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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あの日、あの時に、あったこと

作者: ぐれいす

今日で父の死から49日が経つ。

あのときの色を忘れないため備忘録を兼ねて当時書き留めた文章をここに記す。

もしこの文章を読む人がいれば心に留めて欲しい。

家族や友人、恋人など大切な人は生きているうちに大切にしてほしい。

死んでしまっては文句のひとつ言えやしない。


以下はあの日の出来事をその日の夜に書いた生の文章である。

一部個人情報や誤字を修正する以外は原文のままで記載している。



あれは暑い夏の出来事だった

忘れもしない、7/28

月曜日

卒業研究の中間発表があり気合いを入れて朝支度をしていた

憂鬱な気分はもちろんあったが、性格上とくに緊張をすることはなくやるべきことはやったためそこまでプレッシャーではなかった

しかしいかんせん前期に研究室に行くことがあまりできず担当の教授を怒らせたため毎日しっかり研究室に行くようにしていた

ちょうど夏休みが始まったタイミングでもあり1ヶ月後には大学院の院試もあったため今後のスケジュールに鬱屈となりながらもどうにかやっていこうと気持ちを整理していた

大学と同じ地域に勤務地がある母と一緒に車で来たあと駐車場に車を停めて大学へ向かった

お互い週始まりの月曜に対し気持ちをためていた

9時前に大学へつき、教授に挨拶をしたあと自分の席へついた

卒業研究の発表資料はすでに完成して提出していたためとくにやることはなかった

院試にむけてプレゼン資料の作成をしていた

発表は15時からとかなり時間があったため結構暇だった

院試の作業も1文作ってはスマホを10分眺めるの繰り返しで牛歩だったためのらりくらりとやっていた

来月には友達との旅行と遠距離で交際している彼女とのデートを控えていたためそれらの予定を組む作業なども交え作業を行っていた

10時半ごろになりお腹がすきはじめた

朝は基本的ヨーグルトと果物を食べているためすぐにお腹がすく

最近大学の近くにできたラーメン屋の夏限定メニューである冷やしラーメンを食べに行こうか悩んでいた

これから発表なのにラーメンをすすって知るがシャツにはねでもしたら大惨事じゃないか

いやでも私は一時期週10でラーメンをすするくらいラーメンプロフェッショナルだから大丈夫じゃないか

そんな下らない悩みをしながらとりあえず大学を出るかと席を立った

自作の「食事中」の札を席に立て研究室をあとにした

夏の昼間にしては意外と暑くなく湿気が少なかったため日傘をさせばそこまで苦しくない天候だった

大学を出てさぁ飯をどうしようかと歩みを進めていた

そのときだった

突然知らない電話番号から電話がかかってきたのである

知らない番号は調べてから出るようにしているためネットで探すと父の勤め先がヒットした

電話に出ると窪田(仮称)という方が出た

「私株式会社肉流通センター(仮称)の窪田と申します。高橋部長(仮称)の息子様でお間違いないでしょうか」

「はい、高橋です。父がいつもお世話になっております」

「はい、ありがとうございます。突然の連絡で申し訳ないのですが、本日お父様が会社にお見えになられていなくて」

「はぁ」

「電話などしたんですけれども連絡がつかない状況でして、調べた結果ご自宅で亡くなられていることがわかりました」

連絡がない、そう聞いた瞬間何をしているんだと思った。

どうせ日曜に大好きな酒をたくさん飲んで特大の寝坊をかましているのだろうと思った

しかしそうではなかった

死んでいたのだ

私は瞬間、何が起こったか理解できなかった

電話の向こうの人が言っていることが理解できなかったのだ

いや、脳に言葉の意味が伝わらなかったのだ

「もしもし、聞こえておりますでしょうか」

「あ、はい、大丈夫です、はい」

「あ、ありがとうございます。それでですね、今ご自宅付近に警察や救急車などが来ているらしいので向かっていただけますか」

