表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/20

泥と嫉妬と鉄の意志

一旦、俺は家に帰ることにした。

今の会社を辞めないといけないからだ。

まあ――退職代行を使う予定だけど。


「……あれ高いんだよな。金無いのに」


皮肉な笑いを漏らしつつ、濡れた夜の道を歩く。


リナの部屋を出た今も、まだ胸の奥で熱が脈打っていた。

心臓じゃない。魔石だ。


ドクン。ドクン。

人間のリズムじゃない、何かの鼓動。


「……くそ。普通でいたいだけなのに」


普通じゃない自分を、普通だと誤魔化すにはもう遅い。


その時だった。


「オトォォォ……こォォ……」


背中に、湿った声が絡みついた。


振り返る。


雨の中、男が立っていた。

脂っぽい体型。湿った土と甘ったるい香水が混ざった異臭。

ギラついた目。血走って、焦点がどこにも合っていない。


「リナ……どこだ……?」


……誰だコイツ。


「悪い。俺は帰るとこだ。営業なら別の日にしてくれ」


振り返り歩き出す――その瞬間、


「みたぁ……ぜんぶ、みたァ……キス、してたよなァ……!?あいつは……ボクの天使なのに……なんでオマエなんだよぉッ!!」


男の叫びが弾けた。

雨粒が破裂したみたいに散る。


空気が、変わった。


地面が――溶けた。


いや、沼になった。


足が沈む。

冷たく、ヌメっとした泥が足首に絡みついた。


「なっ……!」


男の口角が裂けるように上がる。狂気の笑顔。


「リナは天使……ボクは毎日見てた……夜も……ずっと……守ってたんだ……」


守ってた、じゃねぇ。盗撮だ。


背筋に冷たいものが這う。


「てめぇ……変態野郎が……!」


「リナはボクのものだぁぁ!!」


泥が蠢く。

腕の形をとり、無数に伸び、蛇のように俺に絡む。


ドガッ!


泥の拳が腹を殴り、膝が折れる。

肺の空気が一気に抜けた。


「ぐっ……!」


胸の魔石が暴れる。

だが、魔法なんて使えない。


「沈め……苦しめ……死にかけたリナを慰めるのは……ボクなんだ……」


終わってる。頭も価値観も全部腐ってる。


泥が首に巻き付き、締め付ける。


息が……できない。


(やべぇ……!)


視界が歪む。

雨と泥で顔がぐしゃぐしゃになった。


男はうっとりとした目で俺を見下ろす。


「愛って……こういうことだろ……?ねぇ……」


どこがだ、ボケ。


頭の奥で何かが切れた。


「……それで守ってるつもりかよ……?」


「ボクだけが……リナを理解してるんだアアア!!」


狂気の声が夜に響く。


俺は泥の中でもがき、腕を動かす。

指先が、固い何かに触れた。


鉄の……棒。


多分、工事用のやつだ。偶然か?運命か?

どっちでもいい。


(俺には……魔法はいらねぇ)


胸が熱くなり、泥の束縛が軋む。

ギリギリと筋肉が捻じ切れそうになる感覚。


腕が、抜けた。


鉄棒を握る。

雨の冷たさが手のひらを痺れさせる。


顔を上げる。視界は泥だらけ。

でも、敵だけははっきり見える。


「……俺の邪魔すんな」


声が低く濁る。

男がピクリと震えた。


「なにそれ……棒?ハッ……魔法も使えないのに……笑わせるなよ……!」


「十分だ。魔法なくても――」


俺は泥を蹴り、立ち上がる。


「俺は、俺の手で守る」


雷鳴が空を裂いた。

鉄棒に稲光が反射し、男の顔が青白く照らされる。


次の瞬間。


泥を切り裂いて、一歩踏み出した。


この世界に魔法がなくても。

心臓が魔石でも。

誰に何と言われようが。


俺は――折れない。


鉄棒を握りしめ、牙を剥いた。

もし、よろしければ評価やブックマーク等、よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