はねぇ、生きてる意味の無い魂を、死なすか生かすか決める為の場所なんだよォ」
「……なんでそんなことを知ってる?」
「神様が教えてくれたものぉ。『汝には助言が必要だろう。特別な体を与え転生したわけを教えてやるから、誰かを救ってみせろ』ってさぁ。人間界にある選別にちょうどいい道具が、このゲームだったんだってぇ」
「……誰かを、救ってみせろ……?」
……そうだ、思い出した。なぜ今まで記憶の中から消えていたんだ。僕がこの世界で目覚めたときにも、その言葉を聞いた。あれは僕の魂をここに閉じ込めた、神様の声だったのか。いや、今はそんなことはどうでもいい。それよりもどうやってポコちゃんを助けるかを考えないと。
「お前らも殺してあげるねぇ!誰かを殺す度に、おれはどんどん強くなれるからねェ!」
「やめろ。お前も神様に、誰かを救えと言われたはずだろ?」
「ぎゃははは!そんなことするわけないじゃん!この世界でなら、ぼくは最強になれるんだぁ!ちっちゃい生き物、いっぱい殺せるよぉ、楽しいネぇ!」
そのときだった。ポコちゃんが無言で、怪物に向け魔法弾を撃った。じっとしていることに耐えられなかったのだろう。僕は一瞬、このまま魔法弾が怪物にダメージを与えてくれることを期待した。しかし……。
「ぎゃはは、無駄だよぉ!ぼくは無敵なんだよお!」
ダメージ表記はゼロ。魔法弾は当たったが、ダメージが入らない。こいつはモンスター同士だけではなく、主人公からの攻撃も無効化してしまうようだ。だが打つ手はある。僕はオークのおじさんがくれた毒瓶を握りしめた。この怪物はよく見ないと気付けないが、薄く緑色に明滅している。つまり毒の状態異常にかかっている。おじさんが残してくれたヒントだ。こいつには、状態異常でダメージを与えられる。
「ポコちゃん、大丈夫かい?」
「はい……」
「ここから動かないで。そして僕が合図したら、僕を狙って魔法弾を撃って」
「キシさんに?あのお化けじゃなくて?」
「そう、今までたくさん練習してきたね。僕をしっかり狙うんだ。あの怪物にも魔法は当たってしまう。僕だけを狙うんだ」
「……うん。分かった」
突撃殴打。敵に向け高速で疾走し殴りかかる攻撃モーションを、腐敗の騎士は持っている。僕は素早く怪物の懐へと飛び込み、渾身の一撃を叩き込んだ。こいつの注意をポコちゃんではなく僕に向けさせる為だ。
「ぎゃはは!だから効かないって言ってるだろぉ!」
分かってるさ。僕の直接攻撃は、こいつにダメージを与えられない。だが問題ない。僕の狙いはそこではないのだから。
「お前ちっちゃいなぁ!ちっちゃい奴を痛めつけるのは楽しいよなァ!」
怪物は僕を巨大な腕で殴りつけ、僕はボスエリア内の右方向の壁に向かって吹き飛ばされた。そして怪物は容赦なく僕を追撃し、うつ伏せに倒れた僕の頭を何度も握り拳で叩きつけてくる。
「弱いなぁ!お前ただのザコかよ、かっこ悪いなぁ!ぎゃははは!!」
殴りつけられる。踏みつけられる。その度に僕のライフが大きく減少していく。頭の上から聞こえるのは、怪物の不快な笑い声。まだだ、まだ耐えられる。限界まで待つんだ。
「さっさと死ねよぉ!お前みたいなザコに生きてる価値なんてねぇからさぁ!!死ねよほら!!」
「キシさん!!」
「大丈夫、まだ待つんだ!」
ポコちゃんを制止し、こっちに来ないように言いつける。幸い彼女は焦りながらも、僕の言う通りにしてくれた。ポコちゃんを近づかせてはいけない、僕の計画に巻き込んでしまう。怪物は僕の体をわしづかみにして持ち上げた。そして大きく左右に裂けた口を開いて、僕を呑み込もうとしている。今が反撃のチャンスだ。
僕は隠し持っていた毒瓶を怪物の口の中に投げつけた。瓶は怪物の中で割れ、毒をまき散らす。だが怪物は毒を呑み込むと、わざとらしく口を開け、空っぽになった口腔を見せつけてきた。
「バァーカ!ザコの上にバカかよぉ!ぼくは進化するんだ、毒にかかっても、もうダメージは受けないよぉ!」
