結局姉には敵わない
マリアはお茶と共に出された菓子にも手を伸ばしてた。美味しいわ、うちの料理人はとても優秀なの、クリス様も是非、と勧められた。
先ほどの恋に悩む姿から一転、明るく楽しげな様子に、クリスは圧倒された。同時に怪訝な気持ちでもやもやする。
「驚くわねよ。わたしは小さい頃外に出されていたの。その頃からニナにはずっとお世話になってるのよ」
ニナと言うのは先ほどの子爵令嬢の事だ。クリスティンは頷いた。
「ニナがお父様の隠し子とかじゃないから勘違いしないでね」
「従姉妹なのです、クリスティン様。わたくしもそのようにお呼びして宜しいでしょうか。あら、事後承諾でしたわね」
ニナ・ローラン子爵令嬢は一学年上になる。言われてみれば、マリアとニナは似た顔立ちで、姉妹と言っても通じそうだった。
「もちろんですわ。ではわたしもニナ様と呼ばせてくださいね」
「これでみんな友達ね。素敵だわ!
それで話を続けるけれど、お母様がお兄様だけを可愛い思って娘のわたしを邪険にしたのね。
それでお母様の姉君の嫁ぎ先、つまりニナのところでお世話になっていたの」
ローラン子爵夫人と、マリアの母上のリコッタ侯爵夫人が姉妹だとは、初めて知った事実だ。
「伯母様とお母様は母親が違うの。
お母様はある日突然言い出したのよ。わたしとニナが似ているのは、お父様がニナのお母様と浮気したからなのだろうって。
自分が出産したのに全く何を言ってるのか」
クリスは驚きすぎて何も言えない。初めて知る話ばかりで、しかも相当な醜聞である。そんな話を自分が聞いていいのだろうか。
「浮気だなんて事実はないのよ。正真正銘わたしは母の産んだ娘なの。それでと母という人はとても疑い深くて、しかも誰かが自分よりちやほやされるのが許せない人なの。
実の娘が父親や息子や使用人達から可愛がられてるのに嫉妬して、錯乱しちゃってのね」
クリスティンは黙って頷いた。世の中にはそんな親もいるのだと考えると、エマーソン家はなんと平和なのだろう。父親が婚約の申し込みを揉み消そうとしたくらい、なんて事はないじゃない。
いけないいけない、気を引き締めなければ。マリアは彼女の大切な秘密を話そうとしているのだ。一言一句聞き漏らせまい。
このマリアの告白は、一体どこに着地するのだろうか。
「リコッタ侯爵夫人の話、聞いた事はない?病弱で療養中って事になってるわ」
あ、なんとなく聞き覚えが。
「それは聞いた事がありますね。確か領地にいらっしゃるのですよね。マリア様が憂いを帯びた表情をされるのは、病弱なお母様を思っての事だと聞きました」
「まあ、そんな事になってるのね。ニナ聞いた?」
ニナは済ました顔で、その方が世間体が良いですからねと答えた
「母はお父様が伯母様と浮気して生まれたのがわたしだと思い込もうとしてるの。本当に哀れな人だわ」
少し声のトーンを落としたマリアは、一瞬だけ昏い目をしたが、話に聞き入っていたクリスティンは気が付かなかった。
「何故そんな大切な話をわたくしなどにお話に?」
他人の家の事情でこれ以上踏み込んではならないと思いながらも、まるで物語のような展開に、物書きとしての好奇心がむくむくと沸き起こる。
「お父様やお祖父様が、母親に疎まれた娘の将来を心配して、強力な後ろ盾になりうる家と婚約を結ぼうとしたわ、その相手がアルバートなの」
なるほど、リコッタ侯爵の考えはよくわかる。万が一、自分に何か起これば、マリアを守れるのは嫡男という事になる。
「つまり政略という事?
それでもマリア様が慕っているのは、グレッグソン様ですよね?」
「仮の婚約者よ。アルバートやグレッグソンの小父さまにとっても利があるから、細かい事は黙っているだけ。否定も肯定もしなければ、人は大抵肯定だと受け取るものよ。
アルバートはアルバートで身分とあの見た目だから、女性に絡まれがちで、それで辟易している。でもわたしが婚約者だと『勝てない』と思うみたいなの、ふふ。
だから、わたし達に特別な感情はないという事をクリス様に知っていて欲しいわ」
*
遅く帰ると家の者が心配するからと、マリアとの茶話会を切り上げて、クリスティンはエマーソン家に帰って来た。
帰りの馬車の中でもずっと、マリアの言葉が頭をぐるぐる回っている。
リコッタ家の秘密は例え家族でも言うつもりはないし、それはマリアとも約束したけれど、アルバートとの婚約が仮の物だと知って、心の騒めきを鎮めるのに時間がかかると感じた。
確かに彼らは仮初の関係かもしれないけれど、だからと言って人の感情はそんなに簡単に割り切れるものではない。
帰りがけにアルバートに声を掛けられた時、彼の様子は真剣だった。マリアの気持ちがどうであれ、アルバートは彼女との間の誤解を解いて、理由が知りたいと望んでいる。
一方マリアはアルバート以外の誰かに心を寄せている。それは彼女の片思いだという事もわかっている。
立ち寄る場所で待ち伏せしないと出会えない相手である。
揺れる馬車の中でもんもんと考えていてもわからなかった。
「クリス、何かあった?」
姉は鋭い。妊娠してますます敏感になったような気がする。
「何もないわよ。それよりお姉様は順調なのね、良かったわ」
里帰りした翌日にお腹の張りを訴えたメリッサは、医師の診断を得て心配は要らないと言われていたが、心労をかけるには忍びないし、何よりマリアの秘密は絶対に話せない。
「ひとつだけ助言するわ。もたもたしていたら、全て逃げたしまうわよ。自分に素直におなりなさい、わたくしのようにね」
「お姉様のように、何でもかんでも口にしていたら、身の破滅を招いてしまうわよ」
「何とでもおっしゃい。
ところでクリスは小説を書いているって聞いたのだけど?」
それをどこで?思わず身を固くして、何のことかしら?と誤魔化したクリスティンだったが姉にはとても
敵わない。
「黙っていて欲しければお見せなさい。恋愛勝者のこのお姉様がチェックしてあげましょう」
その夜、クリスティンの部屋に押しかけたメリッサは、妹との時間が大切だとかなんとか言って、結局クリスティンの部屋で過ごしたのだった。
もちろん脅されたり宥められたりと、クリスティンにとってはとんだ迷惑事ではあったけれど、複雑な気持ちでもやもやしていたこんな夜は、姉の傍若無人な強引さはある意味現実逃避に役立った。
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