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泥と鉄と、俺の意思(決着)

泥がまとわりつく。

足も腕も喉も――逃げ道を潰すように、冷たく重く絡みつく。


「……ッぐ……は……!」


息ができない。肺が焼けるように痛い。胸の奥の魔石が、暴れている。


アヤトの身体はダメージを受けると回復するが、今のそれは毒にもなっていた。回復のたびに体力が削られ、徐々に力が抜けていく。


(まずい……このままだと……)


「ハァ……ハァ……死にかけてんじゃねぇか……情けねぇなぁ!」


ストーカー男の声が、雨の夜に響く。いや、“男”というより、腐った執着の塊だ。


「リナは……天使なんだ……オマエなんかに触らせない……ボクだけが守る……ボクだけが理解してる……!」


男の背後で、黒い泥が触手のようにうねる。

その一つが鞭のように軋り、俺の脇腹に叩きつけられた。


ドスッ!!


「ぐッ……がぁっ!」


肋骨が軋む。視界が白く弾ける。だが――俺は鉄の棒を握っていた。


この世界の魔法なんて知らない。才能も血筋もない。持っているのは――痛みと、折れない意思だけだ。


(立て……立て……!死んでたまるか……!)


泥に沈みかけた脚を、歯を食いしばって引き抜いた。血と泥が混ざり、視界は霞む。けれど、前だけは見える。


「……リナは、お前のものじゃねぇ」


「黙れェェェェ!!」


泥の腕が四方から襲いかかる。殴られ、締め付けられ、叩き落とされる。骨が、筋肉が、悲鳴を上げる。


だが胸の中で暴れる魔石が、何度も身体を無理やり再生させる。

治るたびに、確かに体力が削られる。回復は便利でもなく、むしろ命の残量を削る作業だった。


「お前は……何にも知らないんだよ……!」


男が叫ぶ。狂気じみた声だが、目は泣いていた。


「リナは優しかったんだ……ボクみたいなゴミにも話しかけてくれた……笑ってくれたんだ!」


泥が震える。雨が強まり、街灯の光が滲む。


「でも……あいつの親友がボクを笑ったんだ……バカにしたんだ……!

リナが止めようとして……それで……歩けなくなってしまったんだ!」


男の目から滝のような涙が流れていた。嘘ではないと分かる。リナは人を見捨てない。優しさゆえに、地獄を見るタイプだ。こいつは――「守りたい」という気持ちで歪んでしまった。


だが俺には言わねばならないことがある。


「……っ、だからって……」


俺は鉄の棒を杖代わりにし、ゆっくりと立ち上がった。握りしめる手に力を込める。


「リナを弱い存在として見るんじゃない。あいつは、歩けなくても強かった。てめぇは見てたはずだろ?あの剣が並ぶ部屋を!」


泥の槍が、俺の胸に向かって伸びる。


「死ねェェェェ!!!」


「――お前は弱い。なぜなら、守ったことがないからだ。だから“守る”方法を知らないんだ!」


全身の力を込め、踏み込む。泥が裂け、脚が悲鳴を上げる。それでも前に進み、鉄の棒を振り上げる。


「うおおおおおおお!!!」


ガァン――!!!!!


鈍い破裂音。骨が砕けるような気配。鉄の棒が男の頭を強烈に叩きつけられた。泥が一気に崩れ落ちる。


男は膝から崩れ、泥の上に横たわる。


「ボクは……守りたかっただけなのに……」


「分かってるよ」


俺は荒い息を吐きながら、倒れた男を見下ろした。


「お前の気持ちが全部間違いだとは思わない」


男の肩が微かに震える。だが、俺は続ける。


ドスッ――!!!


拳を振り抜き、男の顔面を殴った。

血が滲む拳を見つめる。冷たい雨が顔にかかる。


「守るってのは、観察することじゃねぇ。

隣に立つことだ。苦しいときは一緒に痛がり、泣くときは隣で泣く。そういうものだろ」


男は声も出せず、ただ震えながら涙を流した。惨めというより、ただただ哀しかった。


「リナは優しい。だからお前を忘れはしない。だが、これ以上誰かを傷つけるんじゃない。もう一回一からやり直せ。もし同じことをしたら、そのときは覚えとけ」


雨が降り続き、泥と血と水が地面に流れていく。


――そういえば、俺、私服一着しか持ってなかったな。


俺は鉄の棒を杖のようにしながら帰宅した。

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