「……化物め」
「ぎゃははは!弱い奴はかっこ悪いなぁ、さっきのオークのおっさんみたいだなぁ!!」
「……てめぇ……!!」
「ぎゃはは、さようなら~!」
怪物は僕の体を激しく揺さぶった後、床に何度も叩きつけた。そしてボロ雑巾のようになった僕を再び持ち上げ、今度こそ僕を呑み込もうとしている。もう十分だ、後は彼女を信じる。
「ポコちゃん、今だ!」
「よく狙って……。撃つ!」
怪物は大口を開いて、僕をその中へ放り込んだ。その瞬間、ばしぃっと音が鳴ったのが聞こえた。ありがとうポコちゃん。魔法弾はちゃんと僕に当たったよ。
「はい、ザコ終了~!ぎゃははは!」
「雑魚はお前だ」
「……ん?」
「ついでに馬鹿もお前だ。僕がお前の攻撃を受け続けたのは、ただのライフ調整だ」
「……えっ?」
ダークネスナイト3。このゲームはシリーズ3作目だ。高難易度ゲームの最終作品。
「念の為に、ポコちゃんにとどめを刺してもらった。お前の攻撃で死ぬのでは、発動しないかもしれなかったから」
「……やめろ」
「自分が無敵であることにかまけて、すっかり忘れてたみたいだな。腐敗の騎士はただのチュートリアルボスだけど、最終作ともなると用意されてるわけだよ」
「やめろ!!」
「いわゆる第二形態がさ!!」
怪物の巨体を、強大な力が内部から突き破る。僕の攻撃が当たるようになったわけではない。この怪物を攻撃しているのは、毒の上位にあたる状態異常。
「『腐敗』だ。魂まで腐りきったお前にはぴったりだろ?」
腐敗の騎士はライフがゼロになると、甲冑が全て弾け飛び、強化された第二形態へと変化する。体中から触手が生え、その先端は花のつぼみのような形状になっている。そこから腐敗をまき散らし、僕の周囲をその状態異常が発生する場所へと変えてしまう。ポコちゃんを近づかせられなかった理由がこれだ。
怪物の腹に穴が開き、僕はそこから外へ脱出した。怪物は悲鳴を上げながらボスエリアの角へと逃げ込んでいく。もう僕を攻撃する余裕もないようだ。ただ眼前に迫る死に怯え逃げ惑う、哀れな弱者がそこにいるだけだった。
「腐敗の威力は毒の3倍。秒間最大ライフの3%の割合ダメージを与える。お前の命はあと30秒もない」
「嫌だ、嫌だぁ!!」
「おじさんが見つけ出してくれたお前の弱点だ。状態異常の耐性を得るのに1分はかかるんだろ?もう終わりだよ」
「助けてぇ!神様ぁ!!」
怪物は情けない声を上げながら、ふっと無言になり、仰向けに倒れたまま動かなくなった。その巨体が薄くなり消滅していき、光の玉が浮かび上がる。その玉は最期に数回、まるで断末魔を上げるように激しく振動すると、ばりんと大きな音を出しながら砕け散った。
「ポコちゃん、無事だよね?」
「は、はい!」
僕は腐敗の放出を止め、ポコちゃんを呼んだ。よかった、なんとかこの子を守り抜けた。
「体は動くようになった?」
「……駄目です、動きません。ログアウトも出来ないままです……」
「まだ駄目なのか……」
「……なんか、変な音が聞こえませんか?」
怪物を倒し安心したのも束の間、僕達を別の脅威が襲い始めた。突然地鳴りが響き、僕達の周囲が崩壊し始めたのだ。空にはひび割れたガラスのように亀裂が入り、データの存在しないボイドが、点々と空間上に現れ始める。
僕は一つ先のエリア、山の上の城に目を向けてみた。ここから遠くを見れる構造になっていて助かったな。そこは壊れていく様子が見られない。このエリアだけが崩壊していることを確かめられた。
「ど、どうすればいいんです?」
「僕を倒すんだ」
「……なんで?」
「おそらくだけど、さっきの怪物がこのエリア近辺のゲームデータを破壊していたんだ。奴が倒れてもデータの破壊は進んでるみたいだね」
「それでなんで、キシさんを倒さないといけなくなるの?」
「データが壊れてるのはここだけ。次のエリアは無事みたいだ。そこへ行けばきみはログアウト出来るはず」