「わ、かりました。ありがとうございます」

「はい、よろしくお願いします、失礼します」

きびすを返した

頭が理解する前に脚が動いていた

私は見えっ張りなため発表など人前にたつときはなるべく身なりをきれいにするようにしている

その日も例外ではなかった

おめかしした服装にきれいな靴をこしらえていた

しかしこの靴がブランドの贋作で見た目はいいが生地が薄く歩くと足がいたくてしょうがないものだった

だがそんなことはもはや関係なかった

気づけばベタンベタンと地面をならし研究室へかける自分がいた

教授に話をした

「すみません、今緊急事態がありまして、その、父が、父が、あの」

「どうしたんだ、落ち着きなさい、何がった」

「父が、しんじゃってぇ!」

何を言っているんだろう自分は

なぜ自分がこんな言葉を口にしているか不思議でならなかった

「わかった、今すぐいきなさい、卒研のほうはこっちでなんとでもする」

「ありがとうございます、すみません、すみません」

私は再び研究室をあとにした

歩道に飛び出し駅まで全速力で走った

母の勤め先は大学から近く、バスで10分程度のところだ

バス停につき待っている間涙が溢れて仕方がなかった

それまで逆に冷静なまであったが教授に自分がなんて言ったかを思い出すと現実が少しずつ脳に染み込んできた

とにかく私は大人として果たさなければならない、やらねばならないことはなにかと考え行動した

まずは父方の実家へ電話をした

伝えなければならないと思ったからだ

いや、もしかしたら私が話を聞いてほしかったのかもしれない

「もしもし、おばあちゃんだよ、久しぶり」

「あ、おばあちゃん、概論です。お元気ですか?」

「うん元気だよ、どうしたの」

「あの、ごめんなさい、本当に申し訳ないんですけど」

「う、うんどうした」

「ごめんなさい、本当に、私の口からこんなこと言うなんて、本当に」

「どうしたの、どうしたの」

「ごめんなさい、あの、お父さんが」

「うん、父がどうしたの」

「お父さんが、死んじゃっで!」

「何?死んだ?誰が、父が?」

「っ、はい、っ!」

「えぇっ!?本当?」

「はい、ごめんなさい、ごめんなさい、ちょっと自分でもどうづればいいかわかんなくて、とりあえず今私は大学いて、さっき電話かかってきて会社から連絡つかないから調べたら自宅で死んでるってきて、今お母さんすぐ近くいけるからとりあえずお母さんとこいって家のほう向かいます」

「うん、うん、わかった。とりあえずおばあちゃんいつでも動けるようにしとくから、こっち連絡回すから。またわかったことあったら連絡して」

「はい、すみません、お願いします」

今後のことを考えると頼る他なかった

母は外国人なため日本の法律や税金などは詳しくない

また、社会的にも不安定な立場であることはちがいない

いくら私が頑張ろうと限界がある

とにかく頼れる筋に先に連絡をしておいたほうがいいと判断した


バスがきて乗り込んだ

平日の昼前だからかすいていた

私は座席に座った

瞬間、脳内にさまざまな思いがめぐった

父は体重140kgの極度の肥満だった

どうせ肥満で高血圧だから急性心不全とかで死んだんだろう

死因はいくらでも思い付く

しかしそんなことより私はいの一番に思ったのは申し訳ないということだ

私は少年時代、とても人様に顔向けできないクソガキだった

学校ではしょっちゅう問題をおこし親に悪態をついてはひねくれた思想でわがままをこねていた

両親と中高の優れた教育によりある程度胸を張って生きていられるようになったと自負しているがまだまだ子供だとも自負している

大人として責任をもって生きるように努めていた

だからこそ、大学を出て大学院で修士課程を修めたのち、立派な企業ないし社会人の一員として成長した暁にはかつての親不孝を詫びて孝行に尽くそうと考えていた

趣味で始めた料理で父の好きなラーメンを振る舞ったり、昔父からパクってしまった5万円をお金をためて10倍の50万円にして返して旅行につれてってあげたりしてやりたかった

