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第十二話・問題客

 オフィス入り口のインターフォンを連打する音が鳴り響いたのは、午後を少し回った時刻。騒々しい音に優香がギョッとしていると、宏樹がハァっと大袈裟なくらい大きな溜め息をつく。電子音が忙しなくなり続けているのに、わざとゆっくり立ち上がって入り口ドアへと向かう。


「俺が対応するから、優香ちゃんは――できれば隠れてて欲しいとこだけど、隠れる場所ってないか……ハァ」


 とにかく何もしなくていいから、と優香も立ち上がりかけるのを手で制止してくる。段ボールの山も無くなり、すっきりと片付いたオフィスには大人が潜めるような場所はない。しいて言えばデスクの下くらいだろうが、そんなところに入り込んでいたら万が一見つかった時の言い訳が苦しい。そもそも仕事中に隠れんぼなんてしている暇はない。おとなしくデスクにいるしかなさそうだ。

 宏樹は露骨に嫌そうな表情をしながら、渋々とドアの鍵に手を伸ばしながら呟いた。


「ちょっと、ややこしい客なんだ」

「あ、例の方?」

「……そう」


 宏樹の反応から、以前に聞いたことのある問題客が頭をよぎった。嫌悪感丸出しの顔をしながら頷いて返す宏樹は、仕方ないと諦めきった様子でドアの鍵を開ける。

 と、ガンッと外側から勢いよく開かれた扉から、やや興奮気味の初老の男性が怒鳴りながら押し入ってくる。


「遅い! 客が来たら、さっさと開けんか!」

「片岡さん、本日は特にご予約いただいてませんよね?」

「予約なんてしてねぇ。いつ来れるかなんて、前もって分かるかよ。年金事務所からまた訳分かんねえ封書が来たから、わざわざ持ってきてやったのに……」


 勧められてもいないのに、片岡と呼ばれた男はさも当たり前と商談スペースに入っていこうとする。その際、事務デスクに座っている見慣れない存在に気付いたらしい。そして、ニヤリと笑みを漏らした。


「お、ようやくここにも事務員を入れたのか。先生だけじゃ、むさ苦しかったからなぁ」

「さ、奥へどうぞ」

「先生、ああいうのがタイプか? もう口説き落としたのか?」

「いいから、さっさと掛けてくださいっ」


 半ば背中を押されるようにパーテーションの中へと消えて行った片岡は、「なんだよ、相変わらず愛想ねぇ事務所だなぁ」と愚痴を吐いている。地声が大きいのか、事務所中に片岡のダミ声が響く。


 宏樹からは何もしなくていいと言われていたが、優香は二人分のコーヒーを用意してパーテーションの裏から「失礼します」と声を掛ける。口煩そうな客だったからインスタントコーヒーでは何か言われてしまいそうだったが、ここにはこれしか無いので仕方ない。


「お、来たか。こっち持ってきてくれ」


 宏樹が立ち上がった気配はしたが、客からそう言われてつい顔を出してしまったのは間違いだった。すぐに宏樹がコーヒーの乗ったトレーを受け取って、自分の身体で優香のことを隠してくれたのは良かったが、めざとい片岡は見逃してはいなかった。優香のことをさらに覗き見ようと首を伸ばしながら言う。


「なんだ、色気ない女だな。そんな長いスカート履いてねぇで、もっと脚出してサービスしろっての。会計事務所だって客商売なんだからよ」

「うちはそういう店じゃないです」


 即座に宏樹に否定されるが、片岡は平然とセクハラ発言を繰り返す。


「ほら、ここの隣に入ってる会社みたいに、事務員に制服を着させればいいんだよ。制服はいいよなぁ。特にあそこのスカート、みんな短いだろ? そしたら先生も仕事のやる気がでるんじゃねえの?」


 今日の優香はロングのタイトスカートを履いていた。膝下まで後ろスリットが入っているから見た目よりは動きやすいが、正面からだけ見た片岡には堅苦しいファッションに思えたのかもしれない。

 そして、隣オフィスの制服のスカート丈が短いという意見には優香も同意だ。お隣は若い女性スタッフが多いらしく、制服も自由に着崩している人を見かけることがある。でも基本的には膝丈のはずだ。


「俺は昔っから、女の脚が――」

「で、年金事務所から届いたっていうのは?」


 片岡が自分の趣向を語り始めようとするのを、眉を寄せてムッとした表情の宏樹が途中でぶった切る。言われてようやく当初の用事を思い出したらしく、片岡がゴソゴソと鞄を漁っている音が聞こえてくる。


「一昨日届いたらしいんだけど、こういうのはここで処理してくれてんじゃないのか?」

「……社会保険料の未納通知ですね。すでに金額が出てる物に関しては、うちでは関与できないですね。うちはその金額が算出されるまでのお手伝いをさせていただくだけですから。片岡さん、今年に入ってから毎月の社会保険料の支払いされてないみたいですね」

「それって、放っておくと延滞金がつくやつか?」

「ああ、もうついてますね。まだそれほど大きくはないので、早いところ支払った方がいいですよ。でないと取引先にも通知が行きますし、売掛金を差し押さえられる可能性がありますから」

「はぁっ?! こっちは信用で商売してんだ、そんなことされたら来年の仕事が無くなるじゃねえかよ」

「社会保険料は通常なら口座から自動引き落としされるようになってますし、通知書が毎月郵送されてきてるはずですよ。一度、指定口座の確認をされた方がいいと思います」

「何がどの口座から落とされてるなんて、そんな細かいことまで知らねえよ! 大体、いつそんな口座指定したんだよ?」

「おそらく、開業された時でしょうね」


 淡々と説明する宏樹の口調が気に食わなかったらしい片岡が、なぜか急に逆上し始める。払うべき物を払っていなかったのが悪いのだが、自分のミスを冷静に指摘されたのが許せなかったのだろう。ドカッとソファーへふんぞり返り、「納得いかねぇなぁ」と吐き捨てる。


「ダメだダメだ。先生との相性が悪いからこんなことになんだよ」

「そうなんでしょうか?」


 意味の分からない話題のすり替えに、宏樹が呆れ気味に相槌を打つ。


「ああ、相性は最悪だな。もう前の事務所に戻してくれ。ここは場所も悪いし来るのも面倒だ」

「うちとしては構いませんよ。片岡さんからそう申し出ていただければ。向こうと話がついたら連絡いただけますか。お預かりしている帳簿類を引き継ぎますから」


 一切も引き留めることなく転所をさらっと了承してしまう宏樹に、片岡が「うっ……」と反論の言葉を詰まらせる。契約解除をちらつかせれば、何か巧いこと処理してくれるのかもと図ってみたが、逆にあっさりと切り捨てられてしまい言い返せないでいるようだった。

 彼自身、前の会計事務所は迷惑客扱いを受けて出禁寸前だった自覚があるようだ。業務委託料の支払いが滞ったのは一度や二度ではないのだから。

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