「じゃあ一緒に行けばいいでしょ……?」
一緒に行くのは不可能だ。僕だけなら壁をよじ登って、このエリアを脱出出来る。でもこの子はこの世界に完全に閉じ込められているわけではない。現実でまだ生きているんだ。魔術師を操作しているだけのプレイヤーなんだ。だからボスエリアの先に進む為には……。
「きみは僕を倒さないと、このエリアから、この世界から出られない」
「嫌だ」
明確な拒絶の意思。さっきおじさんが言った言葉を、この子は聞いてしまった。僕の正体がもうばれている。
「よく分かってないけど、キシさんも今のわたしみたいに、ゲームから出られなくなってるんでしょ……?」
「うん」
「じゃあキシさんを倒したら、そのまま死んじゃうってことでしょ!?」
「大丈夫、僕は死なないよ」
この世界は、魂を生かすか死なすか決める選別の場。おじさんの魂は砕けずに消え、怪物の魂は砕け散った。「誰かを救ってみせろ」だ。その条件を、僕はすでに満たしているはずだ。
「僕は現実世界でずっと意識不明になっているみたいでね。ポコちゃんが僕を倒してくれれば、目覚められるはずなんだ」
「そうだったの……?」
「だけど正直に言うよ。目覚めた僕がこの世界で起きたことを覚えているかは分からない。ポコちゃんのことを、忘れているかもしれない。覚えていたとしても、僕ときみが現実で会えることはないと思う」
「……これが、お別れなの……?」
「どうするべきかはポコちゃんが決めるんだ。これ以上は言わない」
数秒経って、嗚咽が聞こえてきた。この子の苦しみや悲しみが僕にも伝わってくる。この子は今日、友達のことで散々悩み苦しんだっていうのに、その上さらに別れを迫られている。きみともう会えなくなるのは僕だって悲しい。だけど僕はチュートリアルボスなんだ。きみを強くすること、成長させること。それが僕がこの世界に転生した意味なんだ。
信じてるよ。きみは僕を超えて、次の人生へ進んでくれるよね。
「……決めました。わたし、決めました。キシさんを倒します」
「うん」
「それに、絶対に親友に会いに行きます」
「うん」
ポコちゃんは杖を掲げたが、それを下ろし、僕の前まで歩いてきた。
「わたし、もう死ぬなんて言いません。だから約束してください」
「約束?」
「また会えるって、約束してください」
「……分かった。約束するよ」
『ぽこん』
……なんだ、今の音は?頭の中で、おかしな音が響いた気がする。それに今は別の音が、耳の横から聞こえている。ピッピッと、規則正しい電子音が鳴っている。
「……え、岸さん!?目が覚めましたか!?」
「はい……?」
「ま、待っててくださいね!先生を呼んできますから!」
白衣を着たおばさんが、僕の顔を見るなり素っ頓狂な声を出しながら走り去った。体が思うように動かないが、なんとか周囲の様子を見てみる。電子音が鳴っていたのは心電図だ。それに僕の腕から管が伸びていて……。どうやらここは、病院のようだ。僕はなんでここにいるのだろう。思い出せる最後の記憶は、市役所で意識を失って倒れたことだ。そのまま病院に運び込まれたということか。
……なにか、大切なことを忘れている気がする。でもそれがなにか分からない。大切なことを、誰かのことを……。それを思い出そうとしていると、お医者さんがやって来て、あれこれ質問やら検査やらを始めた。
「岸さん、意識はしっかりしていますか?」
「はい、全然大丈夫ですけど」
「あなたは1か月ほど、眠り続けていたんですよ」
信じられないが、僕はずっと意識を失っていたようだ。ただ過労で倒れただけのはずなのに、原因不明でずっと目覚めないまま。医者も半ば匙を投げていたようだ。1か月寝たきりになっていただけで、人間の体というものはずいぶんと弱ってしまうらしく、目覚めてすぐの頃はまともに歩くことすら出来ないほどに、筋力が衰えていた。色々と検査をした結果、体に異常は見られないということで、僕はすぐにリハビリを開始した。
