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最終話

 優しい風が吹いて、とても心地良い天気。住宅地から離れた丘の上の霊園は、少し歩けばハイキングコースもあるような明るい場所にあった。手前で見かけた公園に象さんの形の滑り台があったのを見つけ、陽太が車の窓を叩いて興奮し始める。


「うん、後でね。パパに会いに行ってから、遊びに行ってみようね」


 チャイルドシートに座っている息子の額の汗をタオルで拭いてあげながら、優香は窓の外を眩し気に目を細めて眺める。陽太が外遊びしたがるのも理解できる、よく晴れた午後。視線を車内に移せば、後部座席からは運転席に座る宏樹の横顔が、優しい笑みを浮かべているのがよく見えた。


 石橋家の墓へ初めて来たのは、大輝と籍を入れる前だった。早くに亡くなったという彼の父へ婚約の報告に来た時だ。あの日は今日みたいな快晴でなくて、じっとりと重く灰色の雲が空を覆っていた。けれど、丘の上からの見晴らしがあまりにも良くて、彼ら家族が父親の為にここに墓を建てた理由が一瞬で理解できた。墓地なのに、とても素敵なところだと思ったことをよく覚えている。


 駐車場で車を降りると、宏樹は片手で陽太のことを抱き上げる。そして、まだ場所がうろ覚えな優香のことを、反対の手で引きながら墓の場所へと歩き始めた。さすがに宏樹は子供の頃から何度も来ているだけあり、その進路に迷いはない――のかと思いきや、途中で「あれ?」と首を傾げる仕草をする。記憶にある風景と何だか少し違っているらしく、キョロキョロと霊園内を見回している。


「しばらく来てなかったら、随分と新しいお墓が増えてるね……あ、あった。あれだ!」


 区画が追加されて以前よりもさらに広くなった霊園だったが、いつも目印にしていた大木はそのまま残されていたようだ。その木が植わっている場所から三つ目が石橋の家の墓石だ。いつの間にかお隣の墓石が新しくなっていたから、この木が無くなっていたら、見つけるのに苦労しただろう。墓なんて遠目からは区別がつかない。

 そこから見下ろすように、静かに流れる小川と田園の光景が丘の下には広がっている。


 風化のせいか艶の消えた御影石の側面には、大輝と並んで義父の名前と没日が彫り込まれている。義父の名は少し読みにくくなってきているが、大輝のはまだまだ新しくて――

 周辺の草を抜き、枯れた花を抜き取って墓石の砂埃を洗い流すと、持って来た新しい花と煙が立ち上る線香を供え直す。


 手際よく墓を整えていく優香のことを、宏樹は陽太を抱っこしてあやしながら、穏やかな笑顔を浮かべて見守っていた。一緒に掃除するつもりでいたみたいだけれど、陽太を降ろすとどこへ行ってしまうか分からない。こんな石だけの中でコケたら大怪我してしまうだろうし、抱っこして捕まえてくれている方がよっぽど助かる。駆け回りたくてウズウズし始める陽太の気を、肩車したりして必死で逸らし続けてくれていた。


「優香ちゃん、ありがとう」

「ううん、ちょっと前にお義母さんもお参りされたっておっしゃってたから、全然荒れてなかったね」


 処分するゴミを隅っこにまとめてから、優香は墓に向かって静かに両手を合わせる。ここに宏樹と陽太と三人だけで来たことを、大輝と義父はどう思っているのだろうか。

 亡くなった人の本心を知ることはできない。でも、きっと分かってくれていると信じている。それは生きている人間の都合の良い考えでしかないのかもしれないが……

 宏樹も陽太を地面へと下ろして、その小さな手の平を合わせさせ、その上に自分の手を重ねている。されるがままの陽太は目の前にある墓石を見上げ、優香が供えたばかりの花と線香を何だかよく分からないという表情で眺めていた。ここに父親が眠っているなんて言ってもまだ何も理解できないはずだ。それでもこの場所のことは、記憶の片隅にでも残しておいて欲しいと願わずにはいられない。


「いつかまた兄貴と会う時までに、優香ちゃんのことを取り戻される心配がないくらい、しっかり頑張るからね、俺」

「えー、宏樹君は今のままで十分だよ」

「ううん、まだ兄貴には追い付いてもいないよ。簡単に奪い返されてしまう自信がある」


 あの世でヨリを戻されるのだけは勘弁と、宏樹が揶揄うように笑っている。

 優香は改めてもう一度、墓石に向かって静かに両手を合わせる。「もう大丈夫だから、心配しないでね」と心の中で呟きながら。この想いが彼に伝わると信じて。


 墓石の間を、優しい風が吹き抜けていく。


 ――完――

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