しかし時はすでに遅かった

親孝行は思ったそのときに行動しなければならなかったのだ

尊大な返礼をせずともよかったのだ

しょぼいスープのラーメンを食べさせ、200円でも使って缶コーヒーのひとつくらいあげてやればよかったんだ

あとからあとからとしていては何もできなかった

私は父の訃報をきいて真っ先に後悔した

ありきたりな言葉になるが、親は生きているうちに大切にすべきだ


母の勤め先につくと私は猛ダッシュでビルを駆け上がった

普段のバイトも母の職場で行っていたため道はなれていた

控え室に入り爆速で作業着を奪取しエレベーターに駆け込んだ

いつもの清掃のおばちゃんが心配げにこちらを見ていたのを覚えている

現場につくと靴をはきかえるまでもなく裸足で入った

母のもとへかけより落ち着いて事態を説明した

ここは仕事行う大人の現場

私のような子供が泣きっ面で場をかきみだしてはいけないのだ

現場のすみのほうへ母を寄せ、震える体をおさえ話した

「お父さんが、死んじまった」

「は?……誰がしんだ?」

「お父さんが……!」

「……わかった、ちょっとまって、控え室で待ってて」

母はしばらく立ち尽くしたあとそう言った

私はシフト外のため早々に現場を立ち去った

しかしながらその様子をみていた周りのひとはきっと困惑していただろう

申し訳ないことをした

控え室へ戻りしばらくすると母がやってきた

先に荷物をまとめていたため母が着替えたのちすぐに出発した

駐車場へ向かう途中改めて事態を確認した

本当に父が亡くなったこと、会社から連絡がきたこと、大学はとりあえず大丈夫だということ

必要なことを伝えた

会社から駐車場までは5分程度歩く

途中、母は号泣した

「何にもしてやれなかったのに!」

父は別居していた

140kgという特大肥満な体たらくを10年以上どうにかする様子をみせない父に呆れた母は体重が100kgを切るまで別居という強行手段に出た

(しかしこの裏にはあまりよそには言えない理由もあることをあとから私は知った)