入院生活中、この1か月の間に世間ではなにがあったのかネットで調べてみると、別段大したことは起きていなかった。僕が意識を失っている間も、世界は特に変化もなくいつも通りだったようだ。だがなぜか、目を引くニュースが2つあった。
まず居眠り運転で事故を起こしたトラック運転手のニュース。この運転手も僕のように、ずっと意識を失っていたが突然目覚めたらしい。警察の捜査で運送会社側に多大な労働法違反が発覚したらしく、運転手も無罪というわけにはいかないが、責任の大半は会社が取ることになったようだ。事故に巻き込まれた人もいたようだが、幸い軽症で済んだらしく、目覚めた運転手が謝罪に行き和解が成立したらしい。
次に小動物を虐待し、逮捕される間際に自殺を図った無職の男のニュース。こいつも意識不明のままだったらしいが、ある日容体が急変し、突然死したらしい。なにやらオカルトな話になるが、急激に体が腐り始め、とてつもない悲鳴を上げ、苦しみながら死んでいったとか……。なぜかこの2つのニュースにだけ目が留まったが、その理由は分からない。
そして退院する数日前、警察が僕のところへ来て、元恋人が逮捕されたことを教えてくれた。盗まれた預金通帳も戻ってきた。銀行がすぐに動いてくれていたようで、中の預金はほとんど無事だった。よかった、これから人生を再構築する為に、お金が必要になる。
僕は目覚めた瞬間から、なぜか自分の中で決めていたことがある。僕は市役所勤めを辞め、教師を目指す。学校の先生になるんだ。子供達に教え、相談に乗り、問題を抱えている子がいるなら、その子の為に出来る限りのことをしたい。なぜ突然こんなことを考えたのかは分からない。でもやらないといけない。それが自分の生きる意味、使命なんだという確信がある。意識を失っている間に、僕の中で一体なにが起きたのだろう。それをずっと思い出せないでいた……。
約1年の時が経ち、僕は教師になる為に教育学部に通いながら、家庭教師のアルバイトをしていた。元公務員という経歴が親御さんの目によく止まるようで、僕を指名してくれる人がけっこういた。
そして今日は新規のお客様のお家にやって来たのだが、その家はとんでもない豪邸だった。外観は洋風のお屋敷で、外から見ただけでも部屋が20はある。事前に聞いていた情報によると中々のエリート家系らしく、医者やら政治家やらを多数輩出しているらしい。僕を屋敷に招き入れてくれたのはお母様だった。上品だが厳格な雰囲気を漂わせていて、雑談なんて一切させない鋭い眼差しをしていた。怖い……。
一切会話を交わすことなくお子さんの部屋に通されたが、その子は留守にしていた。すぐに戻ってくるはずだから、ここで待っていてくれて構わないと言われ、僕はひとりでお子さんの帰りを待つことになった。ちょうどいい、人様の部屋を物色するのはよろしくないが、お子さんの人となりを知る為に少し見て回ろう。子供の性格に合わせ教え方を変えるのは大事なことだ。
これから教えることになるのは16歳の女の子だ。部屋はよく整理整頓されていて、生活環境に問題はなさそう。落ち着いた木製の家具で全体が統一されていて、この年頃の子にしては落ち着きすぎているという印象だ。
……だが、その中に不自然なものがある。部屋の中央に堂々と置かれたゲーム機だ。大きなゲーム用モニターに、ヘッドセットまである。あの厳しそうな親御さんが、子供にゲームを買い与えるとは思えないし、誰かからのプレゼントとかだろうか。
あと目についたのは机の上に置かれた写真だ。笑顔で写る女の子がふたり。そのうちのひとりは車椅子に乗っている。日付が入っていて、つい最近撮られたものだった。
「……ん、なんだこれ?」
ふとベッドの上、まくらの横に置いてあるものに気が付いた。そこにあったのは、騎士のような姿のキャラクターのフィギュアだった。体の半分だけ甲冑をつけていて、もう半分は腐ったような姿になっている。……なぜ、まくらもとにこれが?
