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⑤鉄壁の守りを誇るテーバイ城を、たった二人で攻略するアルテミスとアポロン姉弟。彼らの圧倒的な戦力を、女王ニオベは目の当たりにする

砂塵を巻き上げながら押し寄せた衝撃波は、

まるで怒れる神の咆哮のように、堅牢を誇るテーバイ城を激しく揺さぶった。

石造りの壁が軋み、天井の飾りが落下するなか、城内には緊急警戒の号令が鳴り響く。

その混乱の中で指揮を執っていたのは、国王不在の間、政務を預かる女王ニオベであった。

懸命に布陣を整えてきた彼女のもとに、血相を変えた上級兵が駆け込んでくる。


「女王陛下、大変です! 城門が……突破されました!」


ニオベは一瞬、聞き間違いかと思った。

報告の意味を理解できず、息を呑む。


「なんですって? 我がテーバイの防御は、鉄壁のはずよ。

どれほどの軍勢が攻め入ってきたのです?」


兵士は顔面蒼白のまま、信じがたい言葉を絞り出した。


「軍勢ではありません。たった、二人の若者です」


ニオベの瞳が大きく見開かれた。


「二人だと? 二人だけで……? 我が国の誇る防衛線を、そんな馬鹿な……」


「信じ難いことですが、事実です。矢も槍も通じません。

門は蹴破られ、城壁は音を立てて崩れました。人ではありません、あれは化け物です」


兵士の声が震える。

言葉に宿るのは、戦場を知る者の恐怖そのものだった。


「このままでは、王宮も時間の問題です。どうか女王陛下、ご決断を。

今すぐ離脱し、国王軍と合流を」


王の広間に立つニオベの顔から、色が失われた。

唇を震わせながらニオベは問う。


「信じられない……そんな兵士がいるだなんて。一体どこの国の兵なの?」


女王ニオベの言葉が、厳かな謁見の間に静かに響いた。

煌々たる燭台の光が天井の金装飾を照らす中、扉の向こうから、まるで幻影のように現れたのは、

一人の若い女だった。


風が吹き込んだかのように長い銀髪がふわりと舞い上がる。

肩に弓を下げた彼女の姿は、戦士というよりオルケストラに立つ舞台女優のようだった。

気高さと美しさが混ざり合い、まるでそこだけ世界の色彩が変わったように見える。

アルテミスは歩みを止めると、玉座の前で微笑みながらニオベの問いに答える。


「神の国よ」


声は柔らかかったが、その奥に含まれる威圧は、まるで鉄でできた絹のようだった。

その背後には、青年が付き従う。


アポロン。

美しさと残酷さを兼ね備えた神の姿があった。

彼の視線は絶えず空間を走査し、わずかな気配すらも見逃すまいとしていた。

金色の髪が燭光に照らされ、冷徹な眼差しが兵士を貫いている。


上級兵は、侵入者の姿を認めるやいなや鋭く剣を抜き、

訓練に裏打ちされた流れるような動作で突撃した。

しかし、その動きは、神の矢を前にしてあまりに遅すぎた。


アポロンが弓を引く仕草に力みは一切ない。

まるで呼吸するように自然で、芸術的な動作だった。

放たれた一矢が兵士の額に突き立つ。

その瞬間、時間が止まったかのようだった。


続いて、激しい音と共に兵士の頭部が後ろから破裂する。

後頭部から吹き飛んだ脳漿と骨片、熱を帯びた鮮血が弧を描き、テーバイ国女王の頭上に降り注ぐ。

ニオベの呼吸が止まる。


彼女の頬を兵士の生温かい血が流れ落ちる。

夫と共に築き上げたこの国の象徴である城の中で、最も神聖なこの謁見の間が、血で穢されていた。

その様子を目にしたアルテミスは、

満面の笑みを浮かべながら、まるで侍女に香水の提案でもするような口調で言う。


「あらあら、見事に被ったわね。……しばらくは、その匂い、取れないわ。

良ければ、神々の石鹸シャボンを都合してあげる。ええ、きっと素敵な香りよ。

脳漿と血の混ざり合った香りなんて、そうそう手に入らないでしょう?」


その声は優雅で、そしてぞっとするほど残酷だった。

アルテミスは微笑みを浮かべたまま、ニオベの瞳の奥にある魂を覗き込むように見つめた。

そこに、慈悲は一片もなかった。

ニオベは、凍りついたように動けなかった。


「アルテミス、アポロン……どうして、ここに?」


崩れ落ちそうな足元を引きずりながら、それでもニオベは気高さを装った。

アルテミスは氷のような声音で言い放った。


「その問いは愚かすぎるわ。理由は、あなた自身が一番よく知っているでしょう? 

私たちの母に、あなたが何をしたのかを」


その一言は、ナイフのようにニオベの心をえぐった。

瞬間、彼女の内面に封じていた罪の意識が堰を切ったように溢れ出し、

目の前の神々の姿が見るに堪えぬものへと変わる。

あれほど誇り高かった自分が、今ではただの獲物にすぎないという現実が、彼女の呼吸を浅くさせる。


「……っ」


ニオベは返す言葉もなく、履き物を脱ぎ棄てて逃げ出した。

冷たい石が素足に痛いが、少しでも足音を立てずに走るためには仕方がない。

有能な狩人に狙われた女王は、迷宮のように入り組んだ回廊を駆け抜けた。

月明かりが差し込む窓の格子が床に影を落とし、それが追ってくる神々のように見えて、

ニオベは思わず背後を振り返る。

誰もいないが、足音は確かに近づいていた。


心臓が耳の奥で鳴る。

喉が焼けつくように乾く。

それでも、ニオベは足を止めなかった。

彼女には、たった一つの希望があったから。


その先に待っていた広間。

高い天井には燭台が吊るされ、松明の炎が武具を鈍く照らしている。

その中央に、まるで彫像のように整然と立ち並ぶ七人の若者たちが居た。


どの顔も真っ直ぐに前を見据え、わずかな怯えすら見せていない。

彼らはニオベの誇り、そして最後の砦だった。

黄金の兜をかぶり、胸当てに王国の紋章を輝かせ、鋭い剣と重厚な盾を手にしたその姿は、

人間の域を超えた威容すら感じさせた。


「お前たち……!」


7人の息子たちの姿を見つけて、ニオベは思わず声を上げた。

恐怖に凍てついていた心に、熱が戻る。

ゼウスの孫たちが、一糸乱れぬ戦闘隊形を作る。


「化け物は、我らが成敗いたします。母上は、奥の部屋に避難してください」


力強い声に頷き、ニオベは息子たちにこの場を託して、娘たちの元に向かう。

ニオベが廊下の奥に消えると同時に、威圧的な気配が、空気をねじ曲げながら広間へと侵入してくる。

アルテミスとアポロン。

二人の神が、ついに姿を現した。


光を纏ったようなアポロンの静謐な気配と、月影を引きずるようなアルテミスの殺気が、重く場を覆う。

人間なら、その気配だけで膝を折っただろう。

だが、七人の兄弟は陣形を維持したまま、微動だにしなかった。

彼らもまた、誇りと怒りの中に立っていた。


広間に入ったアルテミスが、まっすぐに兄弟たちを見つめる。

その目が細まり、唇がわずかに釣り上がる。


「……ふうん。これまでの兵士とは、一味違うってことね」


吐き捨てるようにそう言った彼女の声は、どこか嬉しげだった。

その言葉の直後、アルテミスは目の前の獲物を楽しむように、ゆっくりと唇を舐める。

それは永遠の処女に似つかわしくない、ひどく淫靡な仕草だった。


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