これは家庭内の問題のためとくに私は問題ないと思った

事実、幼少期から父は少々理不尽な点がありそれでいて自らの失態は認めない性格であったため私自身嫌煙していた部分もあった

それでも週に一度程度は会って話すことがありそれなりに関係は悪くなかった

しかし、この状況がよくなかった

父が亡くなったことも悲しいが、何より母の肩身を思うと母がかわいそうで仕方がない

家族である夫を家から追い出し狭く暑いワンルームのアパートに閉じ込めたあげく、誰にも看取られることなく孤独に苦しみながら死んでいった

対外的にはこう受け取られても仕方がないのだ

こうなっては義両親(父の両親)へなんと説明すればいいか

母は自分が父を殺したものだと強く責めていた

当然、私はそうは思わなかったが私にはなんと言葉をかけてやればいいかわからなかった

そんなことない、お母さんは悪くない、そういってやりたかった

しかしそんな言葉は何も意味がないのは自明だった

私は何もできなかった

ただ母の肩に手を添えることしかできなかった

真夏の日差しが照りつく中、暑さなど気にも止めず私と母はぴたりとくっつき並んで歩いた

自分が母に残された唯一の肉親であること、これから母のそばにいてやれるのは私だけであることをすでに自覚していた

バスで勤め先に来る十分間、私はできる限りを思考を巡らせ覚悟を決めていた

母を支えられるのは私だけであること

日本人で成人している私が責任を持っていかなければならないこと

母は当然大人ではあるが、普段から無理をして頑張っている、中身は未だ幼い少女であること

私はすべてわかっていた

駐車場につくと母が運転をしようとしたため私がやると言った

しかし、母はこれを拒否し半ば強引に運転をした

母なりに大人の姿をみせようとしたのだろう

自らの責務を、責任を


父の住んでいた家についたのは12時半頃のことだった

まわりにパトカーなどはおらず閑散としていたため何かの間違いではないかと思ってしまった

しかしやはり現実は残酷だった

階段を上がるとそこには警察官や不動産会社の人がいた

「あの、すみません」

「はい、あぁ、ご遺族の方ですか」

私は無性に腹が立った

遺族?誰が?もう一度言ってみろ

「今ですね、ご遺体のほう運び終わってお部屋の清掃などもできている状況でして」

警察官の人が何か言っているが頭に入らなかった

というわけにはいかない

私は覚悟を決めてきたのだ

遺族や遺体とはばかりなく言われたことに腹が立ちつつも冷静さを欠かすことなくメモをとった

今後行うこと、部屋の確認や警察署への同行、葬儀屋の手配などやるべきことをまとめた

その後警察官の話が終わると部屋の鍵を渡された

これで中を見てこいとのことらしい

母と一緒に見ることにした

警察官の方々は話が終わると早々に立ち去った

きっと他にもやらなければならないことがたくさんあるだろう

お勤めご苦労様です

部屋の扉を開けると、日常だった

私は何度か別居する父の家に行ったことがあり散乱した部屋の様子は見慣れていた

ただひとつ違うのはテーブルの周りに血溜りがあったことだった

母はまだ気を落ち着かせていたのか部屋の外で立ち尽くしていた

私は部屋に入りまず目に入ったのは血がこびりついた布団だった

それから血が吹きかかったテーブル、黒く変色した床の血溜り

なんと凄惨なことか

私は思わず母が部屋に入るのを妨げてしまった

玄関に少しだけ入らせ軽く様子をみさせた

なるべくしっかり目に写らないよう私は母を隠すよう立ってしまった

玄関横には財布やスマホなど貴重品が置いてあり、これは持ち帰ってほしいとのことだった

一通り確認して部屋をあとにした

すると不動産会社の人から声をかけられた

契約について処分しないといけないから落ち着いてから話をしてほしいとのことだった

余計な話しはせず必要なことだけを伝えてくれたため助かった

私と母は部屋をあとにし、自宅へ向かった

母は強く泣き、とても運転できる状態ではなかった

本人はすると言っていたが今度は私が強引に運転した

家へつくと朝となにも変わらず涼しい空間が待っていた

父の部屋とは真逆だった

とりあえず荷物を整理し、テーブルにつく

母は号泣した

私はただ母を抱き締めることしかできなかった




この後は父方の両親や父の兄妹親族が我が家にやって来て今後のことについて話し合った。

しかしこの日はひどく疲れており書き留められたのはここまでである。

本投稿はこれにて終末とする。

再三言うが親は生きているうちに大切にせよ。

あとからでは遅い。

親とは自分の子供の些細な気遣いすらまるで子供が生まれてきたときのように喜ぶものだ。

好きなお菓子をあげる、一緒に買い物に出かける、感謝の言葉ひとつを伝える。

些細なことで構わない、とにかく生きているうちにできることをすべきだ。

誰もまさか今日親の訃報が入るとは思わない。

それは突然訪れるのだ。

後悔とはいつだってあとからするものだ。

当たり前か。



追記:

葬儀の約1ヶ月後、母の誕生日があったのだがその日の夜に見た夢に父が現れた。

火葬の際に棺にいれた新品の黒の半ズボンと白のポロシャツを着ていた。

父の現れる夢は頻繁に見ていたが、あの夢に限っては間違いなく父本人だった。

根拠はないがそんな自信が起こる程なにかを感じた。

ぶっちゃけ何を話したかなど覚えていないがどこか満足そうだったのを覚えている。

まぁ、見守っててくれや。

あとスマホのパスワードそろそろ教えて欲しい。頼む。

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