毎晩このフィギュアと一緒に寝ているわけじゃあるまいし……。
「すみません、遅れてしまいまして!」
「あっ」
「え?」
まずい。この部屋の主の女の子が突然入ってきた。フィギュアを持っているところを、がっつり見られた。絶対怒られると思ったが、女の子の反応は意外にも友好的だった。
「そのキャラクター知ってますか?」
「ごめんね、全然分からないや」
「腐敗の騎士っていうんですよ」
お母様とは対照的に、女の子はとても快活で柔らかな雰囲気をしていた。身なりも整っていて清潔だし、何一つ問題のない子に思える。……だが、服の袖からわずかに見えた、リストカットの跡が気になる。最近の傷ではないな、ずっと前のものだ。僕達は床に対面して座って、勉強の前に少し雑談をすることにした。傷の詳細を聞くべきか判断しないと。
「そこの写真の子のリハビリに付き合ってて、遅れてしまいました」
「車椅子の子?」
「色々あって足が不自由なんです。でもそのうちまた歩けるようになるはずで、よくリハビリを手伝ってます」
「優しいね」
「いえ……。きっかけをくれた人のおかげです」
女の子はフィギュアのことも話してくれた。これは海外にしか売っていない限定品で、お兄さんに頼み込んで手に入れてもらったらしい。
「ダークネスナイト3っていうゲーム、知らないですか?」
「生まれてこのかた、ゲームはやったことなくて」
「そうなんですか……」
……なぜだろう。ゲームなんてしたことがないはずなのに、なぜかそのゲームを知っている気がする。ただの気のせいだと思うが……。女の子はフィギュアをずっと大事そうに握っている。けっこう怖い見た目のキャラクターなんだけど、かわいいものよりこういった系統のものが好きなのだろうか。
「そんなに好きなキャラクターなんだね」
「……好き、です。今でもずっと」
「限定品となると、けっこうな値段しそうだけど。お兄さんが買ってくれたの?」
「いえ、そこまでは迷惑かけられません。親に海外の参考書だと嘘をついてお金を出してもらいました。ずるいですよね……」
「あはは、そうなんだ。いや、いいと思うよ」
そういう図太い一面がある方が安心できる。真面目すぎる子は、受験のプレッシャーに押しつぶされてしまったりするし。それに……。
「人生の楽しみって、いかに利口に自分のわがままを押し通すか、みたいなところあると思うしね」
「……え?」
……どうしたのだろう。さっきまで笑顔だった女の子が、突然真顔になって僕を凝視している。
「……ぽこん」
女の子は唐突に腕を伸ばしてきて、僕の胸のあたりを軽く小突いてきた。
「ぽこん」
「……」
「ぽこん、ぽこん」
「……」
また、じっと僕の顔を凝視してきた。一分以上ただ黙って、僕を見つめていた。そしてなにかを諦めたような悲し気な眼差しになり、僕から目をそむけた。
「……ごめんなさい、変なことして。……勉強を始めましょう」
「そうだね。でもその前に聞いておくけど」
「……なんでしょう?」
「ポコちゃん、ダークネスナイト3はクリア出来たのかい?」
おわり




