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第三十七話・迷い3

 夕ご飯を食べ終わると、宏樹は引き続き陽太の遊び相手になってくれていた。リビングの床に広げられたブロックがガチャガチャと派手な音を立てているのを背後に聞きながら、優香はキッチンで洗い物に取り掛かる。

 「薄かったら適当に足してね」と醤油やソースをテーブルの上に用意していたが、宏樹はそれには一切手を出さず、「そのままで美味しいよ」と言って出された物を完食していた。いつもはすぐに椅子から立ち上がったりと落ち着かない陽太も、宏樹から褒めて貰いたい一心なのか、パクパクと大きな口を開けてご機嫌に食べていた。こんなにスムーズな食事は久しぶりだ。


 普段ならキッチンに立っている時も陽太のことが気になって何度も振り返って確認しながらなのに、今日は宏樹が見ていてくれるから気にせず片付けに集中できる。一人じゃないっていうのはこんなにもたくさんの安心を得られるものなのかと、改めて実感し驚いていた。


「陽太、今日は良かったねー。宏樹君に沢山遊んで貰えて」

「あ、片付けるの何も手伝わなくて、ごめん」


 リビングに戻ってきた優香に、宏樹が申し訳なさそうに謝ってくる。それには優香が「ううん」と首を横に振ってみせた。


「陽太のこと見ててくれただけで、大助かりだよ。ちょっと目を離したら何をしでかすか分からないんだから」

「なら良かった」

「あ、陽太、調子に乗ってはしゃぐから、汗びっしょりだね。お着替え――ううん、もうお風呂に入れた方がいいかなぁ?」


 息子のTシャツの背中がしっとりと汗ばんでいるのに気付いて脱がせかけ、優香は壁掛けの時計を見上げた。今から着替えるくらいなら、シャワーを浴びさせてパジャマを着せた方がいいかもしれない。

 優香の言ったお風呂という単語に反応して、陽太はまだ遊びたいと宏樹の腕にしがみ付き始める。イヤイヤと首を横に振って抵抗し始めた息子のことを、優香は呆れ笑いを浮かべながら抱いて宏樹から離そうとする。


「さっとお風呂に入ってこようね。出た後にまた遊べばいいから」


 優しく宥めて聞かせても、陽太は宏樹から離れようとしない。下唇を噛んで泣きそうになるのを堪えているところを見ると、お風呂から出たらもう宏樹が帰ってしまっていると思っているのだ。そんな甥っ子の健気な姿に、宏樹が苦笑しながら言う。


「じゃあ、俺と一緒に入るか?」


 「いいかな?」と優香の方を振り向いて確認してくる宏樹は、やや困惑し気味に「……ちゃんと洗える自信はないけど」と呟いている。


「いいの? 無理しないでね。さっとシャワーで汗を流してくれるだけでもいいからね」

「分かった。何で洗えばいいかとか、教えてくれる? 陽太ってもうシャンプーとか使ってるの?」

「ううん、全身ベビーソープで平気。泡で出てくるポンプがお風呂にあるから全部それで」


 片腕で陽太を抱きかかえた宏樹を連れて浴室へ案内した後、優香は急いで着替えを用意するために二階へと移動する。子供の物は全て和室の押し入れに仕舞っているけれど、お風呂を出た宏樹に着てもらう部屋着を探そうと寝室のクローゼットを開く。大輝が生きていた時のまま時間が止まった衣類。あれから一枚も増えていないワードローブの中から、スウェットとTシャツを引っ張り出した。


 浴室からは賑やかな笑い声が漏れ出ていた。脱衣所に二人分の着替えを置いて、優香は一人でリビングへと戻る。陽太のはしゃいで叫ぶ声と、宏樹の焦っているが楽しそうな話し声。少し心配していたけれど、息子が泣いたりグズったりする様子は一切ない。


 ――陽太ってば、宏樹君にすっかり懐いちゃってるなぁ。


 きっとそれだけが理由ではない。でも、今この時間にとてつもなく安らぎを感じている自覚はあった。不安になったり寂しさを感じた時いつもさりげなく傍にいて、優香の不安を取り除いてくれる宏樹。大輝がいなくなってから、彼に支えて貰ったことはもう数え切れない。


 着替えを終えて宏樹に抱っこされて戻ってきた陽太は、お風呂の中で暴れ過ぎたのか、リビングで髪を乾かしてあげている最中にウトウトしながら目を擦り始める。お腹もいっぱいだし、帰宅後にも思う存分遊んだから少し早めに眠くなってきたようだった。


「陽太の布団は和室でいいんだっけ?」


 宏樹が気を利かせ、和室の隅っこに畳んでおいていた子供布団を広げてくれる。いつもお昼寝しているのを見ているから、敷く向きの指示も不要で頼もしい。「ありがとう」と礼を言って、優香はもう限界寸前の息子を抱きかかえて運び、布団の上へと寝転がせた。二、三度だけモゾモゾと動いた後、陽太はスース―という穏やかな寝息を立てて眠りつく。


 襖を少しだけ開けたまま和室を出ると、優香はリビングの電気を半分だけ消した。宏樹はソファーに座って、スマホでメールを確認しているようだったが、優香が戻ってくると照れ笑いを浮かべる。


「ごめんね、陽太とお風呂に入るの暴れるから大変だったでしょう?」

「そんなことないよ。ついでに俺もシャワーを浴びさせて貰って、さっぱりしたし」


 冷蔵庫からノンアルコールビールの缶を取り出して宏樹へと勧める。こないだ葵が家出してきた際に持ち込んだものの残りだったけれど、宏樹は嬉しそうな笑みを浮かべて受け取った。プシュッという小気味いい音を立ててプルタブが開かれ、宏樹は喉をゴクゴクと鳴らして半分近くを一気に飲み干していた。

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